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超常現象を科学にした男』

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No.0644

 

 『超常現象を科学にした男』ステイシー・ホーン著、ナカイサカヤ訳、石川幹人監修(紀伊國屋書店)を読みました。

 

 『幽霊を捕まえようとした科学者たち』という本の続編のような印象を受けました。同書はアメリカの心理学者ウイリアム・ジェイムズが主人公でしたが、本書は同じくアメリカの超心理学者であるジョゼフ・バンクス・ラインが主人公です。この2冊によって、19世紀以来の超常現象研究の歴史がつながります。


 本書のサブタイトルは「J・B・ラインの挑戦」となっています。また、帯には「これはオカルトではない!」「超心理学のアインシュタインとも言われた男の軌跡を、20世紀という激動の時代とともに描いた瞠目のノンフィクション」と書かれています。

 

 著者のステイシー・ホーンは1956年生まれのジャーナリストで、90年にニューヨークでソーシャル・ネットワーキング・サービスの先駆け的存在であるEchoNYCを立ち上げるという経歴の持ち主でもあります。


 本書の「目次」は、以下のような構成になっています。

 

「主要登場人物」

「プロローグ」

第1章:交霊会

第2章:ESP

第3章:名声と苦闘

第4章:戦争と死者

第5章:悪魔祓い

第6章:声なき声

第7章:ポルターガイスト

第8章:特異能力者

第9章:サイケデリックと冷戦

第10章:幽霊と科学者たち

第11章:遺産

「エピローグ」

「謝辞」「解説」

「年表――J・B・ラインと超心理学」

「参考文献」「索引」


 「プロローグ」の冒頭で、著者は次のように書いています。

 

 「怪談は魅力的だ。

 だが一般的に科学者たちは、超常現象の報告や、それらを厳密に研究しようという考えを軽蔑し続けてきた。しかし20世紀の前半、今までになく薄くなった現実というベールの下に、目に見えない力や波、粒子などを発見し、宇宙が膨張していることを科学が証明していった時代があった。そのごく短い期間、長らく〈超常現象〉としてカ学者たちがろくに調べもせずに片づけてきた事象に対し、科学的なアプローチが可能かもしれないという考えを受け入れる余裕が学問の世界に生まれた。このわずかな絶好の機会のあいだに、デューク大学は超心理学研究所を開設したのだった」


 研究所のリーダーの名は、J・B・ライン。かつて「超常現象のアインシュタイン」とまで呼ばれた人物です。1934年に刊行された著作『超感覚的知覚(ESP)』は世間に大きな衝撃を与え、ラインは一躍時代の寵児となりました。彼は、「超心理学」という新しい学問を確立しようとしました。超常現象を人間の発揮する能力によって引き起こされるものと考え、それを科学的に解明しようとする学問です。「超心理学」という言葉そのものは1889年のドイツで使われ始めたものですが、ラインが広く普及させました。

 また、ESP(超感覚的知覚)をはじめ、テレパシー(他人の心から情報を得る)、透視(物体など、心以外のものから情報を得る)、予知(未来を見る)、PK(念力、心で物体を動かす)などの各事象の定義は、すべてラインの研究から生まれたものです。


 ラインは、非常に多くの有名な人々と関わりがありました。

 たとえば、ノーベル賞物理学者のアルバート・アインシュタイン、社会派作家のアプトン・シンクレア、行動心理学者のB・F・スキナー、アメリカ大統領のリチャード・ニクソン、小説家のオルダス・ハクスリー、作家で「ホロン」の提唱者であるアーサー・ケストラー、そして心理学者のカール・ユングなどです。また、元ハーバード大学の心理学教授でLSDを世間に広めたティモシー・リアリーは、1961年にデューク大学を訪れ、ラインと研究所のスタッフ数人にシロシビンによるトリップを体験させています。かのヘレン・ケラーもラインと会いました。彼女は指をラインの唇に置いて、自分はたびたびESPを経験していると語りました。


 そして、ラインの研究は軍事にも影響を及ぼします。本書には、次のように書かれています。

 

