No.1828 プロレス・格闘技・武道 | 評伝・自伝 『プロレス鎮魂曲』 瑞佐富郎著(standards)

2020.02.02

 『プロレス鎮魂曲』瑞佐富郎著(standards)を読みました。「リングに生き散っていった23人のレスラーその死の真実」というサブタイトルがついています。著者は愛知県名古屋市生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。シナリオライターとして故・田村孟氏に師事。フジテレビ『カルトQ・プロレス大会』優勝を遠因に、プロレス取材等に従事したそうです。本名でのテレビ番組企画やプロ野球ものの執筆の傍ら、会場の隅でプロレス取材も敢行しています。著書に『新編 泣けるプロレス』(standards)、一条真也の読書館『平成プロレス30の事件簿』で紹介した本などがあります。また、『証言UWF完全崩壊の真実』『告白 平成プロレス10大事件最後の真実』『証言「プロレス」死の真相』で紹介した本の執筆・構成にも関わっています。

本書の帯

 本書のカバー表紙には、上からダイナマイト・キッド、ハヤブサ、ブルーザー・ブロディ、三沢光晴、橋本真也、マサ斎藤、アンドレ・ザ・ジャイアントの在りし日の写真が使われ、帯には「『俺は人生を最高に楽しんだから、いつ死んでもいい』――アンドレ・ザ・ジャイアント」「三沢光晴、橋本真也、ダイナマイト・キッド、ビッグバン・ベイダー、ジャンボ鶴田、ジャイアント馬場……平成~令和の時代に燃え尽きていった偉大なるレスラーたち、その壮絶な生死のドラマを描き出す、至高のプロレス・ノンフィクション」と書かれています。

本書の帯の裏

 カバー裏表紙には、リングの上に飾られた三沢光晴の遺影が使われ、帯の裏には「プロレスに生き、プロレスに死んでいった男たち。その壮絶な生涯を鮮烈に描き出す23の墓碑銘」として、「ブルーザー・ブロディ/アンドレ・ザ・ジャイアント/ジャイアント馬場/ジャンボ鶴田/冬木弘道/橋本真也/バッドニュース・アレン/三沢光晴/ラッシャー木村/山本小鉄/星野勘太郎/上田馬之助/ビル・ロビンソン/ハヤブサ/永源遥/ミスター・ポーゴ/ビッグバン・ベイダー/マサ斎藤/輪島大士/ダイナマイト・キッド/ザ・デストロイヤー/ハーリー・レイス/ウィリー・ウィリアムス」といった名前が並んでいます。

 本書の「目次」は、以下の通りです。
はじめに
“Never put off till tomorrow what you can do today”
――ブルーザー・ブロディ
アンドレ・ザ・ジャイアント
「俺は人生を最高に楽しんだから、いつ死んでもいい」
ジャイアント馬場
「おまえ、いいよなあ。やりたいこと、やりやがって」
ジャンボ鶴田
「もしどちらかが先に死ぬことがあっても、いつでもそばにいるよって、合図を送ろう」
冬木弘道
「やっぱり、リングの上は、シビれるよ……」
 橋本真也
「俺、このままじゃ終わらないから」
バッドニュース・アレン
「平和を願う心は、みんな同じだろう?」
 三沢光晴
「重荷を背負わせてしまってスマン」
ラッシャー木村
「耐えて、燃えろ」
 山本小鉄
「新しい技、考えてるか?」
 星野勘太郎
「俺の寿命が延びたのは、魔界倶楽部のお陰だ」
上田馬之助
「お客さんこそ、最大のライバル」
ビル・ロビンソン
「どこであれ、レスリングが私の人生だから」
ハヤブサ
「ハヤブサだったら、ここは頑張るだろ!って」
 永源遙
「俺、弱くて良かったですよ」
ミスター・ポーゴ
「俺は何を甘えてたんだ」
ビッグ・バン・ベイダー
「喪章? 天国の橋本(真也)に頼まれたのさ」
マサ斎藤
「俺の人生に、子供は必要ないのさ」
輪島大士 
「一度はベルトを巻いてみたかったなぁ」
ダイナマイト・キッド
「生まれ変わっても再び、同じ世界に身を投じるだろう」
ザ・デストロイヤー
「リングの中で涙を流したのは初めて」
ハーリー・レイス
「俺は、自分という人間以外の、何かを演じるつもりはない」
おわりに
「私がこういうキャリアを保てたのは、あなたのお陰です」
――ウィリー・ウィリアムス

