No.1553 芸術・芸能・映画 『「ウルトラマン」の飛翔』 白石雅彦著(双葉社)

2018.05.06

 『「ウルトラマン」の飛翔』白石雅彦著(双葉社)を読みました。
 この読書館でも紹介した『「ウルトラQ」の誕生』に続く第2弾で、かつてない綿密な考証で「ウルトラマン」という日本特撮ドラマ史に燦然と輝く名作の背景を描いていた本です。著者は1961年秋田県生まれで、映画研究家、脚本家、映画監督。なんと、邪道のプロレスラー・大仁田厚の電流爆破デスマッチのスタッフでもあったとか。

   本書の帯

 カバー表紙にはウルトラマンの上半身を撮影した写真が使われ、帯には「放送開始50年! 今こそ歴史的事実に迫る」「驚きをもたらす決定的ドキュメンタリー」「かつてない綿密な考証で定説に挑む!!」と書かれています。

   本書の帯の裏

 また、帯の裏には以下のように書かれています。

「こういうことだったのか!! 証言と各種資料を丁寧に照合し、ヒーロー誕生の軌跡を再現する」「TBS版『WoO』とは何か?/第1話誕生までの遠い道のり/作家・金城哲夫の目覚め/39話で終了したのはなぜか?」「『「ウルトラQ」の誕生』に続く第2弾!!」と書かれています。

 さらに、カバー前そでには以下のように書かれています。

「戦後日本最大のヒーロー『ウルトラマン』は、ちょうど50年前、1966年7月17日放送の第1話『ウルトラ作戦第一号』でブラウン管にその姿を現した。銀色に輝く巨大宇宙人という前代未聞のアイディアにたどり着くまで、金城哲夫をはじめスタッフは文字通り産みの苦しみを味わった。そして誕生したヒーローの物語は、才能溢れる若者達の情熱によって、驚くべき発展を遂げていく。各メディアで絶賛された『「ウルトラQ」の誕生』の著者が、いよいよ本丸『ウルトラマン』誕生の軌跡を追うドキュメンタリー第2弾。証言と史料をつきあわせ、かつてなく丁寧に、限界まで歴史的事実に迫る。こうしてウルトラマンは飛び立った」

 本書の「目次」は、以下のような構成になっています。

「まえがき」
『ウルトラマン』放送リスト
第一部 巨大変身ヒーローに至る道
第二部 ウルトラマン誕生す
第三部 怪獣ブームの渦中で
第四部 ある作家の目覚め
第五部 二つの命
エピローグ
「あとがき」

 この読書館でも紹介した『タケダアワーの時代』にも書かれているように、『ウルトラQ』の後番組として、『ウルトラマン』は昭和41年7月17日から昭和42年4月9日の間に全39話が放映されましたが、日本のテレビ番組史上に残る人気番組となりました。本書の第二部「ウルトラマン誕生す」には、「番組はヒーローを必要としていた。子供達は怪獣に熱中している。その怪獣をバッタバッタとなぎ倒していく、誰も見たことのない新しいヒーローを、関係者の一部は、巨大ヒーローを出そうと提案したのは円谷英二であると語る」とあります。

 ウルトラシリーズの脚本を手掛けた沖縄出身の上原正三は、当時を振り返って以下のように語っています。

「『ウルトラQ』は成功したけれども、『ウルトラマン』のような40メートルのヒーローが成功するのか? という危惧はみんな持っていたんだよ。つまり、シナリオライターも監督もプロデューサーも手探りだったんだね。ただ失敗はできない。つまり円谷英二劇場を『ウルトラQ』だけで終わらせたくない、というのはみんなの中にあったんだ」

 じつは、『ウルトラQ』には内容的にウィークポイントがありました。
 TBSの会議室で『ウルトラQ』の「ゴメスを倒せ」「五郎とゴロー」「宇宙からの贈りもの」の3回分を観たという小説家の野口富士男が、その感想を以下のように語っています。

「ヘリコプターの操縦士と、新聞社の女カメラマンが毎回必ず出てくる。それで怪獣もいつも変わる。これから4回、5回とズーッと見ていきますと、同じ人が一週間に一度必ず怪物に出会うという設定なのですね。初めはそんなに感じなかったのですが、3回も見た時に、そういう事に気がついてそれでいいのかな・・・・・・つまり世にもまれなる怪物に、一週間に一度ずつお目にかかるという設定・・・・・・そこにちょっとこだわりを感じました」

