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大嘗祭』

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No.1542

 『大嘗祭』工藤隆著(中公新書)を読みました。
 「天皇制と日本文化の源流」というサブタイトルがついています。著者は1942年栃木県生まれ。東京大学経済学部卒業、早稲田大学文学研究科大学院前期課程修了、同博士課程単位取得退学。専攻は日本古代史・演劇研究。大東文化大学文学部日本文学科教員(日本古代文学)等を歴任。
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   本書の帯


 本書の帯には「『秘すべきことがはなはだ多い』儀式の根源を求めて」と書かれています。わたしのハートに100%ヒットする殺し文句であると言えるでしょう。また、帯の裏には「日本人のアイデンティティティーはどのように形成されたのか」として、以下のように書かれています。

「新天皇が、即位後に行う大嘗祭。『秘すべきことがはなはだ多い』とされ、謎が多い。その内容は、豊穣祈願、聖婚儀礼など様々に解釈されてきた。著者は、国家祭祀として姿を現した天武朝から、古墳時代、弥生・縄文時代へと遡って考察し、同時に広くアジアの民俗資料を収集。そのルーツが長江以南地域の古い稲作儀礼にあり、女性原理が濃厚な原初の日本文化と融合したとする。現在に至る日本的心性の基層が、浮かび上がる」
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   本書の帯の裏


 本書の「目次」は、以下のようになっています。

「はじめに」
第一章 大嘗祭をめぐる基礎知識
   1 平安朝大嘗祭
   2 新嘗・大嘗の名称と大嘗祭の価値
   3 大嘗祭の本質・原型・源を探る
第二章 大宝律令に見る天皇祭祀の基本構造  
   1 ヤマト系祭祀の体系化
   2 天皇即位と神祇令祭祀
第三章 大嘗殿でなにが行なわれるのか
   1 稲と〈女〉
   2 廻立殿と大嘗殿
   3 稲の神・アマテラス・天皇霊が混在する
第四章 神話の中のニイナメ
   1 神話に痕跡を残した〈女のニイナメ〉
   2 アジアの稲作儀礼からモデルを作る
   3 縄文・弥生の女性原理濃厚な文化基盤
第五章 男王たちとニイナメ
   1 クニ段階社会の男王とニイナメ
   2 国家段階の天皇のニイナメ
   3 ユキ・スキの語源論
   4 天武・持統朝に大嘗祭の本格的整備開始
第六章 卑弥呼の巫政の体系から神祇令祭祀へ
   1 弥生のアニミズム系呪術の伝統
   2 卑弥呼敵呪術体系はヤマト国家へ
   3 〈古代の近代化〉と「古」への回帰
第七章 ニイナメの語源を探る
   1 〈女のニイナメ〉から語源を探る
   2 ニフの忌みからニヒナメへ
第八章 稲収穫儀礼から天皇位警鐘儀礼へ
   1 〈女のニイナメ〉から大嘗祭への転換
   2 制度化された大嘗祭
 終章 日本的心性の深層
   1 現代天皇制を伝統文化として位置づける
   2 アニミズム系文化と近代文明の融合を
 付章 大嘗祭と現代  
   1 民主主義と大嘗祭
   2 サカツコの復活は求められる
   3 偏った「古」像が近代の皇位継承を不自由にした
   4 皇位継承の危機的状況と女系天皇論
   5 男系優位になるのは六世紀ごろから
   6 女性原理濃厚な天皇存在
   7 天皇文化はアニミズム系文化の貴重な文化遺産
「おわりに」
「引用・参照の文献一覧」

 「はじめに」の冒頭を、著者は以下のように書きだしています。

「大嘗祭は、あたかも地下を流れる伏流水のような、不思議な祭式である。新天皇が誕生するときには一気に注目を浴びて大々的に報道されるが、普段はよほど特別な専門家以外にその存在を意識する人はいない。大嘗祭が終了するとたちまちに報道はなくなってしまい、やがてほとんどの人々の記憶から消えていってしまう。しかし実は、大嘗祭は、次の新天皇の大嘗祭に向けて、地下を静かに流れ続けているのである」

