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幽霊を捕まえようとした科学者たち』

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No.0643

 

 『幽霊を捕まえようとした科学者たち』デボラ・ブラム著、鈴木恵訳(文春文庫)を読みました。

 

 文春文庫の海外ノンフィクションの1冊です。このシリーズは『フロイト先生のウソ』(R・デーケン著)を読んで以来です。どちらも読み応えがあり、素晴らしい内容でした。

 

 本書を書いたデボラ・ブラムは、米国ウィスコンシン大学マディソン校科学ジャーナリズム論教授で、サイエンスライターとして活躍しています。1992年には『The Monkeys Wars』(邦題『なぜサルを殺すのか』白揚社)でピュリッツァー賞を受賞しています。


 本書の表紙には、ベッドに寝ている女性の体から幽体が離脱しているという神秘的な絵が使われています。裏表紙には、以下のような内容紹介が書かれています。

 

 「19世紀半ば、欧米で心霊現象への関心が高まり降霊会がブームになった。多くの科学者が否定するなか、ケンブリッジ大を中心とするノーベル賞学者2人を含む研究会が、本気で幽霊の存在を証明しようとした。時に協力し合い時に見解の相違を見つつ、様々な心霊現象の解明に挑んだ彼らが行きついた『死後の世界』とは?」


 本書の「目次」は、以下のような構成になっています。 

 

前奏曲~タイタス事件~

1.ポルターガイストと幽霊屋敷

2.「科学vs宗教」の時代

3.ケンブリッジの三人組

4.サイコメトリー

5.死の間際のメッセージ

6.幻覚統計調査

7.テレパシーか、霊との交信か

8.エクトプラズム

9.よみがえった霊

10.死の予言

11.交差通信

12.終わりなき探求

「謝辞」

「登場人物小事典  ゴーストハンターズ、アンチ・ゴーストハンターズ、霊媒たち」

「心霊研究関連年表」

「原注」

解説「グレーゾーンを科学する」渡辺政隆


 本書には、いわゆる「サイキカル・リサーチ」と呼ばれる心霊研究の歴史が紹介されています。一連の「幽霊」研究の一環で手に取った本です。もともと、わたし好みのテーマだっただけに夢中になって読みました。

 

 ジャネット・オッペンハイムの名著である『英国心霊主義の抬頭』の続篇を意識して書かれたような印象でした。この本は、かつて角川学芸出版の取締役である宮川多可志さんにお会いしたときに知りました。宮川さんとは鎌田東二さんの紹介で知り合ったのですが、ちょうどこの本を鎌田さんに紹介されていたのです。興味を抱いたわたしは、すぐさま神保町の三省堂書店の精神世界コーナーに直行して購入、ハードカバーで600ページ以上もある同書を寝食を忘れて一晩で読んだ記憶があります。

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   本書の先駆をなす『英国心霊主義の抬頭』

 


 その続篇ともいうべき本書も、わたしの好みにマッチした内容で、読書中は至福の時間を過ごせました。19世紀後半から20世紀にかけて、アメリカとイギリスを中心にノーベル賞級の学者たちが心霊研究に没頭しました。

 主なメンバーは、ウィリアム・ジェイムス(実験心理学創始者)、ヘンリー・シジリック(功利主義哲学者)、アルフレッド・ウォレス(ダーウィンと共に進化論を発表)、レイリー・ストラット(ノーベル物理学賞受賞)、シャルル・リシュ(ノーベル生理学医学賞受賞)、ウィリアム・バレット(ケイ素鋼を発見)、オリバー・ロッジ(検波器を発明)、ウィリアム・クルック(タリウム発見と真空放電管発明)などです。さらには、2度にわたってノーベル賞を受賞したキュリー夫人も降霊会に登場していました。

 

 ノーベル賞そのものは1901年から始まったので、まだ生まれたてであり、現在ほどの権威はなかったと思われますが、それにしても当時の超一流の科学者たちが受賞したことは事実です。今からは想像もつかないような豪華メンバーが心霊研究を行っていたわけですが、当時はダーウィンの『種の起源』によって『聖書』の「天地創造」が明確に否定され、科学と宗教が対立していました。その狭間で、多くの科学者たちは「科学では説明できない人間らしさ」を探そうとしたのです。


 科学技術が大発展を遂げた19世紀後半において、彼らの行動は一見、心霊現象さえも科学の力で解明できるはずだという科学信仰に基づくのではないかと思わせます。

 しかし、彼らの行動の根底には、物理法則至上主義の科学が偏狭さに陥っていることへの反省、そして超常現象を科学で解明することで、「科学と宗教の架け橋」になろうという壮大な志があったのではないでしょうか。わたしは、そう思いました。

 まずイギリスで心霊研究会(SPR)が、次いでアメリカで心霊研究協会(ASPR)が設立されます。「ポルターガイスト」「エクトプラズム」「テレパシー」「サイコメトリー」「テレキネシス」といった用語は、この一連の研究から生まれました。

 世間の偏見の目と戦いながら、科学者たちは真剣に科学の力で「幽霊を捕まえようと」しました。しかし、現実は厳しく、95%は信頼のおけないデータでした。それでも、残りの5%の真実を求めて地味な実験を続ける科学者たちの姿には感動さえ覚えます。


 科学者たちの実験が地味な一方、霊媒たちのパフォーマンスは派手でした。彼らが開いた交霊会では、椅子が勝手に動き、ラッパがひとりでに鳴り、死者が出現しました。本書に書かれているフォックス姉妹、ダニエル・ダングラス・ヒューム、ヘレナ・ペトロ・ブラヴァッキー、フローレンス・クック、レオノーラ.エヴェリーナ・パイパー、エウサピア.パラディーノといった著名な霊媒師の調査報告は面白すぎる内容になっています。

