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津波の霊たち』

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No.1550


 5月になりました。10日に55回目の誕生日を迎えます。

 卯月晦日の昨夜は満月だったので、新しいムーンサルトレターを鎌田東二先生にお送りしましたが、鎌田先生は連休中、東日本大震災の被災地を追跡調査されるそうです。東日本大震災といえば、わたしは『津波の霊たち』リチャード・ロイド・パリー著、濱野大道訳(早川書房)を読みました。著者は〈ザ・タイムズ〉紙アジア編集長・東京支局長で、「3・11 死と生の物語」というサブタイトルがついています。カバー表紙には、震災から1000日目を迎えた石巻市で、燈籠をともして犠牲者を追悼する人々を撮影した写真(朝日新聞社/ゲッティ イメージズ)が使われています。
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   本書の帯


 帯には、以下のように書かれています。

「津波が残した人間の悲しみと業を描く迫真のルポ」
奥野修司氏(ノンフィクション作家。『魂でもいいから、そばにいて』)

「とうとう途中で読み止められなかった。見事な仕事である」
玄侑宗久氏(僧侶・作家。『光の山』)

「在日20年の英国人ジャーナリストが、大川小学校の悲劇と被災地の『心霊現象』に迫る。」「あの日から7年―。傑作ルポ『黒い迷宮』の著者による最新ノンフィクション」
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   本書の帯の裏


 本書は英《エコノミスト》誌、《ガーディアン》紙、〈NPR〉、〈GQ〉誌、〈Amazon.com〉などで年間ベストブックに選出されています。さらに、カバー前そでには、以下のように書かれています。

「在日20年の英国人ジャーナリストは、東北の地で何を見たのか?2011年3月11日、東日本大震災発生。その直後から被災地に通い続けたロイド・パリー記者は、宮城県石巻市立大川小学校の事故の遺族たちと出会う。74人の児童と10人の教職員は、なぜ津波に呑まれたのか?
 一方、被災地で相次ぐ『幽霊』の目撃談に興味を持った著者は、被災者のカウンセリングを続ける仏教僧に巡り会う。僧侶は、津波の死者に憑かれた人々の除霊を行なっていた。大川小の悲劇と霊たちの取材はいつしか重なり合い―。傑作ルポ『黒い迷宮』の著者が6年の歳月をかけ、巨大災害が人々の心にもたらした見えざる余波に迫る」

 本書の「目次」は、以下のような構成になっています。

プロローグ 固体化した気体
第1部 波の下の学校
第2部 捜索の範囲
第3部 大川小学校で何があったのか
第4部 見えない魔物
第5部 波羅僧羯諦―彼岸に往ける者よ
「日本語版へのあとがき」
「謝辞」
「訳者あとがき」
「原注」

 本書の扉には、2011年3月11日に東京電力福島第一原子力発電所で冷却システムが故障し、炉心熔解(メルトダウン)が発生、3つの原子炉で爆発が起き、放射性物質が周辺地域に拡散したことが紹介され、続いて以下のように書かれています。

「この原子力災害のもともとの原因となった地震と津波は、人々の生命にただちに影響を及ぼした。波が引くまでのあいだに1万8000人以上が圧死、焼死、溺死した。1945年の長崎への原爆投下以来、日本で起きたひとつの災害・事故による死者数としては過去最大を記録した」

 本書では、津波で74人の児童と10人の教職員を失った石巻の大川小学校の関係者を丹念に追っています。それから、もう1つの軸として、被災者の言葉を聞き続けた僧侶の話を紹介していますが、わたしは主に後者のほうを紹介したいと思います。第2部「捜索の範囲」の「幽霊」で、著者は以下のように述べています。

「私が東北で出会った金田諦應住職は、津波に呑み込まれた死者の魂の除霊について教えてくれた。幽霊を見たという話が被災者のあいだでささやかれるようになったのは、震災の年の秋になってからのことだった。が、金田住職のもとに最初に"憑依"についての相談が舞い込んだのは、地震から2週間もたたないある日のことだった。彼は、宮城県内陸部にある栗原市の禅寺・通大寺の住職だった」

 金田住職に対して、被災者たちは、はじめは申しわけなさそうにぽつりぽつりと、次第に滔々と、津波の恐怖、家族を亡くした痛み、将来への不安を語ったそうです。さらに、超自然的な出来事について話す人も少なくなかったとして、「他人、友人、隣人、死んだ家族の幽霊のようなものを見た、と語る人がいた。多くの人々が、自宅、仕事の現場、オフィス、公共の場、海岸、瓦礫だらけの町で心霊現象を体験した。その経験は、不気味な夢や漠然とした不安感といったものから、小野武さんのケースのような明らかな"憑依"まで幅広いものだった」と述べています。