 「陸軍と海軍は超感覚的知覚の動物実験を研究所に委託し、また空軍はESPマシンを作った。これは実験の一部を自動化した比較的簡単な構造のコンピュータである。ジェネラル・ダイナミクス社のような防衛産業が、政府の高等研究計画局の要請を受け、研究所の実験の進み具合を見学しに訪れた。鉄のカーテンの向こう側から、ロシアにも超心理学研究所があるとの情報が流れてきたとき、超心理学のマンハッタン計画が取りざたされたこともある。CIAはやがてマインドコントロールの開発に数百万ドルを費やすことになる」


 また、産業界もラインの超心理学研究所に興味を持ちました。早くも1938年の事典で、ラインはIBMとESPマシンを作る話をしており、当初IBMは非常に乗り気でした。AT&T,ゼニス・コーポレーション、ウェスティングハウスのようなアメリカを代表する大企業の代表者も、ラインと連絡を取っていました。彼らは、いつの日か現実世界で利用されるかもしれない「未知の精神的な力」についてもっと研究するための実験を試みたのです。

 高名な実業家にして自然科学者でもあったアルフレッド・P・スローンや、ゼロックスの創始者であるチェスター・F・カールソンらは、ラインの実験結果に興奮し、ポケットマネーでラインの研究所に投資しています。さらには、ロックフェラー財団もラインの研究所に財政援助を行っています。


 このように、J・B・ラインはまさに「時代の寵児」でした。しかし彼が確立しようとした超心理学という学問は、正統的な科学の手法を踏襲しているにもかかわらず、本流の科学者たちからはまともに相手にされませんでした。それでも、「少しばかり戦いが好き」だったラインは、ひたすら批判者たちに立ち向かい続けたのです。

 著者のステイシー・ホーンは彼の研究所が所有する700箱の資料を読み解き、関係者にインタービューしています。そして、ライン流超心理学の流れをたどり、ラインたちが生きた20世紀という時代を描いています。


 ラインの名前は、もちろん昔からよく知っていました。1992年に上梓した拙著『ハートビジネス宣言』(東急エージェンシー)では、「超能力マーケティングの可能性」という一章を設けて、ラインの研究について書いています。ラインというと、わたしにとっては「超能力研究の第一人者」というイメージでした。

 しかし、本書では心霊現象や悪魔憑きといったオカルトとされる現象にも多くのページが割かれており、非常に面白かったです。

 これについて、本書の「解説」で監修者の石川幹人氏は「ステイシーの興味の中心が『死後生存』にあったためか、ややそのテーマに比重が置かれている。従来の『ライン流超心理学は、ESPカードやサイコロの実験に終始した』という、よくなされる論調とは一線を画している。それがかえって、本書の大きな魅力となっている」と述べています。わたしも、まさに石川氏の言われる通りだと思いました。おそらく、実験を中心としたESP研究の歴史に特化していたら、きっと退屈きわまりない本になったことでしょう。


 実際、ライン自身の興味の発端は「超能力」ではなく、「死後生存」にありました。また、超心理学に資金援助を申し出た人々のほとんどは、死後生存研究を希望してのことでした。本来、ラインは「幽霊を捕まえようとした科学者たち」の1人だったのです。しかし、超心理学を学問として認めさせるためには、死後生存研究からは距離を置く必要がありました。ラインは、そのはざまで苦悩し続けたわけです。石川氏は、続けて述べます。

 

 「さらに本書では、超心理学の周辺領域に対し、ラインがどのように考え、そして行動したかが、みずみずしく描かれている。退行催眠やUFOなどのオカルトとされる現象、超能力捜査、ドラッグの効果から超能力の軍事利用まで、これまでラインの伝記的記述ではなかなか手がまわっていなかった側面に切りこんでいる。当時の有名人たちとラインとの関わりなどが随所に出てくるところは、本書の歴史的な価値も高めていると言っていいだろう」


