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魂にふれる』

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No.0636

 

 わたしのブログ記事「『こころの再生』シンポジウム」に書いたように、11日に京都で「東日本大震災とグリーフケアについて」の報告を行ってきました。そのシンポジウムの内容と関連の深い本を読みました。『魂にふれる』若松英輔著(トランスビュー)という本です。「大震災と、生きている死者」というサブタイトルからもわかるように、東日本大震災の犠牲者を想いながら書かれた論考集です。著者は1968年生まれの批評家で、『井筒俊彦 叡知の哲学』『神秘の夜の旅』などの著書で話題を呼びました。


 本書の帯には「私たちが悲しむとき、悲愛の扉が開き、亡き人が訪れる。」と縦に書かれています。続いて、横書きで「死者は私たちに寄り添い、常に私たちの魂を見つめている。私たちが見失ったときでさえ、それを見つめ続けている。悲しみは死者が近づく合図なのだ。―死者と協同し、共に今を生きるために」とあります。


 本書は、以下のような三部構成になっています。

 

(1)

悲しむ生者と寄り添う死者

悲愛の扉を開く

協同する不可視な「隣人」―大震災と「生ける死者」

(2)

死者と生きる

1.死者に思われて生きる

2.コトバとココロ

3.没後に出会うということ

4.冥府の青

5.先祖になる

6.悲嘆する仏教者

7.死者の哲学の誕生

(3)

「うつわ」としての私―いま、『生きがいについて』を読む―

魂にふれる

「あとがき」


 本書に収められた最初の論考である「悲しむ生者と寄り添う死者」には、哲学者の池田晶子の「死の床にある人、絶望の底にある人を救うことができるのは、医療ではなくて言葉である。宗教でもなくて、言葉である」という言葉が紹介されています。

 これは2007年に急逝した女性哲学者の著書『あたりまえなことばかり』に書かれている言葉です。思えば、池田晶子こそは「哲学とは死の予行演習である」というプラトンの言葉を実践した人でした。そして、池田晶子は本書『魂にふれる』の版元であるトランスビューから多くの著書を刊行しています。本書『魂にふれる』には、彼女の「死者論」を受け継ぐという志が秘められているのではないでしょうか。


 池田晶子は、今や故人となった、つまり「死者」となった存在です。その死者の言葉を紹介した後で、著者は次のように述べています。

 

 「死を経験した人はいない。しかし、文学、哲学、あるいは宗教が死を語る。一方、死者を知る者は無数にいるだろう。人は、語らずとも内心で死者と言葉を交わした経験を持つ。だが、死者を語る者は少なく、宗教者ですら事情は大きくは変わらない。

 死者を感じる人がいても、それを受けとめる者がいなければ、人はいつの間にか、自分の経験を疑い始める。ここでの『死者』とは、生者の記憶の中に生きる残像ではない。私たちの五感に感じる世界の彼方に実在する者、『生ける死者』である」


 続いて、著者は死者の「魂に触れる」方法に次のように言及します。

 

 「魂は不死であると信じられていた時代、人は魂に触れ得ると信じていた。また人々にとって、魂を語ることは、すなわち死者に触れることだった。

 古代、歌を詠むとは、言葉によって魂を『振る』、即ち魂を動かし、触れる営みである。風が木の葉を『振る』ごとく、言葉は、魂に触れることができると信じられていた。そこに比喩を読みとってはならない。『魂振り』とは、そうした言葉の秘儀を示す表現である。

 万葉の時代、恋を歌う相聞歌は、死者への挽歌から生まれた、そう言ったのは白川静である。挽歌の底を流れるのは、言葉にならない呻きである。恋愛は、恋の一部に過ぎない。恋するとは、好意を超えて、全身を賭して相手を思う営みだった」

 

 わたしが下手な歌詠みであることは御存知の方も多いかと思いますが、下手は下手なりに故人の魂にふれるワザとして、さまざまな場所で鎮魂の歌を詠んできました。


 続く「悲愛の扉を開く」は本書の白眉であると言えるでしょう。じつは著者は、2年前に最愛の妻を亡くしています。その「愛する人を亡くした人」である著者が、大震災で生き残った人々に次のように語りかけるのです。

 

 「2011年の3月11日、君は大切な人を亡くした。

 その前年2月7日、ぼくも妻を喪った。

 君は、悲しみに深さがあることを知っているだろう。

 闇に飲み込まれそうに思えて、部屋の明かりをつけたままでなくては眠れないことだってあったと思う。今でも、ぼくは、起きると部屋の電気がつけっぱなしになっていることがある。悲しみは容易に癒えない。でも、ぼくは、彼女を喪ってはじめて、人を本当に愛することを知った。ぼくは、かつてよりも、ずっと人を愛おしく思う」


