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    ~月と死のセレモニー

ロマンティック・デス~月と死のセレモニー
Title

ロマンティック・デス

~月と死のセレモニー』

Category

No.0902

 

 わたしが1991年10月15日に上梓した本です。『リゾートの思想』『リゾートの博物誌』を発表した後、わたしは「リゾート」から「フューネラル」へとテーマを転換しました。「理想土」としてのリゾートも人間の幸福というものと大いに関わっていますが、葬儀や墓の問題はそれ以上に幸福に直結していると考えたからです。

 

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   『ロマンティック・デス~月と死のセレモニー』 (1991年10月15日刊行)

 

 

 本書は「死」と「月」と「葬」をめぐるロマン主義が炸裂した本です。カバー表紙には、満月が岩山を照らす幻想的なイラストが使用されています。また帯には、「幸せな『死』を求めて」「空前のスケールで、新しい『葬』を提案する!」「死は決して不幸な出来事ではない! これが新時代の葬儀・墓地だ! 死にはじまる物語をかくも雄大に、かくもロマンティックに構想した例はない。あらゆる人々に夢と希望を与える光の書!!」と書かれています。『ロマンティック・デス~月と死のセレモニー』の目次は以下の通りです。

 

 

序論「死のロマン主義に向けて」

 

第1部「死」

  ●臨死体験と死の受容
  ●臨死体験の法則
  ●天国の発見
  ●臨死体験と人類の進化
  ●日本人の臨死体験
  ●神秘体験、脱魂、エクスタシー
  ●重力とスピード
  ●宇宙体験の真実
  ●死後の生活
  ●死の本質

 

第2部「月」

  ●月と日本人
  ●月と詩心
  ●詩とロマン主義
  ●月とファンタジー
  ●月とユートピア
  ●瞑想とナルティック
  ●月と文明
  ●月の魔力
  ●バイオタイドと生命コントロール
  ●月と進化
  ●月と神
  ●月の先住者
  ●人類はどこから来たのか
  ●月と輪廻転生

 

第3部「葬」

  ●死と月
  ●不死と月
  ●月とイニシエーション
  ●月中の織女
  ●ムーン・ハートピア
  ●ホモ・フューネラル
  ●葬儀と先祖供養
  ●葬式仏教と葬式無用論
  ●ブッダの真実と葬式有用論
  ●墓地と葬法
  ●月面聖塔
  ●月への送魂
  ●月の神殿と大本教
  ●石と塔
  ●石の秘密
  ●21世紀の葬儀と神秘学
  ●『青い鳥』と『銀河鉄道の夜』
  ●古代神殿文化の復活
  ●臨死体験と葬儀
  ●死のイメージ・トレーニング
  ●瞑想する死想家
  ●ハートピアのプレゼンテーション
  ●葬儀のディズニーランド
  ●葬斎場の思想


あとがき


参考文献一覧

 

 

 序論「死のロマン主義に向けて」の冒頭に、わたしは次のように書いています。


 「私は、死を美化したいと思った。死は美しくなければいけないと思った。なぜなら、われわれは死を未来として生きている存在だからである。未来は常に美しく、幸福でなければならない。もし死が不幸な出来事だとしたら、死ぬための存在であるわれわれの人生そのものも、不幸だということになる。私はマゾヒストではないから、不幸な人生を送りたい。幸福な人生を送りたい」


 これは、当時28歳だったわたしの魂の叫びであり、現在まで続く想いです。この後、わたしは「死」にまつわるブッダとイエスのエピソードを紹介してから、次のように述べています。


 「私は、人生には美が必要であると思う。美のない人生には、潤いがない。そして、人生に潤いを与える魔法として、形容詞というものがある。『私は生きる』という名詞と動詞だけの文章と、『私は美しく生きる』のように『美しい』という形容詞を加えた文章との間には、大きな潤いの差がある。まさに、言葉の魔法、言葉の錬金術だ。われわれの社会は、形容詞を必要としている。心の時代へと社会が移行していくハート化社会とは、形容詞化社会でもある」


 「美しい」「豊かな」「平和な」「楽しい」、そして「幸福な」といった形容詞で、90年代当時さまざまな分野でのデザインが試みられていました。しかし、死について見てみると、「美しい死」「豊かな死」「平和な死」「楽しい死」「幸福な死」というものはデザインされていませんでした。そこで、「私は死ぬ」から「私は美しく死ぬ」へのデザインが必要でああると思ったのです。「死のデザイン」について、わたしは次のように述べています。


