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コックリさんの父 
中岡俊哉のオカルト人生』

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No.1487

 

  『コックリさんの父 中岡俊哉のオカルト人生』岡本和明&辻堂真理著(新潮社)を読みました。超常現象研究家の中岡俊哉の人物評伝です。共著者の岡本氏は1953年生まれの演芸研究家。曾祖父は明治期の大浪曲師・桃中軒雲右衛門で、中岡俊哉の次男です。また辻堂氏は1961年生まれの放送作家。映画助監督、映画業界紙記者を経てテレビの世界へ。情報・音楽系番組を中心に150本以上の番組に携わったそうです。

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   本書の帯


 カバー表紙には、教室の机にコックリさんの文字盤が置かれ、その上に中岡俊哉の写真と彼のベストセラー『恐怖の心霊写真集』が置かれています。帯には「スプーン曲げ、心霊写真、透視予知、そしてコックリさん―すべてはこの男の仕掛けだった!」「驚愕のオカルト評伝、ここに降臨!」「オフィシャル版『コックリさん文字盤』付き!(カバー裏)」と書かれています。

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    カバーの裏は、中岡俊哉オフィシャル版「コックリさん文字盤」が!


 また、帯の裏には「かつて様々な『超常現象』が、日本中を熱狂させた!」として、以下のような内容紹介が書かれています。

 

「超常現象研究家・中岡俊哉は、社会現象にまでなったベストセラー『狐狗狸さんの秘密』『恐怖の心霊写真集』など、生涯に約200冊の著書を刊行。テレビ番組で心霊写真を『背後霊』『地縛霊』などの用語を駆使して解説。総出演番組数は300本にものぼった。彼こそは『超常現象』を武器に、出版と放送を股にかけた『昭和オカルトの父』であった。いったい、中岡俊哉とはなにものだったのか―?」

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    本書の帯の裏


 さらにアマゾン「出版社からのコメント」には、こう書かれています。

 

「超常現象研究家・中岡俊哉(1926-2001)は、生涯に約200冊の著書を上梓(最盛期は『月産』26冊!)、特に1974年の『狐狗狸さんの秘密』は30万部、 『恐怖の心霊写真集』は15万部を越えるベストセラーとなり、社会現象にまでなりました。

 連日テレビにも出演し、心霊写真を示しながら、『背後霊』『地縛霊』など、独特の専門用語を駆使して超常現象を解説。その総出演番組数、300本。彼こそは『超常現象』を武器に、出版と放送を股にかけたメディアの寵児『昭和オカルトの父』でした。ですが、その素顔は、ほとんど知られていません。いったい、中岡俊哉とは、なにものだったのか・・・・・・?

 本書は、中岡の次男と、放送作家としての中岡の最後の弟子が組み、生前、密かに敢行されていた本人への長時間インタビュー、および、本人が残していた膨大なメモなどを中心に、多くの関係者に取材し、稀代の風雲児の全生涯を追った、驚愕の人物伝。戦後出版・テレビ業界の裏面史としても興趣あふれる内容となっています。子どものころ、教師や親に禁止されるほどコックリさんに入れあげ、スプーン曲げに興奮するあまり、家にあったスプーンを力づくでいくつもダメにした『元祖ヲタク』世代の方々の琴線に必ずや触れることでしょう」

 本書の「目次」は、以下のような構成になっています。

 

プロローグ 一九七四年三月七日の「奇跡」

第一章 三度の臨死体験

第二章 超常現象との出会い

第三章 ユリ・ゲラーと超能力ブーム

第四章 コックリさんと心霊写真

第五章 クロワゼット、衝撃の透視力

第六章 ハンドパワー、そして「死後の世界」へ

エピローグ 予知されていた寿命

「あとがき」岡本和明

「中岡俊哉という時代があった―あとがきにかえて」辻堂真理

「参考資料」「著者略歴」

 「中岡俊哉」という名前を聞いただけで、わたしの胸は騒ぎます。

 何を隠そう、小学生のときに一番会いたい人が中岡俊哉でした。

 彼が書いた児童書は全部読んでいました。特に、『世界の怪獣』とか『世界の魔術・妖術』『世界のウルトラ怪事件』『世界の怪奇スリラー』といった秋田書店から刊行された児童書が好きでした。でも、一番のお気に入りは『世界の怪奇画報』(黒崎書店)でしたね。それこそ本が擦り切れるまで読み返した記憶があります。それらの本の内容は、今から考えると完全なフィクションですが、当時のわたしは実話と信じ込んでいました。そして、「世界は途方もない不思議に満ちている!」と思っていたのです。