 この野口の抱いた違和感は、じつは多くの関係者も抱いていました。そこで、怪獣退治の専門集団である「科学特捜隊」とウルトラマンというヒーローを登場させることで矛盾をなくそうとしたのです。こうして、『ウルトラマン』は日曜夜7時にTBSで放送開始されたのでした。

 『ウルトラマン』の大ヒットで、空前の怪獣ブームが起きました。
 第三部「怪獣ブームの渦中で」には、以下のように書かれています。

「『ウルトラQ』の放送時間帯は日曜夜7時である。同時刻、フジテレビでは手塚治虫原作によるアニメーション『W3』(65年6月6日~66年6月27日)が人気を得ていたが、『ウルトラQ』の放送が始まるや視聴率は急落、同番組を担当していた円谷皐はその事態に驚いたという。結局、同番組は2月7日の第36話『ジャングルの誓い』から月曜夜7時半に放送枠を移動し、視聴率の回復を図ったのである。同時にフジテレビは同番組の広告代理店、東急エージェンシーに『W3』の後番組として特撮テレビ映画の企画を依頼し、『マグマ大使』として結実する。『ウルトラマン』に先立つこと13日、66年7月4日から始まった『マグマ大使』は、我が国初のカラー特撮テレビ映画であったが、人気の点では『ウルトラマン』に及ばなかった」

 続けて、本書には以下のように書かれています。

「10月6日からは東映東京制作の『悪魔くん』(~67年3月30日、NET)が始まる。これは水木しげるによる同名漫画のテレビ化だったが、怪獣ブーム渦中の番組であり、大海獣、ペロリゴン、モルゴン、水妖怪、化けぐもといった、怪獣と呼んで差し支えない巨大妖怪が登場した。『悪魔くん』の評判は上々であり、この番組の成功なくしては、のちの水木しげるブームはあり得なかっただろう。11月9日からは、円谷プロの『快獣ブースカ』が放送開始、創業当時からの悲願であった二番組同時制作を達成した」

 その後も怪獣ブームは続き、ブラウン管には数々の怪獣、宇宙人、妖怪たちがひしめくことになりましたが、テレビの台頭で斜陽の映画界もこのブームに便乗してきました。本書には以下のように書かれています。

「当時、怪獣映画を制作していたのは東宝と大映だけであった。怪獣映画に関して後発の大映は、65年11月27日公開の『大怪獣ガメラ』(監督・湯浅憲明)に続くシリーズ第2弾として、66年4月17日に『大怪獣決闘 ガメラ対バルゴン』(大映東京制作、監督・田中重雄、特撮監督・湯浅憲明)を公開。同時上映には大映京都制作の『大魔神』という大サービスぶりだった」

 続けて、本書には以下のように書かれています。

「翌67年には、怪獣映画には無縁だった松竹と日活も、それぞれ『宇宙大怪獣ギララ』(3月25日公開、監督・二本松嘉瑞、特撮監督・池田博)、『大巨獣ガッパ』(4月22日公開、監督・野口晴康、特技監督・渡辺明)を製作する。なお、この2本の映画で特撮を請け負ったのは、東宝を退社した特殊美術デザイナーの渡辺明、円谷プロを退社した川上景司らが起業した日本特撮映画株式会社であった」

   ウルトラマンに変身するハヤタ隊員

 このような一連の怪獣ブームも、すべては『ウルトラマン』の大ヒットから始まったのです。第五部「二つの命」で、著者は以下のように述べています。

「『ウルトラマン』が誕生して、すでに半世紀が経つ。しかし本作はウルトラマンシリーズばかりか、その後制作された無数の特撮ヒーロー番組の中で最高峰に位置する。その輝きはいまだ色あせぬどころか、ますます増しているようにも見える。
 『ウルトラマン』は、変身する巨大ヒーローという過去に例のない設定ゆえに、ヒーローそのもののバックボーンが曖昧模糊としたまま走り出した。ウルトラマンとハヤタの関係に象徴されるように、番組はそれを明確にすることはなかった。しかしこのことが、番組を成功に導く要因の1つになった。ウルトラマンという存在に、一種の神秘性を与えることになったからだ」

   ウルトラマン参上!