 心霊現象を体験したという報告は被災地のいたるところから聞こえてきたとして、著者は以下のように述べています。

「キリスト教、神道、仏教の宗教者のもとには、不幸な魂を鎮めてほしいという依頼がひっきりなしに舞い込んできた。ある仏教の僧侶はこの『幽霊問題』についての記事を学術誌に寄稿し、東北大学の研究者たちは物語の収集・整理を始めた。京都で開かれた学術シンポジウムのなかで、この問題が取り上げられたこともあった」

 金田住職は、著者に対して、「信心深い人たちは誰もが、それがほんとうに死者の魂なのかどうか議論しようとします」と述べた上で、「私はその議論には参加しません。重要なのは、実際問題として人々がそういうものを見ているということです。震災のあとのこの状況下では、まったくもって自然なことでしょう。あまりに多くの人たちがいっときに亡くなった。自宅に、職場に、学校に波が襲いかかり、みんないなくなった。死者たちには、気持ちを整理する時間がなかった。残された人々には、さよならを伝える時間がなかった。家族を失った人々、死んだ人々両者には強い愛着心があるのです。死者は生者に愛着があり、家族を失った者は死者に愛着がある。幽霊が出るのも必定なのです」と語ったそうです。

 日本人の信仰心について、著者は以下のように述べます。

「『あなたは信仰心が強いと思いますか?』という世論調査が行なわれると、日本は決まって世界でもっとも信仰心が薄い国のひとつにランキングされる。東日本大震災という大きな災害を通して私は初めて、この日本人の自己評価がいかに紛らわしいものかを理解することになった。事実として、仏教や神道などの組織的な宗教団体は、日本の個人的生活や国民としての生活にほとんど影響を与えていない。しかし何世紀にもわたって、仏教と神道は日本の"真の信仰"の儀式―祖先崇拝―のなかに組み込まれてきた」

 西欧諸国の多くの住人たちは、儀式で発せられる言葉にはほとんどなんの価値も見いだしていないとしても、キリスト教に則った葬式に参加します。日本の行事も、それと同じようなものだと思っていたという著者は、「しかし日本では、霊的信仰(霊を信じること)は信仰心の一表現というよりも、単純な常識としてとらえられることが多い。そんな考えが何気なく当たりまえのように蔓延しているため、多くの人がその存在をつい見逃してしまう」と述べるのでした。

 宗教学者のヘルマン・オームズは、「欧米社会における死者と日本の死者は、同じように死んでいるわけではない」と指摘し、「われわれよりも死者を生きた人間に近いものとして扱うことが、日本でははるか昔から当たりまえだとされてきた・・・・・・死は生の変形であって、生の反対ではない」と述べています。これを受けて、著者は日本人の祖先崇拝について以下のように述べます。

「祖先崇拝の中心には、ある契約がある―子孫によって提供された食べ物、飲み物、祈り、儀式は死者を喜ばせ、その死者は生きる者に幸運を授ける。これらの儀式をどれほど真剣にとらえるかは家族によって異なるとしても、信仰心の薄い人にとってさえも、死者の存在は家庭生活においてつねになんらかの役割をもっている」

 続けて、著者は日本における「死者」について述べます。

「多くの場合、死者の地位は"みんなから愛される少しボケた耳の遠い老人"の地位に似ている。家族の中心にいることは望まれないにしろ、大切な機会には家族の一員として扱われる存在だ。若者たちは仏壇のまえに正座し、入学試験の合格、就職、結婚を先祖に報告する。くわえて、大切な訴訟での勝敗なども同じように先祖に報告される」

 わが子を亡くした親たちの行動を、著者は以下のように紹介します。

「ある母親は、子どもたちの成長した姿―生きていれば、そうなることが予想される姿―を写した合成写真を飾っていたそうです。人に頼んで作ってもらったというその合成写真のなかでは、死んだ小学生の男の子が高校の制服を着て誇らしげに笑っていた。18歳で亡くなった女の子は、成人式の振り袖姿で佇んでいた。別の家の祭壇には、化粧品とアクリル製のネイルが飾ってあった。娘が10代半ばになったら、使うことになるはずのものだった。この家では、亡くなった子どもたちに"話しかける"ことによって毎日が始まった。長距離電話の相手と話すように、彼らは人目もはばからず泣きながら愛と謝罪の言葉を死んだ子どもに投げかけた」