 悲しみは、どこから訪れるのでしょうか。著者はそれは「ぼくらの住む世界の彼方」から訪れるとして、次のように述べます。

 

 「悲しいと感じるそのとき、君は近くに、亡き愛する人を感じたことはないだろうか。ぼくらが悲しいのは、その人がいなくなったことよりも、むしろ、近くにいるからだ、そう思ったことはないだろうか。

 もちろん、姿は見えず、声は聞こえない。手を伸ばしても触れることはできない。ぼくらは、その存在を感じるのに、触れることもできず、その声を聞くこともできない、そのことが悲しいのではないだろうか。でも、ぼくらは、ただ悲しいだけじゃないことも知っている。心の内に言葉が湧きあがり、知らず知らず、声にならない会話を交わし、その人を、触れられるほど、すぐそこに感じたことはないだろうか。

 ぼくは、ある。

 人は死なない、むしろ死ぬことができない、そう言ったら、君は驚くだろうか。この世界には、死を経験した人間は1人もいない。死が消滅であるなら、ぼくらが経験しているのは、まったく違うことではないだろうか。ぼくらは、亡くなった人を永遠に失ったから悲しいのではなくて、その人々が永遠の世界から、ぼくらが暮らす、この世界に近づいてくるから、悲しいと感じられるのではないだろうか」

 

 この言葉は、わたしが普段から考えていることと同じでした。ですので、これらの言葉は、わたしの心に大きく響きました。


 本書は「死」について書かれたというよりも、「死者」について書かれた本です。死者とは、生きている人間にとって何なのでしょうか。著者は述べます。

 

 「死の経験者は皆無でも、死者は、万人の内に共に生きている。死者の姿は見えない。見えないものに出会うことを望むなら、見えないものを大切にしなくてはならない。

 それは、死者と君の関係においてだけでなく、君と君の愛する人のためにも、とても大切なことなんだ。目に見えず、耳に聞こえず、手に触れることのできないもの、さらに語り得ないものであっても、存在していて、それが人と人を結びつけていることを、いつも覚えていてほしい。見えないことと存在しないことは、まったく違う。空が曇っていて、太陽がよく見えないからといって、ぼくらは、太陽が消えたとは言わない。よく見えないだけで、太陽は雲の向こうで、いつもと変わらず輝いている。死者も同じだ。ぼくらがその姿を見失うことがあっても、彼らは、ぼくらに向かって光を放ち続けている」


 そして「悲愛の扉を開く」の最後を、著者は次のように締め括っています。

 

 「ぼくらの課題、それは生きることだ。そして、他者と悲愛によって結ばれることだ。それには、ときに困難が付きまとう。そのときは、祈ろう。祈りとは、願うことではない。むしろ、願うことを止めて、沈黙の言葉を聞くことだ。

 死者たちは、『課題』を残していなくなるのではない。死者は、『課題』のなかで、君たちと共に生きる、ひそやかな同伴者になる。

 死者と生きるとは、死者の思い出に閉じこもることではない。今を、生きることだ。今を生き抜いて、新しい歴史を刻むことだ。

 これからも死者は、悲愛の扉を開け、君が、君自身の生を生きることを促すために、大きくその扉を開け放つ。耳を澄まそう、扉が開く音が聞こえるだろう」

 

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    「隣人」の存在を見直す社会へ   

 

           

 「協同する不可視な『隣人』―大震災と『生ける死者』」には、「死者」と並んで「隣人」という言葉が登場します。わたしは『隣人の時代』(三五館)という本を書きました。そこで、現代社会に生きるわたしたちは「隣人」の存在を見直す必要があると訴えたわけですが、同書の刊行とほぼ同時に東日本大震災が発生しました。

 「隣人」というと生きている地域社会の人という意味にとらえるのが一般的でしょうが、著者がいう不可視な「隣人」とは「死者」のことでもあるのです。本書『魂にふれる』は基本的に死者論であり、ここではさまざまな視点と言葉で「死者」が語られています。死者を語るということについて、著者は次のように述べます。

 

 「死者をめぐる議論など無意味だ、現在苦しんでいる人々に、具体的にどう手を差し伸べるかが問題である。とする意見があることは理解できる。しかし、鎮魂の祈りを捧げる人間の傍らで、その言葉を発することができるだろうか。そうした言葉を口にするのがためらわれるのは、社会儀礼以上の何かによってではないだろうか。

