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猪木は馬場をなぜ潰せなかったのか』

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No.1481


 政府が北朝鮮への渡航自粛を要請している中、7日からアントニオ猪木参議院議員が北朝鮮を訪問します。猪木氏は「世界はどうであろうと、わたしなりの平和を。不合理なことは、わたしみたいな人間じゃないと言えないじゃないですか」と語りました。9日の北朝鮮の建国記念日に合わせて、スポーツ交流などを目的に、11日までかの国に滞在するそうですが、その行動力と勇気には感嘆するばかりです。無事に帰国されることを祈ります。

 さて、『猪木は馬場をなぜ潰せなかったのか』西花池湖南著(河出書房新社)を読みました。この読書館でも紹介した『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』を連想させるというか、明らかに意識したタイトルですが、本書には「80年代 プロレス暗闘史」というサブタイトルがついています。

 著者は1961年生まれで、同志社大学卒。1980年代から90年代にかけて新書をメインにした出版社に在籍。当時、売れないとされてきた「活字プロレス路線」と新書哲学を組み合わせ、十数冊に及ぶプロレス探究本を世に問い、好評を博したそうです。
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   本書の帯


 カバー表紙には、アントニオ猪木とジャイアント馬場の両雄の顔のイラストが描かれ、帯には「新日VS全日、生き残りを賭けた"場外死闘"の内幕!」」「プロレス黄金期の絶頂と落日を深層解読」「引き抜き、鞍替え、造反、新鋭台頭、興業戦争・・・」と書かれています。
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   本書の帯の裏


 また帯の裏には、「1980年代初頭、猪木の新日本には全日本を壊滅に追い込み、一党独裁を築く意志があったし、それだけの実力もあった・・・」「猪木・馬場という二極を軸に繰り返される離合集散。渦中のレスラーそれぞれの野望とは。血みどろの真相を掘り起こす!」と書かれています。

 本書の「目次」は以下のようになっています。

「1983年、なぜ馬場・猪木の絶対時代に「穴」が開いたのか?―まえがき」
序章【前史】馬場が敗北、猪木が勝利した10年戦争
   破綻寸前まで追い込まれていた全日本の凋落―
1章【1981年】スタン・ハンセンの衝撃
   全日本消滅への「最後の詰め」を誤った新日本―
2章【1982年】タイガーマスクの天下
   超天才の煌めきで隠された、猪木・新日本の綻び―
3章【1983年】長州力の驀進
   IWGP迷走に始まる、猪木バブルの崩壊と革命の勃発―
4章【1984年】藤原喜明の悶絶
   第1次UWFが提示した、馬場・猪木抜きのプロレス―
5章【1985年】ブルーザー・ブロディの咆哮
   落日の猪木、復権する馬場、そして革命勢力の蹉跌―
6章【1986年】前田日明の風雲
   猪木神話の終焉と新格闘王伝説の始まり―
7章【1987年】天龍源一郎の決意
   旧態依然の全日を変えた、造反なき革命―
8章【1988年】藤波辰爾の挫折
   飛龍革命の失敗とともに始まる第2次UWFの快進撃―
9章【1989年】そして、ドームへ
   テレビプロレスが終わり、次世代の成功が準備された―
「あとがき―芸術文化となったプロレスの未来」

 この「目次」、練りに練られているというか、非常に考え抜かれたコピーが並んでいます。猪木と馬場とプロレス界の動きを時系列で追っているので、因果関係がわかりやすいです。また、各章には、ハンセン、タイガーマスク、長州、藤原、ブロディ、前田、天龍、藤波といった昭和プロレス黄金期のレスラーたちの名前が並んでいるところも、「よく考えたなあ」と感心しました。

 「1983年、なぜ馬場・猪木の絶対時代に『穴』が開いたのか?―まえがき」で、著者は「絶対者が、最高権力を奪われた瞬間」として述べています。

「1972年、馬場と猪木はそれぞれ独立、全日本と新日本を起業した。全日本は日本テレビと組み、新日本はテレビ朝日の支援を受け、両者は激しい人気獲得競争を繰り広げてきた。その馬場と猪木の10年戦争は、1980年代初頭ですっかり勝敗がついていた。猪木の新日本は観客動員力、視聴率で、馬場・全日本に対してつねに優位にあり、圧勝しているとすらいえた。日本テレビは馬場の不甲斐なさに業を煮やし、社長を送り込んだのである。1970年代の馬場は経営の敗北者であった」

 しかし、その後、猪木のほうもサイドビジネスであるアントン・ハイセル事業の失敗で多額の借金を抱え、新日本プロレスでは猪木を追放するクーデターが勃発します。社長の座をいったん追われた猪木ですが、馬場とは逆にテレビ局に助けられました。テレビ朝日がクーデター派を許さず、猪木の復権を推したのです。それからの猪木は新日本の絶対者として恐れられながらも、孤独な経営者となっていきます。一時は馬場・全日本を叩き潰そうとしていた猪木でしたが、それどころではなくなっていきました。

 「猪木の復権後、なぜ、プロレス世界は動乱の時代を迎えたのか?」として、著者は以下のように書いています。

「馬場・猪木2人の一時的な落日は、両者の対立時代をほぼ完全に終わらせた。1982年ごろから両者は水面下で接近していたが、1983年夏以来、両雄に争っている暇はなかった。彼らは外よりも内部の敵と戦わねばならなかったのだ。その内部の敵こそが、新たな時代の創造者でもあった」

