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ゴリラは戦わない』

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No.1457


 『ゴリラは戦わない』山極壽一・小菅正夫著(中公新書ラクレ)を読みました。元京大総長と前旭川動物園長の対談本です。「平和主義、家族愛、楽天的」というサブタイトルがついていますが、ゴリラが知っている幸せの生き方を探る内容です。AI化する現代社会の中で生きる人間社会に一石を投じ、人間がいつのまにか忘れた人生観を思い出させてくれる一冊です。
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   本書の帯


 帯にはゴリラの写真とともに、「京大総長VS.旭山動物園前園長」「ゴリラから幸せな生き方を学ぶ!!」と書かれています。また帯の裏には、小菅氏の「ゴリラが人間の生きる道を指し示してくれている」、山極氏の「ゴリラのオスは背中で自分を語る」という言葉が紹介されています。
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   本書の帯の裏


 さらにカバー前そでには、以下のような内容紹介があります。


「ゴリラの世界は、誰にも負けず、誰にも勝たない平和な社会。石橋を叩いても渡らない慎重な性格で、家族を愛し、仲間を敬い、楽天的に生きる。人間がいつのまにか忘れてしまった人生観を思い出させてくれる『ゴリラ的生き方』とは何か? 京都大学総長と旭山動物園前園長が、ゴリラの魅力について存分に語り合った話題の一冊!」

 本書の「目次」は、以下のような構成になっています。


「ゴリラの学校」山極壽一
第一章 ゴリラは人間よりカッコいい!!  
   1 ゴリラは人間を超えている
   2 「戦わない」ゴリラ的平和主義
   3 ゴリラが人間の生きる道を指し示してくれている
第二章 人間はゴリラに学べ!!
   1 ゴリラの性
   2 ゴリラの食物事情
   3 繁殖をさせられなければ動物園ではない
   4 動物園の動物たち
「チンパンジーの『ゴクウ』の話」小菅正夫

 本書の冒頭の「ゴリラの学校」の最後に、山極氏は述べています。


「動物園はこれからますますその役割を強めていく筈である。超スマート社会の到来で、人間が自然と離れていくのを食い止めてくれるのが『野生の窓』である動物園だからである。だからこそ、動物園は野生を忘れてはいけない。そして、野生動物たちが急速にその本来の暮らしを失いつつあることも忘れてはいけない。私たちはまだ野生動物から学ぶことが沢山ある。野生を失った時、動物園も人間も進化の歴史から切り離された、ただの人工物に成り下がってしまうからである」

 第一章「ゴリラは人間よりカッコいい!!」の1「ゴリラは人間を超えている」では、山極氏が相撲に言及して興味深い発言を行っています。


「相撲の力士の動きをみていると、ゴリラのディスプレイとそっくりな部分があるんです。例えば力士は、土俵に出てきて四股を踏んで柏手を打つ。ゴリラも上半身が発達した動物だから、足は凄く短いのですが、ゴリラも座って、胸を張る。柏手を打つのと、胸を打つのが違う程度です。あと、力士は仕切りの前、土俵に塩をまくでしょ。勿論清めの儀礼なんだけれども、ゴリラも実は、あたりの草をむしって、空中に投げるわけです。しかも、仕切りの時に、力士は両手を拳にして、土俵に付きます。あれはゴリラのナックルウォーキングに似ている。あるいは力士が重心を低くして、『がに股』で歩く『摺り足』の姿勢は、ゴリラが両手をつきながら歩く、ストラットウォーキング(示威歩行)と一緒なのです」

 2「『戦わない』ゴリラ的平和主義」でも、山極氏は相撲に言及します。


「人間とゴリラの違い、例えば相撲の力士はぶつかりますね。でも、ゴリラはドラミングをしてもぶつからない。ドラミングは、ぶつからないための"架空の闘争"なんですよ。だから、相撲は神事ではあるけれども、勝敗がつくスポーツの要素が強い。土俵を割れば、あるいは土俵の上に転がされればそれで負けが決まる。しかもそのルールを力士自身よりもずっと小さな行司が支配しているのが面白いのです」

