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本をどう読むか』

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No.1771


 『本をどう読むか』岸見一郎著(ポプラ新書)を読みました。「幸せになる読書術」というサブタイトルがついています。一条真也の読書館『嫌われる勇気』『幸せになる勇気』で紹介したベストセラーを書いた哲学者の最新刊です。著者は1956年年京都府生まれ。日本アドラー心理学会認定カウンセラー・顧問。京都大学大学院文学研究科博士課程満期退学(西洋哲学史専攻)。専門の哲学と並行して、1989年からアドラー心理学を研究。精力的に執筆・講演活動を行っている。

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本書のカバー表紙

 本書のカバー表紙には著者の近影とともに、「読書には、人を救い幸福にする力がある」「大ベストセラー『嫌われる勇気』の著者が『読書』と『生きること』について考えた初の読書論!」「待望の書き下ろし!」「哲学書、小説、外国語の原書からアウトプット法、アドラー心理学まで」と書かれています。

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本書のカバー裏表紙

 

 また、カバー裏表紙には「現代の哲学者が明かす読書法のすべて! 人生を幸福にする、本の読み方、選び方。」として、「『本を読むことで間違いなく幸せな人生を送ってこられた』『読書は何にも代え難い人生の喜び、楽しみである』。学生時代からの濃密な読書体験をもとに、ベストセラー著者が初めて語った『本と人生』について。『本』との関わり方、『人生』との向き合い方が変わる、著者渾身の書き下ろし」という内容紹介があります。

 

 さらにカバー裏表紙の下には、「本の読み方が変われば、生き方も変わる――」として、以下のように書かれています。
●本を読むために生きているのではない
●読書は著者との対話
●他者の人生を追体験する
●現実を超える
●人生を再体験する
●読書で起こる共鳴
●何度も繰り返し読む本
●本は仮面を外す
●作家を読み尽くす
●意味だけを理解しようとしない
●八年かける遅読
●翻訳をするように読む
●本は同時に何冊も読む
●どんな姿勢で読むか

 

 本書の「目次」は、以下の構成になっています。

「まえがき」

第1章 なぜ本を読むのか

第2章 本との出会い

第3章 本はどう読めばいいのか

第4章 読書の悩み

第5章 本で外国語を学ぶ

第6章 インプットからアウトプットへ

「あとがき」

 

 第1章「なぜ本を読むのか」では、著者は「本を読むために生きているのではない」として、「本を読むことの目的は、端的にいえば幸せです。本を読んでいる時に幸せを感じられなければ、読書の仕方を見直す必要があるでしょう」と述べます。また、「読書は著者との対話」として、以下のように述べています。
 「思考が自己との対話であるように、読書は著者との対話です。人は1人で生きているわけではありません。外に出かけないで家にこもって仕事をしていると、一日中、誰とも一言も言葉を交わさないということはあります。たとえ誰とも話さなくても、本を読めば著者と話すことができます。読書を『対話』にするためには工夫がいります」

 

 「著者に大いに反論する」として、こうも述べます。
「現実の生活で、相手がいっていることが間違いであることに気づいても、それを指摘すると相手が怒り出すとか、指摘したことで自分のことをよく思われないのではなかと恐れて何もいわなければ、相手のためにもなりません。
政治家が答弁の際に漢字を読み間違うのは、誰も教えないからです。おそらくは、何度も間違いを繰り返す政治家に対して、まわりにいる人は一度は間違いを指摘したことはあったのでしょう。その指摘を素直に受け止めれば、同じ間違いはしないでしょうし、今後、他の字を間違った時にも、間違うことが予想される時にもまわりの人は指摘するでしょう。
ところが、誤りを指摘したのにそれを素直に認めてくれなかったとか、それどころか、指摘されることを嫌い、指摘した人に当たり散らされたというような経験をすれば、まわりの人は二度と誤りを指摘しようとはしなくなるでしょう」

 

 また、「これからどう生きるかを考える」として、著者は以下のように述べています。
「哲学の本は、直接的にどう生きるのかとか、幸せとは何かというような問いに答えようとするところが小説などとは違います。しかし、実際には、この問いに答えようとはしない、人生を真剣に生きようとする人には響かないものもありますが、本来は広い意味での哲学の本は、この問いに答えようとするものでなければならないと私は考えています」

 

