No.1738 プロレス・格闘技・武道 | 評伝・自伝 『証言「プロレス」死の真相』 アントニオ猪木+前田日明+川田利明+丸藤正道ほか著(河出書房新社)

2019.06.24

 『証言「プロレス」死の真相』アントニオ猪木+前田日明+川田利明+丸藤正道ほか著(河出書房新社)を読みました。これまで、一条真也の読書館『証言UWF』『証言UWF最終章』『証言UWF完全崩壊の真実』『証言1・4橋本vs.小川 20年目の真実』、『証言「橋本真也34歳 小川直也に負けたら即引退!」の真実』『証言 長州力「革命戦士」の虚と実』といった一連の「証言」シリーズを当ブログで取り上げてきましたが、いずれも宝島社の本でした。しかしながら、本書の版元は河出書房新社です。版元が違うのに「はじめに」もターザン山本が書いているし、構成のスタイルもまったく同じ。ほとんど「掟破り」といった感じの出版物です。河出書房新社といえば、一条真也の読書館『猪木流』で紹介したアントニオ猪木の共著を刊行していますので、どうもこの掟破りには、猪木という稀代のフィクサーが絡んでいるようですね。猪木自身も本書の冒頭に登場して、恩師である力道山について語っていますし。

本書の帯

 本書の帯にはアントニオ猪木、前田日明の顔写真が使われ、「猪木、前田……16人の遺族、関係者が明かすレスラー14人の真実の晩年と死の謎」と書かれています。16人の遺族、関係者が明かすレスラー14人の真実の晩年と死の謎」と書かれています。 

本書の帯の裏

 本書の「目次」は、以下の通りです。
力道山――(証言)アントニオ猪木
「非常識で生き抜いた親父に出会って、俺の人生は変わった」
山本小鉄――(証言)前田日明
「父のように優しい心で俺たちを育ててくれました」
ジャイアント馬場――(証言)和田京平
「生命維持装置を外しても、馬場さんはすごい生命力だった」
三沢光晴――(証言)丸藤正道
「三沢さんの遺体を見て、こらえきれない涙があふれ出した」
マサ斎藤――(証言)斎藤倫子
「ファンのみなさん、どうかマサ斎藤を忘れないでください」
ジャンボ鶴田――(証言)川田利明
「鶴田さんは、どんなスポーツをやっても成功する化け物」
ジャンボ鶴田――(証言)鶴田保子
「全日本に入れて、いい会社に就職できて、僕は幸せだった」
橋本真也――(証言)関係者X
「死の直前、もう一度、故郷の新日本でやり直したかった橋本」
橋本真也――(証言)黒田哲広
「亡くなる前から、何回も死にかけたと聞いていました……」
ラッシャー木村――(証言)百田光雄
「昔気質の木村さんは、入院中でも人に弱みを見せなかった」
上田馬之助――(証言)トシ倉森
「2人で自殺することばかり考えていたんです」(恵美子夫人)
阿修羅・原――(証言)小佐野景浩
棺と一緒に焼いたレボリューションジャケットの思い出」
永源遥――(証言)柴田惣一
「亡くなる当日も永源さんはノアの事務所に出社していた」
冬木弘道――(証言)金村キンタロー
「ああ、俺はやっぱり死ぬんだな」とボスはニヤリと笑った
ブルーザー・ブロディ――(証言)斎藤文彦
溺死、放火……ブロディ刺殺犯に続いた不幸のスパイラル
ザ・デストロイヤー――(証言)束田時雄
最後の来日で会った猪木と和田アキ子からのリスペクト
プロレスラー「訃報年表」

 本書のタイトルには「死の真相」という言葉が入っていますが、基本的に亡くなったプロレスラーの弟子や後輩、あるいは遺族や関係者が生前の思い出を語るといった内容でした。もともと「プロレスラー」と「死」という言葉は似合いません。プロレスラーには「不死身」といったイメージがあるからです。また、「不死身」のイメージを観客に与えるのがプロレスラーの仕事だからです。ですから、現役で活躍中だった力道山がチンピラからナイフで刺された傷が原因で亡くなった際の当時のプロレスファンたちが受けた衝撃の大きさは想像するに余りあります。力道山はプロレス界の無敵のスーパースターだったからです。

 そのあたりをターザン山本も、「はじめに」の冒頭で以下のように書いています。
「昔、プロレスラーは怪物幻想が大きな魅力だった。圧倒的存在感、際立つ身体表現、問答無用な圧力。とくに外国人レスラーにはそれがあった。怖い、ヤバい、ビビった。だからレスラーの最期は人知れず消えていく。フェイドアウトしていくのが理想的だった。異形の人に死は似合わない。見せてはいけない。それが怪物たちの宿命。大原則。
しかしSNS全盛時代、あらゆる情報は即座に世界に発信される。そのため、我々プロレスファンは仕方なくレスラーの死と向かい合う形になってしまった。その現実はあまりにも切なすぎる。怪物も人の子だったのかという思い。耐えられない」

