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歴史の遺訓に学ぶ』

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No.1365

 

 『歴史の遺訓に学ぶ』渡部昇一×堺屋太一著(致知出版社)を読みました。 「日本を拓いた偉人たち」というサブタイトルがついています。 保守の論客である堺屋太一、渡部昇一の両氏が「日本を拓いた偉人たち」をテーマに繰り広げる談論風発の対談が展開されます。聖徳太子や源頼朝、徳川家康、大久保利通など、国家の基礎を築いた先人から、岸信介や池田勇人など戦後日本を導いたリーダーまで、各時代の偉人27人に焦点が当てられます。

 

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    本書の帯

 


 本書の帯には渡部・堺屋両氏の顔写真が使われ、「歴史を振り返る。そこに日本の未来が見える」と書かれています。アマゾンの「内容紹介」には以下のように書かれています。

 

「『織田信長に新国立競技場をつくらせれば、500億円でつくったに違いない』(渡部氏)『光源氏が示した「トップは何も決定しない」という悪しき伝統が、現在まで受け継がれている』(堺屋氏)など、該博な知識と鋭い歴史観に基づき、現代の世相を斬る両氏の手際に目を開かれることも少なくないだろう。さらに、日本衰退の要因をつくった官僚の姿も語られ、現在の日本がいかにしてつくられたかが功罪両面から浮き彫りにされていく。その史実を踏まえた上で二人は、これからの日本に何を望み、どのようなリーダー像を求めるのか。歴史を正しく辿ることで、そこに日本の確かな生き筋が見えてくるに違いない」

 著者についてですが、渡部昇一氏は昭和5年山形県生まれ。30年上智大学大学院西洋文化研究科修士課程修了。ドイツ・ミュンスター大学、イギリス・オックスフォード大学留学。平成13年から上智大学名誉教授。著書は専門書の他に『知的生活の方法』(講談社)、『国家の実力』『「修養」のすすめ』(ともに致知出版社)など多数。 堺屋太一氏は昭和10年大阪府生まれ。35年東京大学経済学部卒業、通産省入省。45年日本万国博覧会を企画、開催。53年通産省を退官、作家として執筆、評論、講演活動に入る。平成10年小渕惠三内閣で経済企画庁長官に就任。その後、東京大学先端科学技術研究センター教授などを歴任し、23年大阪府(及び市)特別顧問に就任。25年安倍内閣の内閣官房参与に就任.著書に『団塊の世代』(文藝春秋)、『知価革命』『日本を創った12人』(ともにPHP研究所)など多数。

 

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    本書の帯の裏

 


 本書の「目次」は、以下のような構成になっています。

 

「まえがき―偉人を綴る日本の歴史の楽しさ」堺屋太一

プロローグ―対談の前に

第1部 日本の基礎を築いた偉人たち     

1 日本の黎明期に輝いた古代・中世の偉人たち   

2 国づくりのビジョンを示した近世の偉人たち   

3 近代日本を開いた愛国心あふれる偉人たち

第2部 戦後日本を発展させた政治・経済・文化のリーダー   

1 マッカーサーによる日本統治の功罪   

2 戦後日本の高度成長を実現した政治のリーダー   

3 経済大国・日本を牽引した経済のリーダー   

4 日本の繁栄を潰した官僚たちの功罪   

5 戦後日本を明るくした作家・司馬遼太郎の功績

第3部 日本の進路を見定める     

1 戦後とはどういう時代だったのか   

2 これからの日本を構想する   

3 これから求められる日本のリーダー像

「あとがき―歴史の遺訓の再発見」渡部昇一

 

 「プロローグ―対談の前に」の冒頭、堺屋氏は以下のように述べます。

 

「今日は『日本を支えた偉人たち』というテーマで対談をするわけですが、私はかつて『日本を創った12人』(PHP新書)という本を出したことがあります。そのときは、聖徳太子、光源氏、源頼朝、織田信長、石田光成、徳川家康、石田梅岩、大久保利通、渋沢栄一、マッカーサー、池田勇人、松下幸之助を取り上げました。これに最近の人を追加するとしたら、阪急の小林一三、それからバブルをつくった紳士たち、その右代表として西武グループの堤清二・義明兄弟です。それから1990年以降の日本をつくった人としてセブン・イレブンの鈴木敏文、ソフトバンクの孫正義とユニクロの柳井正というような人たちが挙げられると思います」

 

 また、渡部氏も以下のように述べています。

 

