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超訳 報徳記』

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No.1533

 
 この読書館でも紹介した『教養として知っておきたい二宮尊徳』を読んだら、尊徳のことをもっと知りたくなりました。そこで、『超訳 報徳記』富田高慶/原著、現代語訳/木村壮次(致知出版社)を読みました。「『代表的日本人』の生き方に学ぶ」というサブタイトルがついています。
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    本書の帯


 本書の帯には「二宮尊徳の高弟・富田高慶が師の言行を記した名著ここに現代語訳で甦る」「尊徳のことをまるで知らない人が日本にあつたら、日本人の恥だと思ふ―武者小路実篤」と書かれています。

 アマゾンの「内容紹介」には以下のように書かれています。

「薪を背負った姿で子供たちに親孝行と勤勉の大切さを説く二宮尊徳。六百余の寒村を立て直した業績や教えは、伝記『報徳記』を通して世に広まり、渋沢栄一や松下幸之助といった経営者にも影響を与えました。本書はそんな『報徳記』から重複した記述や現代に合わない箇所を削除し話の流れを整理した"超訳本"です。積小為大の理を悟ったという『捨苗から籾一俵を収穫した逸話』を初め、信賞必罰の工夫、再建の四つ柱『至誠』『勤労』『分度』『推譲』の実践などが克明に描かれる本書。江戸末期同様、経済や人心の復興が叫ばれる現代にも有効な教えが満載です」

 本書の「目次」は、以下のようになっています。

「はじめに」
「報徳記例言」
巻の一
一.艱難辛苦の少年時代
二.小田原藩の家老服部家の再建
三.藩主から桜町領の復興を命じられる
四.桜町陣屋において復興事業に着手
五.桜町仕法の初期
六.無法な農夫を改心させる
七.成田山に祈願する
巻の二
一.開墾人夫を賞する
二.横田村の名主円蔵を諭す
三.物井村の岸右衛門を導く
四.天保大飢饉に備える
五.桜町三ヵ村、十余年で復興する
六.無法な農夫を改心させる
七.辻・門井二村の名主を諭す
八.青木村の衰廃を興す
九.青木村の貧民を諭す
巻の三
一.烏山の円応和尚、尊徳に教えを請う
二.烏山家老菅谷、藩士を桜町に遣わす
三.分度こそ復興の本
四.円応、尊徳に鮎を贈る
五.尊徳、円応の死を嘆く
六.烏山仕法の中止と菅谷の追放
巻の四
一.大磯の孫右衛門を諭す
二.中村玄順、尊徳に教えを受ける
三.細川家、尊徳に復興を依頼
巻の五
一.細川家の分度を定める
二.細川領を復興し、負債を償う
三.細川公の大坂勤務とその道の説示
四.小田原の忠真公、尊徳に飢民の救済を命ずる
五.小田原公の逝去と遣言
六.小田原領の飢民の救済にはげむ
七.分度なくして復興なし
八.尊徳の桜町への引揚げと小田原領民の仕法懇請
九.三幣又左衛門、尊徳の教えに従わず罷免される
十.小田原の仕法、破棄される
巻の六
一.下館藩主、尊徳に復興の良法を依頼
二.下館藩困窮の原因を論ずる
三.下館藩家老上牧を諭す
四.下館藩の分度を定める
五.下館領内に復興安民の仕法を実施
六.相馬中村藩の盛衰の概略
七.相馬の使者一条、君命を奉じて桜町に至る
八.草野正辰、尊徳に政治の要を問う
九.草野、尊徳の仕法を聞き領民を救済
巻の七
一.池田胤直、尊徳に治国の道を問う
二.相馬家の分度を確立する
三.成田・坪田両村に良法を開始する
四.相馬領郡村の嘆願に応じ良法を拡張する
五.相馬領の村々、再復して美風みなぎる
六.相馬公自ら領民に勤農の道を諭す
七.相馬充胤、日光神領の復輿に資金を献納
八.幕府の命を受けて印旛沼の掘割見分に行く
九.仕法は普遍の法則
巻の八
一.真岡代官山内総左衛門の配下となる
二.下野国石那田村の堰を築造
三.日光神領を廻村し、復興事業に着手
四.日光仕法、進展する
「尊徳から影響を受けた著名な経営者たち」
「二宮尊徳関係年表」
「おわりに」