 さらには、「何が何でも本を読まないといけないというものではない」として、著者は以下のように述べます。
「本を読まなくても、どう生きるかという問題について自力で考えることはもちろんできます。しかし、何もないところで考えることは難しいというのも本当です。本を読むのは、ちょうどグライダーが他の飛行機や車に引っ張られ、飛び立った後にロープを切り離して滑空するように、考える最初のきっかけとして必要なことはあります。しかし、いつまでもロープを切り離さないようでは駄目なのです。その意味で、著者と対話をすることで、その著者から自分1人では思いもつかなかったかもしれないことを教えられるのは読書の醍醐味の1つです」

 

 「他者の人生を追体験する」として、著者は述べます。
「人と比べて自分は幸福であることに気づくというのは優越感です。幸福というのは三木清(哲学者、1897~1945)の言葉を使うならば、『各人においてオリジナルなもの』なので、本来、人と比べようがありません(『人生論ノート』)。人と比べているのであれば、あるいは、人と比べられるのは、幸福ではなく成功なのです。成功は、これも三木がいっているのですが、量的なものなので比較することは容易です。成功は人から妬まれ、追随されます。幸福は一般的ではないので、他の人から見れば、どうしてあの人は幸せを感じているのかわからないことがあります。他の人の経験したことを読む時に、このように比較するために読むのではない時があります。辛い経験をした人は、こんなことは自分だけが経験したことだと思うことがありますが、本を読んで、同じことを他の人も経験していることを知れば、そのことが救いになるのです」

 

 著者は、「目的のない読書」として、こう述べます。
「本を読む目的を変えるように、人生についても途中でそれまでとは違ったことを目指して生きることはできます。人は誰かの期待を満たすために生きているわけではないので、新しく人生を生き直そうとすることをたとえ誰かが非難してもそのような非難には耳を傾けなくてもいいのです。自分でこれでいいという確信を持てない人は、人から反対されたことを自分の人生を生きないためのいい訳にすることはありますが、自分の人生を生きなければ一体誰の人生を生きようというのでしょう」

 

 そして、「本を読めない苦痛」として、著者は以下のように述べるのでした。
「病気という非日常的体験の中だけではなく日常生活の中にあっても、本を読むことは幸せに生きるためになくてはならない営みだと考えています。幸せになるかどうかはともかく「退屈」とは無縁の人生を送ることができるでしょう。本さえあれば、病気をして外に出られなくなった時でも、電車が不意に動かなくなっても、焦ったり、イライラすることなく、本を読んで過ごすことができます」

 

 第2章「本との出会い」では、「偶然手にする本1」として、著者は以下のように述べています。
「自分の興味、関心に合致する本だけでなく、時に自分では読まない本を読んだ時に、その本から学ぶことが多いということはあります。この著者の本ならこんなことが書いてあると予想できるような本ばかり読んでいると、新しく何かを学ぶことはできません。誰かと付き合うとか、結婚するという時に、同じようなタイプの人がいいと自分と性格も好みも似通った人をパートナーに選ぶ人がいます。たしかによく似たタイプの人であればぶつかることは少ないのですが、自分とはまったく違う人と付き合うと、人生が豊かになるともいえます。最初はこんな感じ方、考え方をするのかと思って驚くことになりますが、それが二人の関係を悪くすることはありません。むしろ、自分とは違う反応をする人を見て、自分の感じ方、見方が唯一絶対ではないことを知り、さらに相手の感じ方、見方をたとえ賛成できないとしても理解する、少なくとも理解しようとすれば、相手に寛大になることができます。読書でも同じことが起こります。自分が賛成し納得できることばかりが書いてある本を読んでいると、日常の生活においても異論に対して不寛容になります」

 

 「本の中に永遠に生きる人」として、著者は述べます。
「本を読むと、その本の著者がすでに亡くなっていても、その人がそこにいるかのように感じることがあります。そのような時には、本を読んでいるというより、その人と話をしている気がします」
「もはや死んだ人を知覚的に知ることはできません。その姿を見ることも、手で触れることもできません。しかし、夢の中で死んだ人に会うことはあります。その時、その人は生きている時と何ら変わりなく、現存していると感じられます。本を読む時も、夢の中で死んだ人と再会するような気になります」

 

 著者の言うように、本を書いた人と読者とは遠く離れている人のように結びついています。入院していた時、著者は「本は書きなさい。本は残るから」と主治医から言われたそうです。そして著者は以下のように述べるのでした。
「私がこれからどうなるかはわかりませんが、医師がいうように私の本が残れば、私はその本の中で生き続けることができます。そのような意味での不死を望むことについては考えなければならないことはありますが、すでに鬼籍に入った著者でも、本を読んでいる間は今も生き続けていると感じる時、私の死後に誰かが私の本を読んでいることを想像することがあります」