 また、山極氏は以下のようにも述べています。


「最後まで戦わないんですね、ゴリラは勝敗をつけたくないから。結局は『しゃあないな』という形で引き分ける。ここで重要なことは、両方がメンツを保ちながら引き分けられるということ。だから勝敗をつけなくていいわけですよ。それと比べて、ニホンザルはそうはいかない。絶対に勝敗をつけないと収まらない」

 ニホンザルの決闘については、以下のような発言が交わされます。


小菅 負け方は上手い。殺されないように負けますもんね。ギャーギャー鳴いたりして。


山極 そうそう。糞便を垂れ流しながら、ギャーギャー、ギャーギャー言っていますよね。「誰か助けて、誰か助けて」とやる。そうすると相手も、そんなに頑張って攻撃できなくなってしまう。相手に媚びるのが上手いというのか。

 両者の対話は、サルから人間に話題が移ります。
 山極氏は、人間について以下のように述べています。


「人間は小集団で生きているのでなくて、非常に複雑な社会を生きていて、なおかつ、人間がいろいろな集団を渡り歩いて、自分がよく知らない人とも接しなくてはいけないので、自分のルールを相手にそのまま当て嵌められないから、状況によって自分を変えなくちゃいけない。そういう人間の社会の宿命みたいなものが被さってきているのかもしれないですね」

 北海道大学時代に柔道部に所属していた小菅氏は、いわゆる「七帝柔道」の選手でした。寝技中心の実戦的な柔道ですが、小菅氏は以下のように語っています。


「ある時に先輩から言われました。『闘争心がない』って。『闘争心は勝つためにあるんだ』と。でも、その人は、まったく分かっていないと僕は思った。闘争心というのは、"耐え続けること"ですよ。
 これは、偶然かもしれないけれど、どこの大学でも、勝とう、勝とうとした年代の柔道部員はバラバラになるんですよ。1人のもの凄い超弩級の選手がいて、みんなその選手に頼るような柔道をやった部員たちは、10年、20年経つと互いに連絡しなくなるんです」

 その小菅氏の話を受けて、以下のような対話が展開されます。


山極 ゴリラとニホンザルでは「社会の作り方」が違うのだと思いますね。ニホンザルは「あんたがボスだから」と周りから推されるというわけではなく、自分自身が偉ぶっているだけの話でね。でもゴリラのオスの方は、みんなに頼られているものだから、普段は、自分で努力をする必要はないわけですね。みんなが頼っている。そこが全然違うところだと思います。それが、「あえて勝とうとしない、でも負けないゴリラ社会」と、「勝ち続けていなければ自分の地位が脅かされるニホンザル社会」の違いだと思います。


小菅 日本人の社会っていうのは、本来はゴリラ型の社会ですよね。


山極 だと思うんですよ。だけど、今の日本人はそれを誤解している節があるんです。「負けまいとする社会は勝ち続けようとする社会に違いない」というふうに。

 また、山極氏は地域社会について、以下のように述べています。


「もともと地域社会というのは、バランスを取りながら、適正な規模でつくられていったと思うんです。ところがここへ来てそれが崩れて、家族といった、身近な支援組織もだんだんと身の回りから消え去って、近所付き合いもしなくなってしまった。結果、孤独感を味わう人が増えたんじゃないか。頼る人がいないから、自分が強くならなければいけないという状況に置かれると出てくるのが、『勝たないといかん』という考え。ある意味、焦燥感に晒されている気がしますね。だから、考えてみれば、『負けなければいい』というのは、余裕がある社会なのですよ」

 さらに、山極氏は保険の問題を取り上げ、以下のように述べます。


「将来に対して"保険"をかけて、自分が負けなくてもいいような準備を、今からしているわけでしょ。でも考えれば、自分の将来をお金によって売り渡しているわけですよね。いい家に住んで、それをローンで払う。子どもの教育費もローンにする。でもそれは生涯にわたって、お金を払い続けなければならないということ。そのローンのために、あるいは将来の勝ち組であり続けるために犠牲を払っている。働くという義務を背負わされてしまっているのです。自分でその道を変更できなくなっている。『自分の自由を売り渡している』という言い方もできる」