 「はじめに」で、訳者の木村氏は以下のように述べています。

「尊徳は地域復興に当たって「至誠」「勤労」「分度」「推譲」を改革の柱として、人びとに自立を奨励し、相互扶助を求めていました。こうした業績と尊徳の教えを記した伝記が、富田高慶(相馬藩家臣)の『報徳記』です。相馬藩主であった相馬充胤がこの『報徳記』を明治天皇に献上したところ、これを読んだ明治天皇は、維新の改革にとって重要なことが書かれているとして、これを全国の知事をはじめリーダーらに読むようにはかったのです。その後、農商務省、大日本農会から『報徳記』が刊行され、広く世に知れ渡り、"志"を抱いていた様々な分野の人たちに大きな影響を与えました。実業界では、渋沢栄一、安田善次郎、豊田佐吉、松下幸之助、土光敏夫、稲盛和夫など偉大な経営者の多くが尊徳から学び、企業を起こしたり成長させたりしたほか、社会貢献も果たしています」

 「巻の一」には「少年期のエピソード」が付記されています。
 たとえば、以下のように書かれています。

「金次郎が世話になった伯父の万兵衛は、ケチとか強欲のように記述されています。このため、武者小路実篤や幸田露伴の『二宮尊徳』でも、万兵衛はかなりの意地悪のように書かれており、子供向けの伝記やマンガ本でもそのように描かれています。しかし、万兵衛は金次郎を早く一人前の勤勉な農民に育てようとした行為で、損な役回りとなってしまったように思われます。もし万兵衛が甘やかしていたら後の尊徳は誕生していなかったかもしれません」

 また、「抜群の事業家センス」という付記には、こう書かれています。

「尊徳の経済的センスは、田畑の獲得方法でも発揮されています。田畑を増やすには、自分で荒地を開拓する方法と、田畑を買う方法がありますが、尊徳は開拓に重点を置きました。それは、開拓した田には、7年程は年貢(租税)がかからないというメリットがあったからです。そして、無税の期限が切れると、その田は小作(地主に小作料を払って農業を営むこと)に出しました。小作に出せば、小作料が入って来るので、それらの金が貯まると、田畑を買って増やすという方法をとったのです。20歳の時に9畝(約9アール)余りの田を買い戻してから、31歳の時には、3町8反余り(約3.8ヘクタール)の田地を保有して、村の中でも指折りの大地主となっていました。このように、尊徳は金銭の重要性を十分に知っており、若い時は、勤め人、商人、金融などと多方面で活躍した実業家でした。他方で、若い頃は、お金が貯まると本を買い集めたほか、24歳の時には50日ほどかけて江戸、京、大坂、金比羅、高野山、伊勢などを旅行して知識を広めています」

 「藩主から桜町領の復興を命じられる」では、尊徳が江戸における巣鴨と日本橋を例に出して、復興事業の本質を説きます。以下のような内容です。

「日本橋は家賃がいくら高くても商売の利益が大きいため、人びとは争ってそこに居住し富を得ます。他方、巣鴨のような不便なところは、商売の利益は少ないため、家賃が安いといっても人びとは住みたいと望みません。だから貧困は免れないのです。
 つまり上国は税金が多くても利益が多いので繁栄し、下国は税金が少なくても田畑の生産が少ないために難儀は免れないのです。これは土地の状態が良いか悪いかの結果です。ですからこのような下国を上国のように栄えさせようと望むなら、仁政を行わなければなりません。温泉は人の力に頼らなくても年中温かです。しかし、風呂はしばらく火をたかないでいるとすぐに冷たい水になってしまいます。上国は温泉のようで下国は風呂に似ています。つまり仁政を行う時は栄え、仁政が行われない時は衰えるのです」