 なぜ、大嘗祭は行われる必要があるのでしょうか。また、大嘗祭とは何か。この疑問について、著者は以下のように述べています。

「専門研究家がその解説に乗り出すのだが、そのときの立場は、宮中諸儀礼にかかわる宮内庁の人が、守秘義務に反しない範囲で内情を教えてくれるものと、学者が平安時代の儀式書などの知識を整理して解説するものがほとんどであった。
 しかし、宮中儀礼といっても、基本的には奈良・平安時代に形の定まったものが多い。したがって、それらより先に遡ってさらに本質・原型・源を追究したいと考えるときには、宮中儀礼の多くはかなりの変質を経たあとのものだからモデルとしては不充分であると考えるほうがよい。そのうえ、大嘗宮の最奥部で行なわれることについては、たとえば後伏見天皇(1298年に大嘗祭)が「詳細については口伝であり諸説があって、最も秘すべきことがはなはだ多い」(『後伏見天皇御記』)と書き記しているように、「詳細」は「口伝」であり「秘すべきこと」なので、宮内庁の関係者といえども肝心な部分については口外できないのである」

 著者は、宮内庁側の述べた、「天皇が神格を得る秘儀」はなく「寝床」に触れることもないというのはその通りだと考えているそうです。天皇位継承儀礼の役割を意識した大嘗祭の最初のものは、天武天皇(40代)の大嘗祭だったと思われるとして、著者は以下のように述べます。

「それまで伝承されてきていたニイナメ儀礼を国家祭祀・大嘗祭として高度な水準へと上昇させるときには、このころすでに祭祀の整備の面ではるかに先行していた伊勢神宮のあり方が参考にされたのではないか。そして、そのときの大嘗殿内陣では、天皇はほとんど神社の神主のような所作しかしなかったのだと思われる」

 続けて、著者は以下のように述べています。

「平安朝の儀式帳によれば、内陣には天皇と共に采女たちも入っているが、彼女たちも基本的には神主の補佐役としての業務しかしていない。とすれば、宮内庁関係者の証言や、平安朝の儀式書の記述にだけ頼っているかぎりは、大嘗祭の本質・原型・源にたどり着くのは難しいということになるだろう。そこで本書では、宮内庁関係者の証言や、平安朝の儀式書の記述を手がかりにしつつも、それらの根底に、水田稲作が開始された弥生時代の稲作儀礼(原ニイナメ儀礼)などの残形・痕跡を見いだすべく努めたいと思う」

 明治22年(1889)制定の「大日本帝国憲法」は、その第1章第1条で「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」としました。また、敗戦後の現憲法(民主憲法)でさえ冒頭に「天皇」条項が置かれているように、天皇制は、日本社会にとって21世紀のいま現在の存在なのです。しかも、天皇の即位の際には、政治儀礼としての即位礼とは別に、神話と呪術に彩られた大嘗祭が必須だというのも、600年代末以来、近代化以降の明治・大正・昭和天皇そして平成期の天皇でも変わらなかったとして、著者は以下のように述べます。

「この大嘗祭というアニミズム系の呪術的儀礼を組み込んだ天皇位継承儀礼は、673年の天武天皇即位のときにその祖型が始まり、次の持統天皇の即位(690年)のときにほぼその主要な構成ができあがったと推定される伝統である。さらに、天皇家の氏神である天照大神を祀っている伊勢神宮も、多くの日本人の敬愛を受けていま現在形で機能している存在であり、伊勢神宮を頂点とする神社文化一般も日常社会に定着している。そのうえ、天皇文化と和歌文化の密接さは誰もが認めるところであり、その和歌文化の源の特に恋歌文化の部分は、日本列島民族(ヤマト族)が長江以南少数民族と共に属した、紀元前以来の歌垣文化圏にその根があったのである」

