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澁澤龍彦 日本芸術論集成』

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No.0052

 

 澁澤龍彦 日本芸術論集成』澁澤龍彦著(河出文庫)を読みました。

 

 本書は、全部で485ページの大冊です。

 ヨーロッパ文化に精通しているイメージの強い澁澤が、こんなに多くの日本文化についての文章を残していることが意外でした。

 第1章の「古典美術の世界」では、やはり浮世絵についてのエッセイが光っています。

 エロティシズムの大家である澁澤は、西欧のおびただしいエロテイツクな美術作品と、わが浮世絵とを比較します。

 澁澤によれば、西欧のエロティシズムは、サディズムと原罪という、二つの極のあいだを絶えず動いてきたといいます。

 つまり、西欧人にとっての快楽の条件とは、「禁を破る」ということだったのです。 ヨーロッパのエロティシズム絵画の画集を眺めていると、どこかに必ず神の目があることに気づくと、澁澤は述べています。

 一方、東洋の美術には、そんな暗さがありません。

 ペルシャもインドも中国の美術も、けっして暗くない。わけても日本の浮世絵の木版においては、繊細で精密な線描と平べったい色とが醸し出す一種の象徴主義において、独特な天上世界のエロティシズムが現出しているといいます。江戸時代の日本には、性のタブーやコンプレックスはなかったのですね。さらに澁澤は、浮世絵が実現したエロティシズムについて次のように述べます。

 「女の官能美――それも顔の表情や身のこなしから、にじみ出るようなエロティシズムの香りを、一つのフォルムとパターンによって表現したという芸術は、おそらく、日本の浮世絵だけであり、それは世界でユニークな、文化というものの、一つの達成と言い得るであろう。」

 第2章「現代美術の世界」、第3章「現代舞踏の世界」、第4章「演劇と芸能の世界」では、澁澤の同時代の天才たちとの交遊録が華麗に繰り広げられます。

 その面々は、版画家の池田満寿夫、画家の金子國義、人形師の四谷シモン、舞踏家の土方巽、演劇人の唐十郎といった錚々たるメンバーですが、その人物曼荼羅の中心には、三島由紀夫の存在がありました。

 作家というより劇作家としての三島由紀夫です。

 本書の終わりには、三島の戯曲「サド侯爵夫人」に対する澁澤の複雑な心情が綴られています。 三島と澁澤は、ともに時代の伴走者でした。特に昭和40年には最もしばしば二人は顔を合わせています。

 7月には、澁澤が高橋睦郎、横尾忠則、森茉莉とともに三島邸に呼ばれています。

 8月には、土方巽の稽古場で「バー・ギボン」の開店披露があり、二人が同席します。

 9月には、京橋の大映本社で、三島の映画「憂国」の試写会がありました。

 このように、互いに吸い寄せられるように頻繁に邂逅した二人ですが、最後には距離があったようで、澁澤は次のように書いています。

 「昭和三十一年に最初のサド選集(彰考書院版)を出したとき序文をもらったのが機縁となって、私と三島氏との交友が始まったとすれば、四十年における『サド侯爵夫人』(逆に私が序文を書いた)の完成は、この交友の最後の成就であったかもしれない、と今にして私は思う。なお死までには五年があり、その間、決して交友が断ち切られたわけではないが、すでにこのとき、三島氏は私を置いて、遠い世界へどんどん駆けて行ってしまっていたからである。」

 土方巽や笠井叡や唐十郎のパフォーマンスを絶賛した澁澤ですが、三島由紀夫が最後に命懸けで示したパフォーマンスについては次のように述べています。

 「三島氏の最後の行動を錯乱と名づけてよいかどうかは疑問であろうが、氏が持ち前の理性の劇に耐えてくれたならば、と思わずにはいられない。今日、理性は情念や感性にくらべて評判が悪いようであるが、人間を全体として眺めれば、決してそんなものであってよいわけがない。」

 本書には、古今東西の夥しい数の芸術家が登場します。その中には、凡人の常識からは逸脱した人々も少なくありません。

 その意味で、最も逸脱っぷりが激しかった三島こそは「日本の芸術王」ではないかという気もするのですが、その問題はまたいつか語ってみたいと思います。