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霊獣「死者の書」完結篇』

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No.1538


 『霊獣「死者の書」完結篇』安藤礼二著(新潮社)を読みました。
 著者の安藤氏は、この読書館でも紹介した『場所と産霊』の著者でもあり、『死者の書・口ぶえ』の「解説」も書いています。1967年東京生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。多摩美術大学芸術学科准教授、同大学芸術人類学研究所所員。2002年「神々の闘争―折口信夫論」で群像新人文学賞評論部門優秀作受賞。2004年に刊行された同作品の単行本で2006年芸術選奨文部科学大臣新人賞受賞。2009年『光の曼陀羅 日本文学論』で大江健三郎賞と伊藤整文学賞を受賞。さらに2014年に刊行された大著『折口信夫』でサントリー学芸賞と角川財団学芸賞を受賞。
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   本書の帯


 本書の帯には「大江健三郎賞に輝く気鋭の挑戦」「光と闇、夢と現実、少女と死者が渾然一体となり、光り輝く胎児が生み落とされる」「折口信夫が書こうとした光の曼荼羅の物語を書きつぐ」と書かれています。
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   本書の帯の裏


 また、帯の裏には以下のように書かれています。

「未完に終わった、もうひとつの『死者の書』。それは高野山の霊窟に生きながら入定した空海の物語だった。愛した少年たちへの供養のため折口信夫が描いた壮大な曼陀羅の全貌がいま解き明かされる。古代と近代は一つに重なり合い、仏教とキリスト教は融合し、世界神話の構造が立ち現れる。大江健三郎賞を受賞した気鋭の、新たなる飛翔」

 本書は折口信夫の『死者の書』の完結篇を書くという壮大な試みですが、冒頭にある満月と太陽の描写に圧倒されました。
 まずは満月について、次のように書かれています。

「行者は、その菩薩を崇める真言を唱えながら、心のなかに、大きな白い絹布を思い浮かべ、そこへ円を描く。満月の象徴である。その円の中心に、蓮華の台座に半跏のかたちに腰を下ろした菩薩の姿を想像する。虚空のなかの蓮華。虚空のなかの満月、黄金の環」

 続けて、著者は以下のように書いています。

「行者は瞳を閉じ、さらに一心に菩薩を念じ、菩薩を招く。すると菩薩の心が大きく開かれ、そこにもう一つの黄金色に輝く満月が昇ってくる。外と内の、透明に輝く二つの月が重なり合う。その重合する満月のなかに、いま行者が誦えている虚空蔵菩薩の真言、神聖文字が現れ出で、菩薩や二重になった月と同様に輝きあたる。やがて、菩薩の真言はゆっくりと動き 出したかと思うと、突然羽が生えたように月から飛び出し、行者の頭頂に黄金の雫となって降り注ぐ。行者の頭に満ち溢れ、行者を頭から貫く、聖なる言葉の雫」

 また、太陽については以下のように描写しています。

「太陽は今まさに水平線を離れるところだ。太陽の下方は海に滲んだように、二重になっている。この場所では、太陽が昇ることによって空と海が二つに分かれ、太陽が沈むことによって空と海が一つに融け合う。そして、つねに強い風が吹き渡っている。海と空と太陽、大地と風。地、水、火、風、空。自然を構成する元素が剥き出しのまま、闘争を重ねる場所。おそらく、ここで人間は、今のままの姿では生き続けることができない」

 本書は空海についての書です。「五大に皆響き有り」という空海の言葉を取り上げて、著者は以下のように述べます。

「地、水、火、風、空。自然を構成する五つの元素はすべて響きを発している。だから、森羅万象あらゆるものは響きによって通じ合う。その事実は、目に見える現実の世界の住人のみならず、地の底に存在する地獄の住人から、天空遥か彼方に存在する天界の住人に至るまで、決して変わることはない。ありとあらゆるものは世界の元素となった響きによって一つにつながり合う。その頂点に、如来の真言が位置している。自然の根源的な元素である響きは、文字のように確固たる形態を取りながら、しかも、あらゆるものに打ち寄せ、あらゆるものに浸透していく波のような性格をもっている。粒子にして波動としてある言葉、あたか も光のような・・・・・・。自然はそのままで、巨大な一冊の生ける書物、永遠の書物となる」