 「死をデザインする者は、フューネラル・ビジネス、つまり葬儀産業である。これは葬祭のみならず、墓地なども含んで、広く『葬』を扱う産業全体として捉えるべきだろう。場合によっては、僧侶などの宗教者も含んでよい。われわれの日常生活の中に死のイメージが強く入り込んでくるのは、葬式や墓参りの時ではないだろうか。もちろん毎日のように死と向き合う医師などは別にして、われわれの多くは、葬式や墓において死に触れるのである」


 それでは、葬式や墓とは何か。わたしは述べています。


 「葬式や墓は死者と生者がコミュニケーションするメディアであり、死のイメージをコントロールする仕掛けであると言える。しかし、依然として日本の葬式は『悲しみ』の演出に終始しており、墓は不吉な死の影が漂う悪霊たちの住処である。要するに、どちらも陰気で怖いイメージがあるのだ。これで死のイメージが幸福になるはずがない」


 続いて、わたしは葬式と墓について個別にその問題点を論じています。まずは葬式について、以下のように述べています。


 「葬式について考えてみると、たしかに『悲しみ』の演出も必要だろう。死は不幸な出来事ではないが、悲しい出来事ではある。誰だって、親や子供や恋人が死んだら、悲しいはずだ。私も、悲しい。しかしその悲しさとは、実は死そのものの悲しさではなく、愛する者と別れる悲しさなのである。死そのものの悲しさと別れの悲しさとを混同してはならない。今後の葬式は、別れの悲しさとともに、美しい死、幸福な死を演出していくべきだろう」


 墓についても、わたしは次のように述べています。


 「墓について言えば、すべては遺体や遺骨を地中に埋めたことに問題が集約される。人間の遺体や遺骨が土に還ることは、エコロジーの視点から見ても正しい、と私は思う。しかし問題は、生き残った人間の方にある。死者が地中に埋められたことによって、生者が『地下へのまなざし』を持ってしまったのだ。人間は死んだら地下へ行くというイメージを持ってしまったのである」


 この「地下へのまなざし」について、さらに次のように述べます。


 「『地下へのまなざし』は当然、地獄を連想させる。われわれは死後、地獄などではなく、天国へ行かなければならない。人間は死ぬと、まず地獄へ行くなどと説いている宗教団体や宗派は、はっきり言って脅迫産業以外の何ものでもない。『地獄へ落ちたくなければ、浄財を出せ』と信者を脅して、金を巻き上げるのである。われわれは天国へ行くために『地下へのまなざし』を捨て、『天上へのまなざし』を持たなければならない。そして、21世紀の墓地こそは、その仕掛けとならなければならないのである」

 

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   本書は鎌田東二氏に捧げられています

 

 

 「葬式や墓が変わることは、死のイメージが変わることであり、死生観が変わることである」と訴えるわたしは、本書において具体的に新時代の墓と葬式のヴィジョンを示しました。それが「月面聖塔」であり、「月への送魂」です。


 夜空に浮かぶ月に「万教同根」「万類同根」のモニュメントとしての「月面聖塔」を建立し、「月への送魂」によって地球から故人の魂を送るというロマンティックな計画は「ムーン・ハートピア・プロジェクト」と名付けました。アイデアの源は、宗教哲学者の鎌田東二氏です。本書を書く直前に鎌田氏と「葬儀」をテーマに対談させていただいたのですが、そのときに鎌田氏が「月にお墓を作ればいいと思うんですよ」と発言し、その一言がわたしにインスピレーションを与えてくれたのです。その感謝の想いを込めて、本書の扉には「鎌田東二氏に捧ぐ」という献辞を記しました。なお、鎌田氏との対談内容は本書の姉妹編というべき対談集『魂をデザインする』(国書刊行会)に収められています。

 

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   『イメージ・シンボル事典』アト・ド・フリース著(大修館書店)より

 

 
 月面聖塔のデザインについても考え抜きました。じつは、高名な建築家などにも設計を依頼したこともあります。しかし結局は、世界最古のメソポタミア神話に出てくる「月の神」の造形に由来を求めました。わたしは、最も古いものには普遍性があると考えているからです。また、輪廻転生の基地として新しい生命が宿るという「宇宙卵」の意味も含めています。

 

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   『ロマンティック・デス~月と死のセレモニー』(国書刊行会)より

 

 

