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鬼と日本人』

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No.1938


 異界のイメージが漂う街・金沢に来ています。
 『鬼と日本人』小松和彦著(角川ソフィア文庫)を再読しました。「鬼とは何者か?」を問い、説話・伝承・芸能、絵画から縦横無尽に読み解いた本です。著者は1947年東京都生まれ。東京都立大学大学院社会人類学博士課程修了。信州大学助教授、大阪大学教授を経て、現在は国際日本文化センター所長です。わたしは、異色の民俗学者である著者の本はほとんど全部読んでいますが、一条真也の読書館『神隠しと日本人』『呪いと日本人』『異界と日本人』『妖怪学新考』『妖怪文化入門』で紹介した本に続いて、本書を再読しました。

 

 本書のカバー裏表紙には内容紹介があります。
「雷神、酒呑童子、茨木童子、節分の鬼、ナマハゲ......古くは『日本書紀』や『風土記』にも登場する鬼。見た目の姿は人間だが、牛のような角を持ち、虎の皮の褌をしめた筋骨逞しい姿が目に浮かぶ。しかし、日本の民間伝承や芸能・絵画などの角度から鬼たちを眺めてみると、多彩で魅力的な姿が見えてくる。いかにして鬼は私たちの精神世界に住み続けてきたのか。鬼とはいったい何者なのか。日本の『闇』の歴史の主人公の正体に迫る」

 

 本書の「目次」は、以下の通りです。

鬼とはなにか

鬼の時代――衰退から復権へ

「百鬼夜行」の図像化をめぐって」

「虎の巻」のアルケオロジ――鬼の兵法書を求めて

打出の小槌と異界――お金と欲のフォークロア

茨木童子と渡辺綱

酒呑童子の首

    ――日本中性王権説話にみる「外部」の象徴化

鬼を打つ――節分の鬼をめぐって

雨風吹きしほり、雷鳴りはためき

           ......妖怪出現の首

鬼の太鼓――雷神・龍神・翁のイメージから探る

蓑着て笠着て来る者は

 ......もう1つの「まれびと」論に向けて

鬼と人間の間に生まれた子どもたち

    ――「片側人間」としての「鬼の子」

神から授かった子どもたち

    ――「片側人間」としての「宝子・福子」

「あとがき」

 

 「鬼とはなにか」では、「なによりもまず怖ろしいものの象徴」として、著者は「鬼は長い歴史をもっている。鬼という語は、早くも古代の『日本書紀』や『風土記』などに登場し、中世、近世と生き続け、さらには現代人の生活のなかにもしきりに登場してくる。ということは、長い歴史をくぐり抜けて来る過程で、その言葉の意味や姿かたちも変化し多様化した、ということを想定しなければならない」と述べています。

 

 続けて、鬼について、著者は「じっさい、その歴史を眺め渡してみると、姿かたちもかなり変化している。鎌倉時代の鬼の画像をみると、角がない鬼もいれば、牛や馬のかたちをした鬼もいるし、見ただけではとうてい鬼と判定できない異形の鬼もいることがわかる。それがだんだんと画一化され、江戸時代になってようやく、角をもち虎の皮のふんどしをつけた姿が、鬼の典型となったのであった。しかしながら、怪力・無慈悲・残虐という属性はほとんど変化していない。鬼は、なによりもまず怖ろしいものの象徴なのである」と述べます。

 

 「日本の妖怪変化史の太い地下水脈」として、もっとも有名な鬼は大江山の「酒呑童子」であると指摘し、著者は「酒呑童子は南北時代製作の絵巻『大江山絵詞』(逸翁美術館蔵)のなかに初めて登場してきた物語・伝説上の鬼である。物語はきわめて単純で、酒呑童子という鬼の大将が多くの鬼を従えて大江山に住み、ときどき都に現れては、貴族の子女や財宝を奪っていった。このため、勅命を受けた源氏の武将・源頼光とその配下の渡辺綱たちが出かけて行って退治する、という話である」と述べています。

 

 また、著者は以下のようにも述べています。
「鬼の歴史、さらにいえば妖怪変化の歴史を眺め渡して気がつくもう1つの特徴は、中世までの『化けもの』(妖怪)の多くが、鬼と深い関係を保っていたことである。古代から中世にかけての妖怪種目は、それほど多くはない。鬼以外では、大蛇(龍)、天狗、狐、狸、土蜘蛛、つくも神(古道具の妖怪)などがその主たるものであるが、大蛇にせよ、土蜘蛛にせよ、つくも神にせよ、鬼の性格ももっている」 

 

