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未開社会の思惟(上下巻)』

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No.1214


 『未開社会の思惟』上下巻、レヴィ・ブリュル著、山田吉彦訳(岩波文庫)を読みました。1910年に刊行された本で、著者はフランスの哲学者・社会学者・文化人類学者です。1857年、パリ生まれ。エコール・ノルマル・シュペリュールで大学教育を受け、1879年に哲学のバカロレアに及第。1885年から1895年までリセ・ルイ・ル・グランで哲学の講座を受け持ちます。1895年にソルボンヌ大学の講師となり、近代哲学史の教授を務めました。1908年から教授に任ぜられました。1917年にはアメリカで近世哲学史を講じた後に、日本を訪れてアテネ・フランセで連続講演を行っています。1939年、パリで没しています。

 ブリュルは、もともとドイツ哲学が専門で、優れた哲学史家として認められていました。彼は道徳の問題に注目し、普遍的規範としての道徳を認めず、彼が「習俗の学」と呼んだ社会的事実としての道徳を研究することを提唱しました。彼は、ギリシア哲学以前に道徳や倫理がいかに発生したかという問題に取り組み、文明以前の「原始的心性」を措定しました。

 ブリュルは、この読書館で紹介した『初版 金枝篇』を書いたジェームズ・フレイザーのように未開社会が進化して文明社会となったとは考えず、文明社会の「論理」や科学的思考は、未開社会を理解する役には立たないと考えました。文明人が分析し判断するところで、未開人は綜合し「融即」するというのです。未開人は文明人のように論理的思考ができないのではなく、そのような心的習慣がないだけなのだというわけです。
 ブリュルの「未開人の言語は論理的概念の形式とではなく、神話的(魔術的)概念の形式と比較しなければ理解できない」という学説は、この読書館でも紹介した『人間』の著者であるドイツの哲学者エルンスト・カッシーラーの言語哲学に影響を与えています。

 わたしが読んだのは、1953年に刊行された岩波文庫版の復刻です。
 本書は、この読書館でも紹介したエドワード・タイラーの著書『原始文化』などと同じく、文化人類学の古典中の古典でありながら、長らく絶版で読むことができませんでした。国会図書館などでも、蔵書の痛みが激しく複写が禁じられている状態だったそうで、今回の復刻はありがたかったです。
 なお、訳者の山田吉彦というのは、『気違い部落』シリーズで有名な作家"きだみのる"の本名です。1985年(明治28年)に鹿児島県奄美大島に生まれた彼は、開成中学から慶應義塾大学に進学し、大学中退後にパリ留学。ソルボンヌ(パリ大学)で文化人類学者マルセル・モースに師事し、社会学・人類学を学んでいます。
 この『未開社会の思惟』の岩波文庫版の翻訳は旧字体で書かれていますが、小説家らしく流暢な訳文で読みにくくはありません。この書評での引用は、わたしが新字体に換えさせていただきます。

 本書の「目次」は、以下のような構成になっています。


「凡例」
「日本版序」
緒論
第一部 
第一章
原始人の知覚における集団表象とその神秘的性格
第二章 融即の法則
第三章 前論理の心性の作業
第二部
第四章 原始人の言語
第五章
原始人の算数
「引用書目」
第三部  (*ここから下巻)
第六章 原始諸制度と前論理の心性
第七章
原始諸制度と前論理の心性(続)
第八章 原始諸制度と前論理の心性(終)
第四分
第九章
上級型への過渡
「あとがき」
「引用書目」
「総索引」

 「凡例」では、訳者の山田吉彦(きだみのる)が、本書の原題を直訳すれば『劣等社会における心的機能』であるとし、以下のように述べます。


「訳本は前に小山書店から出したとき、ドイツ訳書の題名『原始人の思惟』、イギリス訳書のそれ『土人たちはどんな風な考え方をするか』を参照して『未開社会の思惟』とすることにした。
この変更はレヴィ・ブリュル氏が英訳を参考とするよう言ってきたこと、また私が本書の翻訳権を獲得し、翻訳を始めたとき、柳田國男先生が、この本は日本の民俗学者必読の書であるばかりでなく、万般の教養人に読まるべき本だと言われたので、原書の長い題より、本書の題にした方が日本の読書界には適切であるからと思ったからだった」