 戦後、死を目前にした折口信夫は、空海の復活を主題とした「死者の書 続篇」の草稿を書き継ごうとします。それは、霊的な「もののけ」の世界を舞台に、その霊魂を一身に集める王者を主人公とした『源氏物語』が集中的に論じられていた時期でした。著者は「折口が最後にたどり着いたその世界は、森羅万象あらゆるものが『霊魂』を通じて一つにつながり、そこから多種多様な事物が発生してくる変身の場だった」と述べています。

 また、大正期に論じられていた「とうてみずむ」の世界が新たな次元に開かれたのだと指摘し、著者は以下のように述べています。

「エジプトの神々のように上半身は獣で下半身は人間である『人外身』、つまりは他界の身体と人界の身体、彼岸と此岸を一つの身体に兼ね備え、人間を超え出てしまった獣にして神たる半獣神、荒れ騒ぐ自然の元素そのものとなった神々が、自己同一性を完膚なきまでに破壊する無数の仮面をつけて舞い踊る。南島の祭儀空間が世界神話と直結するのである」

 著者は、折口の年上の親友であり、初恋の相手でもあった藤無染という人物を取り上げます。彼について以下のように書いています。

「藤無染は、西本願寺、つまり浄土真宗本願寺派に属する僧侶だった。そして、信徒に対して法名、出家者としての名前であり死後の名前を授けることができた。折口が筆名とする『釈迢空』の釈という字を使うのは、浄土真宗に特有な法名のつけ方である。事実、折口は死後、この釈迢空という名前を自身の法名とすることを強く求め、それを実現している。折口より9つ年上の無染は、折口がまだ学生だった22歳の時、わずか30歳で没している。結核であったという。折口が釈迢空という名で創作活動をはじめるのは、無染の死後1年が経ってからである」

 折口が残した主要な小説にはすべて「日想観」という太陽をイメージすることによって「死」を乗り越える瞑想法が登場しますが、これは藤無染から学んだことであるとして、著者は以下のように述べます。

「折口の『日想観』の起源、曼陀羅の起源にいる人、藤無染。しかし、それだけではなかったのだ。折口の曼陀羅の物語を世界に解き放つために、『死者の書 続篇』を真に完結し、同時に折口が戦後取り組んでいた新たな神、霊魂によって森羅万象を一つにつなぎ合わせ、森羅万象に生命を与える神の肖像を完成させるためには、この藤無染という無名の若者が送った生涯と思想の謎をさらに追究しなければならない。なぜなら、折口の同性愛のはじめての相手であるこの藤無染こそ、おそらくは折口にはじめて徹底的にキリスト教の教義の根本を教え込んだ人物であると思われるからだ」

 じつは、藤無染には『英和対訳 二聖の福音』という唯一の著作があり、ここではブッダとキリストを同一視しています。著者は述べます。

「藤無染はキリストの生涯と教説、つまりキリストの『悦ばしき報せ』である福音に取り憑かれていた。そして東西の教えを1つにつなぐキリストの新たな『福音書』を自らの手で書き上げようとしていた。折口が無染と暮らしはじめるのは、まさに無染がこの新たな福音書に取りかかり、それを完成させる直前のことだった。だからこそ最晩年の折口が『まはだ』」にするのは少年たちではなく、キリストなのだ。『基督の 真はだかにして血の肌 見つつわらへり。雪の中より』。少年たちの身体はキリストの身体に変容する」

