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妻に捧げた1778話』

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No.1557


 『妻に捧げた1778話』眉村卓著(新潮新書)を読みました。
 著者は1934年(昭和9年)大阪生まれ。本名・村上卓児。大阪大学経済学部卒業。会社員を経て、小説家に。大阪芸術大学教授。作品に『なぞの転校生』『ねらわれた学園』『消滅の光輪』(泉鏡花文学賞・星雲賞受賞)『時空の旅人』などがあります。2002年5月、悦子夫人を癌で失いました。
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   本書の帯


 本書の帯には、「アメトーク『本屋で読書芸人』で大反響!」「カズレーザーさん(メイプル超合金)大絶賛!『15年ぶりに泣いた!』」と書かれています。
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   本書の帯の裏


 カバー前そでには、以下のように書かれています。

「余命は一年、そう宣告された妻のために、小説家である夫は、とても不可能と思われる約束をする。しかし、夫はその言葉通り、毎日一篇のお話を書き続けた。五年間頑張った妻が亡くなった日、最後の原稿の最後の行に夫は書いた―『また一緒に暮らしましょう』。妻のために書かれた1778篇から選んだ19篇に、闘病生活と40年以上にわたる結婚生活を振り返るエッセイを合わせた、ちょっと風変わりな愛妻物語」

 著者は、妻の余命を知ったときの心境を次のように書きます。

「妻が退院してから、私は考えた。何か自分にできることはないだろうか。思いついたのは、毎日、短い話を書いて妻に読んでもらうことである。文章の力は神をも動かすというが、もちろん私は、自分の書くものにそんな力があるとは信じていない。ただ、癌の場合、毎日を明るい気持ちで過ごし、よく笑うようにすれば、体の免疫力が増す―とも聞いた」

 また、著者は以下のようにも書いています。

「書いたら読んでくれるかと尋ねると、元来本が好きな妻は、読もうと頷いた。で・・・・・7月16日から書き始めたのである。妻の入院・手術の日から数えると、1か月以上も後である。当初は動転もしていたし、とてもそんなことを考える余裕がなかったのだ。妻の状態がある程度安定していたから、やってみようという気になったと言える」

 そして、著者は短いお話を妻のために書いたわけですが、一体どんな話を書いたのでしょうか。その内容に関するルールが紹介されています。

「病人の神経を逆なでするような話は書かない。病気や人の死、深刻な問題、大所高所からのお説教、専門用語の乱発、効果を狙うための不愉快な視点などは避ける。また、ラブロマンスや官能小説、不倫なども、書かない(もともと不得手なのだ)。話に一般性を持たせるため、固有名詞はなるべく使わず、アルファベットのABCを順番に出し、一巡したらまたAから始める。もっとも、わけのわからぬ変な固有名詞は、一種の味つけになるのでこの限りではない。夢物語でも荒唐無稽でもいいが、どこかで必ず日常とつながっていること。若い人には面白くなくても構わない」

 といったところですが、本書に掲載されている19篇のショートショートを読んだところ、申し訳ないのですが、面白くありませんでした。著者は「若い人には面白くなくても構わない」と書いていますが、わたしは別に若くはありません。また、若い頃はNHK少年ドラマシリーズ化や映画化もされた『なぞの転校生』や『ねらわれた学園』などの著者のSFジュブナイルを貪るように読みました。大学生の頃には『ぬばたまの』という異世界ファンタジーが愛読書でした。眉村卓という作家が稀代のストーリーテラーであることはよく知っていましたので、本書に収められた19篇を読んで悲しくなりました。

 面白くなかった理由を考えてみると、「病人の神経を逆なでするような話は書かない」というルールがそもそも間違っていたのではないかと思います。「愛」や「死」といった人類普遍のテーマを避けていては深みのある話が書けるはずがありません。だいたい、ショートショートとはいえ、小説というものは元来「病人の神経を逆なでするような話」が多いのではないでしょうか。固有名詞はなるべく使わず、アルファベットのABCを順番に出すというのも、話がつまらなくなった大きな原因であると思います。病身の奥様をいろいろと思いやる気持ちはわかりますが、なによりも本好きの奥様に対して、面白い話を書くことが一番の「思いやり」ではなかったでしょうか。

 それでも、わたしは著者がうらやましいです。
 自分が書いたものを奥様が読んでくれるなんて、なんと素敵なことでしょうか。著者はショートショートを書くことで病気の妻の心をケアしていたつもりだったかもしれませんが、じつは心をケアされていたのは読んでもらっていた著者のほうだったのかもしれません。
 本書で感銘を受けたのは、妻のために夫が書いたお話の内容などではなく、サイドストーリーとしての夫婦のリアル・ストーリーでした。