 ここで、日本民俗学の創始者である柳田國男の名前が登場しています。日本では1920年代からブリュルが紹介され、柳田國男はその著作を高く評価していました。本書の邦訳は、1935年に小山書店より刊行され、この岩波文庫版が出たのは1953年です。

 緒論1「集団表象」では、ブリュルは以下のように述べています。


「原始人の心はどのような指導原則を持つか。そしてこれらの原則は制度、慣習にどう現われてくるかを求める、これが先ずもって解かるべき問題で、本書の主題をなすのである。先人諸氏―諸国の人類学者、民俗学者など―の数々の著作がなかったら、またいま私が言及しておいたフランス社会学派の諸労作が私にいろいろと指針を提供してくれていなかったら、私はこの問題を解こうなどとは、またこの間を効果ある用語で立てることすら思いもよらないことであったろう。フランス学派が数々の集団表象について、例えば聖、マナ、トーテム、呪術、宗教者等の集団表象のように極く大切なものについて行った分析のお蔭で、原始人の間のこれらの表象の全体的な組織的な研究の試みがはじめて可能となったのである。私はこれらの諸労作に立脚して原始人の心的機構は、現代のわれわれの社会の個人について描写された日常散見のものとは一致しないと証明できた。私はこの相違がどんな点にかかっているかを決定し、かつ原始人の心に特有な最も一般的な諸則を立て得たと信じている」

 ブリュルのいう「現代人と原始人との相違点」あるいは「原始人の心に特有な最も一般的な諸則」とは何か。それは「融即律」という言葉で表すことができます。「融即律」は「神秘的融即」とも呼ばれますが、別個のものを区別せず同一化して結合してしまう心性の原理です。ブリュルは、未開民族の心性が文明人と本質的に異なることを示すために、この「融即律」という概念を導入したのです。原語は「participation」で、「融即」という日本語は山田吉彦による訳語です。この言葉には参加や出席という意味がありますが、「2つのものが同一のカテゴリーの中に入る」あるいは「直結する」というニュアンスを含ませています。哲学では、プラトンのイデア論の用語で「分有」という訳語に相当したために「分有の法則」と言われることもあります。

 第二章「融即の法則」では、「前論理の心性」として、ブリュルは以下のように述べています。


「『原始』心性の集団表象においては、器物、生物、現象は、我々に理解し難い仕方により、それ自身であると同時にまたそれ自身以外のものでもあり得る。また同じく理解し難い仕方によって、それらのものは自ら在るところに在ることを止めることなく、他に感ぜしめる神秘的な力、効果、性質、作用を発し或いはそれを受ける」

 たとえば、自分達が金剛インコであると云っている北部ブラジルのボロロの人たちの場合、金剛インコは自身に与えた名前ではなく、金剛インコとの類縁関係を意味しているのでもなく、本質的に自分たちは金剛インコと同一であると考えているといいます。ブリュルは、未開人が近代人からみて論理的な誤りを犯しているという説明ではなく、彼らが全く異なった思考をしていると考え、融即律という一種の思考のルールで説明しようとしました。ボロロの例では、金剛インコと自分たちを誤って見ている、つまり錯認しているのではなく、「本質上の同一性」なものとして見ているのだと主張しました。

 Wikipedia「融即律」には以下のように書かれています。


「このレヴィ=ブリュルの理論は、その後、文化人類学の調査研究によって否定されるに至り、晩年レヴィ=ブリュル自身は二分法を和らげて二つの心性の併存は人類に普遍的だと認めるに至った。
 後年クロード・レヴィ=ストロースは『野生の思考』において、未開人の思考と文明人の思考は本質的に異なるものではないと論じ、論理的思考に情緒内容が伴うことがあるのは未開人にも文明人にも等しくみられる心性であって、融即は未開人に特有の心性というにあたらないし、わざわざ融即と呼ぶ必要もないとしている。
 未開と文明とを排他的に区分するものとしての融即律は、文化人類学の中ではすでに批判を受けた概念であるが、集合的無意識の概念を提唱したスイスの心理学者カール・グスタフ・ユングは、現代人の心理において主体と客体が無意識に同一状態となる同一性の現象がみられ、これは『主体と客体が区別されていない原初の心的状態の・つまり原始の無意識状態の・生き残りに他ならない』のであって、未開人の心性の特徴である『神秘的融即』は現代人の無意識の中に受け継がれている、と論じた。ユングは『レヴィ=ブリュルが愚かな人々の攻撃に屈して「神秘的融即」の概念を撤回してしまったのは残念である』と述べて生涯この概念を捨て去ることはしなかった。
 近年、文化人類学でも、タンバイアのように、融即律を因果律と対照的でしかも補完的な世界に対する指向性として再評価する動きがある。また、融即律の議論は、認知心理学にも影響を与えている」