 大正14年6月27日午前8時、京都ホテルの1号室で、エリザベス・アンナ・ゴルドン夫人という外国人女性が亡くなりました。彼女こそは、ブッダ=キリストという藤無染の思想に完結をもたらせ、無染と折口を決定的に引き離し、さらには折口に「死者の書 続篇」を書かせた張本人でした。
 ゴルドン夫人は、無染に「仏教の教えもキリスト教の教えも、それよりもさらに太古から隠され、現在にまで連綿と続く一つの神話から枝分かれしたものなのだ。だからこそ両者には驚くべき程の類似があり、現代における再統一が可能となるのである」という考えを授けました。

 では、その根源にある神話とは何か。著者は述べます。

「古代エジプトの死と再生をめぐる一連の物語、太陽神オシリスとその妹であり妻、月の女神イシスの物語なのだ。その物語は、ピラミッドにその断片がかろうじて残された死者の復活を願う経文類、それらを総合した『死者の書』という太古に散逸してしまった宇宙そのものを体現する一冊の巨大な書物、その永遠の書物の中心をなすものだったのだ、とも。ここにおいてオシリスとキリストは一つに重なり合い、救世主はイシスの力によって、イヴをそのなかにふたたび統合した原初の両性具有神としてよみがえる」

 折口の『死者の書』のカバーには、『世界聖典全集』の『死者之書』にあった図案が使用されています。このことについて、著者は次のように述べます。

「折口が『死者の書』を単行本として刊行した時、そのカバーに、大正期にはじめて邦訳されたエジプトの『死者の書』から図案を借りてきたのは偶然ではなかった。その図案は、ミイラの棺とその上を飛ぶ人頭鳥形の神がその鋭い爪で何かをつかんでいる姿をあらわしていた。それは、オシリスの地上の肉体と、それと合一するべく天上世界で黄金に光り輝くオシリスの霊魂を表現したものだった。折口は『死者の書 続篇』において、そこからさらに一歩を踏み出そうとしたのだ」
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   『死者之書』(『世界聖典全集』)


 続けて、著者は以下のように述べています。

「ゴルドン夫人にとって蓮華で飾られた太陽の舟がたどり着くのは、光り輝く弥勒の浄土である。そしてその入口は、空海が眠る石室のなかに隠されていた。空海は海岸に穿たれた聖なる洞窟における自らの体験に明確な言葉を与えようとして、世界に旅立っていった。そして当時の世界の中心、唐の都長安で、西の果てからやってきた聖なる光の教えを奉ずる一群の僧侶と出会ったのだ。"光り輝く日輪の聖なる教え"を意味する景教、すなわち異端宣告を受け、アジアを伝道と布教の場として勢力を拡大していったキリスト教ネストリウス派の人々と。光と光はお互いに呼び合い、一つになる。空海は、景教の教えを真言密教の教義のなかに溶かし込んで、この列島にもち帰った」

 さらに著者は、宗教の「習合」について以下のように述べます。

「後に空海がもたらした曼陀羅が神道の神々をそのなかに吸収して神仏習合が成立したように、すでにこの時、キリスト教と仏教は一つに習合していた。その記念碑となるもの、それをゴルドン夫人は膨大な私財を費やして高野山奧の院の入口に建立した。そして折口はそれを、一冊の架空の書物として『死者の書 続篇』に書き残した。重さ2トンにも及ぶ、唐の時代に作られた巨大な石碑、『大秦景教流行中国碑』である。この石碑には、遥か西域の彼方から、唐の都長安にまで伝来された"光り輝く日輪の聖なる教え"の伝道と商教の様子や、その教義の根本がシリア語と漢文で刻み込まれていた。ゴルドン夫人の墳墓は遺言通り、高野山の奥の院、この景教碑の脇に今でも存在している」

