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「イタコ」の誕生』

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No.1453

 

  『「イタコ」の誕生』大道晴香著(弘文堂)を読みました。

 「マスメディアと宗教文化」というサブタイトルがついています。

 本書は著者から献本していただきました。現在、國學院大學大学院の大学院特別研究員である大道氏は、わたしが客員研究員を務める冠婚葬祭総合研究所の研究員でもあります。また、本書には拙著『儀式論』と同じく弘文堂の外山千尋女史が編集された本という縁もあるのでした。

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    本書の帯

 

 

 本書の表紙カバーには実際のイタコが祈祷をする写真が使われています。また帯には「盲目の巫女はブームを経て、アニメのシャーマンへ―」「イタコ文化はいかにして伝説となったか?」というキャッチコピーに続いて、以下のように書かれています。

 

「死者を呼び出し、生者へのメッセージを伝える盲目の巫女イタコは、1960年代のブームで一躍全国に知られる存在となった。その半世紀後、現実のイタコが高齢化した一方で、マンガやアニメでは少女イタコがシャーマンとして活躍している。東北の民俗宗教はいかにして新しい宗教文化になり得たのか? フィールドワークと資料の発掘、質問調査から丹念に追跡した貴重な論考」

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    本書の帯の裏

 

 

 本書の「目次」は、以下のような構成になっています。  

 

序章  問題の所在

第一部 マスメディアによる《イタコ》像の形成

第一章 大衆文化としての《イタコ》とは何か

第二章 《イタコ》の登場とブームの到来

  ―1950年代・60年代―

第三章 「オカルトブーム」と宗教性の"大衆化"

  ―1970年代・80年代―

第四章 ステレオタイプの形成と《イタコ》の増殖

  ―1990年代以降―

第五章 《イタコ》の登場と《恐山》像の受容

第二部 《イタコ》像の普及と民俗文化の変容

第六章 表象の普及と宗教的リアリティの形成

  ―大学生・短期大学性生を対象とした質問紙調査をもとに―

第七章 表象の受容と再生産

  ―地方自治体の観光振興事業を例に―

第八章 表象の消費と恐山の変容

  ―『東奥日報』『デーリー東北』の「恐山大祭」関連記事を手掛かりとして―

第九章 恐山の近代化―大正の「観光化」をめぐって―

第一〇章 《恐山のイタコ》を求める人々

  ―二〇一四年度恐山大祭・ 恐山秋詣りにおける「イタコの口寄せ」の状況―

第一一章 マスコミのまなざしと自己表象の再編

  ―「自文化」としての〈恐山信仰〉をめぐって―

第一二章 巫業の変容

  ―「イベント型口寄せ」を例に―

終章   結論

「あとがき」

「初出一覧」

「引用参考文献一覧」  

 序章「問題の所在」の一「研究の目的」の冒頭を、著者は、「本研究は、『イタコ』という民俗宗教の事例を対象に、マスメディアによる宗教表象の形成と、これが生み出した新たな宗教文化を明らかにすることで、マスメディアを介した宗教表象の『受容』の局面に光を当てることを目的としている」と書きだしています。

 また、著者は「イタコ」について以下のように述べています。

 

「研究対象とする『イタコ』とは、東北地方北部で活動してきた盲目ないし弱視の民間巫者であり、マスメディアの作用によって、今やその存在は全国的に認知される状況となっている。イタコの研究は、これまでに民俗学や宗教学などの学問分野において盛んに行われ、一連の研究でもマスメディアの影響について言及がなされている。だが、マスメディアが実際いかに《イタコ》という表象を創り上げ、この像がイタコをめぐる民俗文化をいかに変えたのかなど、その内実は現在に至るまで殆ど問われてきていない。ゆえに、本研究は『宗教とマスメディア』のみならず、イタコ研究の文脈においても、一定の寄与を果たし得る取り組みとして位置付けることが出来よう」

 また、「本研究の意義―『宗教とマスメディア』をめぐる研究とその問題点―」では、著者は「日本における『宗教とマスメディア』研究は、教団のメディア利用という『表象する者としての宗教』への注目に始まり、報道や娯楽番組における宗教の在り方といった『表象される者として宗教』へと徐々に視野を広げでいく経路を辿った」と述べています。

 著者は「表象客体としての宗教」として、以下のように述べています。

 