「私も以前、『理想的日本人 「日本文明」の礎を築いた12人』(PHP研究所)という本をつくりました。そのときは聖徳太子、紫式部、西行、源頼朝、織田信長、徳川家康、松尾芭蕉、大久保利通、伊藤博文、松下幸之助、野間清治、岸信介の12人を挙げました」

 

 その後、以下のような対話が交わされています。

 

堺屋 いま挙げた人物の中で日本を発展させた人というと、織田信長、徳川家康、渋沢栄一、松下幸之助あたりはそうでしょうね。

渡部 異論はありません。

堺屋 ここに戦後の豊かな日本をつくった人という見方で何人か加えるとすれば、所得倍増計画をつくった池田勇人と沖縄を取り返した佐藤栄作、この1960年代に活躍した2人の政治家は偉かったと思います。産業界では松下さんのほかにトヨタ自動車の豊田英二さんと豊田章一郎さんですかね。松下さんは個人としても非常に素晴らしい人でしたが、その跡を継ぐような産業人はなかなか出てきませんね。

 第1部「日本の基礎を築いた偉人たち」の1「日本の黎明期に輝いた古代・中世の偉人たち」の冒頭で、堺屋氏は聖徳太子を取り上げ、以下のように述べています。

 

「聖徳太子という人は八宗兼学(日本の仏教の8つの宗派の教義を学んだ)といわれています。1人の人間が複数の宗教を信じてもいいという、日本独特の宗教観を生み出した。これは凄いことです。どこの国でも宗教に関しては排他的で、1つを信じたら他は信じてはいけない。ところが聖徳太子は、彼の政治的・時代的背景もあって、複数の宗教を1人の人間が同時に信じてもいいと言い出した。倫理観として複数の宗教を同時に認めてもいい、信じてもいいと世界で最初にいった。具体的にいうと、彼は仏教と神道を同時に信じてもいいといったわけです」

 続けて、堺屋氏は聖徳太子について以下のように述べます。

 

「これによって日本はあらゆる宗教戦争から逃れることができた。聖徳太子が神仏を共に認めたことが日本人の宗教観を圧倒的に刺激して、現在に至るも日本人は宗教戦争とか宗教対立というものが全く理解できないわけです。アラブとイスラエルの対立でも、宗教儀式の違いだけを語る。そういう話だけする。だから、聖徳太子によって宗教対立を超えたこと―これは日本人にとって非常に大きな幸せだと思います」

 渡部氏も、聖徳太子について以下のように述べています。

 

「堺屋さんがおっしゃったように太子は神道と仏教の両方とも尊敬するようなことを誰にも見える形でなさいましたが、神仏の祀り方は多少違っていたのではないかと思います。仏教は学問として大事に取り入れて、当時の仏教に求められていた国家鎮護という要素を非常に重んじたように思うんです。強いていえば、明治天皇が西洋の学問を認めたのと似たところがあったかもしれません」

 続けて、渡部氏は日本人の信仰について以下のように述べています。

 

「神道はこれという主張がありませんから、崇めるだけでいいわけです。なんといっても聖徳太子は天照大神の直系ですからね(笑)。ですから、神道については特別なことはする必要はなかったわけですが、太子は仏教のお寺に百官(官僚)を連れてお参りすれば、すぐそのあとで同じように神道の神社にもお参りする。それを庶民の側から見れば、まさに一番身分の高い人たちが神仏の両方を信じているという非常に強い印象を持ったと思います」

 日本という国を語る上において天皇の存在はあまりにも大きいですが、堺屋氏は天皇について以下のように述べます。

 

「日本の天皇家がなぜ天皇を出すのかという根拠はまさに神道神話にあるわけですから、それを否定してしまうとなぜ天皇家が天皇になるのかという理由がなくなってしまいます。蘇我氏のように皇位をうかがう者がいるときに、神道を否定するわけにはいかないんです。とはいえ、仏教は取り入れなければならないという状況があった。 そこで聖徳太子が考えたのが、1人の人間が複数の宗教を信じられるようにすればいいという途方もない哲学です。いくつ宗教を信じてもかまわないというのですから、神道はそのままに仏教を入れるということも可能になったわけですね」

 続けて、堺屋氏は「日本人と宗教」について以下のように述べます。

 

「これ以来、日本から宗教戦争というのはなくなるんです。織田信長が比叡山を焼き討ちしたことがありましたが、あれは比叡山が世俗に介入したから焼き討ちしただけで、宗教弾圧ではありません。実際に信長の家来でも天台宗を信じている人もいれば、浄土宗を信じている人もいましたが、それをやめろと信長が命じたことはありません。 このように日本の歴史から宗教弾圧というものをなくした、そのきっかけをつくったのが聖徳太子ですね。その意味では、この日本国を平和にし、発展させるうえで、これほど重要な人はいないと思います」