 「鬼の子孫を名乗る人々」として、興味深いのは、鬼が怖ろしい者・否定的なものを表す言葉でありながらも、その子孫と称する人々が散見されることであると指摘し、著者は「大峰山の麓の洞川は、修験道の祖・役の行者に従っていた前鬼・後鬼のうち、後鬼の子孫の集落であるという。また、比叡山の麓の八瀬も、鬼の子孫(八瀬童子)の集落であるといい、彼らは冥宮の従者である鬼の子孫で、天皇や天台座主などの葬送の折に、その柩を担ぐ役を務めることを特権としていた。さらにいうと、播磨の国・書写山円教寺の修正会で代々鬼役を務める家も、寺を開いた性空上人に従っていた鬼(護法童子)の子孫であると伝えてきた」と述べます。

 

 続けて、著者は以下のように述べます。
「しかも、こうした、鬼の子孫と称する人々の家での節分の豆まきでは、『福は内、福は内、鬼も内』と言って豆を撒くというのである。なぜ鬼の子孫を名乗るようになったのかの理由は一概にいえないのだが、体制の外部に排除された鬼ではなく、体制のなかに組み込まれた鬼、鬼の役を引き受けることで体制内で生きようとした人々の、複雑で屈折した歴史が隠されているようである」

 

 「鬼の時代――衰退から復権へ」では、今日では一般的に、鬼とは人間に危害を加える邪悪な超自然的存在で、昔の人々の想像の産物と考えられているとして、著者は「しかしながら、鬼がたどってきた歴史は、それを生み出した人々の歴史と同様に、それほど単純であったわけではない。昔の人々の多くは鬼の存在を信じていた。文献のなかには鬼に関する記述が数多く見出され、伝説や昔話などを通じても語り伝えられた。鬼はまた、絵画のなかにその姿が描かれ、芸能においても重要な役割を演じていた。さらに、かつては鬼とみなされた人々がおり、自ら鬼の子孫と称する人々さえも存在していた」と述べています。

 

 「『虎の巻』のアルケオロジー――鬼の兵法書を求めて」では、「鬼とは何か」として、著者は「鬼とはなんなのだろうか。人間は恐怖する動物である。見知らぬ者、異形の者、異文化に属する者を恐怖する。そして、おのれの権力にまつろわぬ者を恐怖し、その結果、葬り去った者の怨念を恐怖する。こうして恐怖の対象になったものが、『鬼』と名づけられたのである。その一方では、恐怖する人間はその恐怖から逃れるために、社会集団をつくり、さらに国家までつくりあげた。したがって、集団や国家は程度の差こそあれ、それが存続しようとする限り、その『外部』に具体的な鬼を、あるいは目に見えない想像上の鬼をつねに必要としているわけである」と述べています。

 

 続けて、著者は以下のように述べています。
「というわけで、日本の鬼は便宜的に、社会的に存在するものと目に見えない想像上のものの2つの系統に区分しうるといえよう。すなわち、一方には、鬼とみなされた人々が存在し、他方には、人々が想像し絵画のなかや文献のなかや演劇のなかに登場する鬼たちが存在しており、しかも双方は互いに深い関係を取り結んでいたのである。つまり、鬼とみなされた人々の諸属性が想像上の鬼のイメージ形成に作用し、それとは逆に、想像上の鬼のイメージが社会的存在としての鬼の諸属性やイメージを形成しているようなことがしばしば見られたのである。こうして、鬼のイメージは画一化しつつもそれなりの多様性をもっているわけなのだ」

 

 「打出の小槌と異界――お金と欲のフォークロア」では、「異界からの贈りものとしての『犬』」として、著者は「『小槌』については鬼もしくは鬼とみなされた人々(大工などの職人)の所持品であったこと、『童子』については心身障害児を『福子』とか『鬼子』と呼んだり、かつて生涯にわたって『童子』と呼ばれる身分に置かれていた人々が鬼の子孫と考えられていたことなどから判断して、昔の人々は、『小槌』や『童子』を異界的もしくは現世と異界の媒介的存在とみなしていたらしい、といった程度の指摘にとどめておこうと思う」と述べます。

 

 続けて、「犬」もまた異界的な存在、媒介的な存在であったのだとして、著者は「というのは、黒田日出男も指摘するように、『一遍上人絵伝』などいくつかの絵巻に、約束ごとのように、墓場の場面には、烏とともに犬が描かれているからである。祇園社などに隷属して死体の処理など"異界"的な仕事に従事していた下級の神人を『犬神人』と賤称したが、これも犬の媒介的イメージと無縁ではないはずである。犬は『死』や『異界』に深く係わった動物なのである。だからこそ、『富』を異界から運んで来ることができるとみなされたのである。こうした犬のイメージをまことによく表現しているのが、私たちのよく知っている『花咲爺』であり、同系統の昔話である『雁取爺』である。そしてまた、この昔話群も『富』と『欲』をめぐる物語なのである」と述べるのでした。