 鎮魂という言葉がそもそも、肉体の死のあとにも、『魂』が存在することを告げている。『鎮める』あるいは『鎮まる』ものを一個の比喩だとみなすのは、心理学が登場した近代の考え方であって、それ以前の人間にとって『魂』は、物質と同じく、確固たる実在だった。現代に、『魂』を感じる力は失われてしまったのだろうか。鎮魂に意味を認める私たちは、どこかに『死者』の存在を感じているのであはないだろうか」


 さらに、「隣人」と「死者」をめぐって、著者は述べます。

 

 「『隣人』を置き去りにし、自分たちだけが身の安全を求めることに困難を感じるのは、むしろ当然である。被災した人々が、かつての土地を離れるには、死者たちの同伴が実感されなくてはならない。人々が『がれき』と呼ぶ、堆く積まれた物体は、被災者にとっては『遺物』である。それは外見上、一個の物体に過ぎないが、特定の個人に持たれることによって、異界への扉に変じる。

 しかしそれらは、来たるべき生活のために『棄てられ』なくてはならない状況にある。

 遺体、遺骨、あるいは遺品が死者そのものでないことを、遺族は感じている。

 だが、それは死者との交わりにおける起点であることも、同時に感じられている。

 死者の棲家ではない墓石を、私たちが大切に思うのは、そこが生者と死者が正式に会う待ち合わせ場所だからである。

 その地点は、次の約束がしっかりと交されるまで、失われてはならない」


 東日本大震災は大量の「犠牲者」という名の死者を生みました。「魂にふれる」すなわち「死者にふれる」ことの意義を説く著者は、次のように述べます。

 

 「死者に触れることなく、震災の問題の解決を求めることは、問題の大きな一側面を見失うことになる。もっとも深刻な被害を経験しなくてはならなかった1人1人が、数に置き換えられて記録され、記憶からは消されてゆく。死者を記憶するのは個々の遺族の役割であって、公で議論すべき問題ではない、との意見があるかもしれない。しかし、本当にそれでよいのだろうか。そうした社会常識をなぞっただけの態度が、死者を世界から消してきたのではなかったか」


 この後、著者はヴィクトール・フランクルの『夜と霧』を取り上げてます。ナチスの収容所で生き延びた心理学者の言葉を取り上げて、著者は次のように述べます。

 

 「人生の意味は、刻々と迫ってくる瞬間に、具体的に生きることの中にその姿を露わにする、とフランクルは書いている。別な表現をすれば、彼が『死者』たちに出会うのは、その存在を考えることによってよりも、彼が日々生きる、その行為の中においてである。『死者』たちは空をさまよっているのではない。『死者』は営みの中に自己を顕わす。行為のなかに死者を『見る』こと、生きることそのものが『死者』との交わりであり、協同であることを、フランクルの著作ははっきりと伝えている」

 

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   フランクルについても紹介しました

 


 わたしも『のこされた あなたへ』(佼成出版社)の「あとがきにかえて~別れの言葉は再会の約束」で、フランクルの人生と思想を紹介しました。

 「3・11 その悲しみを乗り越えるために」というサブタイトルがついていますが、同書も東日本大震災で生き残った方々のために書いた本です。愛する人を亡くした方々が死者の「魂にふれる」ための方法について、わたしなりに提言しています。

 

 本書『魂にふれる』の著者である若松氏は、次のように述べています。

 

 「死者との対話を願うなら、孤独を恐れてはならない。彼らは、私たちが独りのときに傍らにいるからである。死者との邂逅を願うなら、悲しみから逃れようと思わない方がよい。悲しみは、死者が近づく合図だからである。

 死者と共にあるということは、思い出を忘れないように毎日を過ごすことではなく、むしろ、その人物と共に今を生きるということではないだろうか。

 新しい歴史を積み重ねることではないだろうか。

 『死者』は肉眼で『見る』ことができない。

 だが、『見えない』ことが、実在をいっそう強く私たちに感じさせる。

 死者の経験とは、『見る』経験だけではない。むしろ、『見られる』経験である。

 死者は、『呼びかける』対象である以上に、『呼びかけ』を行なう主体なのである」


 さて、本書の第2部は、書き下ろしの「死者と生きる」です。最初は「死者に思われて生きる」という論考ですが、ここで著者は次のように書いています。

 

 「人は、いつか死ななくてはならない、そう言われれば、皆これを疑わない。実は死が何であるかを知らないにもかかわらず、死ななくてはならないということだけを押しつけられ、疑問を持つ前に受け入れるように教えられている。死を経験した人はいない。冷静になってみれば一目瞭然の事実である。