 リーダーシップにも言及する山極氏は、「背中で語る」として述べます。


「松下幸之助さんは、若い学生を面接している時、こいつは将来リーダーになると思うのは、背中で語れる奴だと。若くして、本当に背中で語っているかどうかは分からないけれども、要するにそれだけ自信を持っているということですよね。そういうことは、学んでできるものじゃないと。持って生まれた資質が大きいと思いますね。いくら言葉巧みに自分を飾っても、背中にその人の本質というのが表れるのかもしれない。『目は口ほどに物を言う』という慣用句がありますが、背中は目よりも饒舌なのかもしれません」

 ゴリラの我が子に対する態度の話も、非常に興味深かったです。「ゴリラは子どもによって優しくなる」として、以下のような対話が展開します。


小菅 以前、マウンテンゴリラを見た時、感動したことがあった。大人のゴリラの子どもに対する関わり方を見ていると、子どもは群れの中で、本当に大事に、大事に育てられているんですよ。


山極 そう、ゴリラのオスは子どもに接することによって優しくなるし、オスらしくなるんですね。


小菅 オスが子どもを持ち上げて、抱きかかえたり、子どもがちょっかいをかけるとコロコロと転がしたり、とにかく子どもにちゃんと対応してあげている。ああいう風景はいいなって。


山極 そうなんですよ。オスが子育てをメスに任せっぱなしにしないというか、子育てをメスがあまり独占しない。ゴリラの群れはやはり、子どもで作られるし、特にオスはメスと子どもができることによって、2つの段階を経て変わるんですね。

 第1段階はメスが来た時です。つまり、メスを獲得しようと思った時ですね。こうなるとオスは変わらざるを得ない。というのは、それは「自分は頼りになるのだ」ということを一生懸命に示そうとするから、威張るわけです。
 第2段階は、子どもが生まれた時。子どもに対しては威張っているだけじゃダメで、ソフトに接しないといけないでしょ。そうするとまた変わるんですよ。

 3「ゴリラが人間の生きる道を指し示してくれている」では、山極氏が以下のように人間の本質について語っています。


「人間がチンパンジーとの共通祖先と分かれてから700万年経ちますが、農耕牧畜を始めたのが1万2000年前。ですから、共通祖先と分かれて以降の年数全体からみれば、99パーセント以上は狩猟採集生活です。しかも狩猟も人間の進化にとっては、新しい出来事だから、基本はサルや類人猿と同じ採集生活なのです。
 すると、毎日食べるものを頭に描きながら、『あ、ここで何か採れる筈だ』、あるいは『前はこれが採れた筈だ』と探し歩いて、少しずつ腹を満たしていく。植物だけでなく、昆虫から両生類、爬虫類、鳥類までを含めて、食物を探しながら食べていくというのが、彼らの生き方だった。つい最近まで、人間もそういう生き方だったわけです。だから、『生きることは食べること』だった。これは野生動物だけでなく、人間も。しかし、どうも現代人は、そのことを忘れている気がしますね」

 また、「食を通じた社会関係が崩壊するか」として、山極氏が以下のように述べています。


「人間が進化の時間の99パーセントをかけて作り上げてきた、食を通じた社会関係というのが、今、ついに崩壊しようとしている。社会関係に頭を使う、食に頭を使うといった、本来育ててきた人間の知性というものが、低下の一途を辿っている。これは、動物園の動物を見ても、そうなっていると思いますけどね」

 小菅氏は、動物園に来ているお母さん方に説明するとき、こう言うとか。


「オランウータンの目の先を見てください。必ず子どもがいるでしょ。動物のお母さんは子どもを、夜中は抱いて寝て、昼間は1人遊びをさせていても必ず見守っているんです。一瞬たりとも、絶対意識を外すことはないんです。決して車に子どもを置いてパチンコ屋に行きませんから」


 すると、大爆笑になるそうですが、小菅氏は「皆さん、笑っていられますか?」とクギを刺して、最後に「自分の生活は大事ですが、子どもに100パーセント意識を注いでいますか? 動物を見てください。動物は、子どものために生きているんですよ。我々人間はどうでしょう。『私は、子どものために生きている』って手を挙げられる人はいますか?」と言うそうです。