 さて、未開民族の心性を考える上で「霊魂」の問題を避けて通るわけにはいきません。ブリュルは「霊魂説」について以下のように述べています。


「霊魂説は、その源により近づいて、即ちその最も原始的な形の下のものを採って見れば見るだけ、よりつじつまの合う、また論理の見地からもより満足的な学説である、というのがタイラーお得意の考えである。更に後で新しい諸要素で複雑となり、より複合的な問題を解決しようと企て、一般化されたとき、この学説は混沌となり、当惑してしまう。その源では、それは完全に澄明である。何となれば、それは事実を前にした蛮人『哲学者』の素朴な反省の上にいわば強制されたようなものであるから。そしてこの哲学者がその仮説の中に見出した満足を、こんどは今日の学者は、この仮説が知的活動 ―それは常にその根本では同一で、そして事実が知性に訴える問題に答を与えるときその学者と同じく論理的必要によって働かされている知性― の自発的な普遍的な所産だとして同じ満足を味わっている」

 わたしは執筆準備を進めていた『儀式論』(弘文堂)の参考文献として本書を読んだのですが、第六章「原始諸制度と前論理の心性」の「漁」の項で、ブリュルは以下のように神秘的儀式について述べています。


「漁猟の後にも、狩の後と同じようにその生物の(あるいはその種族の)『精霊』を鎮めるため、その怒りを和らげるため、また、その好意を取り戻すために神秘的儀式が必要である。
『蝶鮫を捕えるやいなや、』とボアスは言っている、『漁師は歌を唄う。そしてその歌で、もがいている蝶鮫を慰め、それから殺すのである。』
 『研究の結果、』とヒル・トウトは言っている、『これらの儀式はサーリシュ族やその他の部族におけると同じように何時も贖罪的のものであるという考えに私は導かれた。それは、その十分な収穫が保証されるよう、魚の霊を(場合によっては植物のまたは果実の霊を)宥めるのが目的である。この儀式は、赦免を乞う行事から成っているというよりは望ましいものの豊饒を保証する祭りである。何となれば、もし、この祭りを敬虔な心持ちで謹んで行わなかった場合には、それらの『精霊』を怒らし、欲しいものに不自由する危険があるのだから』」

 また、ブリュルは「式祭儀」として、未開社会における儀式について以下のように述べています。


「狩猟、漁猟、戦に関する原始人の習俗は、我々はこれを理解できる。あるいは、とにかく、容易に理解すると信じている。というのは我々自身の社会にも一見それに類似した習俗があるからである。克明に守られて来ている農事の祭りもこの部類に属する。好意ある有力な仲介者の執り成しによって成功を求めようとする呪術というより宗教的性質の儀式もそうである。アイスランドの漁猟船は、パイムポルの港を出る前に必ず僧侶の祝福を受ける。でなければ、大半の水夫たちは、不漁で帰るか、あるいは、戻って来られるかどうか危いと懸念するであろう。また、スペインの海軍司令官は出勤の前に艦隊をマリアに捧げる。彼の乗組船員は、キリストの母が勝利を保証してくれるであろうと信ずる。しかし、劣等社会では類似した他の祭りが行われるが、我々には理解し難い。というのは求められる作用は、そこでは我々が求めるようなものではないのだから。こんな場合だと類比物がないので、類似から提示された説明というものは皮相な不十分なものだと我々は気づくのである。これらの儀式は前論理的で、神秘的な心性の本質を一番よく我々に把握させてくれるものである」