 続けて、著者は、津波が日本人の信仰に対して与えた被害に言及します。

「津波は、先祖崇拝の宗教にとてつもない被害を与えた。
 壁、屋根、人間と一緒に、波は仏壇、位牌、家族の写真を持ち去った。墓は骨壺ごと引き抜かれ、死者の骨はあたりにばらまかれた。寺院は破壊され、何世代にもわたる先祖の名前が書かれた『過去帳』も消失した。『位牌―それがどれほど重要なものか、言葉で表現するのは簡単ではありません』と金田住職の友人である僧侶で、東北大学准教授の谷山洋三さんが教えてくれた。『火事や地震が起きたとき、多くの人が最初に護ろうとするのが、お金や書類ではなく位牌です。位牌をとりに家に戻り、津波に呑み込まれて死んだ人も少なくないと思いますよ。位牌は命そのものであり、先祖の命なんです。位牌を護ることは、亡き父親の命を救うことと同じなんです』」

 そして、津波について、著者は以下のように述べるのでした。

「世界じゅうどこであれ、津波は建物を破壊し、生きている者たちの命を奪う。しかし日本の津波は、眼に見えない独特の方法で死者に危害を加える。この地震では、いっときに数千の霊が生から死へと追いやられた。そして無数の霊が、死後の世界の鎖から解き放たれた。それらすべての霊を尊ぶことなどできるだろうか? 生者と死者のあいだの"契約"を誰が護るべきなのか? こんな状況のなかで、幽霊の大群の発生を防ぐことなどできるだろうか?」

 第3部「大川小学校で何があったのか」の「津波のなか」では、津波の経験者が見たもの、聞いた音、かいだにおいについての説明は、人によって微妙に異なっていたとして、著者は以下のように述べています。

「その差の多くは、本人がいた場所、水が何を越えて近づいてきたかによるものだった。防波堤と堤防を越えて落ちてくる滝のようだった、と説明する人がいた。あるいは、家々のあいだで急激に水位が上がる洪水のようだったと言う人もいた。はじめはわずかな上昇にしか見えず、足や足首を軽く引っ張るくらいだった。しかしすぐに水位は上がり、脚、胸、肩が一気に水に呑み込まれた」

 津波の色について尋ねると、茶色、灰色、黒、白と答えはさまざまだったそうです。しかし、それは従来の海の波とは似ても似つかないものでした。著者は「葛飾北斎の有名な木版画に描かれる波とはちがった。泡の触手を伸ばしながら、優雅にうねる青緑色の波ではなかった。津波は異なる次元のものであり、より暗く、より異様で、とてつもなく強力で暴力的だった。やさしさも残虐性も、美しさも醜さもなく、どこまでも異質なものだった。それは陸に迫ってくる海だった。海そのものが立ち上がり、喧嘩しながら突撃してくるようなものだった」と述べています。

 波の中では水が猛烈な勢いで渦巻いていました。ある被災者は「洗濯機のなかにいるみたいでした」と表現しました。「水に手足をとられ、体を動かすことはできなかった。体は下にぐいぐい引っ張られ、アスファルトに触れるほど深くまで沈み込んだ。駐車場のアスファルトが、いまでは海の底へと変わっていた」そうですが、そのとき、彼は自分の人生が終わりに近づきつつあることを悟ったとして、「あの話はほんとうなんですよ。家族や友だちの顔が見えるんです。ほんとうに・・・・・・はっきりと覚えています。みんなの顔が見えました。最後に頭のなかで言ったのは、『もう終わりだ、ごめん』という言葉でした。恐怖とはちがう感情でした。どこまでも悲しい気持ち、それと後悔ですね」と述べました。このくだりを読んで、わたしはエドガー・アラン・ポーの「大渦巻」の描写を思い出しました。

 第5部「第5部 波羅僧羯諦―彼岸に往ける者よ」の冒頭に置かれた「鎮魂」では、仏教僧で祈禱師でもある金田諦應住職が、津波の日の夜について著者に教えてくれたとして、以下のように書かれています。