 山極氏は、「時間」について以下のように語っています。


「今は経済ということが前面に出て、"時間は金"という感覚が強まっているような気がします。『時間はコストだ』というふうに考えてしまうようになった。時間というのは本来、社会的なものであって、経済やお金で換算できるものではないというのが、私の考えなんです。
 でも時間がお金で換算できるものであって、自分が例えば1時間使ったら、それを無駄に過ごしたのか、有意義に過ごしたのかなんていうことを"数字"で表しましょうというのが今の時代なんですよ。例えば『時間給』という枠組み。仕事をした人の仕事の中身を時間で計るわけですよね。その内容ではなくて」

 また、山極氏は「食の躾」について、以下のように語ります。


「子どもへの「食の躾」には2つあると言っています。
 1つは、"下"の躾だと。下の躾っていうのは、人間はサルとして生まれつくから、サルというのは1日に十数回ウンコする。それは植物と共生をしてきたので、排便することで種子散布をする。つまり、いろんなところで何回も種を蒔くように体ができているわけです。でも、人間は定住生活をするようになってまだ間がないから、生まれついた時は何回もウンコをするんだけど、成長に応じて、決められた場所に排泄することを教える。食べる時間もある程度決めていくように躾られる。これが下の躾。
 もう1つは、"上"の躾。つまり、食事というのは、社会的な時間なんだから、相手と同調しながら一緒に食べる。仲良く食べる。これはサルには絶対できないことなんですよ。これにも学習が必要」

 第二章「人間はゴリラに学べ!!」の3「繁殖させられなければ動物園ではない」では、野生ではゴリラの近くに行けるのに、動物園では危なくてダメだという問題が取り上げられます。この問題について、小菅氏は述べます。


「野生の生息域であればゴリラの優位が保たれているから余裕がある。だって僕、ヘトヘトだった。チマヌカがドドッと突進してきて、ほとんど動けない状態でしたからね。逃げることなんかできないもの。そういうことを、ゴリラたちは十分分かっていて、『威圧さえしておけば、こいつら何もできない』という安心感が大きいのかなと思うんです。でも、動物園だと逆ですよ。周りに人がいる。人はいたりいなかったりするけど、自分はずっとここにいて、何かあった時には何をされるか分からないという不安がいつも付きまとっている」


 それを聴いた山極氏は「そうか。特に獣医は嫌われているわけだ(笑)」と言うのでした。
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   山極氏と儀式について語り合う


 本書は、まことに面白く、1時間ちょっとで一気に読了できました。
 わたしは、京都大学の第26代総長を務められた山極氏にお会いしたことがあります。わたしのブログ記事「京都こころ会議懇親会」で紹介したように、2015年9月13日、朝から京都ホテルオークラで開催された第1回京都こころ会議シンポジウム「こころと歴史性」に参加しました。わたし連携研究員を務めた「京都大学こころの未来研究センター」の主催イベントです。終了後、日本における「知」のフロントランナーのみなさんと意見交換させていただきました。そこで当時、京大総長であった山極先生にもお会いしたのです。
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   鎌田先生および山極総長と

 


 懇親会では、義兄弟である京都大学こころの未来研究センター教授の鎌田東二先生をはじめ、明治大学野生の科学研究所長の中沢新一先生、「臨死体験」や「グリーフケア」研究の第一人者である京都大学こころの未来研究センター教授のカール・ベッカー先生と意見交換をさせていただきましたが、初めてお会いした山極総長とお話したことは強く印象に残っています。ガッチリした体格の方で、非常に相手をリラックスさせる雰囲気をお持ちでした。わたしが「冠婚葬祭業を営みながら、儀式について研究しています。わたしは、『人間が人間であるために儀式はある』と考えています」と申し上げると、山極先生は真剣な表情で、「それは、とても大切な研究ですね」と言って下さいました。とても心強く、嬉しい一言でした。
 山極先生にはぜひ、『儀式論』(弘文堂)をお読みいただきたいです。