「大衆消費の原理とより密接な関わりを持つ宗教表象として、オウム事件後に注目されるようになったのは、エンターテイメントの名のもとに超能力、心霊現象、占いなどの超自然的な知を扱ってきた無数のコンテンツである。1970年代から90年代にかけて流行したこれらのコンテンツについては、『宗教ブーム』や『非合理の復権』の語で定位されるような、1970年代に始まる新たな宗教的ムーブメントを論じる中で既に言及がなされていた。オウム事件はここに教団形成の文化的コンテクストという視座から再度光を当て、当該事象への注視を促したのだった」

 続けて、著者は以下のように述べています。

 

「超自然的命題をエンターティンメント化するコンテンツは、オウム事件後、公共性を有するメディアにおいては鳴りを潜めていた。ところが、早くも事件の翌年には超能力関連のテレビ番組が復活の兆しを見せ、ほとぼりの完全に冷めた2000年代になると、一群は『スピリチュアル』という新たな装いをもって、再び大衆消費の場を席巻するようになる。堀江宗正によれば、『スピリチュアル』を特徴付けるのは、『霊』の語の抹消による『伝統的霊信仰』ならびに『宗教』からの離脱であり、忌避感の強いイメージと距離を取りつつ、大衆レヴェルで持続する霊への関心に応えた点に『スピリチュアル』の成功要因を求めることが出来るという。『スピリチュアルブーム』の立役者である江原啓之を、『思想』『マスコミを介したコンテンツ化』『前二者を受容し且つ成立させる社会状況』の局面より捉える堀江の多角的な分析には、マスメディア、客体、受容者の相互交渉の中に成立する消費財としての宗教表象の姿がありありと映し出されている」

 三「本研究の対象―イタコの研究状況と問題点」では、著者は述べます。

 

「宗教の観点に立脚した場合、イタコは、成立宗教の要素を内在させつつも、その体系から離れ、地域社会を基盤に形作られてきた『民俗宗教』の類型に該当する。本節では、民俗学と宗教学を中心に展開されてきた、イタコに関する研究の概観と問題点の指摘を行う。青森県から秋田県北部、岩手県北部にかけての東北地方北部には、イタコと呼ばれる民間巫者が存在し、カミやホトケの憑依に基づく巫儀や占いの業をもって地域住民の希求に応えてきた」

 また、著者は「『シャーマニズム』という視座」として述べます。

 

「柳田国男に始まる民俗学の流れの中で学問の俎上に載せられ、ミコとオシラサマという2方面から探究が進められてきたイタコであるが、戦後はここに宗教学、民俗学、文化人類学、精神医学といった諸分野が合流し、『シャーマニズム』という問題意識を共有しながら、宗教的職能者としての独自性および類似性、地域社会との関係性などに関して、各々の立場より重層的に議論が展開されていくことになる。と同時に、職能への着目や『カミサマ』と呼称される類似者との比較、そして学界の内外より湧き起こった『恐山のイタコ』への関心によって、死者の憑依という局面に重きが置かれるようになるのも、戦後のイタコ研究の特徴と言えよう」

 それでは、シャーマニズムとは何か。著者は述べます。

 

「そもそも『シャーマン(シャマン)』とは、北東アジアに分布するツングース系民族の職能者『サマン』に由来する語と解され、そこには次第に地域的文脈を離れ、類似の者をも包括する学術用語として使用されるようになったという経緯が存在している。つまり、フォークタームが広範な事例を内包する普遍的な分析概念に転用されたのであり、こうした概念形成の背景が『シャーマン』および、彼らを中心に形成される宗教現象を指す『シャーマニズム』の定義をめぐる論争を生み出す一因ともなった」

 そして、「社会的存在としての巫者」として、著者は述べるのでした。

 

「戦後のイタコをめぐる研究は、シャーマニズムという視座の導入によって飛躍的な発展を遂げ、その深化はシャーマンの定義に係る巫者の心的状況に重きを置いたイタコそのものから、彼らを成立させる社会的・文化的状況へという視野の広がりと歩みを合わせて実現する運びとなった。ところが、一連の研究において必ずと言って良いほど頻繁に言及がされながらも、今日に至るまで全く問われることのなかったコンテクストが存在する。それが、マスメディアによって形成される表象の文化領域である」

