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怪異とは誰か』

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No.1452

 

  『怪異とは誰か』一柳廣孝監修・茂木謙之介編著(青弓社)を読みました。

 シリーズ三部作「時空の怪異」の第三弾ですが、このシリーズは、幽霊、妖怪、心霊現象などの時代や場所を超えて人々を惑わし、恐怖を与え、崇められ、ときには消費・快楽の対象にもなる「現実にはありえない現象」を「怪異」と定めて、怪異から時代や地域特有の文化的感性を照らし出すという企画です。一見サブカルチャーの本を思わせる装丁ですが、じつはアカデミックな論文集となっています。

 廃墟のような家の中の一室の写真が使われている表紙カバーには、以下のように書かれています。

 

「芥川龍之介や三島由紀夫、村上春樹、川上弘美らのテクストと、天皇制・植民地・ナショナリズムといったテーマが交差するとき、そこには"他者"としての怪異が浮上し、私たちを恐怖に陥れる。亡霊、ドラキュラ、オカルト、ノスタルジー、出産などの分析をとおして、怪異が近代における文化規範の合わせ鏡であることを示す」

 本書の「目次」は、以下のような構成になっています。

 

「はじめに」一柳廣孝

第1章 実話怪談にとって「怪異」とは誰か:黒木あるじインタビュー (聞き手:茂木謙之介/一柳廣孝)

第1部 怪異の機能

第2章 表現システムとしての〈怪異〉とノスタルジア

 ―1920年代の文学的想像力と「他者」の変容(副田賢二)

第3章 皇の奇跡

 ―戦間期地域社会における〈瑞祥〉言説をめぐって(茂木謙之介)

第4章 弱者のために怨む

 ―川村孤松、『廻国行脚怪談百物語妖怪研究』について(谷口基)

第2部 〈外部〉のまなざし

第5章 芥川龍之介の文学と「世紀末的な不安」

 ―地震・帝国・怪異(小谷瑛輔)

第6章 占領地に現れた"幽霊たち"

 ―縮図としての火野葦平「怪談宋公館」(構大樹)

第7章 わたしたちのドラキュラ

 ―横溝正史の『髑髏検校』と帝国主義(中川千帆)

第3部 〈亡霊〉たちの現在

第8章 三島由紀夫とオカルト言説

 ―「二・二六」表象をめぐって(松下浩幸)

第9章 〈喪主〉としての語り

 ―村上春樹「七番目の男」から(岡田康介)

第10章 ナラティヴの亡霊、あるいは川上弘美「花野」の亡霊論(高木信)

第11章 女が語る〈産〉と怪異

 ―三枝和子『曼珠沙華燃ゆ』における亡霊たちのフォークロア(倉田容子)

「おわりに」茂木謙之介

 「はじめに」の冒頭を、横浜国立大学教育人間科学部教授(日本近代文学・日本近代文化史)の一柳廣孝氏は以下のように書きだしています。

 

「怪異とは、不意打ちである。日常生活のなかで、突然落とし穴にはまったかのようにそれは現れる。怪異はしばしば私たちに身の危険さえ感じさせるが、その一方で、ただ単に啞然とするしかないこともある。出窓のカーテンレールの上を手足が生えた小さなカボチャが歩いているのを目撃したとしたら、あっけにとられるぐらいが関の山だろう。怪異は私たちの日常を揺るがすものの、目の錯覚で片付けられる現象も少なくない。とはいえ、ほんの束の間であっても怪異に出くわしてしまえば、自らの生活圏は大いに脅かされる。どんなに見た目がかわいかろうが、手足の生えカボチャと同居したくはないはずだ」

 また、一柳氏は「怪異」のビジュアルについて以下のように述べています。

 

「とてもさわやかな容姿で、できればお近づきになりたいと思わせる。しかしてその実態は・・・・・・。何やらテレビのサスペンスドラマに登場する殺人事件の真犯人のようだが、実はこの表象にこそ、怪異の本質が隠されているような気もする。私たちの親密圏にいともたやすく入り込み(というよりも、この場合なら、むしろこちら側が積極的に招き寄せ)、内部から食い破って身の破滅へと導く存在。ならば典型的な幽霊の表象が『ロングヘアで白いワンピース姿の若い女性』という形をとって現れるのも、わからないではない。恋愛対象はいつも謎めいていて、だからこそ魅惑的で、ときに私たちを土台からひっくり返すのだから」