 いま、月面聖塔のデザイン図を見直すと、やはり唐突な印象は否めません。いつか、造形美術家の近藤高弘さんにデザインしていただきたいです。


 月は日本中どこからでも、また韓国や中国からでも、アメリカからでも見上げることができます。その月を死者の霊が帰る場所とすればいいのではないかと思います。これは決して突拍子もない話でも無理な提案でもなく、古代より世界各地で月があの世に見立てられてきたという人類の普遍的な見方を、そのまま受け継ぐものです。世界中の古代人たちは、人間が自然の一部であり、かつ宇宙の一部であるという感覚とともに生きていました。そして、死後への幸福なロマンを持っていました。その象徴が月です。人類は、月を死後の魂のおもむくところと考えたのです。


 月に人類共通の墓があれば、地球上での墓地不足も解消できますし、世界中どこの夜空にも月は浮かびますから、それに向かって合掌すれば、あらゆる場所で死者の供養をすることができます。また、遺体や遺骨を地中に埋めること、つまり埋葬によって死後の世界にネガティブな「地下へのまなざし」を持ち、はからずも地獄を連想してしまった生者に、ポジティブな「天上へのまなざし」を与えることができます。そして、人々は月を霊界に見立てることによって、死者の霊魂が天上界に還ってゆくと自然に思い、理想的な死のイメージ・トレーニングを無理なく行うことでしょう。 

 

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   『ロマンティック・デス~月と死のセレモニー』(国書刊行会)より

 

 

 また、「月面聖塔」へ向かって、つまり月へ向かって故人の魂を乗せたレーザー光線を放つ儀式が「月への送魂」です。多くの民族の神話と儀礼において、月は死、もしくは魂の再生と関わっています。いつも形が変わらない太陽と違って、規則的に満ち欠けを繰り返す月が、死と再生のシンボルとされたことは自然でしょう。

 ブッダは、満月の夜に生まれ、満月の夜に悟りを開き、満月の夜に亡くなったとされています。ミャンマー、タイ、スリランカといった東南アジアの上座部仏教の国々では今でも満月の日に祭りや反省の儀式を行います。仏教とは、月の力を利用して意識をコントロールする「月の宗教」だと言えるかもしれません。

 仏教のみならず、神道にしろ、キリスト教にしろ、イスラム教にしろ、あらゆる宗教の発生は月と深く関わっています。月は「万教同根」のシンボルなのです。


 また、わたしたちの肉体とは星々のかけらの仮の宿です。入ってきた物質は役目を終えていずれ外に出てゆく、いや、宇宙に還っていくのです。宇宙から来て宇宙に還る私たちは、宇宙の子なのです。そして、夜空にくっきりと浮かび上がる月は、あたかも輪廻転生の中継基地そのものと言えます。人間も動植物も、すべて星のかけらからできている。その意味で、月は生きとし生ける者すべてのもとは同じという「万類同根」のシンボルでもあります。


 かくして、わたしは月に「月面聖塔」を建立し、レーザー光線を使って、地球から故人の魂を月に送るという計画を思い立ったのです。レーザー光線は宇宙空間でも消滅せず、本当に月まで到達します。その後、わたしは「霊座」という漢字を当てました。レーザーは霊魂の乗り物だと思っています。


 「月への送魂」によって、わたしたちは人間の死の一つひとつが実は宇宙的な事件であることを思い知るでしょう。「月への送魂」こそは、グローバル時代における新しい葬儀の「かたち」ではないでしょうか。


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   「ムーン・ハートピア・プロジェクト」には大きな反響がありました

 

 

 『ロマンティック・デス』は、予想をはるかに超えて多くの読者を得ました。「ムーン・ハートピア・プロジェクト」にも大きな反響があり、多くのテレビ・新聞・雑誌で取り上げられ、海外のメディアからも取材が相次ぎました。


 現在、「宇宙葬」が大きな関心を集めています。宇宙葬とは、いわゆる散骨の形態の1つで、故人の遺骨などを納めたロケットを宇宙空間に打ち上げます。初の宇宙葬はもう15年以上前に行われました。アメリカに本社を置くエリジウム・スペース社は、宇宙葬を今までよりも安く提供し、より多くの人にサービスを届けようとしています。低価格の宇宙葬はアメリカで大ヒット商品となり、日本にも上陸してきました。