 ブリュルは「王の神秘力」についても言及しています。
 王の神秘力は、ときには死後までも続きます。一部族が、死んだ王たちと交通を続ける、あるいはむしろ、彼らと依然一緒にいるということは未開社会に広く見られた現象です。そして、そこには儀式の存在がありました。ブリュルは述べます。


「適当な儀式を通して行えば、トーテム集団、現存のあるいは故人となった巫医あるいは首長が、自然の秩序、常規範の繁殖を確実にし、あるいは発生さえさせ得ると認められたこの力は、神学者やある哲学者たちが、神の執り成しがなければ、創造された実在は、一瞬間たりとも存在し得ないと説いた『不断の創造』と、ある類似性がなくはない。実際、前論理の心性が表象しているものは、形式こそ洗練されていないが、同一類の融即である」

 続けて、ブリュルは以下のように述べます。


「原始心にとって、自然の秩序は、必要な神秘的能力を持つ人々によって行われる特殊の儀式を通して得られる週期的更新によってのみ保たれるのである。王が死ぬと、彼の後継者が権力を受け継ぐまで、社会の秩序は、乱れることがよくある。決位期は無支配期である。ただそこには次のような相違がある。即ち、不断の創造説にしたがえば、世界は、神によってのみ存在するものではあるが、世界が消滅する場合、神は、世界がなくとも存在するであろう。しかし、前論理の心性では、完全な相互関係がある。大体において、トーテム集団とそのトーテムの間に、そしてより文化の高い社会では、国民と、王統の間に総体的作用反応が存在する。それは先に述べた『神秘的共存感』であって、我々の論理的思考はそれを歪曲せずに明瞭に概念することは不可能であろう」

 第七章「原始諸制度と前論理の心性(続)」では、「死の原因」について以下のように述べられています。


「土人は、『死を自然原因の結果として理解することは全くできない』と観察者が言うとき、この言葉は、二つの推定を含み、そしてその間には区別を立てておいた方がよい。
 その一つは、死の原因は病気のそれのように何時も神秘的なものとして表象されるということを指している。またそれ以外にどう解釈され得よう。もしも病気という病気が、病人に働きかける、あるいは病人に取り憑く『精霊の作用』、『力』、『精霊』、『霊魂』の為す業であれば、病気の不幸な結果にどうして同じ原因が与えられないでいよう。前論理の心性に我々が『自然死』と呼ぶものの観念があったら、それこそどうにも説明がつかなくなろう。それは他に類似物のない特異な表象になるであろう。一番感動的な、そして恐らく一番神秘的なこの事象は全く不可解な例外として、他のすべてをなお包んでいる神秘の外包から解放されたということになる」

 ブリュルは「卜占」についても以下のように述べています。


「卜占は劣等型の社会では知覚の延長である。我々は我々の五感に感じない微妙なものを見るため、あるいは、我々の感官の欠如を補うために種々の器械を持っているように、前論理の心性は、自らは外に現われぬ神秘的要素およびその連繋関係を理解するために、まず何よりも、夢を、次に、卜杖、水晶、小骨、鏡、鳥の飛び方、神意裁判、その他、ほとんど無限に異なった手段を用いている。何でも腑に落ちるようにしたいという原始人の満足感は我々よりももっと命令的である。何となれば、世界についての我々の一般表象は、強いて言えば、現代物理科学の器械が提供した要素なしでも済まされぬこともない。この表象はその基礎的な諸点では、これらの器具の発見される前から構成されていたのである。これに反して卜占は前論理の心性にはその構造そのものから絶対的に不可欠である。神秘的要素とそれの神秘的連繋が集団表象の中で主位になればなるほそ、神秘的方法はそれらを知るために必要になってくる」

 第八章「原始諸制度と前論理の心性(終)」では、いよいよ「死」と「葬」について言及されます。「生者と死者」の冒頭で、ブリュルは、ずっと大昔から死者への苦労が中国社会の生者の重荷になっていたことを示し、以下のように述べています。