 ただし、こうした見方が男性側の視点にかなり寄り添っていることを指摘し、一柳氏は以下のように述べます。

 

「なぜ幽霊といえば女性が連想されるのか、から始めるべきなのかもしれない。幽霊が本格的に活躍し始める江戸時代以降、『四谷怪談』のお岩さま、『皿屋敷』のお菊さん、『累ヶ淵』の累など、スター的な存在は常に女性だった。江戸時代、女性は社会的弱者、被抑圧者の位置に置かれてきた。だからこそ彼女たちは、この世の理から離れた場所に立ったとき猛威を振るうのだと説明される。しかし怪異におけるセクシャリティー、ジェンダーの問題には、より本質的な問いが内包されているようにも思える」

 さらに、一柳氏は以下のように述べています。

 

「歴史的に見て、怪異の語り手や書き手は男性側に偏っていた。社会的な強者であり抑圧者である男性から見て、最も後ろめたい存在が女性だったから、いまもなおほとんどの幽霊が女性なのだろうか。ならばなぜ、彼女たちは白いワンピースに身を包み、髪を長く伸ばすのか。怪異は、私たちのイメージの投影として立ち現れる。私たちにとって最も恐ろしいモノが、それにふさわしい形をまとって顕現する。だから怪異は、自己の問題となる。またそれはしばしば、自己を定位するのに不可欠な他者との関係性の問題となる。したがって本巻のテーマである『怪異とは誰か』とは、自己とは何かという問いであると同時に、他者とは何かという問いかけでもある」

 続けて、一柳氏は以下のように述べるのでした。

 

「だから『幽霊なんかより、生きた人間のほうがよっぽど恐ろしい』というお決まりのフレーズは『そういうあなた自身がいちばん怖い』という結論を導く。またこのフレーズは、ただ単に『生者が怖い』という意味に収まらない。私たちが幽霊という表象をまとわせて外部に捨てざるをえなかった『他者』の重みが怖いのだ。そしてこの『他者』の背後には、両親や兄弟姉妹がいる。親族がいる。友人や恋人がいる。さらには、共同体がある。社会がある。国家がある。時代がある。これらと自己とのきしみ、歪みが怪異を生み出す原動力となる。怪異はいつでも、どこにでも、フレキシブルに現れる。怪異はいつだって、新鮮だ」

 

 第1章「実話怪談にとって『怪異』とは誰か」では、怪談実話を得意とする作家の黒木あるじ氏のインタビューが掲載されています。黒木氏は「幽霊」について、以下のように述べています。

 

「僕は各話の前段部分、落語でいうところの『マクラ』的なものを書くときには、ダイレクトに『幽霊』とは書かずに『人ならざるモノ』と表記するようにしています。まあ実際に登場するのは、いわゆる幽霊だとか神仏の祟りとして受け取れる現象だったりするわけですが、それでも、こちらの断定を投げつけるのではなく、『人間世界とは一線を画すモノ』という捉え方をしてもらえるように心がけています。登場する『それ』が何であるかは、受け手の側になるべく委ねたいわけです。真夜中にフワッと自分の前を横切る白い影を見たとき、それを化けた狐と見るのか幽霊だと見るのか、もしくは宇宙人だと認識するのかは、体験した個人、そして読者の個人的な歴史認識や文化背景に即すると思っています。ですから、『彼ら』を話者の写し鏡、読者の写し鏡として描きたいという思惑があります」

 

 また「『作者』とは何か」として、「洗練された怪談実話って、実は著者の自己満足にすぎないんじゃないの、みたいな」という一柳氏の発言に応答する形で、黒木氏は以下のように述べています。

 

「本当、そこについては憂慮しています。この間、京極夏彦さんとご一緒する機会があったときにそういう話題になりましてね。最近は中岡俊哉さんの本を読み直しているんだとおっしゃっていて、我々はその広義の怪談という言葉で、『雨月物語』(1776年)からいまの竹書房の怪談まで、すべてを怪談という2文字のなかに内包してしまっているけれど、もしかしたら、かつて存在した『恐怖体験談』だとか『怪奇実録』だとかいった言葉に戻して、線を引き直すのもありかもしれないという話になりました。怪談という単語には包容力があるんだけど、すべてをその2文字で囲ってしまった結果、かつてはうさんくさい読み物か、もしくは文豪の余興として成立していた『実話』『体験談』が、怪談作家という肩書きを名乗れるまでに地位を獲得してしまった。その結果として多くの人間が怪談作家を名乗るようになったわけですが、その弊害がいままさに表出してきている気がするんです」