 著者は、翼をもった日輪があらゆる宗教をつなぐことを示し、以下のように述べています。

「"光り輝く日輪の聖なる教え"。そのシンボルである炎のように燃え上がる翼をもった日輪は、古代エジプトのピラミッドのなかに記された『死者の書』にも、アッシリアの寺院に残 された浮き彫りのなかにも見出される。そしてネストリウス派の本拠地シリアでは、キリスト教化されて、この世界を創造した唯一神、世界を生み、世界を滅ぼす主宰神の表象となった。翼をもった日輪が、時間を超え、空間を超え、世界を一つにつなぐ。そしてその教義とイメージは、移動と翻訳を通じて、世界のあらゆる場所、世界のあらゆる時代に撤種されていった。世界とは、縦横無尽の移動と、何重にも重なり合う翻訳の地図から出来上がっているのである」

 著者は、真なる言葉としての「マントラ」が複数の言語が相争うなかでしか可能にならないとして、以下のように述べます。

「ゴルドン夫人がいくぶん妄想的、秘教的に夢想していたように、空海もまた聖なる洞窟から旅立ち唐に向かう以前に、ほぼ確実にそのような、一つの球となった世界の輪郭をつかんでいた。それは仏教というインドに発するアジア思想ばかりでなく、西方からそこに流れ込んできたペルシアのゾロアスター教、キリスト教と仏教を融合させようとしたマニ教、さらには異端宣告を受けた特異なキリスト教であるネストリウス派『景教』の思想の概略を把握していたことを意味する。入唐以前、空海が仏教教学の研鑽を積んでいた古都奈良は小さいながらも間違いなく一つの国際都市であった。そこにはゾロアスター教、マニ教、キリスト教、つまり景教と深い関係をもつ何人かの人物が存在していた。その大部分がおそらくは波斯、すなわちペルシア系の人々であった。そして彼らの痕跡は、その死後、明治期にこの列島に骨を埋めた外国人たちのように忘れ去られていった」

 戦後の折口は国家神道の基盤となった「祖先神」を真っ向から否定し、「一」なる純粋な神を志向しました。著者は以下のように述べています。

「一にして多でもあるこの霊魂を折口の原理とした時、折口の『一』なる神がその真の姿を現す。折口は、その神を『産霊』、むすびの神と名づけた。『古事記』のいちばん最初に出現する抽象的で無形な『独神』を、新たな神道の中核を担う神として、祖先神の系譜から奪還したのだ」

 続けて、著者は「産霊」の神について述べています。

「あらゆるものに『霊魂を与へるとともに、肉体と霊魂との間に、生命を生じさせる、さういふ力を持つた』産霊の神。この現実世界とは隔絶した他界に生じる霊魂を、地上の物、地上の身体と結び合わせ、そこに生命を発生させる神。動物・植物・鉱物など、それぞれ異なった事物を『霊魂』という一点で結び合わせる神。民俗学的な探究から見出された南島のアニミズムとトーテミズムの世界が、『産霊』の神を通じて、藤無染が求めたアジアの一神教を成り立たせる根本的な概念となり、東西をつなぐ新たな理念となる。折口が『死者の書』の最後に描いた曼陀羅に十全な姿が与えられたのである」
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   サンレーとは「産霊」なり!


 わが社のサンレーという社名には「SUNRAY」「讃礼」と並んで、「産霊」という意味があります。ですので、「産霊」が世界の宗教を統合し、東西をつなぐ新たな理念となるという考え方には感動しました。もちろん「産霊」は神道における主要概念ですが、戦後の折口は「人類教としての神道」を唱えていました。そこには、世界宗教としてのキリスト教の影響があったことは確実でしょう。折口が公然とキリスト教について発言しはじめるのは、列島古来の「神 やぶれたまふ」戦後、「死者の書 続篇」としてまとまる草稿を書き継いでいた時期です。

 戦後の折口における神道について、著者は述べています。

「神道は世界宗教とならなければならない。そのためには、神道はキリスト教のように、一神教化される必要がある。ちょうどそれと軌を一にするかのように、キリスト教グノーシス派の根本をなす写本類が、偶然、エジプトのナグ・ハマディ、無数の洞窟が蜜蜂の巣のように穿たれた山岳地帯から多数発見された。聖なる山の奥に封印された空海の聖窟、『死者の書』冒頭の洞窟と『死者の書 続篇』の石室が通底し、その扉が自然に開かれるように・・・・・・」