 続けて、著者は以下のように述べています。

 

「馬場が居場所を失った全日本では、日本テレビから出向した松根社長による改革が進行していく。全日本改革は、外国人レスラーに頼らず、ジャンボ鶴田、天龍源一郎という『強い日本人レスラー』を看板にしようとするものであり、レスラー・馬場の地位を脅かした。一方、新日本ではクーデター劇の余波から相互不信が蓄積、内紛につぐ内紛となる。猪木から、配下のレスラーたちが去っていく時代を迎えた」

 本書を読んで何よりも驚いたのは、全日本の経営が本当に赤字続きで、経済的に困窮していたという事実を知ったことです。NWA世界ヘビー級チャンピオンをはじめ、あれだけ豪華なレスラーを揃えていたので、新日本に比べて全日本のほうがずっと豊かだと思い込んでいました。後楽園ホールのような小規模な会場をよく利用するのも、「使用料が安い」という経済的理由ではなく、「観客席と近くてライブ感がある」といった興業上のポリシーからだとばかり思っていました。

 序章「【前史】馬場が敗北、猪木が勝利した10年戦争」では、「全日本と新日本の戦いは、1980年、すでに決着を見ていた」とし、著者は述べます。

「全日本の興業能力の低さは、1981年になっても変わらない。この年、馬場は『3000試合突破記念試合』を2度にわたって行っている。相手は、AWA王者バーン・ガニアとNWA王者のハーリー・レイスだ。馬場は短期間にAWA王者、NWA王者をつづけて招聘、晴れの舞台の相手としたのだ。そこには馬場のブランド趣味が横溢しているが、会場はともに小型の後楽園ホールである。節目となるおめでたい試合、それも大物外国人レスラーを招いての試合を、後楽園ホールでしか催せなかった。馬場の全日本に、蔵前国技館や日本武道館に打って出る能力と意志がなかったということだ」

 それから、さらに全日本は困窮していきます。「1981年、全日本は倒産の危機にすらあった?」として、著者は以下のように述べます。

 

「給料の現物支給は、困窮した赤字会社の窮余の一策だ。プロレスの世界でも、赤字インディー団体は給与をチケットで、という手法を取りがちだが、業界2大団体である全日本もそこまで陥っていたのだ。天龍の日本デビューは1977年だから、1978年、1979年あたりは苦しい会社経営だったと推察できる」

 川田利明の全日本入りは1982年ですが、彼の証言によれば、それ以降もそんな給与の現物支給時代が続いていたそうです。生前の馬場はつねづね「給料を遅配させたことがない」と自慢していましたが、その裏で給与の現物支給に頼っていたのでした。この事実には驚きました。その後、新日本は全日本を完全に潰すチャンスが何度かあったのですが、失敗しました。その最大の原因は、アブドーラ・ザ・ブッチャーに始まる一連の引き抜き戦争に敗れたことです。新日本は看板外国人選手であったタイガー・ジェット・シンおよびスタン・ハンセンを全日本から引き抜かれ、そのままクーデター事件へと転がり落ちていくのでした。

 「あとがき―芸術文化となったプロレスの未来」の冒頭を、著者は以下のように書きだしています。

 「日本のプロレスは、アメリカから輸入されたプロレスに日本の格闘術、さらには世界の格闘術が加わった独自のものだ。1954年、力道山の爆発的人気によって、その歴史がはじまり、半世紀以上にわたってファンから愛され、愛ゆえにときには罵倒されてきた。時代の主ですらあり、気がついたら、日本のプロレスはひとつの肉体芸術文化にすらなっていた。
 ただ、多くの芸術文化は進化の過程で行き詰まっていく。日本の能、歌舞伎、浮世絵、西洋のクラシック音楽、オペラにしろそうだ。きらびやかな天才たちが登場、新たなスタイルが次々と創出されていく怒涛のように時代が過ぎ去ると、すべては煮詰まり、その先の創造が見えなくなる」

 この一文は、素晴らしい名文であると思いました。
 プロレスをこのように表現した例を、これまで知りません。
 そして、著者は最後に以下のように述べるのでした。

「ひとつのジャンルが進化をつづけ、文化芸術となるケースは、そうそうあるものではない。昭和生まれのプロレスファンは、そんな歴史的にも稀有な時代に立ち会うことができたのである。あとは、その豊饒な記憶をいかに後世に伝えていくかだ。日本のプロレスがこれから困難な時代を迎えるかもしれないからこそ、日本のプロレス史をまとまった形で残していきたい。そんな思いから、本書を企画、執筆した」

 たしかに本書を読めば、著者のプロレスへの思いを感じることができます。1981年から89年までは、まさに昭和プロレスの黄金時代でした。本書に書かれていることは、全日本プロレスの経営の実態に関する話を除けば、ほとんど知っていることばかりでした。しかし、プロレスのことを日本を代表する「芸術文化」とまで表現する著者の姿勢には感銘を受けました。
 そして、時系列に沿って新日本と全日本の企業戦争を描いたくだりは、1人の経営者として大いに考えさせられるものがありました。

 そう、本書は経営書であり、ビジネス書でもあるです。