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愛する人を亡くした人へ』

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No.1442

 

 今回の「一条真也による一条本」ですが、『愛する人を亡くした人へ』(現代書林)をご紹介します。2007年7月16日刊行に刊行された本で、「悲しみを癒す15通の手紙」というサブタイトルがついています。

 

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    『愛する人を亡くした人へ』(2007年7月16日刊行)

 


 本書の帯には「『さみしさ』という深い闇の中で月あかりに導かれているような温かさを感じました。―」「愛する人を亡くしたとき、人はその悲しみ、喪失感にどう立ち向かっていけばいいのか。―死に直面した人の心に、愛という水を注ぎ込む、現代人のための心の書」

 

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    本書の帯

 


 またカバー前そでには、以下のように書かれています。

 

「わたしは、さまざまな葬儀に毎日のように立ち会っていますが、残された遺族に何より必要なのが悲しみを癒すグリーフケアであり、『死は決して不幸な出来事ではない』という物語だと確信しています」

 

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    本書の帯の裏

 


 本書の「目次」は、以下のようになっています。  

 

第一信 別れ◆愛する人を亡くすということ  

第二信 儀式◆かたちには「ちから」があります  

第三信 自然◆あなたのすぐそばにいます  

第四信 いのち◆永遠につながっています  

第五信 受容◆死は不幸ではありません  

第六信 死の体験◆どこまでも自由です  

第七信 悲しみ◆かならず立ち直れます  

第八信 癒し◆愛する人が望んでいます  

第九信 学び◆得るものがあります  

第十信 愛◆もっとも価値あるものです

第十一信 時間◆人間がつくったものです

第十二信 あの世◆平和に暮らしています

第十三信 生まれ変わり◆もう一度、会えます

第十四信 記憶◆思い出してください

第十五信 再生のシンボル◆月を見上げてください

「おわりに」

 

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    巻頭の写真

 


 冒頭には、以下のように書かれています。

 

「あなたは、愛する人を亡くされました。

さぞ、深い悲しみに沈んでおられることでしょう。

今は、夜。空には月のかけらもなく、真っ暗です。

 あなたの心も、この夜空のように漆黒の闇に包まれているのでしょうね。わたしは、これから毎晩、あなたに短い手紙をお出ししようと思います。短いけれども、とても大事なことを、心を込めて書きますので、どうか、お読みくださいね。最後まで読み終わったとき、あなたの心に少しでも光が射していることを願っています」

 わたしは、冠婚葬祭の会社を経営しています。

 本社はセレモニーホールも兼ねており、そこでは年間じつに数千件の葬儀が行なわれています。そのような場所にいるわけですから、わたしは毎日のように、多くの「愛する人を亡くした人」たちにお会いしています。 

 その中には、涙が止まらない方や、気の毒なほど気落ちしている方、健康を害するくらいに悲しみにひたっている方もたくさんいます。亡くなった人の後を追って自死するかもしれないと心配してしまう方もいます。


 「愛する人」と一言でいっても、家族や恋人や親友など、いろいろあります。わたしは、親御さんを亡くした人、御主人や奥さん、つまり配偶者を亡くした人、お子さんを亡くした人、そして恋人や友人や知人を亡くした人が、それぞれ違ったものを失い、違ったかたちの悲しみを抱えていることに気づきました。 

 それらの人々は、いったい何を失ったのでしょうか。それは、


親を亡くした人は、過去を失う。

配偶者を亡くした人は、現在を失う。

子を亡くした人は、未来を失う。

恋人・友人・知人を亡くした人は、自分の一部を失う。


ということだと思います。そういった、さまざまなものを失った方々とお話するうちに、愛する人を亡くした人へのメッセージを手紙として書くことを思いつきました。現実に悲しみの極限で苦しんでおられる方々の心が少しでも軽くなるお手伝いをしたかったのです。

 