 同社のトマ・シベCEOは、元NASAの技術者で、なんとハッブル望遠鏡の開発者でもあります。宇宙ビジネスのサイトの取材を受けた彼は、宇宙葬を開始した理由を「多くの人にとって宇宙葬はとても真新しい経験だということはわかっています。それでも死後美しい宇宙空間に行くことは人間にとって意義深いことではないでしょうか。 そう思った私達は、宇宙葬を誰もが利用できるようにするべく、アメリカと日本で事業を始めました」と語っています。


 また、「宇宙葬が日本人の葬送の文化にどのような影響をもたらすと考えていますか?」との質問には、トマ・シベCEOは次のように答えています。


 「私が調査したところ、日本人の中に最も早く宇宙葬を考えた人物が1人います。一条真也という作家で、1980年代にとても素晴らしい本を書いています。 彼は日本の葬儀の未来に対してビジョンを抱いていました。死というものを地上から天へと解き放つ時期が来た、と。死に対する価値観を変えていくという面で、私は彼に共感し『よしやろう』と思いました。人は死後、宇宙や月に行き、意義深く詩的な最期を迎えるということです」


 なんと、彼のインタビュー記事を読んでいたら、「一条真也」という名前が登場したので、非常に驚きました。そして、しみじみと感動しました。『ロマンティック・デス』の中で、わたしが述べた「死のロマン主義」にNASAの重要人物が共感してくれた事実に。そして、彼が起業した宇宙葬のビジネスが実際にアメリカで大成功した事実に・・・・・・。


 それにしても、『ロマンティック・デス』はなんとも奇妙な本でした。「あとがき」の冒頭には、「やはり、私はロマン主義者なのだと思う」と書かれています。

 それでは、ロマン主義とは何か。鎌田東二氏によれば、ロマン主義は主に以下の9つに分けれます。(1)根源性の追求、(2)全体性の回復、(3)結婚=恋の技法(産霊の業)、(4)認識の根拠としての感性、身体、イマジネーション、インスピレーション、イントゥイション、インサイト、メディテーション、行の重視、(5)太古の叡智(智慧)の再獲得、(6)有機体学、総合学への志向、(7)万教同根的精神、(8)個と民族の自己認識の学としての霊学と民俗学の誕生、(9)詩(芸術)と宗教と学問(哲学、科学)の一致、などです。


 どれも、わたしにとっての重要なテーマばかりであり、どれ1つとして外すことはできません。このリストを初めて見たとき、なぜ鎌田氏は自分のテーマをすべて知っているのかと不思議に思ったくらいです。その意味で、わたしは筋金入りのロマン主義者だと言えるのではないかと思います。


 しかし、「ロマン」やも「理想」も実行に移さなければ何の意味もないとして、わたしは次のように述べています。


 「現実と関わっていかないロマン主義者など、机上の空論をもてあそぶ夢想家にすぎないのである。臨死体験者は死後の世界から、宇宙飛行士は宇宙空間から、それぞれこの地上に戻ってくる。単にあちら側に行くことが重要なのではなく、あちら側で普遍的なものに目覚めて、こちら側に帰ってくることが重要なのである。彼らはいずれも、現実の世界の中で精一杯に、そして幸福に生きており、普遍思想のメッセンジャーとしての役割を果たしている。私も徹底的に現実と関わっていく精神を忘れず、行動するロマン主義者であり、理想主義者でありたいと思う」


 そして、「あとがき」の最後にわたしは次のように書きました。


 「現在、私は28歳である。あと50年は生きるつもりだ。この世に『生』を受けた瞬間から、私は『死』に向かって一瞬も休まずに突き進んでいる。だから、残された50年を幸福に生き、幸福に死にたい。これは私だけではなく、誰もが願うことだろう。あらゆる人々が『死のロマン主義』を必要としているのだ。『死のロマン主義』は日本だけの問題ではない。全国家、全宗教、全人類にとっての文明史かつ文化史的問題なのである。月面聖塔の建立、月への送魂の実現、葬儀のメルヘン化、生者と死者との理想的コミュニケーションの構築・・・・・・私は、これらのテーマに死ぬまで、また死んだ後も関わっていきたいと思う。そして、『死のロマン主義』の確立によって、この世に心の理想郷ハートピアが生まれると信じている」


 この文章を書いてから22年以上が経った今も、わたしはまったく同じように考えています。なお、本書はハードカバーで440ページもありますが、わたしは1ヵ月にも満たない超スピードで書き上げました。自分の頭で考えて書くというより、何かのデータベースにアクセスして、それをダウンロードするという感じでした。わたしは神仏に書かされたと思いましたが、まことに得がたい経験でした。わたしにとって生涯忘れられない一冊です。