 

 さらに「土地の記憶と怪異」として、黒木氏は以下のように述べるのでした。

 

「かつては、津波の記録が神仏にまつわる説話として語り継がれたり、ナマズのお守りが地震除けとして流行するなど、災害を伝承するための装置が機能していたのだろうと思います。しかし近代以降、我々はその装置を失ってしまった。暗黙の了解で通じ合う文化的な土壌はすでに失われて、怪異を『あったこと』と単純には受け止められなくなってしまった。けれども『怪異の残り香』のようなものは、まだおぼろげに漂っているのではないかと思うんです。そして、今回の東日本大震災では、その『残り香』はまだ有効なのではないかと思ったんです。公式な記録として残らない個人の思い、それを後世につなげていくためのバトンとして怪談が発生しているのではないかと考えたんです。きちんと集めていけば、いずれは時代の推移や背景も含めて検証できるかもしれないとの思いから収集を続けています。何十年かたったときに、この時代の死生観や人々が災害とどう向き合ったのかが、怪談の行間に立ち昇ってくるはずだと。それをのちの世代に再検証してもらえればうれしいのですが」

 

 第2章「表現システムとしての〈怪異〉とノスタルジア―1920年代の文学的想像力と『他者』の変容」では、「はじめに―『怪異』から《怪異》へ」として、防衛大学校人間科学科准教授(近代日本文学、出版メディア研究)の副田賢二氏が「怪異」について以下のように述べています。

 

「『怪異』は、『性霊集』以降一般的にも用いられてきた歴史的概念だが、近代以降は、時代ごとのモードに即した多様な欲望がそこに投影されるようになった。『剪燈新話』『聊斎志異』などの中国怪異小説の形で近代以前の怪異を受容していた芥川龍之介や佐藤春夫は、それを小説の趣向的モチーフとして活用した。明治末から大正初期の『怪談の時代』には多くの『怪異』が物語化され消費されたが、一方で1920年前後からそれは新たなモードで用いられるようになる」
  
 1「震災と『〈死角〉空間』と〈怪異〉」では、「『〈死角〉空間』への視線と映像表現との交錯」として、副田氏は、1923年9月の関東大震災以降、映像が映し出すところの「現実」自体が、〈自/他)の2元的構図に安住できない錯綜したフェーズへと投げ出されることになったと指摘します。 2「表象の場としての『渚』の『女』たち」では、「『水』に『消える女』と他者性としての『匂』」として、副田氏は以下のように述べています。

 

「映像は、映写機とスクリーンが置かれた閉鎖空間の枠を超えて、『〈死角〉空間』を擬似的に可視化させる映像的視覚という表現モードを、1920年代の文学と雑誌メディア空間にもたらした。22年4月2日創刊の『サンデー毎日』(大阪毎日新聞社)では、映像のスチール写真を用いたレイアウトが主流化し、映画紹介記事も頻出する。そこで映像というメディアは、活字表現と対置され、そこに方法論的影響を与えるにとどまらず、そのカメラ・アイ的な新・視覚自体がテクストに再現されるという形で、出版メディアに内在化されていった」
  
 また、副田氏は関東大震災の影響について、以下のように述べます。

 

「1920年代前半の映像と文学の交錯によって〈自/他〉が反転する多くの物語が生まれたが、震災は、そこで自明化されていた視覚中心的な枠組みと『現実』への視座をさらに流動化させ、『失われたもの』に遡行するノスタルジアのあり方自体を変質させたのだ。過法に対して感傷的思念を投影するためには、〈自/他〉の関係が2元的構造を安定して保持している必要がある。震災は、その圧倒的破壊という事実性で、その安定した視座とノスタルジックな視線を失調させたのである」

 第3章「皇の奇跡―戦間期地域社会における〈瑞祥〉言説をめぐって」では、「はじめに」の冒頭で、国立小山工業高等専門学校非常勤講師(日本近代文学史、表象文化論)の茂木謙之介氏が以下のように述べています。

 

「1935年(昭前10年)8月、昭和天皇の弟宮である高松宮が宮城県を訪問した際、1つの〈奇跡〉が生まれた。宮が同県石巻の金華山に鎮座する黄金山神社に参拝したとき、なんと『霊光』が発した、というのである」

 また、茂木氏は天皇の〈奇跡〉について、以下のように述べます。

 