 

 「酒呑童子の首――日本中世王権説話にみる『外部』の象徴化」では、「王権説話としての『珠取り』説話」として、日本文化が「外部」つまり「異界」を「タマ」という概念を設定することで形象化し、そのタマの操作を通じて「外部」を制御しうると考えてきたとして、著者は「タマは『モノ』や『カミ』といった概念とほぼ重なるものであるが、それらよりももっと多義的な概念であるかに見える。タマは不可視の霊的存在である『魂』を指示するが、他方では、形象化された『珠(玉)』と深い結びつきを持っていた。つまり、『魂』の形象化したものが『珠』であったのである。もっとも、この『珠』はむき出しのままの姿で人の前に姿を現わすことは少なく、龍とか鬼とか狐といった、その時代の特定の社会集団が表象する『外部』の形象の衣を身にまとって現われてくる。しかし、日本人はそうした衣の下に、『珠』を見ようとしてきたのである」と述べています。 

 

 「鬼を打つ――節分の鬼をめぐって」では、「鬼と福の神と祖霊」として、民俗学者たちは、1年の終わりの日、つまり大晦日の晩には死者の霊(祖霊)が戻ってくるときであったことに注目し、それが鬼へ、あるいは福の神へと変化したと考えたことを指摘し、著者は「たしかに、『つごもりの夜......亡き人のくる夜とて、魂まつるわざは、このごろ都にはなきを、東のかたには、なおする事にてありしを、あわれなりしか』(『徒然草』第19段)とあるように、中世では大晦日の晩には死者の霊がこの世に来訪してくると考えられていた。しかし、その死者の魂が鬼や福の神の原型であるかはなお疑問であり、むしろ1年の境目、時の裂け目であるがゆえに、神霊たちがその裂け目からこの世にやってくると考えていたのだろう。つまり、祖霊もやってくるが、福の神も鬼もやってくることができたのが大晦日の晩であったのだ。大昔はいざ知らず、中世以降においては鬼と福の神と祖霊とはいちおう区別されていたのである」と述べます。 

 

 また、「『鬼の子小綱』と鬼追い」として、著者は「わが家の節分で豆をまく妻と娘は、宮中の追儺儀礼でいえば方相氏にあたり、仏教の追儺儀礼でいえば、毘沙門天と龍天の役を演じているということになるわけである。また、つぶてに関しては、『大黒飛礫の法』などというものがあり、蕎麦を飛礫に用いたりもしたという。こうした飛礫つまりつぶては如意宝珠とみなされ、福をもたらす力をもった珠(玉)であった。すると、私たちの節分の豆も、如意宝珠なのかもしれない。だとすると、まことにありがたいものを口にしていることになるわけだ。こうしてみてくると、どうやら、私たちの節分の行事は、年が変わるその境目から異界の神霊たちが侵入してくるという民俗的信仰をふまえつつ、中国から入った宮中の追儺儀礼、仏教の追儺儀礼などが習合しながら、中世のころにでき上がった習俗、ということになるのではなかろうか」と述べるのでした。 

 

 「鬼の太鼓――雷神・龍神・翁のイメージから探る」では、「雷神と雨乞い」として、各地に伝承されている「雨乞い」行事において、太鼓が不可欠な祭具とされていたという事実を指摘しつつ、著者は「雨乞い行事は地方によってさまざまな形態をとっているが、雨を祈願する神格は、雨(水)を司るとみなされた龍神や雷神であり、龍神をかたどった巨大なつくりものを作って村のなかを引き回すという儀礼を行なうことで、龍神の出現を期待したところも各地でみられた。したがって、このような儀礼的コンテキストで叩かれる太鼓の音は、龍神の出現にともなって発せられる雷の音を擬したものだといえるはずである。また、そうした龍型が作られない雨乞いであっても、雨が降ることを期待して蓑や笠をつけたり、水を司る龍神などを刺激するためだろうか、火を焚いたり、雨雲に擬せられた黒煙や雷音を象徴する太鼓の音を出したりすることがなされた。要するに、雨乞いの太鼓とは雷神の太鼓を表わしているわけなのだ」と述べるのでした。

  