 著者は「情報社会ないし大衆文化というコンテクストの欠落」として、以下のようにも述べています。

 

「大衆文化の担い手として想定されるのは、テレビや雑誌などのマスメディアによって媒介される不特定多数の『大衆』という存在であり、右の如き《イタコ》像は、この『大衆』を通じて民俗文化領域とも交渉を持つことになる。高松敬吉の報告によれば、《イタコ》=『恐山のイタコ』がある程度の定着をみた1970年代には、大祭期間外に恐山を訪れる観光客の需要に応えるため、恐山のレストハウスや、恐山からは若干距離のある奥薬研温泉の観光ホテルにイタコが招かれていたという。この現象は、マスメディアによって作られた《イタコ》像が、その担い手である『大衆』を介して民俗文化に働きかける様子を示す例であり、大衆文化としての《イタコ》が"本物"から派生した単なる二次的局面ではないことを意味している」

 加えて、「観光客」という、イタコを有する地域社会の外部に位置する人々が「大衆」として想定されていました。しかし著者は、「マスメディアによって媒介される『大衆』には、当然のことながら、イタコ自身を始めとした民俗文化の担い手達も含まれ得る。こうした有り様を考慮するならば、大衆文化と民俗文化とは決して各々が独立した領域として存在しているわけではなく、両者が『担い手』を介して相互に関連し合いながらその領域を展開するものとして捉えるのが妥当であろう」と述べています。

 

 第一部「マスメディアによる《イタコ》像の形成」の第一章「大衆文化としての《イタコ》とは何か」の一「民俗文化としてのイタコについて」では、「『イタコ』とは何か」として、著者は述べています。

 

「『日本列島の北と南の端に、特異な民族宗教的機能をはたすシャーマンが存在する』―桜井徳太郎が日本の巫俗を指してこう概観したように、かつて全国各地に散見された「巫女」の習俗、とりわけ死者の言葉を伝える『口寄せ巫女』の類は、日本において巫俗研究が本格化した1950・60年代の時点で、既に東北地方と南西諸島を筆頭とする一部の地域にその片鱗を残すのみとなっていた。東北地方では、イタコ・イダッコ・エダッコ(青森県、岩手県北部と秋田県北部)、エジッコ・エンジコ・イチコ(秋田県南部)、オガミン・オガミサマ(岩手県南部、宮城県北部)、オナカマ(山形県最上・村山地方)、ワカ・ワカミコ(福島県、山形県置賜地方)、ミゴ・ミゴド(山形県庄内地方)、アズサ・モリコ(福島県浜通り)といった盲目の『口寄せ巫女』が活躍してきたが、この中で最も注目を浴び、戦後の巫俗研究の中核を担ってきたのが、イタコやイダッコと呼ばれるような系統の巫女達である。以降、これらの存在を『イタコ』の類型でもって包括する」

 また著者は、「『商売』の諸相」として、以下のように述べています。

 

「イタコの巫業は宗教儀礼であると同時に、視覚障がいを持つ女性が生計を立てるための手段という性格を持つ。それゆえ、イタコは自身の活動を『商売』と称し、依頼者を『お客』と呼んでいる。宗教的技能の観点に立つ場合、その商売は大きく2つに区分することが出来よう。すなわち、『超自然的存在の憑依』という巫者的技能(巫儀)に依拠した商売と、これに依拠しない商売の別である。前者は、時期や場所を定めて行われる商売で、巫者固有の宗教的技能を発揮する点において、イタコを特徴付ける商売だと言える。対して後者は算木、筮竹、数珠などの道具を使用した占いや、まじない、祓いといった儀礼を指し、これらは依頼者の求めに応じて巫家で適宜実施される、いわば『普段の商売』に相当するものと捉えてよいだろう」

 

 第三章「『オカルトブーム』と宗教性の"大衆化"―1970年代・80年代―」の三「オカルトブーム」による再表象」では、「日本の『オカルトブーム』について」として、著者は以下のように述べています。

 

