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澁澤龍彦 西欧芸術論集成』

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No.0055

 

  『書評集成』『映画論集成』『日本芸術論集成』ときて、ついに澁澤の得意分野の一つである『西欧芸術論集成』にまで行き着きました。上下巻で総計800ページ近いボリュームです。

 今年の4月20日に初版発行となっており、出来立てのホヤホヤの本ですね。出来立てだけあって、たいそう美味しゅうございました。(笑)

 ただ本書は文章のみで、取り上げられた芸術作品そのものが掲載されていません。これでは、やはり読むのがシンドイですから、わたしは澁澤龍彦が愛した作品を網羅した画集を傍らに読みました。

 『澁澤龍彦空想美術館』や『澁澤龍彦幻想美術館』といった立派な画集、作品集が、ともに平凡社から刊行されています。ちなみに2冊とも、生前の澁澤と親しく交流のあったフランス文学者・巌谷國士氏による編集あるいは監修となっています。

 さて本書『澁澤龍彦 西欧芸術論集成』は、登場する芸術家の生年に従って目次が再編集されています。そのため、一種の西欧芸術史として読むことができます。

 上巻では、13世紀から14世紀にかけて活躍したイタリア・シエナ派の巨匠であるシモーネ・マルティーネから、1900年生まれのシュルレアリストであるピエール・モリニエまでが紹介され、その人物と作品について澁澤が論じています。

 わたしは、特にロマン主義がどのようにシュールレアリスムに流れていったかというくだりが興味深く読みました。

 ダリ、マグリット、エッシャー、エルンストといったシュールレアリストたちの論考も面白かったですが、澁澤がピカソやシャガールについて語っていないのは意外でしたね。 上巻に収められた作家は19世紀内に生まれたというところで線が引かれており、下巻の作家はすべて20世紀生まれということになります。

 下巻のトップバッターは、ハンス・ベルメール。 少女の身体部分が思いがけない転位と接合を見せる関節人形作家にして、それを撮影する写真家でもあります。 澁澤龍彦の書斎に置かれた四谷シモンの人形に強い影響を与えたことで知られます。

 下巻のラストは、モーリス・ベジャール率いるベルギー国立20世紀バレエ団、ケネス・マクミランが演出振付した英国ロイヤル・バレエ団の話題から、「楽器について」「アイオロスの竪琴」「風について」というギリシャ神話に関連した3編の短いエッセイで締め括られています。 その中で、特に「楽器について」が秀逸です。

 このエッセイには、「芸術」そのものの本質が語られているような気がします。

 まず澁澤は、オランダの文化史家であるホイジンガの名著『ホモ・ルーデンス』を取り上げます。この本で「人間の文化は遊びとともに発達した」と主張したホイジンガは、次のように述べます。

 「音楽は人間の遊戯能力の、最高の、最も純粋な表現である。そこには何ら実利的目的はない。ただ快楽、解放、歓喜、精神の昂揚が、その効果として伴っているだけである」と。

 これに対して澁澤は、「まことにホイジンガのいう通り、音楽ほど純粋な芸術はなく、それは私たちを日常の現実から救い上げて、一挙に天上の楽園に運んでくれるものだろう」と感想を記しています。

 わたしも、つねづね、芸術の本質とは「私たちを日常の現実から救い上げて、一挙に天上の楽園に運んでくれる」ことであると思っていたので、わが意を得たりと思いました。

 ヨーロッパの中世の宗教画には、かわいい天使たちが手にいろんな楽器をもって音楽を奏でている場面が描かれています。 現代日本の結婚式場やチャペルのデザインなどにも、よく使われていますよね。

 澁澤は、その天使の楽器について、さらに「天上」というキーワードを重ねて、次のように述べます。

 「たしかに最高の音楽は、いわば天上的無垢、天上的浄福に自然に到達するものと言えるかもしれない。アンジェリック(天使的)という言葉は、たぶん、音楽にいちばんふさわしい言葉なのである」 英語でもフランス語でもドイツ語でも「遊ぶ」という言葉と「演奏する」という言葉は同じです。英語では「プレイ」ですが、日本語でも「遊ぶ」という表現は、古くは「神楽をすること」あるいは「音楽を奏すること」という意味に用いられました。

 ここで、わたしが思い浮かべたのは、日本映画「おくりびと」です。「旅のお手伝い」と記された求人広告は、「安らかな旅立ちのお手伝い」の誤植でした。その業務内容とは、遺体を棺に納める仕事だったのです。

 戸惑いながらも納棺師として働き出す主人公には、さまざまな境遇のお別れが待っていました。「死」という万人に普遍的なテーマを通して、家族の愛、友情、仕事への想いなどを直視した名作です。

 特に興味深かったのは、納棺師になる前の主人公の仕事がチェロ奏者だということ。 チェロ奏者とは音楽家です。すなわち、芸術家ですね。そして、芸術の本質とは、人間の魂を天国に導くものだとされます。

 すばらしい芸術作品に触れ心が感動したとき、人間の魂は一瞬だけ天国に飛びます。 絵画や彫刻などは間接芸術であり、音楽こそが直接芸術であると主張したのは、かのヴェートーベンです。

 すなわち、芸術とは天国への送魂術なのですね。わたしは、冠婚葬祭、とくに葬儀こそは芸術そのものだと考えています。 なぜなら葬儀とは、人間の魂を天国に送る「送儀」に他ならないからです。

 人間の魂を天国に導く芸術の本質そのものなのです。納棺師は真の意味での芸術家です。 そして、送儀=葬儀こそが真の直接芸術になりえます。「遊び」には芸術本来の意味があると述べました。

 古代の日本には、「遊部」という職業集団がいましたが、これは天皇の葬儀に携わる人々でした。 やはり、「遊び」と「芸術」と「葬儀」は分かちがたく結びついているのです。

 「おくりびと」を観て、わたしはそう思いました。 そのことを800ページにもおよぶ『澁澤龍彦 西欧芸術論集成』の最後のエッセイを読んだことで思い出し、さらにその思いを強くしたわけです。