No.1549 宗教・精神世界 | 死生観 『死と輪廻』 一条真也ほか共著(サンガ)

2018.04.27

 仏教書出版のニューウェーブとして注目されている出版社のサンガから最新刊が送られてきました。『別冊サンガジャパン 死と輪廻』です。
 「仏教から死を見つめ直す」というサブタイトルがついています。わたしは昨年のクリスマスに同版元から『唯葬論』(サンガ文庫)を上梓しましたが、今回の『死と輪廻』にも拙文を寄稿させていただきました。

   『別冊サンガジャパン 死と輪廻』

 本書の「目次」は以下のようになっています。

Part1  輪廻と仏教
●【座談会】「輪廻」とは何か?  
 [司会]宮崎哲弥 [出席]南直哉・望月海慧
●アルボムッレ・スマナサーラ長老『ブッダの実践心理学』特別講義
涅槃(ニッバーナ)について【ダイジェスト版レポート】(佐藤哲朗)
●人間に生まれるとき。人間で死ぬとき。(藤本晃)
●パーリ経典に描かれる比丘の自殺と対話の意義(川本佳苗)
●輪廻、業、無我(西澤卓美)
●輪廻の話(佐藤剛裕)
●日本のマインドフルネス、もう一歩前へ!(山下良道)
Part2  現代人と死
●【インタビュー】終末期医療の医師が語る幸せな「死」との向き合い方
(大井玄)
●いのちの歴史と未来の医療(稲葉俊郎)
●【インタビュー】チベット仏教と死と医療
(Dr.バリー・カーズィン)[聞き手]佐々涼子
●問われるべきは「死」ではなく「葬」である(一条真也
●開かれた死によって生きる豊かさと出会う(浦崎雅代)
●認知症高齢者グループホーム「むつみ庵」と日本人の死生観(釈徹宗)
●死と仏教(田口ランディ)
Part3  死を考える
●宗教別にみる「死後の世界」(中村圭志)
●【インタビュー】考えるところに、死の恐怖はおこる。(板橋興宗)
●【インタビュー】「死」を消し、インドの地に蘇生する、気魂の仏教者(佐々井秀嶺)
●本から死を考える(三砂慶明)
執筆者プロフィール

   『別冊サンガジャパン 死と輪廻』の「目次」

 「目次」を見ると、興味深いテーマばかりです。
 執筆陣も現代仏教を語るのに「旬」な顔ぶれが揃っています。
 中でも、「未来医師イナバ」こと東京大学医学部附属病院循環器内科助教の稲葉俊郎氏の「いのちの歴史と未来の医療」という論考が掲載されているので、嬉しくなりました。稲葉氏は『唯葬論』(サンガ文庫)の帯に、「人類や自然の営みをすべて俯瞰的に包含したとんでもない本です。世界広しといえども、一条さんしか書けません。時代を超えて読み継がれていくものです」という過分な推薦文を寄せて下さいました。感謝の念でいっぱいです。

   32ページにわたる「問われるべきは『死』ではなく『葬』である」

 わたしは、「問われるべきは『死』ではなく『葬』である」という文章を寄稿しました。同書の226ページから258ページまで、32ページにわたって掲載されています。その内容ですが、『唯葬論』(サンガ文庫)をはじめ、『ロマンティック・デス』(幻冬舎文庫)、『葬式は必要!』(双葉新書)、『永遠葬』(現代書林)、『葬式に迷う日本人』(三五館)、『人生の修め方』(日本経済新聞出版社)などの拙著で展開したわが持論が散りばめられています。

   14の小見出しで「死」と「葬」の持論を展開!