「カナダでは、『屍のある村の火事が起ったら、いの一番に安全な場所に移されるのは屍だ。人々は死者を飾るためには一番大切な所有物も割き与え、時には棺をあばいて衣更えをさせ、また、自らの食物を割いてその墓や、あるいは彼らの魂が迷っているとされる場所に運ぶ。・・・・・・墓穴では、死者の身体が土に触れないように土で覆う。遺骸は住居の、小屋よりもはるかに立派なそしてもっと装飾された皮張りの小屋室の中に納められる。』この種の慣習が普遍的であるということは、原始人の心性という見地からすれば容易に納得できる。彼らの眼からは死者は越えがたい深い淵によって距てられているのではない。そうではなく死者は絶えず生者と交通している。死者は生者に幸をまた不幸を授けることができるし、また生者から好意ある、あるいは不親切な取り扱いを受けられる。原始人にとっては死者と交通することは、彼が作用を受け、あるいは支配していると自負している『精霊』や、隠秘力と関係を持つこと以上に不思議には見えないのだ」

 未開社会の人々は生者と生活しているように、死者とも生活していました。
 ブリュルは「死者は、多種の融即を持つ社会の成員、その集団の集団表象がそれを一員としている共存社会の成員、しかも、非常に重要な成員である」と述べています。
 それでは、その死者を弔う葬儀はどのように行われたのでしょうか。
 ブリュルは「一番葬式」に以下のように述べています。


「葬礼の形式はどんなであろうとも、屍がどんな風に処理されようと、 ―土葬、火葬、台の上あるいは木の間へ置く風葬― かかる儀式の根本的特性は、我々が先に研究して来た儀式と同じように神秘的である、あるいは呪術的と言ってもよかろう。狩の根本的特徴が獲物に姿を現わさせ、その逃走を麻痺させ、盲目にする儀式に構成されるように、また治療上の本質的部分が、病の原因である邪霊の正体を顕わさせ、巫医にそれを追い出す力を授けるよう工夫された儀式から成っているように、死後の幾日かに行われる葬儀の本質は死者を、生者の社会から明白に断ち切る儀式である。葬礼は以後死者が生者の仲間に入ることを防ぎ、彼の同類の社会に彼を加えさせるのである。それは生者と死者との間のあらゆる関係が絶たれるからではない。そうでないことはやがて述べるであろう。しかしこれらの関係はやがて規定されてくる。定められた規則を守った酬いとして、死者は慰められて、何ものも、より以上に要求しないであろう。そして生存者は死者を恐れることも要らなくなる」

 最後に「入門式」について、ブリュルは以下のように述べています。


「幼児期につづく長い期間、普通幼児期から青年期あるいは少なくとも成年式まで、成長期の子供たちはほとんど全く母親に一任される。男は娘たちには構わない、息子たちに関しても、遊戯によって後年彼らの実際的仕事となるべきこと、即ち武器や道具の作り方と扱い方を教えるだけである。深く慈しまれ甚だしく甘やかされたこれらの子供たちは、社会集団の『完全な』成員ではない。彼らは最初の埋葬と喪を終了する儀式との間、死者が未だ『完了した』死者でないときのあの時期に対応する時期にある。そのとき死者は、体、少なくともその肉の部分が未だ全く腐敗しないで骨に附着しているため完全な死者ではなかった。同じ意味で、子供の体が成長し発達しつつある間は確定的に『生れた』のではない。彼の個人性は未だ完成されていない」

 本書を読んでいて、「劣等社会」という言葉に象徴される、西洋人の上から目線は不愉快でしたが、未だ文明化されていない人々の自然観、宗教観、言語などについて、ブリュルが社会学の方法で分類、整理したことは画期的であると思います。
 ブリュルは、タイラーやフレイザーとは違い、彼がいう「劣等社会」の人々の考え方を受け入れます。その上で、そのような考え方が、ヨーロッパ人の生活や風習の中にも、多くの痕跡を残していることを証明しました。その後の文化人類学に大きな影響を与えた著作ですが、世界中の多様な人々の暮らしを同じ視点で論じるという方法論自体が、彼が批判したタイラーやフレイザーと同じものではなかったでしょうか。いずれも近代西洋社会の知性で未開社会を論じたことには変わりなく、この時代の限界だったのでしょう。
 なお、わたしは本書をバリ島で読みました。わたしのブログ記事「トゥルニャン村」で紹介した「風葬の村」へ行った帰りのバスの車内で読了したのですが、内容に訪れたばかりの村の様子とマッチする箇所が多々あり、興味深かったです。