 『未だ生を知らず、いずくんぞ死を知らん』、生を知らないで、どうして死を知り得ようか、と孔子はいった。孔子は巫女の子供である、と白川静は書いている。彼は、宰相になることを願って放浪した思想家である前に、葬礼を司る祭司だったとも、白川は書いている。孔子は神秘を論じない。しかし、それを愛し、生きた。孔子は死を語らなかった。だが彼は、死者と共に生きたのである」

 

 ここで孔子が「葬礼を司る祭司」であったと紹介されているので、少し驚きました。『孔子伝』を著者も読んでいたのですね。


 「先祖になる」という論考では、「先祖」という名の死者が語られます。

 小林秀雄の著書『本居宣長』の話題から始めて、次第に柳田國男の著作の内容へと立ち入り、著者は述べます。

 

 「現代では『先祖』は、血縁に連なる関係を意味するが、柳田が論じるそれは、村あるいはそれに類する生活を共にする共同体へと広がっていく。祭りがそうした単位で行なわれるのはそのためである。祭りはいつも死者と結びついていた。死者と共に斎うのである。『斎う』とは、身と心を清くして、祭りを前に『心を静かに和やかにしている』ことであり、『その慎しみが完全に守られている』状態を『めでたい』といった。

 震災のあと、関東以西は花火を止め、祭りを自粛した。このような時期に騒ぎ立てるのは好ましくないというのである。だが、祭りだけはどうしても止めるわけにいかないと、これまで通り、もしくはそれ以上の深い思いと祈りを籠めて、それを執り行なったのは被災地の人々だった。死者の経験を強いられた人々は、『斎う』ことの本当の意味を、改めて全身で感じていたに違いない」

 

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    先祖の魂にふれる方法とは


 

 柳田國男の『先祖の話』は、わたしも『ご先祖さまとのつきあい方』(双葉新書)を書いたときに一番のテキストに使った本です。ここには、日本人の「魂にふれる」智恵が余すところなく語られています。若松氏は「悲嘆する仏教者」においても、愛妻ビアトリスを亡くした鈴木大拙を引き合いに出して、「先祖」について次のように述べています。

 

 「死者の追悼は、人間に『最高の感情』を呼び起こさせる。死者への儀礼があって感情が高まるのではなく、高貴なる思いが追悼の儀式を生む。日本人は先祖を『崇拝』しているのではない。それは愛する人を思うように『追慕』している、なぜなら『死者は決して死んでしまっていない』からである」


 鈴木大拙の生涯において大きな意味を持つ「死」が3つありました。愛妻の死、愛児の死、そして師である哲学者・西田幾多郎の死です。西田もまた愛する我が子を亡くすという悲しみの経験者でした。著者は、大拙と西田という日本を代表する巨人について次のように書いています。

 

 「大拙は、自分のなかに生きている西田の哲学を背負って、世界へと向かった。彼は道中、しばしば西田の随行を感じ、独り、友に話しかけたこともあっただろう。戦後、世界を舞台にした大拙の活躍は、近代日本の思想が世界と本格的に触れあった出来事として大きな意味を持つ。だが、その真実を見ようとする者は、死者である西田幾多郎がそこに『随伴』していたことを忘れてはならない。『法然は親鸞において生まれ変わって出たのである』、法然を西田、親鸞を大拙に変えれば、そのまま2人を活写する言葉になる」


 西田幾多郎といえば、日本を代表する哲学者です。そして、その思想は「絶対矛盾的自己同一」という有名な言葉によって代表されますが、著者はここにも「死者との協同」が見られるとして、次のように述べます。

 

 「過去は、『時間』として過ぎゆく。その事実はそのままに、また過ぎゆかない『時』として、現在に顕現する。未来は未だ来ないが、いまここにある未来として実在する。それが、『絶対矛盾的自己同一』の世界における『時』の実相である。人間の生死を問うのは、『時』の次元においてだと、西田は断言する。

 すでにいないはずの死者が、永遠の次元から現在に深く介入し、未だ死なない生者が、死者の世界と交通する。この出来事は、『我々が個物的なればなるほど、爾いうことができる』、すなわち、私たちが個人的経験をその深みに探るとき、いっそうはっきりと感じられる。この一節は、西田幾多郎の思索が、親族の死によって深化しただけでなく、死者との協同によって実現されたことを伝えている」


 第3部の「魂にふれる」で、著者は「見舞い」の問題に言及します。病む者に「元気になって」と声をかけることがいかに残酷なことであるかを説き、次のように述べます。

 