 この「親を亡くした人は、過去を失う。配偶者を亡くした人は、現在を失う。子を亡くした人は、未来を失う。恋人・友人・知人を亡くした人は、自分の一部を失う」という言葉は有名になりましたが、これはユダヤ教の聖職者でありグリーフケア・カウンセラーでもあるアール・A・グロルマンが著者『愛する人を亡くした時』(春秋社)で述べた「愛児を失うと親は人生の希望を奪われる。配偶者が亡くなると、共に生きていくべき現在を失う。友人が亡くなると、人は自分の一部を失う。親が亡くなると、人は過去を失う」という言葉をわたしなりにアレンジしたものです。

 さて、愛する人を亡くした人の悲しみを軽くするために、わたしは古今東西の宗教、哲学、文学、心理学、神秘学などに広く目を配り、すべての人にとって当てはまりそうな、普遍的な知恵となりうる考え方を求めました。そのうえで、わたし自身の考えを述べてあります。わたしは、若い頃からずっと「死」について考えてきました。「死」について考え続けてきたなどというと、なんだか陰気な死神のような人間だと思われるかもしれません。もちろん、「死」よりも関心のあるテーマはあります。それは、「幸福」です。

 物心ついたときから、わたしは人間の「幸福」というものに強い関心がありました。学生のときには、いわゆる幸福論のたぐいを読みあさりました。それこそ、本のタイトルや内容に少しでも「幸福」の文字を見つければ、どんな本でもむさぼるように読みました。そして、わたしは、こう考えました。政治、経済、法律、道徳、哲学、芸術、宗教、教育、医学、自然科学・・・人類が生み、育んできた営みはたくさんある。では、そういった偉大な営みが何のために存在するのかというと、その目的は「人間を幸福にするため」という一点に集約される。さらには、その人間の幸福について考え抜いた結果、その根底には「死」というものが厳然として在ることを思い知りました。

 そこで、わたしが、どうしても気になったことがありました。

 それは、日本では、人が亡くなったときに「不幸があった」と人々が言うことでした。わたしたちは、みな、必ず死にます。死なない人間はいません。いわば、わたしたちは「死」を未来として生きているわけです。その未来が「不幸」であるということは、必ず敗北が待っている負け戦に出ていくようなものです。わたしたちの人生とは、最初から負け戦なのでしょうか。

 どんな素晴らしい生き方をしても、どんなに幸福感を感じながら生きても、最後には不幸になるのでしょうか。あの、あなたのかけがえのない愛する人は、不幸なまま、あなたの目の前から消えてしまったのでしょうか。

 亡くなった人は「負け組み」で、生き残った人たちは「勝ち組」ですか。

 そんな馬鹿な話はないと思いませんか。

 わたしは、「死」を「不幸」とは絶対に呼びたくありません。

 なぜなら、そう呼んだ瞬間、わたしは将来かならず不幸になるからです。

 死は決して不幸な出来事ではありません。愛する人が亡くなったことにも意味があり、あなたが残されたことにも意味があります。15夜にわたってお届けする、わたしの手紙を最後まで読まれたあなたは、きっと死の正体について理解されるはずです。そして、おだやかな悲しみを抱きつつも、亡くなられた人のぶんまで生きていくという気持ちになってくれることを信じています。それは、何よりも、あなたの亡くした愛する人がもっとも願っていることなのです。

 

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   最初は新月でした

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   だんだん月が満ちていきます

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  さらに満ちていきます

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   そして満月になりました


 この本には、じつは仕掛けがありました。左ページの上に月のイラストが描かれているのですが、それが新月の状態から15日間で満月へと変化するのです。いわゆるパラパラ漫画のような仕様にしました。死別の悲しみを癒すという内容の本でありながら、さりげない遊び心が隠されていることには、多くの読者の方々からご好評をいただきました。

 

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    巻末の写真

 


 「おわりに」には、以下のように書かれています。

「もうお気づきだと思いますが、十五通の手紙は、月の満ち欠けに対応しています。最初の手紙は新月の、夜空が真っ暗なときにお渡ししました。そして、最後の手紙は満月の、やわらかな光が夜空を照らしているときにお渡ししました。しかし、きれいな満月も明日からはまた欠けはじめます。だんだん欠けていって、ついには消えてしまいます。そして、いつかまた、新たに生まれ、満月をめざして満ちてゆくのです。

 月は死に、また、よみがえる。人も、まったく同じことだということがおわかりいただけたでしょうか」

 