「ブームの牽引者たちによる《イタコ》の再表象は、1970年代の時点で既に始まっていた。例えば、1973年12月に開始されたホラーマンガの金字塔と名高いつのだじろう『うしろの百太郎』の第1回は、『恐山のイタコ』への言及で幕を開けている。また、中岡俊哉も1968年頃から自著で《イタコ》を取り上げ始め、その関心は『死霊を見た!』(二見書房、1977)として結実した。中岡は『わたしは見た 死後の世界』(学習研究社、1975)のような少年向けの書籍でも《イタコ》を紹介しており、他にも山梨賢一『呪いと死霊の画報』(ひばり書房、1975)といったジュニアレーベルが《イタコ》を扱っている点を考慮すれば、『オカルトブーム』は幅広い年齢層に《イタコ》を知らしめる役割を担ったものと推測される」

 

 『うしろの百太郎』の第1回は、小学生だったわたしも読みました。「恐山のイタコ」と「心霊写真」のダブルインパクトに強烈な恐怖を感じた記憶があります。また、中岡俊哉の怪奇本もすべて読んでいました。この時代の読書によって、わたしの精神の何パーセントかが作られている実感があります。

 第三章の最後に、「結語」として、著者は以下のように述べます。

 

「1970年代に始まる日本の『オカルトブーム』は、《イタコ》の担い手を『他者』から『我々』へと転換した。これは従来、『我々』にとって無価値なものとして『他者』の領域に追いやられてきた《イタコ》の宗教性が、『我々』にとって価値を持つ『オカルト』として"発見"される過程で生じた変化であり、換言すれば、《イタコ》の宗教性が『大衆』の消費対象化したことを意味している。したがって、その宗教性自体が『大衆』に開かれたという点では、『オカルトブーム』こそが、大衆文化としての《イタコ》の確立・定着において極めて重要な転機であったと言うことが出来よう。一連の変化において、《イタコ》の宗教性に価値の転換が生じた最大の要因、それは『我々』自身の立ち位置の変化である」
  
 第二部「《イタコ》像の普及と民俗文化の変容」の第七章「表象の受容と再生産―地方自治体の観光振興事業を例に―」の一「問題の所在」において、著者は以下のように述べています。

 

「『恐山のイタコマチ』を焦点化する大衆文化としての《イタコ》とは、同時に、恐山という場のイメージを担うものでもあった。すなわち、1960年代のブームによって成し遂げられた《イタコ》=《恐山のイタコ》の普及・定着は、『イタコの恐山』という《恐山》像の普及・定着と表裏一体の関係にあったと言えよう。こうした場に係るイメージに価値を見出す分野が『観光』である。詳細は次章に譲るが、近代交通の産物たる娯楽としての旅は、前近代の苦難を伴う旅に対置されて『観光』と名付けられ、従来、ここには『表象の消費』という特性の存在が認められてきた。観光の文脈における表象の価値とは、客体となった場に 人々の来訪を促す効果、言うなれば、集客力を指すと解される。この視点に立つ場合、《恐山のイタコ》が優れた観光的価値を有していただろうことは、先行研究で描かれる1960-80年代の恐山の様相からも想像に難くない」

 第七章の最後に、著者は「結語」として以下のように述べます。

 

「表象受容者の民俗文化領域への参入、換言すれば、恐山やイタコといった表象客体と『大衆』との"出会い"を促したのは、間違いなく『観光』の担い手達であった。そのうえで、民間の担い手と異なり、自治体の生み出した表象が公の色彩を帯びていることには、今一度、注意が必要である。青森県とむつ市による《恐山のイタコ》の受容と再生産とは、マスメディアの生成したイメージに対し、行政が『公認』を与える行為でもあった。行政が一定の権力を有する主体である点に鑑みれば、この行為の持つ意味が、決して過小評価さるべきでないことは明らかである」

 第八章「表象の消費と恐山の変容―『東奥日報』『デーリー東北』の『恐山大祭』関連記事を手掛かりとして―」では、一「問題の所在」として、著者は以下のように述べています。

 

「近代社会が生み出した旅は『観光』と呼ばれ、従来、ここには『表象の消費』という特性の存在が認められてきた。係る特性に鑑みれば、特定の場をめぐる表象の成立とは―その表象が人々にとって魅力的なものであればあるほど―、次の可能性を示唆するものと言えよう。すなわち、客体となった場における表象受容者の発生と、彼らの消費行動に伴う場の変容である」

 三「表象受容者の参入と霊場の変容」として、著者は述べます。

 