「それは、東北じゅうの人々が鮮明に記憶する夜だった。内陸にある彼の寺に津波が到来するようなことはなかったが、地震の影響によって東北一帯で停電が起きていた。1世紀にわたる人間の発展と歴史のなかで、大地が史上初めての暗闇を経験していた。建物の窓の明かりは消え、夜空の星の模様を邪魔するものは何もなかった。道路の信号が止まり、運転者はほとんどいなかった。先進国の住民にとって、星座を織りなす星、青い天の川がこれほどはっきり見えることはめったになかった。『日が暮れるまえに、雪が降りはじめました』と金田住職は言った。『現代生活のすべての埃が、その雪によって洗い流されました。まさに、まったき暗闇でした。車が走っていなかったので、圧倒的な静寂に包まれていました。ほとんど見たこともないような、星に満たされた本物の夜空が広がっていました。1度見た人は、その空を決して忘れることはできません』」

 「マグニチュード9・2の地震」と金田住職は言いました。
 それから、金田住職は以下のように語ったのでした。

「それほど強力なことが起こると、地球がその軸からずれてしまいます。その夜、東北じゅうの数多くの人々が、張り詰めた思いを抱きながら空を見上げていました。星を眺めつつ、私は宇宙の存在に気づきました。われわれのまわりや頭上に、無限の空間があることを。私はあたかも、宇宙をのぞき込んでいるような感覚に陥りました。地震は、その何もない空間の巨大な広がりの内側で起きた何かだった。そう意識することができました。そして、これは全体の一部なのだと理解しはじめたんです。とてつもない何かが起きた。しかしそれがなんであれ、完全に自然なことだった。宇宙の摂理のひとつとして起きたことだった」

 続けて、金田住職は以下のように語りました。

「無慈悲な雪、美しく輝く星空、海辺にただよう無数の死体・・・・・・すべてが私の脳裏に焼きついています。大げさに聞こえるかもしれませんが、生活を破壊された人たちへの支援活動を始めると、私はあることに気がつきました。耳を傾けなければいけないのは人間の心であり、その苦しみと悩みなのだと。しかし同時に、宇宙という観点から悲しみを理解しなければいけなかったのです」

 この発言について、著者は「そのとき金田住職が経験したのは、溶け合う感覚、境界線が消える感覚だった。それは自他不二という仏教の概念のひとつで、自己と他者には区別がないという考えだった。この"存在の統一"は、時代や場所を越えてすべての宗教の神秘体験のなかで見いだされてきた教えだといっていい」と述べています。

 エクソシストでもある金田住職は、ある被災者に取り憑いた複数の霊魂をすべて追い出したといいます。次に、津波の残骸に向き合い、自分が役に立てる方法を探そうとしました。仏教では、肉体を離れた魂は死から49日目にあの世に旅立つとされます。そこで金田住職は、仏教やプロテスタントの聖職者たちに声をかけ、津波によってほぼ壊滅した南三陸町に向かって追悼行脚を行なうことにしました。

 そのときの様子が、以下のように書かれています。

「行進しながら金田住職らは経文を唱え、牧師は讃美歌を歌おうとした。しかし、悪臭がただよう混乱のなか、途中で声が出なくなった。『キリスト教の牧師さんが讃美歌を歌おうとしました』と金田住職は言った。『けれど、本に載っている讃美歌はどれも不適切に思えたそうです。私もお経を唱えられなくなりました――何を言おうとしても、叫び声しか出てこない』」。

 法衣をまとった僧侶たちはおぼつかない足取りで歩きつづけ、声を絞り出すようにお経を唱え、なんとか前進し続けたそうです。金田住職が海岸へたどり着き、海を見たとき、「直視することができませんでした。あたかも、眼に映るものを解釈することができないような感覚」だったといいます。その光景を目の当たりにしたとき、それまで学んできた宗教的な儀式や言葉は何ひとつ役に立たなかったとして、以下のように書かれています。

「われわれは破壊のなかにいた。それは、宗教の原理や理論に当てはめることができないものでした。宗教者である私たちでさえも、一般の人たちが『神も仏もいない』と言うときに近い恐怖を感じていました。宗教的な言葉とは、自分たちを護るために身に着ける鎧なのだと気づきました。まえに進むためには、その鎧を脱ぎ捨てなければいけない、と」

 ある女性には、なんと25人分もの霊魂が取り憑いたそうです。それを数週間かけて、金田住職は彼女の体からすべての霊を取り除きました。霊たちは週に数回の割合で彼女の体に取り憑き、去っていきました。取り憑いた霊たちの中には、第2次世界大戦で戦死した海軍兵もいましたが、あとはすべてが津波の霊だったとか。金田住職は霊たちを諭し、煽て、祈り、唱えました。すると最後には、すべての霊が離れていったそうです。しかし、霊の集団から解放されて数日(あるいは数時間)たつと、新たな霊が忍び寄ってくるのでした。時がたつにつれて、彼女のほうも霊をコントロールできるようになりました。体の中に容器があり、それを開けるか閉めるかを自身で選べるようになったといいます。