 ベストセラーとなった『狐狗狸さんの秘密』『恐怖の心霊写真集』が出たのは小学校5年生の頃だったと思いますが、小倉の魚町銀天街にあった「福家書店」で求めました。つのだじろうの『恐怖新聞』『うしろの百太郎』は少し前に発売されていましたが、ともにわがバイブルとなりました。学校にも持って行って、みんなで回し読みしました。実際に、コックリさんをやったことは言うまでもありません。不思議なことに、その結果については記憶に残っていないのですが。

 中岡俊哉以前にも、怪談実話を紹介した田中貢太郎、世界の奇談を紹介した黒沼健や庄治浅水といった「超常現象本」の先達はいましたが、わたしの世代はなんといっても中岡俊哉でした。わたしは、中岡俊哉(&つのだじろう)によって心霊や超能力について学んだのです。そのように多感な少年時代に薫陶を受けた(?)中岡俊哉の生涯を「実の息子」と「最後の弟子」が描いた本書はとても面白く、夜中に読み始めたにもかかわらず、288ページを一気に読了しました。

 中国時代での三度の臨死体験、ユリ・ゲラーやJ少年の「スプーン曲げ」、地縛霊と背後霊の「心霊写真」、行方不明者を捜索するクロワゼットの「透視予知」、そして全国の学校教室を席捲した「コックリさん」・・・・・・いずれのエピソードも大変興味深かったです。特に、日本テレビ「木曜スペシャル」でのユリ・ゲラー初来日特番、NET(現テレビ朝日)「水曜スペシャル」でのクロワゼット初来日特番の衝撃を思い出すことができました。

 初めて知ったのは、文筆業を開始したばかりの中岡が、柳田國男の名著『遠野物語』の昭和版を書いたという事実です。お菊人形(北海道)、恐山(青森県)、キリストの墓のある村(青森県)、座敷わらし(岩手県)、出羽三山のミイラ(山形県)、平将門の首塚(東京都)、幽霊の足跡(大阪府)など、中岡は全国各地に伝わる怪奇現象を取材し、次々と雑誌に書きました。

 第二章「超常現象との出会い」で、本書の共著者である岡本氏は「昭和版『遠野物語』」として、以下のように述べています。

 

「今では誰もが知っている、恐山のイタコ、キリストの墓、座敷わらし、将門の首塚なども、この当時はまだ全国的に知られる存在ではなかった。これらは中岡がみずから取材し、漫画雑誌で紹介したことがきっかけで、全国に広まったといっても過言ではない。こうした一連の怪奇レポートを通じて、中岡はこれまでの伝承や伝説を現代風にアレンジする執筆スタイルから脱皮して、『自分の眼で見たものしか書かない』という、ドキュメンタリー作家としての道を歩み出すことになる」

 

 生涯に約200冊の著書を刊行した中岡ですが、最大のベストセラーが『狐狗狸さんの秘密』でした。1974年の4月に刊行されていますが、この時期の中岡は多忙をきわめていました。『狐狗狸さんの秘密』の執筆期間は同年2月上旬から3月末までの2カ月弱ですが、この間に中岡は「スプーン曲げ」のJ少年と関わりを持つことになり、ユリ・ゲラーの来日と「木曜スペシャル」の特番をきっかけに空前の超能力ブームが起きます。超能力ブームは「週刊朝日」の報道によって、一気にクールダウンするのですが・・・・・・。

 第四章「コックリさんと心霊写真」では、『狐狗狸さんの秘密』執筆時の中岡について、本書の共著者である辻堂氏が「コックリさんを"サイエンス"する」として、以下のように述べています。

 

「『週刊朝日』の報道は少しあとの話になるが、一連のスプーン曲げ騒動によって、テレビ出演や週刊誌の取材は平時よりも多くなり、3月1日には日本テレビ系の『お昼のワイドショー』に自ら出演して、西洋式コックリさんを披露したりしている。そのうえ複数の出版社からの執筆依頼を引き受けていたのだ。後年の中岡は、口述したものをスタッフが原稿用紙に書き起こし、その原稿に本人が手を入れるという執筆スタイルをとっていたが、中岡の多作を支えた口述方式は、この頃に苦肉の策として生み出されたものだった」