「近代に天皇(制)と関連づけられて提示される、〈理外〉の現象を記す言説はわずかながら存在していた。それは冒頭に示したような地域メディアにおける〈瑞祥〉の記述である。  

 王権にまつわる〈瑞祥〉は、古来から王権の権威性を示すものとして『記』『紀』神話にも確認できるが、同じく神話に統治の正統性を求めた近代天皇(制)国民国家においてそれは、大々的に提示されるものではなく、きわめて密やかに語られるものであった。怪異がネガティブな〈理外〉の現象だとするならば、〈瑞祥〉はポジティヴなそれであり、怪異に対して鏡面的な性格を持つ。まさに〈理外〉現象として両者はパラレルな関係にあるのだ」

 1「植民地における〈瑞祥〉言説」では、「〈瑞祥〉の機能」として、茂木氏は以下のように述べています。

 

「このような〈瑞祥〉言説はどのように機能していたのだろうか。1926年の言説と、28年の言説ともに共通しているものがある。26年の言説ではこの竹林に『瑞祥地を拝せんとて、修学旅行中の台湾の小学校生徒数百人の来訪』が取材当日もあったこと、そして台湾製糖が『内台人の参観生徒には、これを記念する菓子を作つて頒け与へ』ていることを述べ、また28年の言説には『瑞祥の蔴竹が繁茂して居る所には、記念碑を建て、学生や台湾の子弟等に対して精神教育の材料となして居るが総督府でも、非常にこの挙を喜んで居られる』とあり、ともに教育的効果が期待されている。経緯は違うが、天皇の威徳と関わって成立した〈瑞祥〉を契機に、植民地での教育的効果が期待され、それは『総督府』すなわち植民地経営の中心機関からも承認を受けているのである」

 この言説は、特に台湾という場所で生成していたことに意味があるとする茂木氏は以下のように述べます。

 

「これらの言説の担い手は共通して地域のエリートであり、自らの生活圏を〈辺境〉として認識する人々である。国民国家の規範をすでに内画化していたエリートたちにとって、国民国家の中枢、すなわち皇室とつながっているというリアリティはきわめて貴重なものだったといえるだろう。このような規範意識を批判することはたやすいが、一方でこれが彼らにとっての有意義性を帯びていたことはいうまでもない。まさに〈辺境〉としての自己認識を持つ地域社会の、特にエリートにとってこの〈瑞祥〉は希求されたものでもあったのだ」

 2「内地での〈瑞祥〉言説と天皇(制)をめぐる状況」では、「陸軍特別大演習と〈瑞祥〉言説」として、茂木氏は以下のように述べています。

 

「内地で天皇と地域の人々が定期的に関わる可能性を持つものとして、陸軍特別大演習というイベントを挙げることができる。陸軍特別大演習は1892年以降、日中戦争の勃発によって終了する1936年まで、中断時期はあるもののほぼ毎年、地域を変えておこなわれてきた陸軍による軍事演習であり、そこには天皇をはじめとして陸軍所属の皇族軍人たちが参加していた。国家から見たとき、大演習とは国民統合の象徴としての天皇との触れ合いをアピールする機会であり、また地域社会にとっては昭和期以降、人々の前に姿をさらすことが減少した天皇の姿を直接見る契機であるとともに、利益誘導の契機としても機能していたことが知られている」

 また、「自然物との連関」として、茂木氏は以下のように述べます。

 

「まず見ておきたいのは、天候と関連する〈瑞祥〉である。1927年の名古屋での大演習の際の報道を見てみよう。ここでは、天皇が同地に到着した日から晴天が続いたことについて『御盛徳のしからしむる所とはいへ畏き極みである』と位置づけ、予想された低気圧が消滅したことについて『この奇瑞を予知した測候所では雀躍した』ことを報じるとともに、測候所長による『行幸は前後10日間にわたる長い御駐輦なので累年の統計に徴しても少くとも2日や3日は雨に見舞はれるものではありますが(略)かくも好晴がうちつづいたことは全く御稜威の然らしむるところ』とコメントを掲載している」

 続けて、茂木氏は以下のように述べています。

 

「晴天の連続が『累年の統計』すなわち科学的な法則を超越していることを示すとともに、その要因として『御稜威』を設定しているのである。台湾の事例と同様に、科学という枠組みを傍らに置くことで、天皇の権威の特権性を強調する物語構造となっていることが確認できる。なお、このような天候に関する〈瑞祥〉としては、天皇以外にも昭和天皇の弟宮である秩父宮にも確認でき、33年の宮城県訪問の際には『秩父宮同妃殿下を迎へ奉つた光栄の松島は雨しめやかに万塵をあらつて秋気ますます清し、御徳の弥高きを感ずる』と、威徳と天候についての関係性が語られている」