 また、ターザンは以下のようにも述べています。
「問題は生き残った者がなにを受け継いでいくのか。死という事実を見つめることよりも死者のメッセージを感じる感性。それを語れる者は幸せだ。それが猪木にとっての力道山であり、前田日明にとっての山本小鉄だった。その瞬間、力道山は猪木の中で、山本小鉄は前田の中で蘇ることになるのだ。死者から生者への目に見えないメッセージの伝達。これほど美しい関係はない。死者が他者の中で復活。生き返る。ただそれは死者にとっては及びもつかないこと。だからいいのだ。プロレスラーほど死してなおプロレスファンの記憶の中で生きている人たちはいない。その意味でもプロレスは比類なきジャンルだ」

 本書の目玉は、「証言」シリーズ初登場となる超大物・猪木が恩師・力道山のことを「親父」と呼び、その思い出を語るところでしょう。「怒り、怨念こそが力道山のエネルギー」として、猪木は以下のように語っています。
「戦後のスーパーヒーローは何人も生まれたと思いますけど、力道山という存在はそんな比じゃないというね。非常識で生き抜いたあの価値観がいいか悪いかを別にして、俺は親父に出会ってなければ違った人生を送っていたんでしょう。興行とはなにか?――を親父から教わったわけではないんですけど、興行にとって必要な絶対的な派手さ、パフォーマンスのうまさ、池に石を投げてポチャンと沈んでしまうのか、それとも大きな波紋を起こしてどんどん広がっていくのか。親父のあの生き方から、そういうメッセージを受け取りました」

 続けて、猪木は以下のように述べています。
「もちろん力道山がどう思っていたのかはわかりません。でも、多くの国民はリングで闘う力道山の姿や、あの空手チョップから元気をもらっていたわけです。再び立ち上がっていく自分たちと重なり合わせてね。
では、あの力道山のエネルギーとはなんだったんだろう? と。相撲時代には、その出自から差別を受けたことで髷を切って廃業したという話があり、そうやって虐げられてきたなか、思いもよらない形で戦後日本のスーパースターになってしまった。親父も非常識、矛盾のなかで生きてきたんです。その怒り、怨念こそが親父のエネルギーだったんでしょう」

 力道山について語った猪木の若手時代を語ったのが、本書の最後に登場する「白覆面の魔王」ことザ・デストロイヤーです。デストロイヤーは猪木とは試合もしていますが、力道山のジムで猪木の若手時代にスパーリングをやったこともあるそうです。デストロイヤーは「きわめて卓越したテクニックの持ち主。アマレス出身かと思った」と述べています。猪木にはアマレスの経験はありませんから、いかに強いレスラーだったのかがわかります。「強さ」だけではありません。デストロイヤーは猪木のことを「表情も、表現力も素晴らしい」と絶賛しました。力道山が亡くなる直前、猪木は道場でスパーリングする機会がありましたが、簡単に力道山のバックを取れてしまったことで、英雄の衰えを感じたといいます。

 猪木と違って、「スパーリングが弱かった」と言われているのが、新日本プロレスのナンバー2としてエース・猪木を支えた「世界の荒鷲」こと坂口征二でした。若手時代から坂口とそりが合わなかったという前田日明が、恩師である山本小鉄が坂口と仲が悪かったことについて以下のように語っています。
「小沢(正志)さん(=キラーカン)から言わせれば、坂口(征二)さんってアメリカでレスラーとしてまったく通用しなかったらしいんだよね。食えないぐらいで。そんな人間が新日本に帰ってきたら、『世界の坂口』って言われて猪木さんに次いでナンバー2でしょ。で、山本さんはアメリカでチャンピオンになったりしてたし、そういうレスラーとしての格があるんじゃないのかな」

 続いて、前田は以下のようにも述べています。
「山本さんは坂口(征二)さんと仲が悪くてね、その根本には妙なところで柔道的なプライドを出すところがあって、プロレスを見下したようなところがあったからですよ。坂口さんはたしかに柔道の実績はすごいけど、スパーリングとか弱くてね。北沢(幹之)さんが面白いことを言ってたよ。『昔はあのデカい新人は弱いなぁって、また極められてたよ』って。そりゃ道着を着たら強いよ。もうバンバン投げてね。ただ、あの当時の日本柔道は寝技が全然ダメだったから神永(昭夫)代表が(アントン・)ヘーシンクに抑えられたりするわけで」

 アマレス界の強豪としてプロレス入りしたのが、ジャンボ鶴田でした。現役時代は圧倒的な強さを示し、現在でも「鶴田最強説」は根強いですが、「鶴田のような選手は今後、プロレス界に現れるだろうか」という質問に対して、「デンジャラスK」こと川田利明がこう述べています。
「現れない。仮にもし、いたとしても、別のメジャーなスポーツに行っていると思う。最近のプロレスラーは細くて小さい選手が多い。もし、あんな人がいたらメジャーなスポーツでお金を稼ぐはず。あれだけ才能、体力、身体、プロレスラーとしてのものを全部持っている人はプロレス界に出てこない。それぐらいリング上では化け物だった」