 その当時の有名人についての記述の中でも、ひときわ興味深かったのが、アインシュタインとユングのそれです。まず、アインシュタインですが、彼が1回だけ参加した交霊会が完璧な失敗に終わったことが本書で明かされています。

 そのとき3年もブランクがあったオストージャという名の霊媒は、もう一度やらせてくれと頼みましたが、アインシュタインは多忙でした。「死後生存」を信じる人々は、きわめて影響力が強い科学者であり、かつ味方になってくれる可能性のあったアインシュタインに、強い印象を与えるという得難い機会を逃してしまったのでした。

 実際は、最初からアインシュタインを説得できる見込みはありませんでした。彼の秘書によれば、アインシュタインは「もし幽霊をこの目で見たとしても信じないだろう」と語っていたそうです。


 1940年、ラインはアインシュタイン宛の手紙を出しました。そこには、ラインが自分の事件結果を説明できるような「適切な物理額的仮説を見つけ出す困難さ」について述べています。それに対するアインシュタインの返答は、次のようなものでした。

 

 「(ラインの本を読んではいるが)正直なところ、問題となっているような現象が現実に存在するのか、私は懐疑的です。とはいえ、あなたが協力者とともに得た肯定的な結果への何の説明手段も持ちあわせておりません。どちらにしろ、私は関係する問題の解明に効果的な貢献をすることはできないように思われます」

 

 しかし、超心理学者ジャン・アーレンワルドのテレパシーに関する本を読んだ後、アインシュタインはアーレンワルドに次のように述べています。

 

 「あなたの本は私にとって、とても刺激的でした。そして、ある意味、この複雑な問題全体に関して私がもともと持っていたきわめて否定的な態度を和らげることになりました。人は目を閉ざして世界を歩んでいってはいけないのです」


 また、スイス人精神科医カール・ユングは、ラインと文通をしていました。ライン宛の手紙に、ユングは「魂が持つ時間と空間に関連する奇妙な性質にとても強い興味を持っている」と書きました。さらに、ユングは何よりも「特定の精神活動において時空の概念が消滅すること」に興味があり、心霊研究にも期待していると書いてきたのです。他の書簡では、ユングは自身の超常現象体験についても触れています。このユングの赤裸々な告白について、本書には次のように書かれています。

 

 「心理学者が、こんなにも簡単にESPを肯定してくれたのは初めてだった。しかもユングのような高名な学者である。しかしラインは、ユングに対して『我々は心についての仮説を「今のところ」何も持っていません。それがあれば、これらの事実を考察する際の手掛かりになるのですが』と認めざるを得なかった。ユングは励ますような返事を送ってきた。『これらの出来事は、単に現代の人類の頑固な脳では理解できないだけなのです。正気じゃない、あるいはイカサマだと捉えられる危険があります』


 そしてユングは、ラインに対して次のように述べたそうです。

 

 「私が見たところ、正常で健康でありながらそのようなものに興味を持つものは少数です。そして、このたぐいの問題について思考をめぐらせられるものはさらに少数です。私は今までの歳月における経験で確信を持つに至りました。難しいのはどのように語るかではないのです。どのように語らないかなのです」

 

 『ユング自伝』などを読むと、ユングは早い時期からESPやテレパシーの存在を確信していたことがわかります。しかし、アカデミズムの世界で心霊的概念を語る事は、あまりにも危険でした。そのために、ユングは「集合的無意識」という用語を作り出したとも言えるでしょう。人類の「こころの未来」を拓く可能性のある研究を「イカサマ」扱いされないために、ユングはラインに心あるアドバイスをしたのでした。

 ところが、ラインがユングの助言を聞き入れることはありませんでした。きっと、世間の偏見と闘い続けてきたラインには意地があったのでしょう。


 さて本書には、もう1人の高名な学者が登場します。文化人類学者のマーガレット・ミード女史です。1946年末、ラインはニューヨークのアメリカ自然史博物館に在籍していた彼女に手紙を書きました。ミードが専門とする文化人類学研究の過程で、超心理学的な出来事に遭遇しているかという質問を書いたのです。ミードは、心霊研究には共感するところが多いが、「わたしのフィールドワークの蓄積から言えば、未開社会でも超感覚的能力が発達した人は、我々の社会におけるのと同様に少数であると感じています」などと書いています。