 

 『狐狗狸さんの秘密』に続いて二見書房から生まれたベストセラーが『恐怖の心霊写真集』でした。いわゆる霊体が写り込んだとされる「心霊写真」は、それまでにも「幽霊写真」とか「お化け写真」などの俗称で知られていましたが、一冊丸ごとそういった不思議な写真を掲載した写真集を出版するなど前代未聞のアイデアでした。

 中岡にとって積年のテーマの1つは「心霊現象を科学的に究明すること」でしたが、その意味からも、心霊写真は霊魂の存在を証明するための強力なアイテムになり得るとの確信を持ったといいます。

 晩年の中岡は、心霊写真の「効用」について、以下のように語っています。

 

「たとえば霊能者が霊視をする。あなたは何百年前に亡くなった先祖の霊がついているという。あるいは、あの窓の向こう側から、この世に恨みを残して死んだ女性の霊がこちらを見ている、とかいう。よしんばそれが事実だとしても、霊を見ることができない人々にとって、それはまったくの絵空事でしかないだろう。人は自分の眼で見たことしか信用しないものだし、ある人には見えるけれども、ある人には見えない、というのでは、とうてい霊の存在を実証することはできない。

 しかし、心霊写真は違う。カメラというメカニックなものを通して霊体が写ったとなれば一目瞭然、霊の存在を半信半疑に思っている人や、否定的に思っている人にも理解してもらえる。心霊写真というものは、霊魂や死後の世界の存在を啓蒙するための最良の手段だと思う。ただし心霊写真で重要なことは、誰が見ても、それが霊体であるとわかるものでなくてはならないということだ」

 出版やテレビ放送などを通して、中岡は超常現象を紹介し続けましたが、90年代に空前のオカルトブーム、精神世界ブームが訪れます。そして、そのブームは1995年3月20日の「地下鉄サリン事件」の発生によって終息に向かうのでした。事件が「オウム真理教」の犯行と知るや、中岡は烈しい怒りをあらわにし、自身が主宰する超常現象研究団体「AARP」の講演で以下のように述べています。

 

「オウムによる極悪非道の犯罪行為は断じて許されることではないが、問題の1つは、オウムの連中が人をあやつり、意識を変える手段にマスメディアを完全に利用していた、ということです。過剰なオウム報道は善良な日本人の意識を混乱させ、攪乱させるものだった。俺は攪乱されるものか、というかもしれないが、お経だって一万回聞かされたら頭に残るものです。それが人間の意識の弱さであり、敵のつけ入る隙になっている。私たちは、テレビで紹介されたから安心、テレビに出ている人のいうことだから安心、という考えを捨てなければいけない。

 もう1つの問題は、オウムによる犯罪が次々と暴かれていくなかで、日本の仏教界が一言もコメントしていないということです。評論家や社会学者ではなく、私は各宗派の坊主たちの意見を聞きたい・・・・・・・」

 中岡の仏教批判には、わたしもまったく同感です。

 オウム真理教に対してノーコメントを貫いたことは、「日本仏教の死」であり、現在の「寺院消滅」現象にもつながる仏教不信を生む大きな一因になったと思います。日本仏教といえば「葬式仏教」とも呼ばれていますが、中岡はそれを非常に憂いていたようです。

 2001年9月24日に中岡は胃がんで亡くなります。

 ちょうど50歳のときに超能力者クロワゼットから「あなたは75歳までは旺盛な活躍をみせるだろう」と予知された中岡ですが、75歳の誕生日まで、あと52日というところでその生を終えたのでした。エピローグ「予知されていた寿命」で、辻堂氏は以下のように書いています。

 

「数奇な運命に翻弄されながら、後半生を超常現象の研究に捧げた中岡俊哉。2001年9月27日の朝日新聞朝刊は、中岡の死をわずか11行の訃報記事で伝えた。戒名は禅雲俊智居士。生前の中岡は、葬式ビジネスに狂奔する今日の仏教界を蔑んでいた。たぶん、自身に授けられたこの戒名も気に入ってはいないだろう」
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    『唯葬論―なぜ人間は死者を想うのか』(三五館)