 「余命を感じている病者は、いわば中間世界に生きている。現実世界にありながら、実在の世界にむかって歩き始めている。それは古代の哲学者たちが語った、真実の存在を感じる地平であり、詩人たちが言葉を受け取る場所である。聖者が日々往復する道である。病者から発せられる言葉がしばしば、常ならぬ叡知を感じさせるのはそのためだ。彼らは、病室にありながら、異界からの風を感じ、万物とつながろうと心を躍動させている。

 『健康な』人間が、病者にむかって『元気になって』と言う。発言者は、励ましのつもりだろうが、病者にはそう聞こえない。元気になることが、関係を結び直す条件だと聞こえる。その言葉は、現実世界に戻ってくるには、『元気』になるほかないと、ほとんど暴力的に伝えているに過ぎない。それは、震災の被災者にむかって、感謝しているなら、その気持を金品で表わせというのと同じく冷酷な言葉である。

 そうなると言葉がない。と言い返されるかもしれない。だが、見舞いに行って、どうして病者を励まさなくてはならないのだろう。どうして被災者を鼓舞するところから始めなくてはならないのだろう。ただ黙して、そばにいる、それだけで十分ではないのか。話さなくてはならないと思いこんでいるのは見舞う者で、病者ではない。励まさなくてはならないと思いこんでいるのは、自分を『支援者』だと誤認している者だけだ」

 

 そして、本書のメインテーマである「死者」について、著者は述べます。

 

 「死者は、ずっとあなたを思っている。あなたが良き人間だからではなく、ただ、あなたを思っている。私たちが彼らを忘れていたとしても、彼らは私たちを忘れない。死者は随伴者である。彼らは、私たちと共に苦しみ、嘆き、悲しみ、喜ぶ。生者を守護することは、死者の神聖なるつとめである。死者は感謝を求めない。ただ生き抜くことを望むだけだ。死者は、生者が死者のために生きることを望むのではなく、死者の力を用いてくれることを願っている。死者を探してはならない。私たちが探すのは、自分が見たいと思う方角に過ぎない。おそらく、そこに死者はいない。ただ、語ることを止め、静かに佇んでみる。すると、あなたを思う不可視な『隣人』の存在に気がつくだろう。

 死者を感じたいと願うなら、独りになることを避けてはならない。それは、私たちに訪れた沈黙という恩寵である。死者はいたずらに孤独を癒すことはしない。孤独を通じてのみ知り得る人生の実相があることを、彼らは知っている。死者は、むしろ、その耐えがたい孤独を共に耐え抜こうとする。誰も自分の悲しみを理解しない。そう思ったとき、あなたの傍らにいて、共に悲しみ、涙するのは死者である。私たちは信頼し得る生者を信用するように、死者の働きを信じてよい。死者にとって、生者の信頼は無上の供物となり、死者からの信頼は、生者には慰めと感じられる」

 

 そう、死者とは目に見えない「隣人」のことだったのです! ここで、死者と隣人が見事にイコールの関係として示されたわけです。

 本書の最後の一文を、著者は「妻を喪い、悲しみは今も癒えない。しかし、悲しいのは逝った方ではないだろうか。死者は、いつも生者の傍らにあって、自分のことで涙する姿を見なくてはならない。死者もまた、悲しみのうちに生者を感じている。悲愛とは、こうした二者の間に生まれる協同の営みである」と書き終えています。

 

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   わたしも、何者かに用いられて書かされました

 


 さらに「あとがき」で、著者は「本書を書きながら、片時も離れなかったのは、何者かに用いられている実感である。確かに文字を刻むのは私だが、言葉は自分の内心とは異なるところから生まれていることが、はっきりと感じられていた」と書いています。

 この感覚は、わたしにもよくわかります。なぜなら、わたしも28歳のときに『ロマンティック・デス~月と死のセレモニー』(国書刊行会)を書き下ろしたとき、何者かの代弁者になったような感覚を覚え、440ページもの書をわずか1ヵ月にも満たない期間で書き上げた体験があるからです。たぶん若松氏も、若き日のわたしも同じ相手に用いられたのではないでしょうか。その相手の名は、ここでは「不可視の隣人」としておきましょう。

 

 それにしても、ここまで深く「死者」のことを考え抜いた本は読んだことがありません。大変な名著が誕生したというのが、わたしの正直な感想です。 「死者に触れることなく、震災の問題の解決を求めることは、問題の大きな一側面を見失うことになる」という著者の言葉を、わたしたちは重く受け止めねばなりません。