 2「国づくりのビジョンを示した近世の偉人たち」の冒頭では、堺屋氏は織田信長を取り上げ、信長の築いた安土白の天守閣について言及します。セビリヤ万博で原寸大で再現した安土城の天守閣の五層は八角形になっていますが、堺屋氏は以下のように述べます。

 

「私は五層の朱塗りの八角形の中へ入って座ってみたんです。八角形の八面には障壁画として狩野永徳の釈迦十大弟子が描かれています。その中心に座ると不思議な気持ちになりました。普通であれば、真ん中に仏さんがいて人間が周りから祈りますね。ところが、そこでは仏さんが周りをぐるりと取り巻いて真ん中にいる私を見ているわけです。ぐるりから釈迦十大弟子に自分を祈らせる格好に造っているわけですね。そこへ入って初めて、信長っていうやつは凄い男だと思いました。神仏に祈るのではなく、神仏に自分を祈らせているわけですから、これは凄い。そこに座っていると、信長がどんな心境で日々を過ごしていたのかがわかるような気がしました」

 さらに堺屋氏は、信長について以下のように述べています。

 

「信長は安土城で相撲の興行をよくやりましたね。その第1回目の相撲興行が終わって、人がいっぺんに退散したらたちまち混乱して石垣から落ちて怪我人が出たんですよ。それで家来の丹羽長秀に『この次は怪我人が出ないようにしろ』と命令したんです。そうしたら奉行たちが集まって、道路を広げたらいいとか、橋を付け替えなきゃいかんとかいろいろ議論をして、『費用もかかるし、時間もかかるけれど、いかがいたしましょうか』と信長に具申すると、信長は『おまえたちは馬鹿だな。混乱するのはみんながいっぺんに帰るからだ。それを分散させる手を考えればいいじゃないか。最後に何か1つ付け加えれば、それを観るやつと観ないで帰るやつに分散するから混乱しないだろう』といって、弓取り式というのを考え出したわけです。確かに最後に弓取り式をやると、それを観る人もいれば観ないで帰る人もいますから混乱しないんですね」

 堺屋氏は「ハードではなくてソフトで解決する。これは天才的な発想だと思います」として、「信長に新国立競技場をつくらせれば500億円でつくったに違いない」とさえ言います。また堺屋氏は、日本を大きく変えた近世の偉人として、信長の次に徳川家康を挙げ、以下のように述べています。

 

「家康という人は、封建時代というものをよく理解していた人です。彼の旗印は『厭離穢土欣求浄土』でしたが、戦国武将の中で自分のビジョンを掲げたのは、織田信長の『天下布武』と徳川家康の『厭離穢土欣求浄土』だけです。武田信玄の『風林火山』というのは戦陣訓です。やはり戦国の二大巨人だと思いますね。そこへ行くと豊臣秀吉には天下を取ったときのビジョンが明確ではなかった」

 その家康のビジョンについて、堺屋氏は以下のように述べます。

 

「家康は明確に封建社会をつくろう、といっています。『厭離穢土欣求浄土』というのは、秩序のない社会が『穢土』で、封建社会の秩序ある世界が『浄土』ですね。それを若い、まだ三河にいる時代から旗印にしていたのですから、凄いビジョンの持ち主だと思いますね。 ただ、このビジョンは非常に保守的というか、守りの姿勢で発展的ではなかった。もし織田信長が天下統一していたら日本は大発展したと思いますが、代わりに外国の侵略を受けたり、大戦争が起こっていたかもしれません。徳川家康は豊臣秀吉の朝鮮出兵を撤収させて、守りの日本をつくりました。そういう意味では、それ以降の日本の260年の礎をつくった大人物です」

 さて、渡部氏は日本が世界に誇る文化遺産である『源氏物語』に言及し、この『源氏物語』の流行から始まったのが雛祭りであることを指摘し、「雛人形のきらびやかさは『源氏物語』の時代を仰ぎ見たものです。これが日本中に広がっていくわけですね。『源氏物語』は大名とか大金持ちの嫁入り道具にもなったくらいで、封建時代にあって特別なものでした」と述べています。

 また渡部氏は、家康について以下のように述べます。

 

「家康のもう1つの大きな仕事は、長子相続制度の確立です。関ヶ原が終わったとき、家康は『戦国時代は終わった』という認識に到達したと思うんです。そこで長子相続制度を決めるわけです」 「徳川の265年間の封建時代というのは、近代化する条件を整えていたわけですね。封建時代というと悪口ばかりいわれますが、世界中で発達した封建時代がない国では近代化は自発的に起こっていません。その意味でも家康みたいな有能な人が能力を無視した相続法を決めたというのは、とてつもない洞察力だと思います」