 第一章「大嘗祭をめぐる基礎知識」の冒頭では、著者は以下のように述べています。

「大嘗祭は600年代末の天武天皇のころから現代まで、南北朝時代(1336〜92)、応仁の乱(1467〜77)、戦国~江戸前期を中心とする12代の天皇を除き、一貫して行なわれている。これを終えて初めて天皇位継承が完結することになるきわめて重要な儀式だが、600年代末の祖型成立当初の史料は少なく、『儀式』『延喜式』等、平安時代の800年代後半以後の史料を中心に研究が進められてきた」

 2「新嘗・大嘗の名称と大嘗祭の価値」では、「大嘗→大嘗会→大嘗祭」として、著者は「大嘗祭というものは、近代的な意味での法秩序とは別次元のところに位置しているのである」と述べ、それは、縄文・弥生時代以来の、アニミズム・シャーマニズム・神話世界性といった、ヤマト的なるものの特性の象徴的結晶であるといってよいとの考えを示します。その上で、著者は「大嘗祭は天皇位の権威の源」として、大嘗祭の本質について以下のように述べます。

「大嘗祭の本質は、単なる天皇位継承の政治的儀礼という範囲にとどまるものではなく、縄文・弥生時代にまで根源を持つ、日本文化の最も深い部分に発しているものであり、天皇の存在がいわばヤマト的なるものの象徴的存在であることを示す儀礼なのである。したがって、大嘗祭は、天皇位の文化的権威の源の表現なので、法的正当性の表現としての即位の儀には別次元にあるのである。すなわち、即位の儀による政治的・法的正当性と、大嘗祭という神話・呪術的正統性とが揃うことによって、天皇位継承は完結したことになる。その結果、天武天皇から現代の平成期の天皇(125代、大嘗祭は1990年)まで、大嘗祭は継続して実施されてきたのである」

 また、「大嘗祭の価値とはなにか」として、著者は、大嘗祭の国家祭祀としての整備の本格的な開始は天武・持統天皇の時代であり、大嘗殿の中での具体的な式・次第の多くの部分は、伊勢神宮を参考にしたのだろうと考えていると述べ、さらに以下のように続けます。

「そのうえで私の立場は、その政治的儀礼の部分は即位の儀のほうに集中させ、その即位の儀のあとに挙行される大嘗祭では『新嘗の祭、つまり収穫祭』の要素を含み込んで形成された点、すなわち弥生時代以来のニイナメの呪術的儀礼の部分をいくぶんでも継承しようとした点にこそ、現代社会にまで通用する価値があるとするものである。この『新嘗の祭、つまり収穫祭』の要素こそが、縄文・弥生時代以来の、アニミズム・シャーマニズム・神話世界性といった、ヤマト的なるものの特性の結晶として、日本文化のアイデンティティーにかかわる部分なのである」

 3「大嘗祭の本質・原型・源を探る」では、著者は以下のような考えを示しています。

「大嘗祭の本質・原型・源を探るには、このような平安朝にできあがっていた国家祭祀・大嘗祭のイメージを超えて、視界を時間的には縄文・弥生・古墳時代にまで遡らせなければならないし、空間的には、少なくともアジア全域にまで拡大しなければならないのである」

 第二章「大宝律令に見る天皇祭祀の基本構造」の1「ヤマト系祭祀の体系化」では、「鎮魂(おおむたまふり)の祭」として、著者は以下のように述べています。

「『鎮魂』の『鎮』には、『安んじる』という意味とともに『おさえ、しずめる』という意味もあり、『風土記』(700年代中期)などに祟り神を『鎮』めるというふうに使われる例もあるので、災いをもたらすものを押さえ込んで撃退するという意味が派生してくる。威力を持った者が非業の死を遂げた場合などに、その死霊が崇りをなさないように祀る御霊信仰(特に平安時代に流行した)には、この意味での『鎮』の意識がある」