 第2部「〈外部〉のまなざし」の第6章「占領地に現れた"幽霊たち"―縮図としての火野葦平『怪談宋公館』」では、「はじめに」の冒頭で、東京学芸大学大学院連合学校教育学研究科博士課程(日本近代文学・文化史)の構大樹氏が以下のように述べています。

 

「日中戦争・アジア太平洋戦争期(1937-45年)にあっては、怪談も息苦しいときを迎えていた。谷口基が述べるとおり、『変転する世相の中で絶えることなくつながれてきた』怪談の『命脈』が、『言論統制が苛烈化した戦時下』では『自粛を余儀なくされた』ためである。しかし、そうした状況下にあっても、人々の間で話題となった怪談は生まれていた。俳優高倉健が幼少のころ、家族に『内緒で聴いた』ラジオドラマの原作、そして今日でも『チャイニーズ幽霊屋敷小説の傑作』と評される作品。火野葦平『怪談宋公館』である」

 また、構氏は『怪談宋公館』のあらすじを以下のように説明します。

 

「『私』たちの部隊は広東入城後、ある『特殊任務』にとって便がいい、宋公館に居を構えることになった。しかし、そこは『世にも変てこりんな幽霊館』だった。幽霊たちは、まず雇い入れた中国人たちに襲いかかった。次いで兵士たちをも大いに悩ませるようになり、ついには『私』の前にも現れた。宋公館には『何十人もの幽霊達』がいるらしい。いまもなお『任務』のため転居できない兵士たちが、『多くの幽霊部隊』と戦いながら生活している」

 続けて、構氏は『怪談床公館』について以下のように述べます。

 

「発表後まもなくラジオドラマ化された『怪談床公館』は、火野葦平によると『あまりの怖さに途中でスイッチを切つた者もあつた』ようである。また火野は、別の反響についても記している。彼は福岡県久留米市で、『中年の婦人』からこう話しかけられたという。自分の娘が原因不明の『胸苦しさ』を訴えたので『知りあひの巫女婆さんに占ってもらった』ところ、『広東の宋公館にゐる支那人の幽霊』に取り憑かれていたことが判明した。『巫女婆さん』に供養してもらい、いまでは娘も元気だが『その後、宋公館の様子はどうでせうか』、と」

 1「幽霊騒動の発生」では、構氏は以下のように述べています。

 

「そもそも『怪談宋公館』には、『決して作りばなしではなく、出鱈目でもなく、このなかに出て来る人も名も実在の人』だと書き添えられている。作品が読者に向かって、実話として受け取ることを要求しているのである。この要求に『火野葦平』という作者名が重なったとき、読者は実話という規定から逃れがたくなるだろう。当時、火野は戦場での兵士の日常を、誠実に報告する作家として信頼されていた。そうした信頼は、ラジオドラマ版の紹介記事でも、この作品は『怪談とは云ひ條決して作り話ではなく戦争文学の第一人者火野軍曹が体験した実話であることが傾聴に値する点である』という表現で、リアリティーの補強に用いられている」

 

 3「占領地の縮図」では、構氏は以下のように述べています。

 

「確認しておきたいのは、火野葦平の同時代的な執筆動向である。1938年末、第18師団から報道部へ転属となった火野は、各部隊へ配布する雑誌を編集しながら『新聞検閲や、宣撫班の仕事』に携わったという。そうしたなかで『花と兵隊』(改造社、1939年)、『広東進軍抄―附・煙草と兵隊』(新潮社・1939年)、『海南島記』(改造社、1939年)などを執筆するが、この時期、軍当局の意向を受けた火野は、日本国内の人々に向けて『戦場のリアリティを伝える』作品にとどまらないものを書くようになる。戦地の兵士や、占領地の在留日本人を読者に見据えた作品も発表するのである」

 そして「おわりに」で、構氏は以下のように述べるのでした。

 

