2015.07.15

 15日の朝、北九州空港からスターフライヤーに乗って東京に来ました。
 この日、わたしの最新刊『唯葬論』(三五館)の見本がついに出ました。
 これまでのわが執筆活動の集大成であり、戦後70年記念出版です。

    『唯葬論―なぜ人間は死者を想うのか』(三五館)の帯

本書には「なぜ人間は死者を想うのか」というサブタイトルがついており、銀色の帯には「問われるべきは『死』ではなく『葬』である!」と大書され、「―途方もない思想がここに誕生―」「戦後70年記念出版」と続きます。

 また、帯の裏には「すべては『葬』から始まった」として、以下のような本書の章立てが紹介されています。

第一章    宇宙論
第二章    人間論
第三章    文明論
第四章    文化論
第五章    神話論
第六章    哲学論
第七章    芸術論
第八章    宗教論
第九章    他界論
第十章    臨死論
第十一章  怪談論
第十二章  幽霊論
第十三章  死者論
第十四章  先祖論
第十五章  供養論
第十六章  交霊論
第十七章  悲嘆論
第十八章  葬儀論

    帯の裏では章立てを紹介

 アマゾンの「内容紹介」には以下のように書かれています。

 「人類の文明も文化も、その発展の根底には『死者への想い』があったと考えている。
 本書で 『唯葬論』というものを提唱したい―。
 7万年前に、ネアンデルタール人が初めて仲間の遺体に花を捧げたとき、サルからヒトへと進化した。その後、人類は死者への愛や恐れを表現し、喪失感を癒すべく、宗教を生み出し、芸術作品をつくり、科学を発展させ、さまざまな発明を行なった。つまり『死』ではなく『葬』こそ、われわれの営為のおおもとなのである。終戦から70年を経た現代に横行する『直葬』や『0葬』に異議を唱え、すべての生者・死者のこころにエネルギーを与える、途方もない思想の誕生。日本の思想史上の系譜、『唯幻論』『唯脳論』は、この『唯葬論』によって極まる! 宇宙論/人間論/文明論/文化論/神話論/哲学論/芸術論/宗教論/他界論/臨死論/怪談論/幽霊論/死者論/先祖論/供養論/交霊論/悲嘆論/葬儀論・・・・・・18のキーワードから明らかになる、死と葬儀の真実!」

 自分で読んでいて思わず注文したくなるような血わき肉おどる「内容紹介」ですが、これは三五館の編集部によって書かれた文章です。

    文明も文化も、発展の根底には「死者への想い」があった!

 わたしは、葬儀とは人類の存在基盤であると思っています。約7万年前に死者を埋葬したとされるネアンデルタール人たちは「他界」の観念を知っていたとされます。世界各地の埋葬が行われた遺跡からは、さまざまな事実が明らかになっています。「人類の歴史は墓場から始まった」という言葉がありますが、たしかに埋葬という行為には人類の本質が隠されていると言えるでしょう。それは、古代のピラミッドや古墳を見てもよく理解できます。

   カバー前そで

 わたしは人類の文明も文化も、その発展の根底には「死者への想い」があったと考えています。世の中には「唯物論」「唯心論」をはじめ、岸田秀氏が唱えた「唯幻論」、養老孟司氏が唱えた「唯脳論」などがありますが、わたしは本書で「唯葬論」というものを提唱します。結局、「唯○論」というのは、すべて「世界をどう見るか」という世界観、「人間とは何か」という人間観に関わっています。わたしは、「ホモ・フューネラル」という言葉に表現されるように人間とは「葬儀をするヒト」であり、人間のすべての営みは「葬」というコンセプトに集約されると考えます。 

 カタチにはチカラがあります。カタチとは儀式のことです。わたしは冠婚葬祭会社を経営していますが、冠婚葬祭ほど凄いものはないと痛感することが多いです。というのも、冠婚葬祭というものがなかったら、人類はとうの昔に滅亡していたのではないかと思うのです。

 わが社の社名である「サンレー」には「産霊(むすび)」という意味があります。神道と関わりの深い言葉ですが、新郎新婦という2つの「いのち」の結びつきによって、子どもという新しい「いのち」を産むということです。「むすび」によって生まれるものこそ、「むすこ」であり、「むすめ」です。結婚式の存在によって、人類は綿々と続いてきたと言ってよいでしょう。

 最期のセレモニーである葬儀は、故人の魂を送ることはもちろんですが、残された人々の魂にもエネルギーを与えてくれます。もし葬儀を行われなければ、配偶者や子供、家族の死によって遺族の心には大きな穴が開き、おそらくは自殺の連鎖が起きたことでしょう。葬儀という営みをやめれば、人が人でなくなります。葬儀というカタチは人類の滅亡を防ぐ知恵なのです。

 オウム真理教の「麻原彰晃」こと松本智津夫が説法において好んで繰り返した言葉は、「人は死ぬ、必ず死ぬ、絶対死ぬ、死は避けられない」という文句でした。死の事実を露骨に突きつけることによってオウムは多くの信者を獲得しましたが、結局は「人の死をどのように弔うか」という宗教の核心を衝くことはできませんでした。言うまでもありませんが、人が死ぬのは当たり前です。「必ず死ぬ」とか「絶対死ぬ」とか「死は避けられない」など、ことさら言う必要などありません。最も重要なのは、人が死ぬことではなく、死者をどのように弔うかということなのです。問われるべきは「死」でなく「葬」です。よって、本書のタイトルは『唯死論』ではなく『唯葬論』としました。

 本書で、わたしはさまざまな角度から「葬儀こそ人類の最重要問題」であることを訴えました。本書を読めば、読者は「葬儀ほど知的好奇心を刺激するテーマはない」ことを思い知るでしょう。いつもは「なるべく平易な言葉で書こう」「難解な哲学書などを引用するのはやめよう」などといった配慮をするのですが、今回はガチンコで行きました。文体も「です」調ではなく「である」調ですし、ヘーゲルの『精神現象学』やハイデガーの『存在と時間』などの哲学書もガンガン引用しました。その結果、前代未聞の本が完成したように思います。本書は23日に全国の主要書店の店頭に並び、アマゾンをはじめとしたネット書店でも発売されます。一条真也の集大成です。
 わたしは、この本を書くために生まれてきたと思っています。
 どうか、みなさま、ご一読を何卒よろしくお願いいたします!

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