 さらに渡部氏は、石田梅岩の石門心学を取り上げて述べます。

 

「私は石田梅岩を2つの意味で高く買いたいと思うんです。1つは宗教を完璧に相対化したことです。だいたい宗教というのは、自分の信ずるお宗旨様というか教祖がいて、その教えに従うわけです。ところが石田梅岩は、宗祖とか教祖の教えではなくて、まず心があるというところから発想しました。心というのは『コロコロとした玉のようなもの』というのが語源だといわれます。人間には心というものがある、しかもそれはコロコロしたものらしい、三種の神器の1つに勾玉がありますが、勾玉みたいなものだとイメージしたわけですね。そして人間にとって重要なのは、そういう心という玉を磨くことである、と。その心を磨くための磨き砂は、儒教の教えでもいいし、仏教の教えでもいいし、神道の教えでもいい。あらゆる宗教が磨き砂になるといって宗教を相対化しているんです。こんな発想は世界にも類がないと思います」

 「宗教を相対化しているという意味では、聖徳太子を継承していますよね」という堺屋氏の発言に対して、渡部氏は以下のように答えます。

 

「そうです。それを徹底させたわけです。それからもう1つは、商人は決して武士に劣っていない偉いものだといっていることです。武士は殿様から禄をもらうだけだけれど、商人は自分で売ってお金をつくっているじゃないかと。当時は士農工商の時代で商人は一番下に置かれていましたが、そんなことはないといって梅岩は商業を肯定しているわけですね。だから日本の古い商家はだいたい石田梅岩の心学派になっていますね」

 そして、同じ大阪生まれである堺屋氏は、梅岩について語るのでした。

 

「要するに梅岩は仕事とは自分の心を磨く修行であると考えたわけですね。『諸業すなわち人生修行である』と梅岩は説いていますが、ここからは『人格が立派であれば生産活動に勤勉に携わるはずだ』という梅岩の考え方が見て取れます。こうした考えによって、生産性は無視して修行だと思って働け、という働き方が成立することになる。それが『遊んでいるのはもったいない』という勤勉の哲学になり、長い間、日本人の労働観を支えていたわけです」

 3「近代日本を開いた愛国心あふれる偉人たち」では、渡部氏が渋沢栄一を取り上げ、以下のように述べています。

 

「当時は『武士は食わねど高楊枝』と美談のようにいわれましたが、渋沢さんは『論語と算盤』を唱えて道徳と経済を両立させましたね。『論語』の中で孔子は金持ちになるのは悪いことだとはいっていないと指摘する一方、不義にして栄えるのはよくないといい、不義にして貧乏から抜け出すのも悪いといいました。これをいいかえれば、不義でなければどんな仕事も尊いものなのだといっているわけです。弁舌の士となってもいいし、馬の先払いになるような仕事でもいいと。孔子は職業の貴賤については全くいっていませんからね。ところが、士農工商の社会の中で育った武家上がりの人は商人を馬鹿にするところがありました。渋沢さんは、そんな武士上がりの人たちを威張らせなかったですよ」

 第2部「戦後日本を発展させた政治・経済・文化のリーダー」の2「戦後日本の高度成長を実現した政治のリーダー」では、堺屋氏が佐藤栄作を取り上げ、以下のように述べています。

 

「私が万国博覧会を日本で開いてはどうかということを提言したとき、万国博覧会という言葉を知っている人はほとんどいませんでしたからね。ところが、半年ぐらいたった頃、林義郎さんという、後に大蔵大臣になる通産省の先輩が、『池口君(本名)。佐藤さんのところに行かないか』といってくださったのです。林さんは佐藤さんと遠戚で山口県の下関の人だったんですね。それで連れて行ってもらったときに、『池田さんのやった東京オリンピックを上回るような行事はないかね』という話が出て、『それなら万国博覧会があります』と話したところ、『やってみろ。応援してやる』といっていただいたんです」

 

 故林義郎先生は生前、わたしたち一家も大変お世話になりました。弟の仲人も務めていただきましたが、大阪万博の仕掛人だったとは知りませんでした。そういえば今、2025年に大阪で万博を開催するという「2025年万国博覧会の大阪招致構想」が話題になっていますね。

 堺屋氏は「佐藤さんの第一の功績は、小笠原と沖縄をアメリカから取り返したことです。あれで日本という国の骨格が定まりました」として、沖縄について以下のように述べています。

 