 しかし彼女は、そのようなできごとには注目してきており、バリ島の幽霊やニューギニアの予知夢などについて説明しています。そのミードが、この手紙の23年後にラインの人生に大きな影響を与えます。

 1969年、超心理学協会は権威ある米国科学振興協会の加入メンバーになろうと、4回目の挑戦をしていました。ボストンでは米国科学振興協会の委員が投票の準備をしていました。全米矯正精神医学協会に続いて超心理学協会の加入が検討されたとき、予想通りに反対意見が出ました。

 1人の科学者が「このサイ現象と呼ばれているものは現実に存在せず、したがってこの分野での科学的研究などは不可能です」と言えば、もう1人が「我々は超心理学の何たるかを知らない。どうやら投票をする資格などなさそうです」と述べました。ここで、驚くべき出来事が起こります。本書には、次のように書かれています。

 

 「超心理学協会の加入問題は今までにも何度も何度も投票で否決されてきており、今回もまた否決で終わるようにみえた。ところがそこで、高名な人類学者であるマーガレット・ミードが立ち上がった。『過子10年にわたり、我々は科学を構成するものと科学的方法とは何か、そして社会はそれをどう使うのかについて議論してきました。盲検、二重盲検、統計。超心理学者はそれらをすべて使っています。すべての科学の進歩の歴史には、それまでの学問的権威がそこにあると信じなかった現象を調査研究した多数の科学者なしには語れません。私は我々がこの協会の研究を尊重する方向で、投票を実施することを提案します』」

 

 このミードの発言によって動議は可決され、超心理学協会はようやく米国科学振興協会に受け入れられました。ラインが創始した「超心理学」は、ついに科学の仲間入りをしたのです。それにしても、ミードの言葉には感動を覚えずにはいられません。これこそ、真の科学的精神の表明であり、真実を追求する学者の声です。

 

 1980年2月20日、ラインは84歳でその生涯の幕を閉じます。悲願であったESP解明の飛躍的前進は、とうとう起こりませんでした。ラインの死後、超心理学は低迷しましたが、今でもラインの後継者が細々と研究を続けています。本書の最後には、以下のように書かれています。

 

 「アメリカを代表する哲学者であり、米国心霊研究協会の初代会長であるウィリアム・ジェイムズは、『心理学、生理学、医学では、神秘論者と科学者の議論があり、結着がつくとき、たいてい神秘論者は事実について正しく、科学者は仮説において正しい』と述べている。死後生存の問題はまだ決着がついていない。

 超心理学研究所の物語は、手詰まりではじまり、手詰まりで終わる。

 実験はテレパシーを確認したが、広く受け入れられることはなかった。

 死後生存の証拠を探したが、証拠は決定的ではなかった。

 私たちが愛する人々はみんな死を迎え、去っていく。そして記憶よりも確かなものが残るのかどうかは、科学的には答えようのない問いである。

 最後に超心理学研究所の人々に残されたのは、プラットが言う『死後への恐れと、信じることの慰めのあいだの不安定な休息所』である。それはおそらく私たちすべてが、永遠に心のよりどころとしなくてはならない場所なのであろう」


 本書を読み終えて、わたしは無常観のようなものが心に浮かんできました。

 しかし、それは、暗いものではなく、なんというか爽やかな無常観です。未知の世界に挑戦する人間の姿に「爽やかさ」を感じたのです。

 

 本書は340ページ以上もあるハードカバーで、読む前は覚悟を必要とするかもしれませんが、読み始めると、翻訳のうまさもあって非常に読みやすく、一気に読了しました。

 また、ラインの代名詞である「ESPカード」の図柄を使用した装幀もセンスが良いですね。さすがは、紀伊國屋書店です。20世紀という時代を生き生きと描いたノンフィクションでもあり、ぜひ本書を多くの方々に読んでほしいと思います。