 続けて、著者は以下のように述べています。

「災い・悪霊・死霊などを撃退する意では『祓ふ(う)』というヤマト語があり、その源は縄文・弥生にまで遡るであろう。そして、後世になると『鎮魂』の『鎮』に、この祓いの意味合いが重なり、死霊の災いを防ぐという意義が突出して、本来の、(まだ生きている人の)病気治しの呪術という役割が忘れられ、『鎮魂』はもっぱら死者に対して行なうものとなった。現代では、これがさらに転じて、死者を哀悼し、慰めるという意味が主になっている。
 繰り返すが、本来の『たまふり』というヤマト語には死者の祟りを防いだり、死者を哀悼する目的はなく、むしろ生者の病気治療、生命力の更新・再生に目的があったと考えられる」

 第三章「大嘗殿でなにが行なわれるのか」の冒頭では、著者は以下のように書いています。

「平安朝の儀式書からわかる平安朝大嘗祭のあり方を分析すると、稲と〈女〉を重視する、おそらくは原型的なニイナメの一部を継承している前段と、伊勢神宮の祭祀を参考にして天皇が神主的存在になっている後段との二段構成になっていることがわかる。この後段の部分に、国家祭祀として整備される以前の"前大嘗祭"の像を投影すると、折口信夫のように、天皇が実際に『寝具』の中に入って『一時眠る』、あるいは『聖躬』つまり先天皇の遺体と新天皇が『一つ衾』に入ると想定する説が出てくる。一方で、岡田精司のように、『大化前代』と限定してはいるが、采女との『性的儀礼』を推定する説もある」

 2「廻立殿と大嘗殿」では、著者は民俗学者の折口信夫の考えを以下のように紹介しています。それは、非常に過激なものでした。

「『聖躬』つまり先天皇の遺体と新天皇が『一つ衾』に入るという、すさまじい想定もしている。しかし、即位と違って大嘗宮での行事は、先天皇の死から少なくとも4か月以上あとに行なわれるものであるから、遺体の腐乱の進行からみても、現実的には不可能なことであった。たとえば、天武天皇の死は686年9月、その葬儀は2年後688年11月、次の持統天皇の即位は690年1月、大嘗祭は691年11月というように、持統天皇の大嘗祭は先天皇の死から5年2か月後のことであった。なお折口は、天皇の身体を『天皇霊』を移し入れる『容れ物』であると考えていた」

 3「稲の神・アマテラス・天皇霊が混在する」では、著者は「アニミズム・シャーマニズム・神話世界と天皇霊」として、以下のように述べています。

「『天皇霊』や『現人神』という言葉は、『日本書紀』では、類似の表現が、『聖帝之神霊』(垂仁天皇・後紀)、『天皇之神霊』(景行天皇28年)、『皇霊之威』(同40年)、『吾【日本武尊】は是、現人神【景行天皇】の子なり』(同40年・是歳)、『天地諸神及び天皇霊』(敏達天皇10年)、『天皇之霊』(天武天皇元年)、『皇祖御魂』(同10年)というように、天皇の身体の中に『霊』や『神』や『魂』が存在しているとする表現として登場している。これらは、自然界のあらゆる物・現象の中に、超越的・霊的なもの(カミ)の存在を感じ取るアニミズム的な観念の延長線上にある」

 また、著者は以下のようにも述べています。

「『天皇霊』や『現人神』という観念の存在は、アニミズムや神話世界的な観念をもとにした呪術・儀礼行動(シャーマニズム)が、600、700年代の〈古代の近代化〉においても、天皇位の超越性を保証するものとして不可欠なものとされたということを示している。そしてそれは、1800年代末の明治の近代化においても踏襲され、1945年の敗戦以後も象徴天皇制として継承された。そしてそれは、現代の天皇でも、即位するときに大嘗祭を欠かすことのできない理由でもある。なお、1945年の敗戦後には、1946年1月1日に、天皇はいわゆる"人間宣言"を発した」