 夫妻は、お初天神の「ワインリバー」という店によく飲みに行ったそうです。そこで奥様はいつも「百万本のバラ」をカラオケで歌われたとか。著者は、この歌にまつわる思い出を次のように書いています。

「妻が亡くなって葬儀の準備が始まったとき、このことを知った葬儀会社の人が、『百万本のバラ』のCDを仕入れてきて、かけますと言ってくれたのだ。お通夜でも告別式でも、BGMとして『百万本のバラ』が会場一杯に流れていたのである。ありがたい心遣いだと思いながら、私は、妻がまだ生きているような錯覚に包まれていたのだ」

 葬儀といえば、奥様はベッドに半身を起こして、「わたし、してもらいたいことがある」と言い出したことがあったそうです。奥様は、葬儀のとき、自分の名前だけでは誰のことかわからぬ人も多いだろうと考えたのでした。著者の本名は「村上卓児」であり、奥様は「村上悦子」。葬儀ですから常識的には本名で行うのが通例です。「だから、お葬式の名前は、作家眉村卓夫人、村上悦子にして欲しい」と、奥様は言われたのでした。

 このことについて、著者は以下のように述べています。

「来られる人がわからないと困るからと理由をつけたが、妻の本心は、共に人生を過ごし、ずっと協力者であったことを証明したい―ということだったに違いない。私にはそれが痛いほどよくわかった。
 必ずそうする、駄目だと言われたら、そうしてくれる葬儀会社を、どんなことをしても捜す、と、私は約束した。他人の思惑など、どうでもよかったのだ。妻の希望通りになった」

 著者は、告別式でこの経緯を参列者に話し、了解を乞うたそうです。そのとき著者の脳裡には、前年の3月に夫妻で松尾寺を訪れたさい、祈願の札に「病気平癒」と書けと二度も言ったのに、それを奥様は聞かずに「文運長久」とだけ記したシーンがよぎったそうです。著者は「私の協力者であることに、妻は自負心と誇りを持っていたのだ」と書いていますが、これを読んで、わたしは目頭が熱くなりました。こんなに幸福な作家が他にいるでしょうか。

 「少し長いあとがき」では、著者は「病気の妻に読んでもらうために、毎日ひとつ短い話を書く―ということに対して、人はどう考えるだろうか」と自問します。自答した内容は「殊勝な心がけだ。」「愛妻家。」「ロマンチック。」「お気の毒に。」「大変だねえ。」「そんなことをして、どうなるのだ?」「暇な奴なのだ。」「はた迷惑なことをする。」などなど・・・・・・。実際に著者に面と向かってそう言うかどうかは別として、著者は「どう思われようと、私の知ったことではなかった」と言い切ります。他人を思惑を気にしている余裕などなかったのです。

 著者は、妻のために1778話の物語を創り出しました。
 しかし、著者は以下のように述べています。

「私は癌になった当人ではなかった。その私が、妻の心境をいくら推察しようとしても、本当のところがわかるはずがないのだ。そして・・・・・・私は思うのである。人と人がお互いに信じ合い、共に生きてゆくためには、何も相手の心の隅から隅まで知る必要はないのだ。生きる根幹、めざす方向が同じでありさえすれば、それでいいのである。私たちはそうだったのだ。それでいいのではないか」

 そして最後に、著者は次のように述べるのでした。

「間もなく妻の三回忌だ。毎日短い話を書いたことについても、自分にはそれしかできなかったのだ、と現在の私は考えることにしている。そしてその5年間は、私たち夫婦にとっても、また私自身の物書きとしての生涯の中でも、画然とした一個の時期であり、ただの流れ行く年月ではなかったのである。妻へ―読んでくれて、ありがとう」

 わたしは、「画然とした一個の時期であり、ただの流れ行く年月ではなかったのである」という一文に目から鱗が落ちた気がしました。というのも、社会学者エミール・デュルケムの「さまざまな時限を区分して、初めて時間なるものを考察してみることができる」という言葉を思い出したからです。
 このデュルケムの言葉にならい、わたしは拙著『儀式論』(弘文堂)で「儀式を行うことによって、人間は初めて人生を認識できる」と述べました。
 儀式とは世界における時間の初期設定であり、時間を区切ることです。それは時間を肯定することであり、ひいては人生を肯定することなのです。さまざまな儀式がなければ、人間は時間も人生も認識することはできません。まさに、「儀式なくして人生なし」です。その意味で、毎日短いお話を妻のために書く行為は、著者にとっての儀式であったのでしょう。そして、最愛の妻亡き後にそれらのお話を読み返す行為は、著者にとってのグリーフケアであるように思います。