「『怪談宋公館』では、占領地広東を日本軍兵士=外部者から眺めることで、幽霊の出現のリアリティーを構築している。このとき広東は、マラリアを媒介する蚊が飛び交い、『不合理』な中国人が住まう異界的な場として立ち現れる。そして、その『不合理』が集約された場が宋公館である。この作品が語っているのは、表面的には、そうした場にあっても頑強な『覚悟』を持って任務にあたる日本軍兵士への感嘆である。しかし、このステレオタイプな物語が『幽霊談』として語られるのは、さらにもう1つの物語を伏在させるためにほかならない。それが、模範としての兵士の立場を揺さぶりながら紡がれる、在留日本人に向けた訓話という物語である」

 

 第7章「わたしたちのドラキュラ―横溝正史の『髑髏検校』と帝国主義」では、「はじめに」の冒頭で、奈良女子大学研究院人文科学系准教授(アメリカ文学、ゴシック文学)の中川千帆氏が以下のように述べています。

 

『髑髏検校』は、ブラム・ストーカーの『ドラキュラ』(1897年)を、日本語完訳が出版されるはるか前に翻案の形で紹介したものである。横溝が『ドラキュラ』に興味を持ったのは不思議ではない。彼の多くの作品では、超自然現象かと思わせるスペクタクルが展開するゴシック的な世界が繰り広げられ、都市小説では異常かつ過剰な欲望に駆られた犯罪者が描かれることも多いことからすると、正統なゴシック小説である『ドラキュラ』はうってつけのテキストだろう。また、ヴァンパイアと結核との強い結び付きは民俗学的見地からも指摘されており、当時上諏訪で肺結核の療養中だった横溝にとって特に身近なモチーフだったかもしれない」

 

 また、「『ドラキュラ』批評と江戸の危機」として、中川氏は帝国主義ゴシックに言及し、以下のように述べています。

 

「帝国主義ゴシックとは、『一見科学的で、進歩的で、しばしばダーウィニズム的な帝国主義のイデオロギーを対照的なオカルト趣味と組みあわせた』ものであり、H・ライダー・ハガードやリチャード・マーシュなどの帝国をエキゾチックな他者が脅かす物語のことを指す。『ドラキュラ』では、ドラキュラ伯爵が展開する混合された民族の渦や、悪魔や魔女を祖先に持つ貴族たちに関する演説を大英帝国の『〈征服する民〉のレトリックのパロディ』と見ることができ、知識を蓄えてイギリス人化していくドラキュラ伯爵が大英帝国を植民地化しようとする『東の旅人』の物語との解釈が可能である。つまり、『ドラキュラ』が語るのは逆植民地化の不安だといえる」

 さらに中川氏は「男たちと帝国」として、以下のように述べます。

 

『ドラキュラ』が、帝国の内なる悪魔の存在を認識するよう東からの他者に迫られるという物語であるなら、『髑髏検校』は西洋の影響について日本の立場を問い直す物語である。『髑髏検校』は第2次世界大戦が迫るなかで書かれている。『ドラキュラ』では完全なる他者を敵とするのに対し、『髑髏検校』では他者が内面化されている。外国の影響は存在するものの、『髑髏検校』には1人も明確な外部の者は登場しない。『ドラキュラ』のように外国人が全く異質な者の脅威に対して大英帝国と協力するのではなく、敵を含めすべてが日本人である。天草四郎はキリスト教徒/切支丹であることで『他者』となっているにすぎない」

 そして「おわりに」で、中川氏は以下のように述べるのでした。

 

「横溝正史の『髑髏検校』は、侵略する他者に対する恐怖を描いた小説として西洋の脅威を描く物語だといえる。『ドラキュラ』も、恐怖の根源を自分たちの迷信へとたどることはできるが、帝国主義ゴシックの特徴に見られるように、その恐怖は『他者』である『未開』の人々に負わされている。だが、鎖国時代の日本を舞台にした横溝の小説では『他者』は自分たちの1人にならざるをえず、恐怖は自分たちのなかで生み出されるものとなる」
  
 第3部「〈亡霊〉たちの現在」の第8章「三島由紀夫とオカルト言説―『二・二六』表象をめぐって」では、明治大学農学部教授(日本近代文学)の松下浩幸氏が「はじめに」の冒頭で、映画「気狂いピエロ」(監督:ジャン=リュック・ゴダール、1965年)の中の「人生が物語と違うのが私は悲しいわ」というセリフを紹介しています。マリアンヌという映画のヒロインの言葉なのですが、松下氏は以下のように述べます。

 