 「蓑着て笠着て来る者は......もう1つの『まれびと』論に向けて」では、「『まれびと』としての鬼」として、著者は「鬼とはなにか」と読者に問いかけます。そして、「これにひと言で答えることは難しい」としながらも、「鬼とは人間の分身である、ということになる。鬼は、人間がいだく人間の否定形、つまり反社会的・反道徳的人間として造形されたものなのだ」と述べています。また、「鬼を打つ」として、著者は「鬼は正月に来訪する『まれびと』であった。だが、この『まれびと』は、『まれびと』という概念を創り出した折口信夫が考えていた『まれびと』とはあまりにもかけ離れている。これは折口の『まれびと』を逆立ちさせた『まれびと』、裏返しにされた『まれびと』である」と述べます。 

 

 さらに、著者は「折口にとって、『まれびと』とは異界から来訪する善なる神霊である。『まれびと』はこれを迎える人間の側の『あるじ』の饗応を受け、人間を苦しめる『土地の精霊』(悪霊)を鎮撫、制圧する。こうした『まれびと』観念をもっともよく表現しているのが、古代のスサノオ神話である。天から出雲に下ったスサノオは国津神(大山住命)に迎えられ、ヤマタノオロチを退治し、クシナダヒメを妻とする。すなわち、この神話ではスサノオが『まれびと』、国津神が『あるじ』、ヤマタノオロチが『土地の精霊』、そしてクシナダヒメが饗応の品の代表ということになる」と述べるのでした。 

 

 「『ナマハゲ』の鬼――その二面性」として、著名な寺院や地方寺院の修正会の鬼は、小正月の頃の晩に出現したと指摘し、著者は「これとほぼ同じ小正月の晩に、民俗社会でもさまざまな『まれびと』に混じって鬼が登場する儀礼を行なうところがあった。民俗社会は江戸や京、大坂などの都市社会と農山村の村落社会に大別できる。このいずれにも鬼が登場する儀礼があるのだが、都市の鬼、それを排除される邪悪なイメージを強調した鬼(これは疫病神に代表される)の儀礼については、高岡弘幸の論文などで紹介されているが、ここでは農村部の、それもやはり小正月の晩の頃に登場する鬼の儀礼に目を向けてみよう。その代表が有名な秋田県男鹿半島の『ナマハゲ』である」と述べています。 

 

 また、著者は以下のようにも述べています。
「鬼などの恐ろしい神霊が来訪してくる儀礼と考えられるものは、男鹿半島の『ナマハゲ』のほか、同じ秋田県下では、『ナマメハギ』『ナモミハゲ』『ヤマハゲ』といった行事があり、県外では山形県遊佐町の『アマハゲ』、石川県能登半島の『アマメハギ』、新潟県村上市の『アマメハギ』、岩手県の『スネカ』、岩手県釜石市の『ナナミ』などがある。ここではとりあえず、こうした小正月の晩に行なわれる、鬼もしくはそれに類する恐ろしい仮面・異装の行事をナマハゲ系儀礼と呼ぶことにしよう」

  

 また、こういったナマハゲ系来訪神行事の報告からわかってくるのは、この系統の行事に登場する神霊が、人間に危害を加えたり人間社会を破壊したりする可能性をもった邪悪で恐ろしい鬼もしくはそれに類する悪霊・妖怪と考えられていたことであるとして、著者は「こうした悪霊来訪儀礼は、古代から中世に流布した鬼・悪霊の来襲を描いた説話や修正会の追儺式の影響を受けてつくられた儀礼だと推測されるのだが、その経緯を明らかにすることは今日では充分にはできそうにない。しかし、多くの点で共通した特徴を示していることは指摘できるだろう」と述べます。

 

 さらに、ナマハゲは村の中に村人として好ましくない人間がいないかと出現してくると指摘し、著者は「この出現のモチーフは、牛頭天王の古端将来への制裁など人間の側に邪悪な者がいるという理由で出現することと似ている。生身剥ぎとは火斑ができるほど火の周りに坐ってばかりいる怠け者の生身=火斑を剝ぐという意であるという。それは怠け者を殺して食べるということを暗に意味している。つまり、恐ろしい鬼は人間が人間としていかに生活するのが好ましいかを教え込ませるために登場するのである。鬼は『村人の風儀の矯正には権威と実効』を挙げたのである」と述べています。

 

 続けて、著者は以下のように述べます。
「もっとも、ナマハゲは、修正会や節分の鬼のように、牛玉杖で打たれたり、つぶてや豆をぶつけられて退散するのではなく、家の主人の歓待を受け、餅や金銭を貰って立ち去っていく。饗応された方も、この年の豊作や家人の無病息災などの祝福の言葉を述べる。この点に注目すれば、ナマハゲも異界から人々を祝福するためにやってくる『まれびと』ということになる。ナマハゲはこうした二面性をもっている。この二面性を相手に応じて発揮させるのだ」