 死ぬまで霊魂の存在を訴え続けてきた中岡は、葬式に否定的な考えを持っていたのでした。この事実は意外でもあり、哀しくもあります。いくら霊魂や死後の世界の真相についての知識を得たとしても、弔いというものに価値を見出さなければ、その研究は虚しいと思います。

 拙著『唯葬論』(三五館)の帯にもあるように、わたしは「問われるべきは『死』ではなく『葬』である」と考えているからです。オウム真理教の「麻原彰晃」こと松本智津夫が説法において好んで繰り返した言葉は、「人は死ぬ、必ず死ぬ、絶対死ぬ、死は避けられない」という文句でした。死の事実を露骨に突きつけることによってオウムは多くの信者を獲得しましたが、結局は「人の死をどのように弔うか」という宗教の核心を衝くことはできませんでした。言うまでもありませんが、人が死ぬのは当たり前です。「必ず死ぬ」とか「絶対死ぬ」とか「死は避けられない」など、ことさら言う必要などありません。最も重要なのは、人が死ぬことではなく、死者をどのように弔うかということなのです。問われるべきは「死」でなく「葬」なのです。
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   『儀式論』(弘文堂)



 また、拙著『儀式論』(弘文堂)などにも書いたように、葬儀とは「物語の癒し」です。 愛する人を亡くした人の心は不安定に揺れ動いています。 大事な人間が消えていくことによって、これからの生活における不安。その人がいた場所がぽっかりあいてしまい、それをどうやって埋めたらよいのかといった不安。 残された人は、このような不安を抱えて数日間を過ごさなければなりません。心が動揺していて矛盾を抱えているとき、この心に儀式のようなきちんとまとまったカタチを与えないと、人間の心はいつまでたっても不安や執着を抱えることになりますこれは非常に危険なことなのです。 古今東西、人間はどんどん死んでいきます。 この危険な時期を乗り越えるためには、動揺して不安を抱え込んでいる心にひとつのカタチを与えることが大事であり、ここに、葬儀の最大の意味があります。
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    中岡俊哉の集大成『心霊大全』(ミリオン出版)


 本書の中でたった1ヵ所だけ「儀式」という言葉を見つけました。

 エピローグで、亡くなる直前の中岡が刷り上がったばかりの『心霊大全』(ミリオン出版)を相談者たちに贈呈する場面です。同書は中岡が超常現象研究の集大成として出版を希望していた全508ページのハードカバーです。児童書を除けば、著者のほとんどすべてが新書版のソフトカバーであった中岡にとって、それは長年求め続けた「理想の書物」であったはずです。彼は、分厚い『心霊大全』をデスクの上に置き、「この本は、俺の集大成なんだ」と言いながら、目の前でサインを入れて渡していたそうです。そのときの様子を、辻堂氏が以下のように書いています。

 

「まだインクの匂いが立ちのぼる自著を、慈しむように手に取り、サインを入れ、相談者に贈る。著者から愛読者への、ごくあたりまえの儀式からもしれない。しかし、自分の余命がそう長くないことを感知していた中岡にとって、この儀式は特別の意味を持つものだったに違いない」

 

 本を贈られた者の1人は「いま思い返せば、お別れの挨拶だったんでしょうね。いただいた本は中岡先生の遺言だと思っています」と述べました。辻堂氏も「この日、中岡は刷りたての自著を相談者に贈り、心中で感謝の言葉を述べながら、永訣の別れを済ませたのではなかったか」と書いています。

 わたしも、『心霊大全』の贈呈は、中岡の別れの儀式であったと思います。それは、命あるうちにお世話になった人々、縁のある人々に別れを告げる「生前葬」だったのだと思います。そして、人生を卒業する直前に、自らの「墓」の代わりともいえる集大成的著作を上梓できた中岡は、幸福な書き手であったと思います。このとき、彼は「もう悔いはない。やるべきことはやった」と感じたのではないでしょうか。なぜなら、集大成としての著作を出版することは、物を書く人間にとっては生前に墓を建てたのと同じですから。その意味で、『唯葬論』および『儀式論』は、わたしにとっての墓だと思っています。すでに90冊もの本を出しているわたしですが、両書を続けて上梓して以来、どうも幽霊になったような気がしてならないのです。本書『コックリさんの父 中岡俊哉のオカルト人生』を読み終えて、なつかしい小学生時代を思い出しながら、わたしはそんなことを考えました。