「戦後において恐山一帯の来訪者数が著しく増加するのは、マスメディアを介して《恐山のイタコ》が広く普及した1960年代以降である。しかし、人数ではなくその成長率に着目した場合、恐山県立公園の年間来訪者数は、数値を追える最古年度の1956年から1957年の期間にも前年比の約2倍(21000人から4万人)という高い成長率を示していた」

 

 四「菩提寺による"在るべき霊場像"の形成」として、著者は「観光イタコ」を取り上げ、以下のように述べます。

 

「『観光イタコ』とは、口寄せを依頼する者の増加に乗じて現れた、信仰の裏打ちに乏しい利潤追求を主眼とした『イタコ(と見なされうる者)』の存在を指す。彼らに対する苦情が菩提寺に寄せられるようになった結果、1976年には遂に寺院が『イタコ規制』の意向を示す事態へと発展した。従来、寺とイタコとの共存を支えてきた"黙認"というスタンスが、とうとう崩れたわけである。当時既に《イタコの山》として知れわたっていた恐山の変事は、地方新聞のみならず、全国紙でも報じられるところとなった」 このへんの事情は、この読書館でも紹介した『恐山』でも述べられています。

 第八章の最後に、著者は「結語」として以下のように述べます。

 

「大衆文化に確固たる地位を築き、今日でも記号として再生産され続ける《恐山のイタコ》ではあるが、恐山の現状に目を向ければ、当地にやって来る『イタコ』の数はもはや1桁台となっている。(中略)2014年の段階で、その数は僅か3名である。近い将来、当地からイタコが消えるのは間違いない。イタコ無き後、恐山は一体いかなる信仰の様相を呈し、菩提寺はいかなる霊場像を創造していくのだろうか。今後の動向が注目される」
  
 第一〇章「《恐山のイタコ》を求める人々―二〇一四年度恐山大祭・恐山秋詣りにおける「イタコの口寄せ」の状況―」の最後には、著者は「結語」として以下のように述べています。

 

「マスメディアによって《恐山のイタコ》が一般常識と化した1960年代以降、死者との対話を望み、『《イタコ》の口寄せ』を求めて当地を訪れる人は後を絶たない。イタコがその数を減らす一方で、『口寄せ』を介した死者との語らいに対する希求が尽きないことは、3名の『イタコ』に7時間待ちの列が作られる当地の現状からも明らかだ。死を契機とした離別が存在する限り、この希求は決して無くならない。つまり、『《イタコ》の口寄せ』に対する需要はこれからも絶えず再生産され続けてゆくのであって、こうした需要を踏まえるならば、恐山のイタコマチに代表されるような口寄せ習俗には、何らかの"変容"を経たうえでの存続の可能性を指摘することができよう」

 終章「結論」では、著者は以下のように述べています。

 

「1980年代に淵源を持つ日本の『宗教とマスメディア』をめぐる研究は、教団のメディア利用に焦点を当てた『表象する者(表象主体)としての宗教』から、マスコミ発信の報道や娯楽番組のような『表象される者(表象客体)としての宗教』」へと対象を拡大しつつ、着実に研究の蓄積を増やしてきた。だが、宗教表象の発信過程に当たるエンコーディングの分析が進む一方、当該プロセスと対をなす表象の受容過程、すなわちデコーディングの局面については、研究の本格化から30年が経過しようとした現在も、未だ十分な検討がなされていない状況にある。『メディア』がエンコーディング(情報発信)とデコーディング(情報受容)という2つの過程をもって成立し得る概念であること、そのうえで、一方向的な情報発信を特徴とした『マスメディア』を問うに際しては、後者の過程に係るリアリティ形成に価値が見出されてきたことを考えれば、これは単なる対象の偏りなどではなく、当該研究の不備だと言わざるを得ない。こうした問題の打開こそが本研究の主眼であり、その打開策の 骨子を担っていたのが、表象の『主体』でも『客体』でもなく、『受け手』の位置に『情報化社会の宗教』を求めるという、視座の転換であった」

 

 また、著者は梅棹忠夫の「情報産業論」を取り上げて、こう述べます。

 

「1963年に上梓され、『情報社会ブーム』の火付け役となった『情報産業論』において、梅棹は『情報』を『人間と人間とのあいだで伝達されるいっさいの記号の系列を意味するもの』と広義に解釈したうえで、宗教教団を『「神聖化」という特殊処理を受けた一定のタイプの情報を大衆に伝達』することを職業とした『神を情報源とするところの、情報伝達者の組織』と捉えた。そして、『情報産業の時代』を牽引する現代のマスコミを、『情報産業の先駆型』である『宗教』と同列に扱っている」