 

 さらに、ナマハゲの攻撃の標的になるのは、子どもであり、まだ子どもが生まれていない若妻や、他所から来た養子あるいは奉公人たちであったとして、著者は「ナマハゲを演じる青年たちは村落共同体における権威をやがて手にする人々であり、ナマハゲという神秘的存在の力をかりて、充分にそうした権威になじんでいない、いうならば共同体の周縁にとどまっている子どもたちや新参者たち、ときには警官などの外部の者を攻撃し、村落共同体の権威の存在を明示しそれへの服従を強制するのである。それゆえに、そうした共同体の権威を身につけている家の主人は、その来訪を歓迎=歓待するというわけである」と述べています。

 

 そして、ナマハゲは、村落の一員として好ましい〈人間〉をつくり出すために呼び招かれた恐ろしい鬼なのであるとして、著者は「子どもや新参者たちに対しては恐ろしくも乱暴な鬼として臨み、社会の中心部を占める人々には善良なる神格として臨むナマハゲは、言いかえれば、村落共同体が飼いならした鬼、コントロール可能になった鬼といえよう。鬼の儀礼に限らず、儀礼とは元来そういうものなのである」と述べるのでした。

  

 「神から授かった子どもたち――『片側人間』としての『宝子・福子』」では、著者は

「人間と異類が婚姻した結果生まれてくる子どもは、どんな子どもなのか。昔話にはその子どもはどんな姿をしていて、人間にどのように扱われるのか。その行末は幸福だったのか、それとも悲惨な結果が待っているのか。こうした疑問をいだいて、私は昔話の世界へ入って行った。その直接の道案内人となってくれたのが、イギリス人の社会人類学者R・ニーダムが注意をうながした、世界各地にみられる興味深い文化表象である『片側人間』であった。『片側人間』とは、ニーダムによれば、体の半分が人間であり、もう一方の半分は、別の存在かもしくは欠落しているような形象であって、神話や儀礼などにみられるものである。人間の『片側』というと、体の左右の一方という印象を与えるが、ニーダムの『片側』はもっと広い概念規定がなされていて、体の前の側と後の側という『片側』や上半身と下半身という『片側』も含まれている」と述べています。

 

 この「片側人間」は、日本の昔話のなかにも登場していました。その昔話が「鬼の子小綱」と呼ばれる昔話群で、そこに登場する「片側人間」は、"片角子"とか,"片子"とか"片"といった片側性をあらわす名称を与えられており、はっきりと体の右半分が鬼、左半分が人間の姿をしている子どもでした。そして、この「片側人間」である子どもは、異類婚姻によって生まれた子どもだったのです。著者は「『鬼子』『怪物の子』『魔物の子』として捨てられ殺されていった子どもが、実社会になったことはすでに指摘した。しかし、その一方では、『鬼子』の姿かたちとどこまで重なるかは定かでないが、障害をもった子どもが捨てられることなく、『福の神』として大切に育てられる習俗も存在していたのである。その子どもをおろそかに扱うと不幸になる、これまでその子の力で獲得した『富』を一挙に失う、ということが民俗社会で語られていたのである」と述べます。

 

 そして、「あとがき」で、著者は「『鬼』は民俗語彙であり民俗概念であるので、その指示するものや意味するものを理解するには、その語が用いられている『現場』に赴き、その意味を調べなくてはならない。古代の『鬼』、中世の『鬼』、近世の『鬼』、さらには近現代の『鬼』の用法を、すなわち『鬼』が登場する文学や芸能、絵画、さらには日常会話における『鬼』の用法等々を、調べ、分析し、その作業を積み重ねることで、民俗語彙としての、民俗概念としての『鬼』の指示範囲や意味内容、その変遷の様子が明瞭になってくるわけである」と述べるのでした。

 

 本書は「鬼」という日本の闇の主人公についての論考集であり、さまざまな媒体にバラバラに掲載されたものを集めてはいますが、1冊にすると『鬼エンサイクロペディア』といった印象で、雷神、酒呑童子、茨木童子、節分の鬼、ナマハゲといった具合に網羅的に言及されています。そして、折口信夫の「まれびと」というキーワードを使って「鬼」の本質に鋭く迫っています。著者が考察する「神隠し」「呪い」「異界」「鬼」などのテーマを並べると、「もう1つの日本」が浮かび上がってくるようです。