No.0837 冠婚葬祭 | 幸福・ハートフル | 神話・儀礼 | 経済・経営 『慈を求めて』 一条真也著(三五館)

2013.12.13

 新刊『慈を求めて』(三五館)の見本が届きました。
 サブタイトルは「なぜ人間には祈りが必要なのか」です。世界平和パゴダを背景にしたわたしの写真が帯に掲載され、「世界平和パゴダ再開!」「『慈』はあらゆる生きとし生けるものに注がれる!」と書かれています。「出版界の青年将校」こと三五館の中野長武さんが素敵な本に仕上げてくれました。感謝!

   なぜ人間には祈りが必要なのか

 本書は孔子文化賞受賞記念出版となった『礼を求めて』(三五館)の続編です。前作同様、国内最大ニュースサイト「毎日jp」のポータルサイト「風のあしあと」に毎月2回連載されている「一条真也の真心コラム」をまとめたものです。本書には、以下の40本の論考(のようなもの)が収録されています。

1.愛犬の死         
2.愛犬の墓            
3.おくりびとの日      
4.タイタニック号沈没100周年  
5.韓国葬儀事情          
6.ブッダの考え方     
7.新藤兼人監督の通夜      
8.グリーフケアとしての怪談    
9.「こころの再生」シンポジウム  
10.古代エジプト展        
11.オリンピックに思う   
12.世界平和パゴダ       
13.欧州葬儀事情       
14.礼は究極の平和思想    
15.伊勢神宮にて          
16.古事記ワンダーランド    
17.ダライ・ラマと科学者の対話   
18.台湾葬儀事情          
19.素晴らしきかな、冠婚葬祭!   
20.沖縄が日本を救う     
21.老人漂流社会        
22.團十郎さんの葬儀に思う     
23.山口昌男先生の思い出     
24.出光佐三と「人間尊重」      
25.黄金の国ミャンマー       
26.ミャンマーの火葬場と日本人墓地 
27.靖国神社で考えたこと      
28.首相公邸の幽霊        
29.命には続きがある        
30.シャボン玉とホタル       
31.知覧特攻平和会館        
32.「風立ちぬ」と「終戦のエンペラー」
33.儀式文化創造シンポジウム     
34.おもてなしと日本人        
35.出雲大社           
36.仏教文化交流シンポジウム     
37.禮鐘の儀            
38.宇宙葬              
39.月への送魂          
40.「慈経」の自由訳        

 今回は仏教関連のテーマが多いので、「慈」という言葉をタイトルに入れました。現在、わたしが社長を務める株式会社サンレーでは、北九州市門司区の和布刈公園にある日本で唯一のビルマ(ミャンマー)式寺院「世界平和パゴダ」の支援をさせていただいています。世界平和パゴダは第二次世界大戦後、ビルマ政府仏教会と日本の有志によって昭和32年(1957年)に建立されました。その目的は「世界平和の祈念」と「戦没者の慰霊」です。

 ミャンマーは上座部仏教の国です。上座部仏教は、かつて「小乗仏教」などとも呼ばれた時期もありましたが、ブッダの本心に近い教えを守り、僧侶たちは厳しい修行に明け暮れます。現在の日本は儒教の影響が強く「礼」という思想的遺伝子を共有しているはずの韓国や中国と微妙な関係にあり、国際的に複雑な立場に立たされている。

 わたしは、ミャンマーこそは世界平和の鍵を握る国ではないかと思っています。「慈悲の徳」を説く仏教の思想、つまりブッダの考え方が世界を救うと信じているのです。「ブッダの慈しみは愛をも超える」と言った人がいましたが、仏教における「慈」の心は人間のみならず、あらゆる生きとし生けるものへと注がれます。

 わたしは今、上座部仏教の根本経典である「慈経」の自由訳に全身全霊で取り組んでいます。そのため、「慈」というものについて毎日考えています。

 今年9月に上梓した著書『死が怖くなくなる読書』(現代書林)で、わたしが取り上げた「死」の本は、いずれも「人間の死」についての本でした。例外は、人魚の死を描いたアンデルセンの『人魚の姫』、異星人の死を描いたサン=テグジュペリの『星の王子さま』です。他にも、わたしは新美南吉の『ごんぎつね』が子どもの頃からの愛読書です。『ごんぎつね』は狐にまつわる童話ですが、鶴にまつわる『つるのおんがえし』、鬼にまつわる『泣いた赤鬼』などの日本の童話も好きでした。それぞれ、最後には狐や鶴や鬼が死ぬ物語で、残された者の悲しみが描かれています。

 当然ながら、異星人も人魚も狐も鶴も鬼も人間ではありません。でも、彼らも人間と同じ「いのち」であることには変わりはありません。人間の死に対する想いは「人間尊重」としての「礼」になります。そして、あらゆる生きとし生けるものの死に対する想いは「慈」となります。「礼」が孔子的だとすれば、「慈」はブッダ的であると言ってもいいでしょう。

 じつは『礼を求めて』(三五館)では、「愛犬の死」および「愛犬の墓」という2本の原稿を収録しませんでした。この2本は、2010年8月に亡くなったわが愛犬ハリーについての文章であり、「礼」すなわち「人間尊重」をタイトルに謳う本に収録すべきではないと判断したからです。しかし今度は、「慈」すなわち「あらゆる生きとし生けるものへの慈しみ」ですから、改めて本書の冒頭に2本を収録することにしました。

 本書には、さまざまな話題が登場しますが、中でも世界平和パゴダ再開をはじめとしたミャンマー仏教関連のエピソードをたくさん書きました。また、「東アジア冠婚葬祭業国際交流研究会」のミッションで訪問した韓国や台湾の葬儀事情、同じく互助会保証の海外視察で訪問したオランダやベルギーの葬儀事情などは資料的には他に類書がありません。さらに、伊勢神宮、出雲大社、靖国神社、知覧特攻平和会館、ビルマ日本人墓地などを訪れたレポートにも力が入りました。「禮鐘の儀」、「宇宙葬」、「月への送魂」などの儀式文化におけるイノベーションについてもたっぷり紹介しています。

 「慈」という言葉は、他の言葉と結びつきます。たとえば、「悲」と結びついて「慈悲」となり、「愛」と結びついて「慈愛」となります。わたしは、「慈」と「礼」を結びつけたいと考えました。すなわち、「慈礼」という新しいコンセプトを提唱したいと思います。「慇懃無礼」という言葉があるくらい、「礼」というものはどうしても形式主義に流れがちです。また、その結果、心のこもっていない挨拶、お辞儀、笑顔が生れてしまいます。

   「慈礼」とは、「慈しみの心」に基づく「人間尊重の形」

 逆に「慈礼」つまり「慈しみの心に基づく人間尊重の形」があれば、心のこもった挨拶、お辞儀、笑顔が可能となります。サンレーの経営理念「S2M」の1つである「お客様の心に響くサービス」が実現するわけです。今後も、わたしは「慈礼」を追求していきたいと思います。
 なお、わたしにとっての「慈」とは、月光のイメージであることを告白します。

   「礼」を求めて「慈」の心に気づく

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