「三島由紀夫という作家について考えるとき、このマリアンヌの言葉ほど似つかわしいものはないかもしれない。三島は死後も多くのコアなファンを持ち、出版業界では商売が可能な数少ない純文学系の作家である。三島がいまもなお注目される理由は、無論、彼の作品世界に魅力を感じる読者がいるからだが、同時に三島自身の振る舞い、言い換えるならば彼の生死における演劇性にあるといえるだろう。三島由紀夫という作家が、常にその自決という人生の結末とセットで語られることは、ある意味では物語のような人生を目指した彼の狙いどおりだったかもしれない。劇的なドラマ性によって自己の生と死を演出し、その意味を探ろうとする言説や情報がメディアで再生産されることで、作家・三島由紀夫は奇妙な神話化をされることになる」
  
 1「〈予言者〉としての三島由紀夫」では、松下氏は述べます。

 

「かつて『知識』(1985年2月号、世界平和教授アカデミー)という旧統一教会系の雑誌で、『三島由紀夫の霊界通信を分析する』という鼎談がおこなわれたことがある。参加者は文芸評論家・武田勝彦(早稲田大学教授)、精神医学者・平井富雄(東京大学教授)、同じく精神医学者・加賀乙彦(作家)の3人、そして佐々木雄司(東京都立精神衛生センター所長)によるこの座談会へのコメントが付されている。ここで話題として取り上げられているのが太田千寿という女性である。ごく平凡な主婦だった彼女にこの3年来、霊界からのメッセージが送られていて、そのメッセージの中心が三島由紀夫からのものだという。この鼎談では、太田千寿が憑依状態で描き出した絵画や三島の言葉が、はたして信じるに値するか否かが真剣に議論されている。太田千寿はその前年に『三島由紀夫の霊界からの大予言』([舵輪ブックス]、日本文芸社、1984年)を出版し、以後、『霊界通信』シリーズとしていくつもの予言書を著していく」

 

 太田千寿の『三島由紀夫の霊界からの大予言』は、わたしも読みました。拙著、『ロマンティック・デス~月と死のセレモニー』(国書刊行会)の中で同書を紹介しています。非常にインパクトの強い内容でしたが、著者の太田千寿について、松下氏は以下のように説明しています。

 

「太田は1946年、秋田県生まれ。その後、横須賀で育ち、銀行でのOL生活を経て結婚。一男一女の母となるも離婚し、80年ごろから自動書記や自動描画による霊界通信をおこなうことになる。のちに太田は自分自身が、三島の若くして亡くなった妹・平岡美津子の生まれ変わりであることを三島の霊から伝えられる。その霊界通信の内容は多岐にわたるが、大きく2つに分けることができる。1つは1999年8月2日、午後6時に地球のすべてのバランスが崩れ氷河期が到来し、人類は危機に瀕する。そのとき、人類のなかの善い因子は別の星に飛ぶが、反省ができない因子は選ばれず、地獄と化した地球で苦しむことになるという。もう1つは『真秀呂場づくり』と称される人類救済のための魂のユートピアを、三島霊団なるものがオリオンの新太陽系に作るが、その中継ぎ地点が地球であり、さらにその原点にあるのが日本、そしてその中心が富士山だという」

 

 「おわりに―三島由紀夫のために」では、松下氏は述べます。

 

「田中美代子は『三島由紀夫のスキャンダリズム』というエッセーのなかで、当時まだ25歳だった三島の『やっぱり、鬼面人を驚かす生活をしたい』という言葉を取り上げ、『三島由紀夫は自らの言葉の通りその芸術的生涯において、極めて意志的かつ意図的なスキャンダル・メーカーであった。醜聞とは市民道徳に亀裂を走らせることであり、くさいもののフタをとることだ』と述べ、三島文学の悪と芸術の関係を論じているが、このような三島の身ぶりが、同時に彼にオカルト的なキャラクターを付着させる大きな要因になったことは確かだろう」

 

 続けて、松下氏は以下のように述べています。

 

「また、中川右介がいうように『小説家でありながら、演劇に深くかかわった三島は、その劇場での観客からの喝采という快感を知ってしまった。(略)「11月25日」という芝居は、ほぼ全国民を観客にさせた。まさに、一世一代の大芝居だった』とするなら、その自決という大芝居の意味は死後も、いや死後にこそ、その意味の空白を埋めるために様々に再文脈化され、言説化され続けている」

 そして最後に、松下氏は以下のように述べるのでした。

 