 著者も執筆・構成に関わったという『プロレス 死の真相』とテーマは同じですが、同書がレスラーの近親者などへのインタビューをベースにしているのに対し、本書はいろいろなエピソードを集めて短編小説風にまとめた文芸的な文章です。どちらが好みかと聞かれれば、わたしは前者のほうですが、『泣けるプロレス』シリーズで知られる著者だけに、読者の涙腺を刺激するような文脈に仕上がっています。わたしの心に残った話を紹介したいと思います。

 アンドレ・ザ・ジャイアント(1993年1月27日逝去・享年46)の項には、以下のように書かれています。
「実はアンドレには。娘がいた。21歳の時にできた子だったが、その後も独身を貫く。長年の恋人がいたのも有名だ。世界的に知られたパリのホール『エリゼ・モンマルトル』で働いていた女性だった。『気が強くて困ってる(苦笑)』と親友のマイティ井上によく愚痴をこぼした。日本では、新日本プロレスの常宿である新宿の京王プラザホテル内のカフェ『樹里』がお気に入りで、全日本プロレスに主戦場を変えてからも、アンドレは同ホテルを利用し続けた。『樹里』に好みの日本人ウエイトレスがいたのだった。フランス語ができ、アンドレにかいがいしく世話を焼いた。2人でふざけあっている光景は、同カフェのちょっとした名物だった」

 アンドレ自身が泣いたことは、今までに3回あったといいます。1度目は、ビンス・マクマホン(シニア)が亡くなった時、2度目は、吉原功の訃報を聞いた時、3度目は旧知のプロレスラー、スコット・アーウィンが脳腫瘍のため余命いくばくもないと悟り、アンドレ宅に別れを告げに来た時でした。3人ともが、プロレス関係者でした。家にいる時のアンドレは、よく、棚からトロフィーを取り出しては、布で磨いていたそうです。その人並外れた超巨体のせいで、他人から見世物のようにジロジロ見られ、いつも多大なストレスを感じていたアンドレ。プロレス会場でも不機嫌だった印象が強いですが、実際はプロレスを愛し、プロレスラーとしての人生には満足していたようですね。

 ジャンボ鶴田(2000年5月13日逝去・享年49)の項には、鶴田の強さについてのエピソードが以下のように書かれています。
「若大将と言われた20代を経て、1984年2月には、日本人初のAWA世界ヘビー級王座奪取。1989年4月には、今に続く三冠統一ヘビー級王座の初代王者に輝いた。ジャイアント馬場が第一線を退いた80年代中盤からは、実質的なエースに、付いた異名は、‟完全無欠のエース”はもとより、‟24時間戦える男”‟技のデパート”、果ては”怪物”。その強さに対する逸聞は、枚挙に暇がない。あのリック・フレアーが彼との試合が組まれる度に、『またロングマッチになるのか……』と頭を抱えたというエピソード。ブルーザー・ブロディは初来日時、厚みを有していたその体格を、自らの意志でスリムにしていった。鶴田の無尽蔵のスタミナに対抗するためだった。あのタフな天龍をパワーボム一発で失神させた一騎打ちもファンの口端に上るところ(1989年4月20日)。こちらは、直前に天龍のチョップが喉元に入り、キレ気味となった鶴田がパワーボムを見舞ったものだが、鶴田が失神した天龍の口元を見ると、泡を吹いていたという」

 輪島大士(2018年10月8日逝去・享年70)の項では、輪島の故郷である石川県七尾市総合体育館で行われたプロレス・デビュー戦について書かれています。
「デビュー戦のタイガー・ジェット・シン戦。終了のゴンス後、まだまだ場内の熱気冷めやらぬ中、リング上で天龍が輪島に耳打ちするシーンがある。こんな風に囁いたという。
『横綱、もう、充分ですから』
瞬間、天龍は輪島に突き飛ばされていた。
『まだまだだっ!』
控室に戻ろうとするシンを追う輪島の背中を、馬場が大きく押すシーンも有名だ。このデビュー戦の前夜、輪島は思い立ち、力士時代と同じ塩を調達してきた。そして、一旦は荷物に入れたはずのリングシューズとトランクスにそれをかけて、飾った。『絶対に勝てるように』という切願だった。当日、用具一式を忘れてたのは、この経緯からだった。晩年は、プロレス関係のインタビューにも頻繁に登場した輪島。悔いがあるとすれば、との問いへの答えは、『一度はベルトを巻いてみたかったなぁ』だった」 

 本書におけるプロレスはエンターテインメントというより、スポーツライクな真剣勝負といった印象です。とにかく著者は、プロレスの闇には触れずに、ひたすら光に焦点を当てます。プロレスラー個人に対しても同様で、たとえば類書に必ず登場する橋本真也の不倫エピソードなどは一切出てきません。昭和や平成のプロレスを回顧する本は多いですが、本書にはプロレスとプロレスラーに対する著者の愛情と思いやりが溢れています。

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