 そして、本書には「産霊」と並ぶもうひとつのキーワードである「空」が登場します。「空」について、著者は以下のように述べています。

「『空』こそが世界なのだ。この現象世界はそのままでは真なる存在ではないが、空を基盤とすることで、そこに森羅万象があるがままに現象してくる。絶対の空は、『空』という概念さえ超え出て、『空』という言葉さえ否定し去ってしまう。つまり『空』とは存在という観点からは決して捉えることができないものなのだ」

 眼に見えるこの現像世界は、このような「空」と異なるものではない。だから、そこに存在しているとされるあらゆる区別は滅び去り、ただ空そのものとなった万物が、そのあるがままに現象する。現象はそのまま空であり、それゆえ空こそが世界そのものとなるのだ。それは静かに深い海とその表面に荒れ狂う 波とを2つに分けて考えられないことと等しい。・・・・・・
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   『般若心経 自由訳』(現代書林)


 「空」といえば、わたしは『般若心経 自由訳』(現代書林)で、自分なりの「空」の解釈を打ち出しました。
 『西遊記』で知られる唐の僧・玄奘三蔵は、天竺(インド)から持ち帰った膨大な『大般若経』を翻訳し、262字に集約して『般若心経』を完成させました。そこで説かれた「空」の思想は中国仏教思想、特に禅宗教学の形成に大きな影響を及ぼしました。東アジア全域にも広まりました。

 日本に伝えられたのは8世紀、奈良時代のことです。遣唐使に同行した僧が持ち帰ったといいます。以来、1200年以上の歳月が流れ、日本における最も有名な経典となりました。特に、遣唐使に参加した空海は、その真の意味を理解しました。空海は、「空」を「海」、「色」を「波」にたとえて説いた『般若心経秘鍵』を著しています。わたしの自由訳のベースは、この空海の解釈にあることをここに告白しておきます。その名も「空海」という日本宗教史上最大の超天才は「空」の秘密を解き明かしたのです。


 これまで、日本人による『般若心経』の解釈の多くは間違っていたように思います。なぜなら、その核心思想である「空」を「無」と同意義にとらえ、本当の意味を理解していないからです。
「空」とは「永遠」にほかなりません。「0」も「∞」もともに古代インドで生まれたコンセプトですが、「空」は後者を意味しました。
 また、「空」とは実在世界であり、あの世です。「色」とは仮想世界であり、この世です。わたしは、「空」の本当の意味を考えに考え抜いて、死の「おそれ」や「かなしみ」が消えてゆくような訳文としました。

 空海と折口信夫=釈迢空という2人の天才が「空」の一字で結びつくことは非常に興味深いです。著者は以下のように述べています。

 「空海、そして迢空。この2人の営為を1つにあわせて考察した時、歴史も終わり、物語も終わる。空を瞑想しその境地を味わい尽くす大空三味から、如来の無限の力を瞑想しその境地を如来として味わい尽くす華厳三味へ。荘厳された華の瞑想は、海の瞑想でもある。空海という僧名は『空』の観照とこの『海』の瞑想に由来する。
 それでは迢空は・・・・・・。『迢』ははるかなこと、そして『超』と同義、つまりなにかを超えて、はるかにあるさまを意味する」

 続けて、著者は以下のように述べます。

「聖なる登攀によってひらかれた空と海。すべては清浄な空となり、それが無限の海に展開する。そしてその空と海は、空虚を超えたはるかな広がりのなかで一つに溶け合う。そこを漂うのは一艘の舟である」

 最後に、以下の一文で本書は終わるのでした。

「生死の海を超える舟。生者と死者が乗り合う『うつろ舟』―。
『死者の書』は、虚空をゆくその舟を描いて終わらなければならない」

 そして、拙著『般若心経 自由訳』もまた、生死の海を超える「うつろ舟」であり、わたしにとっての『死者の書』であることに気づきました。