 「巻の八」の最後では、尊徳の最期が木村氏によって以下のように付記されています。

「尊徳は死に当たって『葬るのに、分を越えてはならない。だから、墓石を建ててはならない。碑も建ててはならない。ただ土を盛り上げて、その傍らに松か杉の木を一本植えておけばそれでよい。必ず私の言うことを違えてはならない』と弟子たちに厳命しています。遺体は、尊徳の夫人の意向によって、現在の今市二宮神社の本殿の後方にあたる如来寺の境内に葬られました」

 この読書館でも紹介した内村鑑三の名著『代表的日本人』では、西郷隆盛、上杉鷹山、中江藤樹、日蓮と並んで二宮尊徳が取り上げられていることは有名ですが、他にも名だたる人物たちが尊徳のことを絶賛しています。「尊徳から影響を受けた著名な経営者たち」に以下のように紹介されています。

●武者小路実篤(文豪)
「尊徳のことをまるで知らない人が日本にあつたら、日本人の恥だと思ふ」

●渋沢栄一(日本資本主義の父)
私は、あくまでも尊徳先生の残された四ヵ条の美徳(至誠、勤労、分度、推譲)の励行を期せんことを願うのである

●安田善次郎(安田財閥の祖)
「私の資産を作った一大原因は『分限を守る』という決心を固く実行したためである。......尊徳翁の教えにも分限論はよほど懇切に説いてある」

●御木本幸吉(真珠王)
「海の二宮尊徳たらん」

●土光敏夫(昭和の実業家)
「国の内外を問わず世界の大勢は多くの分野で行きづまりに直面し、この困難な状況を克服する上で、対処する方法手順を与えてくれるものが報徳の道にあると信じます」

●森信三(国民教育の師父)
「古来尊徳翁ほどに微賎な身分から身を起こして、一般の庶民大衆にも近付きやすい大道を示された偉人は、比類がないと言ってもよい」

●土光敏夫(経団連会長)
「国の内外を問わず世界の大勢は多くの分野で行きづまりに直面し、この困難な状況を克服する上で、対処する方法手順を与えてくれるものが報徳の道にあると信じます」

●松下幸之助(昭和の経営の神様)
「商売というものは、利益を抜きにしては考えられない。しかし利益を得ること自体が商売の目的ではないと思う。やはり大事なことは暮らしを高めるために世間が求めている物を心をこめてつくり、精一杯のサービスをもって、提供してゆくこと、つまり社会に奉仕してゆくということではないだろうか」

●稲盛和夫(平成の経営の神様)
「二宮尊徳は生まれも育ちも貧しく、学問もない一介の農民でありながら、鋤一本・鍬一本を手に、朝は暗いうちから夜は天に星をいただくまで田畑に出て、ひたすら誠実、懸命に農作業に努め、働きつづけました。そして、ただそれだけのことによって、疲弊した農村を、次々と豊かな村に変えていくという偉業を成し遂げました。真の貴人のごとく威厳に満ちて、神色さえ漂っていたといいます」

 さらに、佐久間貞一(大日本印刷の前身 秀英社創立)、荘田平五郎(三菱財閥の推進者)、伊庭貞剛(住友財閥の総理事)、鈴木馬左也(伊庭の後継者)、早川千吉郎(三井財閥の形成中央報徳会の理事長)、小倉正恒(住友の総理事)、大原孫三郎(倉敷紡績、大原美術館、孤児院、病院などを建設)、畠山一清(ポンプメーカー荏原製作所)、河本春男(バウムクーヘンのユーハイム社)、塚越寛(かんてんぱぱの伊那食品工業)など、日本経済の発展に尽くした多くの経営者が尊徳から多大な影響を受けています。二宮改めて、尊徳の偉大さを痛感せざるをえません。