 「問われるべきは『死』ではなく『葬』である」は、「死は『不幸』ではない」「死をデザインする」「葬儀産業の作り出す『陰気』なイメージ」「死生観の変化と新時代の『葬』のあり方」「『死』を『詩』に変える物語の発見」「無縁社会と『贅沢な』葬式」「自分の葬儀をイメージしてみる」「死は最大の平等である」「なぜ儀式を軽視するのか」「儀礼なしに遺体を焼却することの危険性」「『0』と『∞』と『空』と無限のエネルギー」「月は永遠のシンボル」「四つの永遠葬の具体例」「終末・終活から修生・修活へ」の14の小見出しで、わたしの「死」と「葬」についての考え方が述べられています。

 わたしは、最期のセレモニーである葬儀において、故人の魂を送ることはもちろんですが、残された人々の魂にもエネルギーを与えることを指摘しました。もし葬儀を行わなければ、配偶者や子ども、家族の死によって遺族の心には大きな穴があき、おそらくは自殺の連鎖が起きたことでしょう。葬儀という営みをやめれば、人が人でなくなります。葬儀という「かたち」は人類の滅亡を防ぐ知恵なのです。

 オウム真理教の「麻原彰晃」こと松本智津夫が説法において好んで繰り返した言葉は、「人は死ぬ、必ず死ぬ、絶対死ぬ、死は避けられない」という文句でした。死の事実を露骨に突きつけることによってオウムは多くの信者を獲得しましたが、結局は「人の死をどのように弔うか」という宗教の核心を衝くことはできませんでした。言うまでもなく、人が死ぬのは当たり前です。「必ず死ぬ」とか「絶対死ぬ」とか「死は避けられない」など、ことさらあげつらう必要などありません。もっとも重要なのは、人が死ぬことではなく、死者をどのように弔うかということなのです。
 そう、問われるべきは「死」ではなく「葬」なのです。

   「海洋葬」の具体例を紹介しました

   「樹木葬」の具体例を紹介しました

   「天空葬」の具体例を紹介しました

   「月への送魂」を紹介しました

   「禮鐘の儀」を紹介しました

 「問われるべきは『死』ではなく『葬』である」の前半は『ロマンティック・デス』『唯葬論』で展開した抽象的思考というか思想的な部分が展開されていますが、後半は具体的事例が提示され、特に「四つの永遠葬の具体例」ではサンレーが取り組む「葬」イノベーションの数々が紹介されています。わたしが編集の川島氏に「会社の宣伝と誤解されませんか?」と念を押したところ、川島氏は「そんなことはありません。こういう現場からの報告、リアルなレポートが欲しかったんです!」と言って下さいました。

 最後に、わたしは現代日本の「終活ブーム」に言及しました。多くの犠牲者を出した東日本大震災の後、老若男女を問わず、「生が永遠ではないこと」を悟り、「人生の終わり」を考える機会が増えたようです。多くの高齢者が、生前から葬儀や墓の準備をしています。気になるのは、「終活」という言葉に違和感を抱いている人が多いことです。特に「終」の字が気に入らないという方に何人もお会いしました。もともと「終活」という言葉は就職活動を意味する「就活」をもじったもので、「終末活動」の略語だとされています。ならば、わたしも「終末」という言葉には違和感を覚えてしまいます。なぜなら、死は終わりなどではなく、「命には続きがある」と信じているからです。

 そこで、わたしは「終末」の代わりに「修生」、「終活」の代わりに「修活」という言葉を考えてみました。「修生」とは文字通り、「人生を修める」という意味です。かつての日本人は「修行」「修養」「修学」といった言葉に代表される「修める」という心構えを持っていましたが、最近それが失われたような気がしてなりません。そして、「人生を修める」うえで、「人生の卒業式」としての葬儀が重要であることはいうまでもありません。

 未知の超高齢社会を迎えた今、すべての日本人が「老いる覚悟」と「死ぬ覚悟」を持つことが求められます。そのためには「生者と死者との豊かな関係」が不可欠であり、「人生の卒業式」としての葬儀に対する前向きなイメージと姿勢が重要となります。葬儀を行うことをやめれば、わたしたちは自身の未来をも放棄することになるのです。
 ぜひ、『別冊サンガジャパン 死と輪廻』をお買い求めいただき、わたしの「死」と「葬」についての思索とメッセージと行動が凝縮された「問われるべきは『死』ではなく『葬』である」をお読み下さい。

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