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カフーを待ちわびて』

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No.0729

 

 『カフーを待ちわびて』原田マハ著(宝島社文庫)を読みました。

 カバー表紙には、エメラルドグリーンの海と赤いブーゲンビリアの花の写真が使われています。ここは明らかに沖縄の離島。そう、この小説の舞台は沖縄の小さな島なのです。ちなみに「カフー」とは「果報」であり、「いい報せ」とか「幸せ」を意味する与那喜島の方言です。


 カバー裏には、以下のような内容紹介があります。


 「もし絵馬の言葉が本当なら、私をお嫁さんにしてください―。
 きっかけは絵馬に書いた願い事だった。『嫁に来ないか。』と書いた明青(あきお)のもとに、神様が本当に花嫁をつれてきたのだ―。
 沖縄の小さな島でくりひろげられる、やさしくて、あたたかくて、ちょっぴりせつない恋の話。選考委員から『自然とやさしい気持になれる作品』と絶賛された第1回『日本ラブストーリー大賞』大賞受賞作品」


 その「日本ラブストーリー大賞」の以下の特別選考委員の人々が、次のようなコメントを寄せています。


「ゆっくりと芽生えゆっくりと育む そんなあったかいラブストーリーです」

・・・・・(シンガーソングライター)大塚 愛

「主人公の不器用さが、ずっと自分の中に在ったものとリンクしていて、何だかすごく愛おしく思えた」

・・・・・(俳優)成宮寛貴
「沖縄の離島の空気感やゆったりとした時間の流れが、心憎いほど鮮やかに描写されている」

・・・・・(作家)桜井亜美

「ドラマ作りのツボをよく心得てると思います。大賞にふさわしい力作でした」

・・・・・(作家・漫画家)柴門ふみ


 この物語からは、沖縄のゆったりとした雰囲気が伝わってきます。半分冗談で絵馬に「嫁に来ないか。幸せにします。」と書いた明青でしたが、幸という美しい女性が実際に彼のもとを訪ねてきます。そこから物語は急展開し、ミステリーの香りさえ漂ってきます。


 ただ、読んでいて「ちょっと、これは無理があるだろう」といった御都合主義な部分があったことは残念でした。もちろん、この作品が著者の作家としてのデビュー作であることを考えれば、じゅうぶんに合格点に達しているのでしょうが、その後『本日は、お日柄もよく』『キネマの神様』、そして『楽園のカンヴァス』のような大傑作を書いたことを知っているだけに、本書に少々物足りない思いを感じたのは事実です。


 また、何人かがアマゾンのレビューに書いていますが、この小説、ちょっと後味が悪い。詳しく書くとネタバレになりますが、幸があまりにも可哀想でした。リゾート開発に関するくだりは生々しくて、せっかく本書が持っている「ゆったり感」を壊してしまいますが、明青の幼なじみでリゾート開発の会社に勤めている俊一が石川県の能登半島のリゾートを手掛けており、これから明青の住む沖縄の離島を開発しようとしていることには興味を抱きました。なにしろ、石川も沖縄もわが社の重要な営業エリアですし、能登半島も八重山諸島もわたしにとって大切な場所ですから・・・・・。


 本書はラブストーリーですが、明青と幸の他に、"おばあ"という老女が大きな存在感を示しています。おばあは、民間の拝み屋、つまり霊能者なのですが、「七月(シチグヮチ)」と呼ばれる沖縄最大の年中行事であるお盆で、ご先祖様を墓に迎える案内の祈りを行います。おばあと明青と幸の3人は、亀の甲羅のような姿をした「亀甲墓」を丹念に掃除します。その後のくだりが、とてもわたしの心の琴線に触れました。以下の通りです。


 おばあは、昔このあたりの風習だった洗骨の儀式や「別れ遊び(ワカリアシビ)」について話をした。死者を悼み、死してなおともに遊ぼうという「別れ遊び」の風習に、幸はことのほか興味を示した。


 「ずうっと昔は、死んだ人墓ぬ中から出してきて、うぬ庭ぃ座らせてな。口に酒ぃふくませて、マンナアシワヤー(一緒に遊びましょう)と言って、三線(サンシン)弾いてなぐさめたのさ」
 竹箒をゆっくりと同じリズムで動かして、幸が聞いた。
 「死んだ人と、遊んだの?」
 おばあはこくりとうなずいた。
 「私ぁぬ長男(チャクシ)も、そうしてやったよ」
 竹箒を動かす幸の手が、ぴたりと止まった。おばあはそれきり黙ってしまった。
 幸は墓室のほうを振り返った。
 あの小さな扉の前に死者を座らせる。それを囲んで、仲間たちが涙を晴らそうと、三線を弾き賑やかに唄い踊る。
 見たことはないが、明青の胸にもその遊びの様子が浮かんでくるようだった。それはあたたかく悲しい永遠の別れの場面だった。
 「幸せね、その死んだ人は」
 幸がぽつりと言った。それからは無心に竹箒を動かしていた。掃除が一通り終わると、おばあは、線香を12本、切花、酒を墓室の前に供えた。
   (宝島社文庫『カフーを待ちわびて』p.175~176)


 わたしは、『ご先祖さまとのつきあい方』(双葉新書)で沖縄の先祖供養について書きました。「守礼之邦」という言葉がありますが、沖縄人は「礼」というものを何よりも重んじます。礼において最も大事なことは親の葬儀であり、先祖供養です。沖縄人ほど、先祖を大切にする人々はいないのではないでしょうか。


 旧暦1月には16日(ジュールクニチー)、旧暦3月には清明祭(シーミーサイ)を行います。ともに墓参りの祭りです。最大の墓地地帯である那覇の識名(シキナ)の祭りも壮観ですし、糸満の幸地腹門中墓(コウチバラモンチュウバカ)では沖縄最大の清明祭が行われます。その他にも、旧暦7月の七夕(たなばた)と盆、それに何年かおきに行われる墓の年忌(ニンチ)が代表な先祖供養の祭りです。


 沖縄の人々は、先祖の墓の前で宴会を開きます。先祖と一緒にご飯を食べ、そこは先祖と子孫が交流する空間になります。髪を金髪に染めようが、暴走族に入っていような少年でも、先祖の祭りには必ず参加するそうです。その理由は、「自分が死んだとき墓に入れてもらえないと困るから、先祖に義理を果たさないと」というのです。


 子どもの頃からお墓で遊ぶことは、家族意識や共同体意識を育て、縦につながる行事です。本当にすばらしいことだと思います。本書『カフーを待ちわびて』は、そんな沖縄の人々の精神生活をよく描いていました。


 著者の講演会終了後に一緒に飲む機会がありましたが、そのとき「沖縄がお好きなのですか?」とお聞きすると、「はい、沖縄、大好きです!」と即答されました。なお本書は映画化され、DVDも発売されています。与那喜島の美しい海が印象的な映画でしたね。