 この中でも、ヒュームやパイパー夫人などは最後までインチキやトリックが見つかりませんでした。心霊現象ではなかった場合の唯一の可能性が集団催眠というのですから、その凄さは想像以上です。パイパー夫人の霊能力などは、ウィリアム・ジェイムスによって「真実」を意味する「白いカラス」と認定されたほどでした。

 本書には、科学者たちの「疑い」が「驚き」に変わっていく様子がよく描かれています。

 ちなみに霊媒たちが普及したスピリチュアリズムは「心霊主義」と訳され、これは一種の宗教的要素がありました。サイキカル・リサーチとしての「心霊研究」と「心霊主義」とは違うものであることを忘れてはなりません。


 さて、本書には多くの科学者や霊媒が登場しますが、なんといっても主役はアメリカ実験心理学の権威であったウィリアム・ジェイムズでしょう。哲学者でもあり、『プラグマティズム』や『宗教的経験の諸相』などの著書は有名です。

 じつは、本書の副題は「ウィリアム・ジェイムズと死後の世界の科学的探究」であり、最初からジェイムズを中心に書かれた本だったのです。

 そのジェイムズについて、本書の冒頭には次のように書かれています。

 

 「超常現象の重要性に関してほかの研究者と論争になった際には、科学というものは――電灯や発電機、電報や電話を生み出した19世紀の原動力ではあるが――不遜にもなれば、誤りも犯す、と冷静に指摘した。また、研究倫理の確立に熱心な雑誌《サイエンス》に、自分は科学者という言葉をうやうやしく使うのが嫌いだ、とも書いている。『その言葉が連想させるのは、科学とは宗教に反するもの、感情に反するもの』、現実の経験にさえ反するものだという『思いあがった偏狭な科学観である』と。

 ジェイムズのこうした姿勢は、大学の同僚たちの見解と相容れないことも多く、そうした同僚を、ジェイムズは"正統派"と呼ぶこともあった。彼の非正統性は自然に身についたものだった。めまいがするほど不安定な家庭で育ったジェイムズは、自分が生きる時代の文化的不安定さを肌で感じ取っていたのだ。

 時代は極度の道徳的不安定期にあった。宗教は明らかに科学に包囲され、科学技術が現実の法則を書き換えようとしているように見えた。

 そこになんらかの均衡を見いだすことは、変わりゆく世界に存在する意義を見いだすことであり、絶対に必要なことだと、ジェイムズには思えた」


 本書を読んで個人的に胸を打たれたのは、ジェイムズが三男ハーマンをわずか1歳で亡くしたくだりでした。ジェイムズと妻アリスは、猩紅熱に冒された幼いハーマンを7月9日に見送ります。そして、その2日後、ケンブリッジ墓地にあるジェイムズ家の墓所の小さな松の木の下にハーマンは葬られました。本書には、次のように書かれています。

 

 「ウィリアムとアリスは息子の棺を小さな白いフランネルの毛布でくるみ、それが地中におろされると、花と蝶でまわりを囲んだ。自分はかねがねそんな儀式は軽蔑していた、と、のちにジェイムズはおばのひとりに告白している。『でも、古くからの習慣には、どれも人間の要求がうまく表れているのだと、ふたりとも感じました』夫妻は息子を揺りかごに入れ、枝と葉でおおい、『そこに寝かせて』きたのだった。

 そしていま、この8月末の晩、ジェイムスはその借家に戻ってきて、おぼろな月の光の中にじっとたたずみ、はかない息子の命を思っていた。

 翌日、ジェイムズは従兄弟にこう書いている。『あの子には何かもっとすばらしい運命が待っているにちがいない』何か地上の生を超えた約束が」

 

 この幼い息子の死がジェイムズを心霊研究へと駆り立てたことは想像に難くありませんが、それにしても「古くからの習慣には、どれも人間の要求がうまく表れている」という言葉は葬儀や埋葬という行為の根拠にもなりうる名言だと思います。

 

 1910年、ウィリアム・ジェイムズは急性の心臓肥大で亡くなります。アメリカでもヨーロッパでも、その死は新聞でおごそかに報じられ、「現代のもっとも高名で影響力のあるアメリカ人哲学者」を失ったと伝えられました。弟の作家ヘンリー・ジェイムズは「言葉に尽くせないほど生き生きとしたすばらしい」存在であったと、兄への追悼の言葉を記しました。本書には、次のように書かれています。

 

 「ウィリアムの死後しばらくのあいだ、アリスとヘンリーは―とくにアリスは―彼が生きつづけているというメッセージを期待して、何人かの霊媒を訪ねた。スタンリー・ホールとの苦い出会いのあと、引退を表明していたレオノーラ・パイパーとは交霊会を行なわなかったが、ボストンのほかの霊媒との交霊会では、ヘンリーに言わせれば、死者の断固たる拒絶のほか、何も伝えられなかった。

 アリスは落胆したが、確信は揺らがなかった。霊的宇宙に生きるには『信じる意志』が何よりも大切だというウィリアムの考えが、昔から好きだった。『わたしは不死を信じています』と友人への手紙に書いている。ウィリアムが『無事に生き、愛し、働いており、わたしたちのそばから完全にいなくなったわけではない』と信じています」


 本書を読んで、わたしは「愛する人を亡くした人」たちの故人への思慕の強さを再認識しました。数年前に突如として流行した「スピリチュアル・ブーム」もすでに去りました。現代の日本では、「死者の霊」について語られる機会が減っています。それでも、わたしたち生き残った者は、けっして死者を忘れてはならないと思います。