 ウルトラマンとは何者なのか? この問いに初めて答えたのは野長瀬三摩地が監督した第7話「バラージの青い石」でした。
 このエピソードで、中東の謎の都市バラージに迷い込んだ科学特捜隊のメンバーたちは、神と崇められているウルトラマンの石像に遭遇します。ウルトラマンは5000年の太古から人類の平和のために戦ってきた武神であることが明らかになったのです。著者によれば、これによって「シリーズに深みを与えたのである」といいます。

 また、続けて著者は以下のように述べています。

「第2クールに入ると、佐々木守・実相寺昭雄コンビが参加。文明批判をテーマに、異色作を連発する。シリーズがバラエティに富みだしたのは、このクールからだ。ただ、そのうち金城哲夫が脚本を手掛けた数はそれほど多くはない。シリーズ全体を考えると、金城の役割は、メインライターというよりは現在で言う”文芸担当”に近い。そもそも役職が”企画文芸部室長”なのだから当たり前なのだが、シリーズに1つの指針を与えるというよりは、各話ライターと監督に、いかに面白いものを作ってもらうかを考えて提案し、必要によっては各話の脚本修正を行うという役割だったようだ」

 佐々木守・実相寺昭雄コンビについては、第四章「ある作家の目覚め」でも以下のように言及されています。

「佐々木・実相寺コンビの作品は、怪獣の生理あるいは存在そのものに重きをおき、それによって翻弄される人間達(主に科特隊だが)を描く風刺劇である。真珠を食べるガマクジラに対し、アキコ隊員は『もったいなアぃ、1つでいいから返してちょうだ~い』と叫び、落書きから生まれたガヴァドンは、寝ているだけで、東京の流通を止めてしまう。決定稿には、『たべものもなにもない東京で、即席ラーメンだけがやたらにうれたのである』というナレーションまで用意されている」

 続けて、著者は以下のように述べます。

「『故郷は地球』のジャミラは、ある国が打ち上げた”人間衛星”が水のない星に不時着し、怪獣化したキャラクター。『空の贈り物』のスカイドンは、重いだけで混乱を巻き起こす厄介者。『怪獣墓場』のシーボーズは宇宙の怪獣墓地から地球に落ちてきたはぐれもの。人間達は、突如現れた怪獣の前で右往左往し、あるいは苦悩する」

 そして第五部「二つの命」の最後に、著者はこう述べるのでした。

「あらゆる夾雑物を取り除いた『ウルトラマン』は、シンプルで、力強く、美しく、慈愛に満ちたヒーローの物語だ。ウルトラマンというキャラクターに象徴される、あらゆるポジティブなエネルギーの集合体が、『ウルトラマン』という番組なのである。番組に関わったすべてのスタッフの情熱が1つになって、あのとき、1966年7月17日、ウルトラマンはブラウン管から飛び出し、大空高く飛翔したのである」

 ここで著者は「慈愛に満ちたヒーロー」と表現していますが、ウルトラマンの一見無表情な顔は仏像にも通じるアルカイック・スマイルであったと思います。「ウルトラマン」を夢中になって観ていた少年時代のわたしは、じつはウルトラマンに癒されていたのかもしれません。

 最後に、本書を読んでいる最中、ある報道に接しました。
 円谷プロダクションが4月24日、「ウルトラマン」シリーズをめぐり米ユーエム社と係争中だった著作権関連裁判に関して会見したのです。それによれば、カリフォルニア中央区地方裁判所において、ユーエム社側が主張する1976年3月4日付の契約書が、真正に作成されたものではないという円谷プロ側の主張を全面的に認める判決が下されたとのこと。これで、「ウルトラマン」キャラクターに基づく作品や商品を展開する一切の権利は、日本国外においても円谷プロが有すると確認されたほか、権利侵害に対する損害賠償も認められたわけです。まさに、円谷プロの全面勝訴ですね。

 この読書館でも紹介した『ウルトラマンが泣いている』で知ったのですが、この裁判こそは円谷プロの屋台骨を弱らせ、業績を悪化させた最大の原因でした。ちょうど、円谷プロについての本を読んでいる最中に、同社にとってきわめて重大なニュースを知ったというのはシンクロニシティだと思います。円谷プロは「この判決を踏まえて、今後はさらにウルトラマン作品の積極的な海外展開を進めていく所存でございます」と発表していますが、これは楽しみですね。ぜひ、「一条真也の映画館」で紹介したスティーブン・スピルバーグ作品である映画「レディ・プレイヤー1」の続編にはウルトラマンを登場させてほしいです。いずれにせよ、日本が誇る巨大ヒーローである「ウルトラマン」のさらなる飛翔に期待しています!

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