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    最終ページに書かれたメッセージ

 


 そして、最終ページには以下のように書かれています。

 

「死別はたしかに辛く悲しい体験ですが、 その別れは永遠のものではありません。

 あなたは、また愛する人に会えるのです。

 風や光や雨や雪や星として会える。

 夢で会える。

 あの世で会える。

 生まれ変わって会える。そして、月で会える。

 ―かならず再会できるのです」
  
 本書は刊行直後から大きな反響がありました。葬祭業界のみならず、医療界の方々もよく読んでくれたようで、その中に東京大学大学院医学系研究科・医学部救急医学分野教授にして、さらに東京大学医学部附属病院救急部・集中治療部部長(当時)の矢作直樹氏がいました。

 

 矢作氏は、この読書館でも紹介したベストセラーになった処女作『人は死なない』の138ページに次のように書いています。

 

「遺体というのは不思議なものです。遺体は遺体でしかなく、単なる『モノ』でしかないわけであり、したがって執着するような対象ではないということを頭では理解していても、愛する者にとっては抜きがたい愛着を感じずにはいられないというのが、偽らざる本心です。おそらく、遺体への配慮は理屈ではなく、情として自然に出てくるものなのでしょう。

 『愛する人を亡くした人へ』という好著があり、自ら冠婚葬祭の会社を営んでいる一条直也氏は本の中で、葬儀とは『成仏』という儀式(物語)によって悲しみの時間を一時的に分断し、その物語の癒しによって、愛する人を亡くして欠けた世界を完全な状態にもどすこと、と願っています。私も、まったくその通りと思うのです」

 

 このように、わたしの著書が突然紹介されて、非常に驚くとともに感動しました。ただ、まことに残念なのは、わたしの名が「一条直也」と間違っていたことでした。「一条直也は、『柔道一直線』の主人公ですよぉ!(涙)。

 

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    「新文化」2012年8月30日号より

 


 この誤植のことをブログに書いたところ、なんと矢作氏ご本人からわたし宛てに直筆の手紙が届きました。手紙には誤植のお詫びが丁重に書かれていました。また、わたしに対して過分な言葉がたくさん書かれていました。

 あくまで私信ですので、すべてを公開することはできませんが、一箇所だけ、わたしの心に大きなエネルギーを与えてくれた言葉を紹介させていただきたいと思います。矢作氏は、次のように書いて下さいました。

 

「一条様の著作はかねてより拝読させていただいており、『愛する人を亡くした人へ』では、その全体の斬新な文章構成、たいへん深い内容を読み手の心にそうようなやさしくわかりやすい文章で表現されていたことに感心させられ、いつか自分が文章を書くときがあったら、このような文章が書けたらと思っておりました」

 わたしは、これを読んで、本当に嬉しく、また有難く感じました。

 グリーフケアに対するわたしのささやかな想いを、東大医学部教授という日本の医学界のトップの方に多少なりとも評価していただき、感無量でした。その後、矢作氏には増刷の際に帯に掲載する推薦文を書いていただきました。

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   矢作直樹氏の推薦文入りの帯

 

 

 矢作氏に本書を紹介したのは、「未来医師イナバ」こと東京大学病院の循環器系内科医師である稲葉俊郎氏でした。若き臨床医である稲葉氏は、死別の悲しみで苦しんでいる方々に本書を何十冊も配って下さったそうです。その後、わたしのブログ記事「勇気の人」に書いたように、わたしは2011年10月4日に東大病院を訪れ、矢作先生と初対面しました。

 また、わたしのブログ記事「矢作先生との再会」に書いたように、2012年8月5日に矢作・稲葉両氏とお会いしました。そこから新しいドラマが始まりました。

 

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    『命には続きがある』 (PHP研究所)


 そして、2013年7月4日には、この読書館でも紹介した矢作氏との共著『命には続きがある』がPHP研究所から刊行されました。サブタイトルは「肉体の死、そして永遠に生きる魂のこと」で、矢作直樹先生とわたしの「命」と「死」と「葬」をめぐる対談本です。矢作氏の『人は死なない』とわたしの『愛する人を亡くした人へ』の2冊の本がクロスオーヴァーした内容と言えるでしょう。