「『気狂いピエロ』のマリアンヌは『人生が物語と違うのが私は悲しいわ。人生が物語のように明晰で論理的で脈絡があってほしいのに』と呟いたが、偏頗な三島由紀夫像が再生産されないために、我々は再度、その作品世界と向き合う必要があるだろう。脈絡のない(オ)カルトな三島ではなく、『明晰で論理的』な作家として三島由紀夫の〈霊〉を鎮めるために」

 

 第9章「〈喪主〉としての語り―村上春樹『七番目の男』から」の「おわりに」で、東京農業大学第一高校教諭(国語)の岡田康介氏が述べます。

 

「小松和彦は『怪談の生成過程をさかのぼっていくと、いくつかの怪しい出来事に行きつくことになる。これらの出来事それ自体は「怪談」ではない。これらの出来事が互いに関連し合って1つのまとまった「物語」となることによって、「怪談」となる。その意味で、こうした怪しい出来事は「怪談の種」ということができるだろう』という。『怪しい出来事』が因果によって結ばれ、物語となるとき、怪談は生まれる。怪談は一見、ただただ怖ろしく忌まわしい話にあっても、背後にはそれ相応の因縁がうごめいている。『物語』を形成する『怪談の種』を丁寧に腑分けしていけば、その話の裏にある真相に迫ることができる。謎解きの要素もまた、怪談が私たちを惹き付ける魅力の1つかもしれない。 もちろん怪談は単に人を震え上がらせるだけではなく、『語る』という営みの様々な面に光を投げかける。1つは、生者と死者をつなぐことである。死について語り、死者について想起することとは、その魂を癒し、慰撫することなのだ」

 

 第10章「ナラティヴの亡霊、あるいは川上弘美『花野』の亡霊論」では、相模女子大学学芸学部准教授(古典日本文学、国語教育)の高木信氏が以下のように述べています。

 

「教科書に採られる小説教材は〈謎〉が多い。『これは一体どういうことなのだろうか?』と思わせるテクストである。芥川龍之介『羅生門』の下人の行方、志賀直哉『清兵衛と瓢箪』の清兵衛に気持ち、中島敦『山月記』における李徴が虎になった原因などなどである。これら定番教材に加えて最近準定番になっているテキストやあたらに採られるテクストには、怪異を素材とするものが増えている。村上春樹『鏡』、江國香織『デューク』、よしもとばなな『みどりのゆび』などである」

 

 続けて、高木氏は以下のように述べています。

 

「怪異や怪談(死者が現世に回帰してくる)的なテクストを教材として教室に持ち込むことには、ある種の〈価値〉があるだろう。もちろんスピリチュアルな授業をすることができるという意味ではない。まず現実的な問題として、いまの生徒たちは死者を看取ることが少なくなっている。また戦争の記憶から遠く離れてしまっている。ある人がいなくなってしまうこと(ときには理不尽に)、そこに発生する喪の作業とメランコリーを体験していないことが多く、想像力が死者へと届かないことが多いのではないだろうか。そのような喪の作業とメランコリーからの脱却の難しさについて学ぶには、怪談系のテクストは有効だろう」

 

 同じことを、わたしは『唯葬論』(三五館)の「怪談論」で述べました。

 本書の「おわりに」では、茂木謙之介氏が以下のように述べています。

 

「本書は叢書『怪異の時空』の最終巻にあたる。本シリーズではこれまで、怪異の空間性に注目した第1巻、怪異のメディアにおける消費をコンセプトとした第2巻を世に問うているが、第3巻にあたる本書では、そもそも怪異とはいったいどのような存在なのかを問題の中心に据えた。

 怪異は、我々の〈外部〉にある〈他者〉として措定され、明に暗に我々を脅かす存在として表象される。だがそのとき同時に、怪異という存在は、我々がどのような規範で世界を捉えているのか、何を〈常識)や〈日常〉と見なしているのか、その無意識を明るみに出すともいえる。すなわち〈他者〉としての怪異を問うことは、我々が自明視している〈普通〉を相対化することと直結しているのだ」

 ここまで「怪異の時空」シリーズ3冊の内容を紹介してきましたが、収められている論文の執筆者たちの中には大御所はいません。おそらくは、かなり若い研究者たちによって書かれた論文の集成だと思われますが、日頃から「怪異」というものに深い関心を抱いているわたしにとっては、興味深い論考が多かったです。3冊ともに「はじめに」を書かれた一柳廣孝氏によるさまざまな「怪異」の定義はどれも鋭く、説得力がありました。今度は、一柳氏による「怪異論」の単著を読んでみたいです。