「1972(昭和47)年の沖縄返還から40年以上経ちましたが、今や沖縄は東京都を上回るほど人口の増加する県になりました。日本で首都圏の1都3県を除いて、沖縄だけがどんどん人口が増えています。これはやっぱり観光の力なんです。当時、観光業なんて端の端。要するに頭脳機能は東京に集め、地方は製造業と農業という構造の中で、農業と製造業がなくて頭脳機能のない沖縄をどうしたらいいかというのは大きな問題でしたが、観光業は沖縄にぴったり合いました」

 3「経済大国・日本を牽引した経済のリーダー」では、堺屋氏は松下幸之助を取り上げ、以下のように述べています。

 

「松下さんは国民的英雄になりました。昭和30年代に子供たちの憧れは、まず松下幸之助でしたね。大きな企業を育てて金持ちになった人はたくさんいますが、国民的英雄になった人は松下さんだけですよ。そして、お金持ちになった人にはとかく批判が付き物ですが、松下さんにはほとんど批判がない。こういう実業家は世界中でもそう数はいないと思いますよ」

 渡部氏は松下幸之助を「哲人」と呼び、その理由を説明します。

 

「松下さんがなぜ哲人かといいますと、ここに私は非常に惹かれたのですが、彼は若いときに熱心な天理教の信者の知人に誘われて半ば無理やりに天理市にある天理教本部に連れていかれるんですよ。そして、天理で黙々と信者が働いているのを見るわけです。建物の掃除をしていたりするわけですが、それが無料奉仕だと聞いて松下さんは考え込んでしまうわけです。 何を考えたかというと、『あの人たちは宗教をよく信仰すればあの世の保証がある。死んでからの幸福を担保にしている。では自分はなんだろう』と。そして考え抜いた結果、自分は会社をつくって生きている人間に職業を与えて、社員に給料をやってその家族を食べさせてやれば、この世の中で生活を保証してやることができる。それが宗教の与える幸せに匹敵することじゃないか。宗教はあの世の保証だけれど、実業はこの世の保証になるのではないかという悟りを開かれたらしい」

 第3部「日本の進路を見定める」の1「戦後とはどういう時代だったのか」では、堺屋氏が「官僚主導の弊害」に言及し、以下のように述べています。

 

「官僚主導で日本はどのように変わったかというと、1つは規格大量生産の社会になりました。2番目には東京一極集中が進みました。それと関連して住宅は小住宅多部屋式にしました。東京には大きな住宅をつくってはいけないという国土政策を行ったんです。それを受けて住宅公団が極めて小さい、しかも2世帯が住めるような多部屋型の住宅をたくさんつくりました。同時に、持ち家政策を推進しました。 そして3番目に、教育政策として完全平等主義を柱として、生徒が学校を選ぶのではなく、学校が生徒を選ぶ形の強制入学制度を施行しました。競争排除のぬるま湯主義です。 この3つが戦後の日本のベースになりました。まさに90年代以後花開く戦後文化というのは、この官僚主導でつくられたんです。しかし、そうやって築いた日本は安全で無差別な社会になりましたが、同時に、冒険心やチャレンジ精神や勇気といった武人的徳目を全部排除する社会になりました」

 「防衛・外交」についても両者の間で激論が交わされ、渡部氏は「アメリカが日本を見捨てることもあり得ない話ではない」として、国防のための核武装に言及した上で以下のように述べています。

 

「アメリカは絶対に日本に核を持たせないでしょう。東京裁判のときにアメリカ人の弁護人が『我々は広島に原爆を投下した人の名を知っているし、それを計画した人の名を知っているし、その国の元首の名も知っている。そうした者たちが果たして日本を人道上の罪で裁けるのか』といったところ、ウェブ裁判長は『この裁判は日本を裁くためのものであって、アメリカは関係ない』といいました。そうしたらブレイクニー弁護人だったと思いますが、『いや、ある。原爆を落とした以上、日本はアメリカに原爆を落とす復讐権がある』といったんです」

 

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    『永遠の知的生活』(実業之日本社)

 


 本書では、さまざまな話題で渡部・堺屋両氏の対談は盛り上がりました。 「現代日本の二大賢人」とでも呼ぶべきお二人の対談は非常に勉強になりました。わたしは渡部氏とは『永遠の知的生活』(実業之日本社)で対談をさせていただく機会に恵まれ、そこで聖徳太子や石田梅岩についても語り合いましたが、堺屋氏とはまだお会いしたことがありません。ぜひ、堺屋氏の謦咳に接したいものです。そして、「知価社会」や「団塊の世代」について意見を交換させていただきたいと思います。