 さらに、著者は大嘗祭の正体について、以下のように述べます。

「大嘗祭は、天皇が、高天の原神話のアマテラスオオミカミの系譜の聖なる存在であり、かつ弥生時代にまで遡るニイナメ儀礼の継承者であることを示す、アニミズム・シャーマニズム・神話性の強い祭儀である。しかし、だからこそ新天皇には、即位の儀による法的正統性だけでなく、大嘗祭によって神話・呪術性の継承者であることも示す必要があるのである」

 第五章「男王たちとニイナメ」の3「ユキ・スキの語源論」では、著者は「ユキ・スキ国での行事の中心は酒造りのための稲の収穫」として、以下のように述べています。

「大嘗祭当日の行事は、秋→冬→春という、季節の仮の死から復活へという一連の流れを一夜に凝縮させているのである。そのうえ、スキ殿での行事が終わることによって初めて、季節が復活して春が到来し、稲もまた翌年の稔りへと歩み出すとともに、新天皇の誕生をも象徴しているのだから、あえていえば、このスキ殿での行事こそが大嘗祭の頂点なのである。この点からみて、『スキ』という語が『副次』だというのは説得力を欠く。スキ殿での行事は『副』なのではなく、むしろ『主』なのである」

 続けて、著者はスキ殿での行事について、以下のように述べます。

「そのように、大嘗祭ではスキ殿での行事こそが『主』であるという意識があったとすれば、平安朝の儀式書『儀式』『延喜式』の践祚大嘗祭条がいずれも『主基』という当て字を選択したことにも納得がいく。スキ殿での行事は『主』にして『基本のもの』だから『主基殿』だという思いを込めた当て字だったのであろう」

 4「天武・持統朝に大嘗祭の本格的整備開始」では、「剣・鏡・勾玉・璽」として、著者は以下のように述べています。

「武力王・行政王としての天皇位継承儀礼としては、『神璽の剣・鏡』あるいは印章と組紐といった聖なる器物が新天皇に渡されることが絶対条件だったのであろう。この持統4年条に『天神寿詞』とともに、『神璽の剣・鏡』の献上が明記されたのは、そのは武力王・行政王の側面の正統性は、このような聖なる器の継承で完結するということを、制度的に表現したのであろう。
 しかし、にもかかわらず、神話王・呪術王としての天皇位継承儀礼も不可欠だとして、聖なる器の継承という即位儀礼とは別に、『天神寿詞』という神話的呪詞を登場させ、かつ季節を冬(旧11月)に限定した大嘗祭の本格的整備も開始したところに、天武・持統朝の思想的意志が表れている。武力王・行政王としては律令制度を導入するなどして積極的に〈古代の近代化〉を推進しているが、一方で神話王・呪術王としての属性も天皇存在に不可欠なものとして、その制度的強化がなされた」

 続けて、著者は以下のように述べています。

「持統政権は、天武天皇以来の、『古』への回帰志向を濃厚に表現した『古事記』の編纂を継続し、神話的世界に彩られた神祇令祭祀を整備し、弥生時代の高床式殿物倉庫に核心を持つ伊勢神宮の遷宮制度を開始し、そして弥生時代の水田稲作儀礼のニイナメ儀礼を中核に据える大嘗祭の整備も開始するなど、古帰りも積極的に推進したのである」
さらに、著者は以下のように述べています。

「天皇が、縄文・弥生期以来のアニミズム・シャーマニズム系文化の伝統を体現した神話王・呪術王でもあることを示すためには、剣・鏡など舶来品による武力王・行政王としての権威づけだけでは不充分であり、それらとは別に、ニイナメ儀礼を中核に持つ大嘗祭の整備も必要だと考えたところに、天武・持統政権が目指した天皇像があったということは確実であろう」