 川田と同じことを語ったのが、ジャンボ鶴田の未亡人である鶴田保子さんです。「レスラーとしての御主人について思い出をお聞かせください」との言葉に対して、鶴田保子さんは「華のある人でした。ジャイアント馬場さんは『レスラーは一般の人たちの中にいても、レスラーとしてわかる人じゃないと大成しない』と考えていたそうです。馬場さんもそうですし、レスラーとしての主人はオーラがありました。レスラーだけになれる人ではなく、どんなスポーツ選手にもなれる。これは本人も言っていました。『僕は体が柔らかいから』って」と語っています。

 鶴田はプロレスラーにならなかったほうが幸せだったのでしょうか。「鶴田さんはプロレスを選んで幸せだったでしょうか」という問いに対して、保子さんはこう語っています。
「『自分の長所を生かせる仕事に就けてうれしかった』と言っていました。息子たちにも『長所を生かせる仕事をしなさい。自分の強みを自分で見つけて、それを生かす仕事をしなさい。だから、引き出しは多く持っておくんだよ』と。三沢(光晴)くんにもよく言っていました。『レスラーを辞めてからの人生のほうが長い。だから、その時に人から後ろ指をさされないような人生を送らないといけないよ』って」

 そして、保子さんは亡き夫について、「レスラーとしては、本当に恵まれた人生で、感謝だけだったと思います。『全日本に入れて、僕は幸せだった。いい会社に就職できて、幸せだった』と話していました。全日本で始まって、全日本で終われて、幸せだったと思います」と述べるのでした。
 ジャンボ鶴田が「いい会社」と呼んだ全日本プロレスの創始者で、鶴田をプロレス入りさせたのはジャイアント馬場です。保子さんは、「馬場さんは、主人からしたら神のような人でした。試合後、毎回コメントをもらっていたそうです。その時に『しょっぱい試合しやがって』と言われたこともあり、なかなか評価されないと、つらい思いもしたようです。馬場さんから電話がかかってくると、目の前にいるわけでもないのに、パッと立ち上がって直立不動で話すくらいでした」と語っています。

 ジャンボ鶴田の最大のライバルは天龍源一郎でしたが、その天龍の最高のパートナーといえば阿修羅・原でした。両者のコンビは「龍原砲」と呼ばれました。盟友の原が亡くなったとき、天龍は、原の死について多くを語らずノーコメントを貫きました。「週刊ゴング」元編集長の小佐野景浩が以下のように述べています。
「当時、天龍さんは、たまたま別の記者会見があって、原さんについても聞かれたんだけど、ノーコメントだった。やっぱり天龍さんからしてみたら、自分と阿修羅・原のことはひと言で語れないし、ましてや、その関係を知らない人間に聞かれたって答えようがないってことだと思う。龍原砲の絆は、簡単に語れるものではないほど熱く深いものだったと思うしね」

 また、龍原砲について、小佐野はこうも語ります。
「天龍同盟の頃は、それこそ家族よりも多くの時間を二人は一緒に過ごしていた。移動も一緒、試合も一緒、終わったら一緒に飲みにいって、その間ずーっとプロレスの話をしている。あの二人はつくられたチームじゃないんだよね。大相撲で前頭筆頭までいった嶋田源一郎という男と、ラグビーで日本のトップまでいった原進という男が、お互いにプライドを持ってプロレスに取り組んで、どこに見せても恥ずかしくないプロレスをしようという気持ちだったんだと思う」

 本書には、多くの名レスラーの生き様が語られています。タイトルにある「死の真実」についてはそれほど詳しく語られていませんが、2005年7月11日に40歳という若さで急逝した橋本真也だけは、病状がかなり詳しく書かれています。冬木弘道の未亡人であった薫さんと交際し、亡くなったときも彼女と一緒だったそうですが、橋本の訃報を聞いたときの心境を黒田哲広が以下のように語っています。
「ショックというよりは、やっぱり亡くなっちゃったかな……でした。その前に何回も死にかけたっていう話は聞いたんで。橋本さん、不整脈だったらしいんです。不整脈で何回も緊急で病院に担ぎ込まれたとか、そういう倒れ方をしていたと聞いてたんで。僕が一緒の時に具合が悪くなったことはなかったですけど。でも、薫さんから『この前も倒れてさ』という話は聞いていたので。亡くなった話を聞いた時は、ああ……っていう感じでした」

 あの無類の強さを誇った「破壊王」が不整脈に苦しんでいたとは驚きです。それにしても、不整脈の人間がプロレスを続けなければいけなかったというのはあまりにも過酷であり、無性に悲しいですね。本書を読めば、「死なない人間はいない」「万人に等しく死は訪れる」という真実が改めてわかります。亡くなったプロレスラーの方々のご冥福をお祈りいたします。合掌。

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