 さらに、著者は「マスメディアと宗教文化」について述べます。

 

「昭和の『オカルトブーム』から昨今の『スピリチュアルブーム』に至るまで、戦後のマスコミを主導とした宗教的次元に関する大衆的な隆盛を見る限り、彼らが持ち得るのは、あくまで既存の宗教文化に対する意味の産出ないし再聖化といった範囲での宗教的な解釈コードの生成能力であって、無から『聖』を生み出す根源的な聖別化の力を発揮することは稀だ。無名の廃墟を『心霊スポット』に仕立てるように、確かにマスコミ自体が創造主となり新たな聖なるもの(宗教的次元にコミットする事物)を作り出す例も一定数認められる。だが、『パワースポット』の多くが、もともと宗教的な価値を帯びた寺社やこれらに付属する要素、もしくは民俗宗教における聖域であるように、彼らが担うのは基本的に既にあるものを断片化し、加工するリメイクの役であり、その能力は宗教的職能者という宗教の"内"に位置した権威に比して限定的である。なお、マスコミの宗教的次元への参与を促すモチベーションが消費財の掘り起こしにあることは言うまでもない」

 

 著者は『メディア論』で知られるマーシャル・マクルーハンの名をあげ、以下のように述べています。

 

「マクルーハンはメディアを『人間の拡張』と捉え、その物理的介入がもたらす変化を、機械化によって身体を空間に拡張する『外爆発』と、電気の力によって中枢神経自体を地球規模でタイムラグなく拡張する『内爆発』の概念で提示していた。また、近代の深化を論じた ギデンズが、社会制度としてのメディアに基づくそのダイナミズムの1つに、社会関係のローカルな脈絡からの引き離しと、『時空間の無限の拡がり』における再構築を挙げていたことは、第1章で述べたとおりである。立脚点の差こそあれ、メディアと人間および社会環境との関係に言及したこれらの理論が指摘するのは、メディアが我々の外配世界に対する認識や、これと関わる際の感覚に与える変化に他ならない。本研究が『マスメディア』と『イタコ』という事例をもって示した『情報化社会の宗教』の姿とは、まさに、この新たな知覚の形成に伴う、宗教性の変容を照らし出すものであったと言える」

 そして最後に、著者は以下のように述べるのでした。

 

「『メディアの知覚形成に伴う宗教性の変容』という物言いは、ともすると、宗教性を『メディア』の所作に還元し、宗教や宗教学の独自性を解体しているように受け取られるかもしれない。だが、そもそも『宗教』とは、メディアの介在を前提とした事象ではなかったか。『天上』や『地獄』、または『神』や『死者』の如き、一般に知覚されざる超自然的領域ならびに存在は、教典、偶像、絵画、儀礼、自然物、宗教的職能者の"口"のような何かしらのメディアを経由して、初めて我々の世界に現出し得るものと解される。すなわち、超自然に関与した文化体系と広義に捉えた場合、宗教は表象に価値を置く文化体系なのであって、それはメディアと不可分な関係にあると言ってよいだろう」

 本書は、イタコという民俗学的事象に対してマスメディアが与える影響について、ほとんど初めて体系的に検討が成された研究書であると言えます。イタコ研究のみならず、マスメディアと民俗の関係という側面に新しい成果をもたらした良書だと思いました。

 そして、わたしはぜひ著者に研究していただきたいテーマを見つけました。それは、「マスメディアと葬儀」です。家族葬や直葬など、葬儀の簡略化が進む現在、「葬式は、要らない」や「0葬」といった極論まで登場しました。
  
 なぜ、日本人はここまで死者を軽んじるようになってしまったのかをマスメディアとの関係から読み解いていただきたいのです。ホラー映画や怪奇マンガにおける葬儀の描写、ドリフターズの「8時だョ!全員集合」に代表される不謹慎きわまりない葬式コント、そしてTVでの芸能人の葬儀報道etc・・・これらの大衆文化がどのように葬儀に影響を与えてきたのかを研究していただきたい。「大道晴香サンなら書ける!」と確信しております。