 付章「大嘗祭と現代」の1「民主憲法と大嘗祭」では、「神道的なものは前宗教・半宗教」として、著者は以下のように述べています。

「日本には1500年弱前に仏教が渡来したが、仏教には『聖書』『コーラン』にあたる絶対の教典はなく、人生哲学的側面も強いので、日本のアニミズム・シャーマニズム・神話世界の中に融け込む形で変容し、本格宗教に近い性格を弱めつつ存続している。
 論を元に戻せば、天皇は前宗教、半宗教の神道の、『現人神』の系譜の存在だということになる。そこで私は、『天皇文化は超一級の無形民俗文化財』だと述べたのである」

 そして、7「天皇文化はアニミズム系文化の貴重な文化遺産」として、著者は以下のように述べるのでした。

「私は、本書で述べてきたように、天皇制は、できるかぎり政治的実権から距離を置いた形でという条件をつけたうえで、超一級の無形民俗文化財として存続させるべきだと考えている。無形民俗文化財というもののほとんどは、近代的合理主義や民主主義とは相容れない部分を持っているものである。私は、日本が西欧的近代化を受け入れることができたにもかかわらず、縄文・弥生時代に発する、神話と呪術を根拠に持つアニミズム系文化も色濃く残せたということは、その弱点を制御する知恵さえ持てば、どれだけ幸運で、世界的視野の中でもどれだけ貴重なことであるかと感じているのである」

 この著者の「天皇文化は超一級の無形民俗文化財」とか「天皇文化はアニミズム系文化の貴重な文化遺産」といった表現には抵抗を覚える人もいるかもしれませんが、その趣旨は明快で説得力も富んでいると思います。
 最後に著者は、「大嘗祭を、現憲法や現『皇室典範』の条文との整合性の問題に矮小化することなく、また平安期の儀式所の記載との照合のレベルで終わらせるのでもなく、大嘗祭とはなにか、天皇とはなにかにいう本質論として、日本人のアイデンティティーの問題と連動させながら論じることが重要なのである」と述べて、本文を終えています。

 昨年12月、今上陛下の御譲位日が平成31年4月30日に正式決定し、これにともなって、東宮殿下が翌5月1日に御即位されることになります。著者には、すでに『大嘗祭の始原』といった著作がありますが、今回の御代代わりに際し、今までの著者の研究成果を踏まえた集大成として本書は刊行されました。帯には「秘すべきことがはなはだ多い」と大書されていますが、この大嘗祭が持つ「秘儀」的な部分は多くの研究者を惹きつけてきました。

 その代表格は日本民俗学の大家たる折口信夫であり、彼が著した『大嘗祭の本義』は、大嘗祭研究の絶対的な定説として、近年まで、長い間君臨してきました。折口論の特徴は非常に幻想的で魅力的なことですが、その反面、根拠に乏しく、決定的に理解しづらいという欠点も持っていました。本書は近年の研究結果に基づいてそうした従来の折口説を踏まえつつも批判的に検討し、尚且つ、新書という限られた紙面の中で、歴史学と人類学の視点から、非常に難解になりやすい大嘗祭を、その基本構造や意味から、理解しやすい形にして解説しています。

 本書はその他にも、アジア的視点を踏まえた大嘗祭や天皇制度の価値についても肯定的に論じており、これらが日本、そしてアジア諸国の儀礼や文化の中で持つ役割とその重要性についても言及しています。いわば、わたしたち日本人がどこから来てどこへ行くのかという問いに、ひとつの回答を示した書物であると言えるでしょう。大嘗祭は国家祭祀として極めて重要な位置を占め、これを行えなかった天皇は天皇として不十分な存在であるとして「半帝」と称されることもありました。

 あと2年弱後に迫った、日本の儀式の根源のひとつともいえるこの大礼に臨むに際して、まずは本書を手に取られてみてはいかがでしょうか。
 最後に、大嘗祭は「儀式の根源」とも呼ばれますが、わたしも『儀式論』(弘文堂)の中で大嘗祭については詳しく言及しました。