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あらゆる本が面白く読める方法』(三五館)

 

 この読書には死者と生者との交流という側面があることは、わたしも以前から気づいていました。拙著『あらゆる本が面白く読める方法』(三五館)でも述べましたが、わたしは読書は交霊術であると思っています。わたしは芥川龍之介、谷崎潤一郎、三島由紀夫などが好きなのですが、既に亡くなっている作家ばかりです。古典というのは、それを書いた人は総て亡くなっている人です。亡くなった人の言葉に触れるというのは、死者と交流しているわけです。読書は交霊術と言っても良いと思うのです。そして、読書でこの世にいない死者の言葉に触れる行為には、自分もいつかあちらの世界に行くのだということを、自然と受け入れていく力があると思います。

 

 さて、『あらゆる本が面白く読める方法』という本のタイトルはいといろ誤解を招くところがあります。じつは、このタイトルは出版社の社長さんがつけたものなのですが、わたし自身は本の中には面白くないものは当然ありますし、あらゆる本を読み切る必要もないと考えています。本書の第3章「本はどう読めばいいのか」では、「どの本から読むのか、どこから読むのか」として、著者はこう述べています。
「本を読み始めたらその本を最後まで読まないといけないと考える人がいます。しかし、読み始めて面白くなければ本を閉じる勇気を持たなければならないと思います。面白くないというのはその本がよくない本だからというわけではなく、多くの場合、今の自分には必要でないからです。そうであれば、本を閉じる勇気がなければ、時間を無駄にすることになります」

 

 宮沢賢治の「雨ニモマケズ」は主語のない不思議な詩ですが、著者は「翻訳するように読む」として、こう述べます。
「私は、『南ニ死ニサウナ人アレバ行ッテコハガラナクテモイゝトイヒ』が印象的でしたが、なぜそうかとたずねられてもうまく答えることはできませんでした。私は小学校3年生の時に祖母と祖父と弟を立て続けに亡くしました。哲学を勉強しようとしたのは、この時、死がひどく怖かったので、死について知りたいと思ったのがきっかけでした。もちろん、この頃に哲学という学問があることを私は知らなかったのですが、賢治の詩のこの一節を読んだ時、私も死の真近にいる人のところに行って『怖がらなくてもいい』といえるような人になれたらと思いました」
 わたしも著者とまったく同じ思いです。わたしはグリーフケアの研究と実践に努めていますが、「死別の悲嘆に寄り添うこと」と「死の不安を乗り越えること」の2つはグリーフケアの両輪であると考えています。死を怖がっている人がいれば、その人のところに行って、「死は怖くありませんよ」と言ってあげたいです。

 

 第4章「読書の悩み」では、哲学者の梅原猛(1925~2019)が学生の頃はギリシア哲学を学んでおり、梅原が提出した卒業論文を読んだ田中美知太郎が、哲学者の名前を一切引かない梅原の論文を評して「心境小説」だと言ったことが紹介されています。著者は、「どうしても読まなければならない本」として、以下のように述べます。「研究論文に普通主語として『私』を使わないのですが、学生の頃、研究仲間の1人が『私』を主語にして論文を書いているのを見て驚き、感心したことがあります。『私たち』とか『われわれ』と書いてあれば、それはそれで違和感があります。
 1つは、私を主語にしないということは、自分の主張に責任を持たないということだからです。他方、読者からすれば『私たち』と書いてあれば、勝手にあなたの考えに賛成していることにしないでほしいといいたくなるところが問題です。研究のまとめではなく、著者が何をいいたいかということを知りたいと思いますし、読者を勝手に自分の味方に引き込んではいけません」

 

 最後に、「あとがき」で、著者はこう述べるのでした。
「ゆっくり本を読めば、慌ただしく駆け抜けるように本を読む時には見えなかったものが見えるようになります。生きる時も、急がず、後どれだけ生きられるかというようなことを考えなくなると人生が違ったふうに見えてくるでしょう。生き方を直ちに変えることは容易なことではありませんが、本の読み方を変えることならできます。本書で私は、たくさんの本を読もうとしないこと、また何かのために本を読むのではなく、本を読むこと自体を楽しむことなど、本をどう読むかについて、これまでの人生で読んだ本を引き合いにして考えてみました」
 本書はもちろんアドラー心理学の本ではありませんが、著者の生き方そのものがアドラー心理学の影響を強く受けているので、読書を語っても自然とアドラー心理学を感じました。まさに、サブタイトルの通りに「幸せになる読書術」であると言えるでしょう。