 除霊に1度立ち会ったことのある金田住職の友人は、嘔吐を繰り返す慢性疾患の患者と彼女の類似点について指摘しました。当初は痛みをともなう気持ちの悪い体験だったものが、時間とともに我慢できる程度の日常的な経験へと変わりました。最終的に彼女は、近づいてくる霊を自分で追い払うことができるようになったと自ら説明したそうです。その後、彼女は婚約者と結婚し、仙台を離れました。それから連絡が途絶えたことに、金田住職はほっと胸をなでおろしたそうです。

 最も苦しかったのは、彼女が子どもの人格に取り憑かれたときでした。
 取り憑いた少女の声から、恐怖と困惑がありありと伝わってきました。その体は冷たい水のなかを力なくただよっていたため、光の射す水面に導くには長い時間がかかったそうです。金田住職によれば、女の子は除霊の助手を務める住職の妻の手をしっかりと握り、最後には光の世界の門までやってきました。それから少女は「ママ、もうひとりで行けるよ。手を放していいよ」と言ったそうです。

 あとになって金田住職の妻は、溺れた小さな女の子(に取り憑かれた女性)の手を放した瞬間に感じたことを説明しようとしました。

「そのとき金田住職自身は、少女の孤独な死の哀れさに涙を流し、ほかの2万人の恐怖と死の物語を思って泣いた。しかし彼の妻が感じたのは、巨大なエネルギーが消散したということだけだった。それは、彼女に出産の経験を思い出させた。新生児がやっとのことでこの世界に這い出てきたとき、痛みの最後に放出される力の感覚を思い出させた」

 わたしは、この一文を読んだとき非常に感動して、落涙しました。

 この作品は、2011年3月11日に起きた東日本大震災についてのルポルタージュです。著者が大きく取り上げるテーマは主に「宮城県石巻市の大川小学校の事故」「東日本大震災後に頻発した心霊現象」の2つですが、やはり後者のリアルな描写には圧倒されます。もちろん大川小学校のルポも心を強く打つのですが、テレビや新聞などでこれまで報道されてきた内容も多く含まれていました。ところが、心霊現象のほうは、この読書館でも紹介した『魂でもいいから、そばにいて』『震災後の不思議な話』などの類書はあるにしろ、初めて知る内容が多かったです。特に、25人の霊魂に憑依された女性の実話には圧倒されました。このようなエピソードがいわゆるオカルト本、スピリチュアル本ではなく、本書のような一流のジャーナリストによって書かれたとは驚きです。

 「訳者あとがき」で、訳者の濱野大道氏が述べています。

「著者によると、地震のあとにたくさんの被災者が幽霊を見たと訴え、除霊が行なわれた事例も数多くあったという。宮城県栗原市にある通大寺の金田諦應住職への取材をもとに、著者はこの"津波の霊"たちの謎に迫っていく。ここでいう心霊現象はいわゆる"オカルト"の類ではなく、『幽霊』『心霊現象』という言葉も必ずしも文字どおりの意味で扱われているわけではない。『心霊現象を体験する』ということはトラウマの吐露であり、『物語を語ること』であるという本文内の指摘はじつに示唆的である」

 わたしも、『唯葬論』(サンガ文庫)の第11章「怪談論」や第12章「幽霊論」で被災地の心霊現象に言及し、それは「物語の癒し」というグリーフケアの行為そのものであると述べました。

 濱野氏も指摘しているように、東日本大震災についての著作はいくつもありますが、外国人記者の視点から描かれているというのが本書『津波の霊たち』の最大の特徴であることは間違いありません。
 それにしても、本書で紹介されている金田住職のエクソシストぶりには度肝を抜かれた読者も多いことと思います。わたしは、この春から上智大学グリーフケア研究所の客員教授に就任しました。カトリックの総本山である上智と縁を結ぶにあたり、「悪魔祓い」の関係書を片端から読んだのですが、その結果、グリーフケアとエクソシズムとの間には深い親近性があることを発見しました。ともに「物語の癒し」だからです。日本にも金田住職のような偉大なエクソシストが実在していることを知って感激しました。いつの日か、金田住職にお会いしてみたいです。