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祝山』

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No.1586

 
 お盆も終わりを迎えますが、みなさんはいかがお過ごしでしたか? わたしは、「お盆」をテーマとした小説などを固め読みしました。
 その中で『祝山』加門七海著(光文社文庫)に出合いました。著者は、東京都生まれ。伝奇小説、フィールドワーク作品を中心に活躍しています。霊感が強く、日常生活でもさまざまな心霊体験をしているそうです。

 本書のカバー裏表紙には、以下のような内容紹介があります。

「ホラー作家・鹿角南のもとに、旧友からメールが届く。ある廃墟で『肝試し』をしてから、奇妙な事が続いているというのだ。ネタが拾えれば、と軽い思いで肝試しのメンバーに会った鹿角。それが彼女自身をも巻き込む戦慄の日々の始まりだった。一人は突然の死を迎え、他の者も狂気へと駆り立てられてゆく―。著者の実体験を下敷きにした究極のリアルホラー」
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   「サンデー毎日」2017年10月29日号


 いわゆる呪いの廃屋に足を踏み入れて祟られるという怪談なのですが、正直、それほどの怖さは感じませんでした。まあ、これが実話だと思えば、やはり怖いですが・・・・・・。ちなみに「祝」という字を「はぶり」と読めば「葬」に通じ、「いはい」と読めば「位牌」に通じます。どちらにせよ、「祝」は死者と切っても切れない深い関係にあるようですね。さらに、「祝」という字は「呪」に似ています。わたしのブログ記事「呪いの時代に、祝いの光を!」にも書いたように、「呪」も「祝」も神職者にかかわる字であり、「まじない」の意味を持ちます。

 「呪い」も「祝い」も、もともとは「言葉を使う」ことです。
 心の負のエネルギーは「呪い」、心の正のエネルギーは「祝い」によって発動されます。ネガティブな「呪い」を解く最高の方法とは、冠婚葬祭に代表されるポジティブな「祝い」を行うことなのです。じつは最近、NHKから「祝い」の語源についてTV解説をしてほしいというオファーがあったのですが、自分の専門外なのでお断りしました。
さて、本書を読んで最も興味深かったのは「お盆」についての著者の所見でした。以下のように書かれています。

 怪談の本番が夏になるのは、お盆と重なっているかららしい。
 死者達が、この世に束の間の里帰りをする季節。
 その季節に合わせて、日本では夏場に怪談が盛んになるのだ。
 実際、霊の話をするのは、霊の供養にも繋がるのだとか。だから、見えない彼らが側にいるとき、現世の人があの世の話をすることで、霊達は慰められるのだ―そんなことを言う人もいる。
 しかし、祖先を始めとした幽霊達が戻ってくるのは、お盆に限ったことではない。仏教行事を理由にするなら、春と秋のお彼岸も、彼らは戻ってきているはずだ。だから、本当は春・夏・秋の年三回、怪談の時期がなくてはおかしい。なのに、やはり、人々は夏が怪異の本番だと言う。
 とすると、本当の原因は、お彼岸にだけあるナニカに起因しているに違いない。ナニカ――夏のみに言われる言葉は「地獄の釜の蓋が開く」だ。
(『祝山』光文社文庫、P.5)

 東京は新暦でやるために、盆の行事は七月中に終わっている。私は今年、退院後ということで、すべてを親に任せてしまった。東京のご先祖様は、既にあの世にお戻りだ。だが、全国的には八月を盆とするところが、ほとんどだ。
 (旧暦と新暦。あの世の方では、どう折り合いをつけているんだろ)
 この時期、私はいつも考える。新暦の導入は明治以降だ。それ以前に生きた、東京の先祖達に戸惑いはないのだろうか。場合によっては、二度呼ばれたりする人もいるのではないか。ふたつの暦がこんな風に交ざった国など、ほかにはないに違いない。
(『祝山』光文社文庫、P.213)
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   「サンデー毎日」2016年8月14・21日合併号


 わたしのブログ記事「お盆には先祖への感謝を」にも書いたように、日本人は古来、先祖の霊に守られて初めて幸福な生活を送ることができると考えていました。その先祖に対する感謝の気持ちを供養という形で表したものが「お盆」なのです。1年に一度帰ってくる先祖を迎えるために迎え火を焚き、各家庭の仏壇でおもてなしをしてから、送り火によってあの世に帰っていただくという風習は、現在でも盛んです。
 同じことは春秋の彼岸についても言えますが、この場合、先祖の霊が戻ってくるというよりも、先祖の霊が眠っていると信じられている墓地に出かけて行き、供花・供物・読経・焼香などによって供養するのです。

 それでは、なぜこのような形で先祖を供養するのかというと、もともと2つの相反する感情からはじまったと思われます。1つは死者の霊魂に対する畏怖の念であり、もう1つは死者に対する追慕の情です。やがて2つの感情が1つにまとまっていきます。死者の霊魂は死後一定の期間を経過すると、この世におけるケガレが浄化され、「カミ」や「ホトケ」となって子孫を守ってくれる祖霊という存在になるのです。
 かくて日本人の歴史の中で、神道の「先祖祭り」は仏教の「お盆」へと継承されました。そこで、生きている自分たちを守ってくれる先祖を供養することは、感謝や報恩の表現と理解されてくるわけです。

 わたしは『なぜ、一流の人はご先祖さまを大切にするのか?』(すばる舎)でも、「お盆」の意味と重要性を説きました。そこで、「あなたのご先祖さまは、どう思っているか」「あなたの子孫は、どう思うか」といった視点をもてば、きっとあなたの判断は独断にならないし、あなたの行動が傲慢に映ることは少なくなると述べました。「死を想う人」は1回1回の食事が、単なる栄養補給ではなく、大切な時間に変わるように、「先祖を想う人」は「この態度をご先祖さまはどう思うか」「この判断は子孫にどんな影響を与えるだろうか」と考えることができるようになるはずです。
 このように「お盆」は倫理のスイッチにもなれば、本書『祝山』のように怪談のテーマともなるのです。そう考えてみれば、面白いですね。