お探しの書名・著者名・キーワード等を入力して下さい

Title

風怪』

Category

No.1422

 

 『風怪』風の怪談舎編著(三五館)を読みました。

 三五館の編集者である堀田孝之さんから献本された本です。

 「あなたの隣に潜む街の怪談」というサブタイトルがついています。

 編著者の「風の怪談舎」は、怪談と都市伝説をこよなく愛するライター集団です。日本だけにとどまらず、世界各国の怪談や都市伝説の蒐集に没頭しています。メンバーはそれぞれが怪談本、都市伝説本、オカルト関係の本など、怪奇ミステリーのジャンルで活躍中とのこと。

 

20170312231110.jpg
    本書の帯

 


 帯には「作家 加門七海氏(『祝山』『怪談徒然草』)推薦! 『この本を読めば、怪談は人生の一部だとわかります』」「都会に生きる人々が本当に体験した、打ち震えるほど怖くて、切ない物語集」と書かれています。

 

20170312231222.jpg
    本書の帯の裏

 


 本書には、全部で40の怪談実話が収められています。

 以下は、その中の一部で、アマゾンに紹介されています。

『飛び降り現場』

・いじめを苦にして飛び降り自殺をした少年。幽霊が出ると噂される飛び降り現場に、20年以上、毎日通い続けた母親。

"幽霊になった姿でも、もう一度息子の姿が見たい"。母親は死したのちも、現場に立ち続けて―。

『そこに巣食うものは』

・息子を亡くした父親の建てた、禍々しすぎる祠の真相。

『呼び鈴』

・突然死した夫が、四十九日にやってきて妻にしようとしたこと。

『側に立つ男』

・金縛り中に出現した男は、 「そこにはいてはいけない人間の顔」をしていた!

『西陣織の帯』

・その美しい帯を手にした女性は、なぜ電車に飛び込もうとしてしまうのか??

『赤ちゃんの泣き声のするビル』

・若い女性の変死体が、大切に手に携えていたもの。

『コール』

・閉店後のレストランに鳴り響く、無人の店内からの呼び出し音。

『海が呼んでいる』

・深夜の海辺で異様に美しく輝く光を目撃してしまった、男の顛末。

 英語で優しい幽霊のことを「ジェントル・ゴースト」といいます。日本語では「優霊」などと呼びますが、本書に収められた話は、まさにそんな存在が主役でした。全40話の中で、わたしが好きなのは『飼い犬の幽霊』、『樹霊』、『赤ちゃんの泣き声のするビル』、『永遠の子ども』、『最後の会話』、『異界』などです。

 エピソードの中には、読者の教養を豊かにする記述も多く、たとえば『ひな人形』には以下のように書かれています。

 

「古来から、古民家には神様が宿ると言われてきた。生活の中心にあり、食材を煮炊きする台所の竈にも、竈の神様がいると思われてきた。また、厠にも神様がいて、子どもが生まれて三日後あるいは七日後に、その赤子を抱いて雪隠参りというものをしたという話が残っている。雪隠参りするとしっかりした、美しい子どもに育つという」

 また、『蝶』には以下のような記述があります。

 

「洋の東西を問わず、蝶は死者、魂と深い関連を持つ生き物と言われてきた。古代ギリシャでは、魂を表すプシュケーという言葉は同時に蝶を意味した。ギリシャ神話に出てくるプシュケーは、甦ったあと、背中に蝶の羽根をつけた姿で表現される。日本でも、盆には祖先の霊が蝶になって帰ってくるという言い伝えがあった。はかなげに飛び立ち、空に吸い込まれていく姿が、死者の魂が空に帰っていくイメージと重なったのかもしれない」

 

 本書に収録された怪談は、正直言って、あまり怖くありません。

 わたしたちの日常生活の中にひっそりと隠れているような類のささやかなエピソードばかりです。けれども、それは愛に溢れています。

 「あとがき」には以下のように書かれています。

 

「人間という生物の奥深さ・わからなさ・面白さ・異様さ・悲しみが生み出した、怖いだけではない、味わい深くて胸が震える、怪談本の新ジャンルが誕生!『本書に収録されたエピソードは、すべて市井の人々の体験が元となっている。体験者たちは自らの体験を、ある時は懐かしむように、ある時は涙を浮かべながら、あるいは封印された記憶を解き放つかのように、淡々と語ってくれた。しかし、それは聞き手の心に響く、魂の声でもあった。そんな話を聞きながら感じたことは、その体験談にはもはや、恐怖や畏れ、怒りといった感情はないということだった。

 人間だからこそ、遭遇する怪奇。そこにあるのは、会えなくなってしまった死者に対する"愛"なのではないだろうか」

 

 本書の版元である三五館から、わたしは『唯葬論』を上梓しました。 その中の「怪談論」という章で、怪談には葬儀に共通する「死者への想い」があると述べました。『風怪』を読んで、その考えを再確認しました。

 

 また本書を読んで、わが編著である『最期のセレモニー』(PHP研究所)を連想しました。人生の最期を飾るセレモニーである葬儀には千差万別の送りかたがあります。「おくりびと」であるメモリアルスタッフが実際に体験し、目の当たりにした感動の送りかたを一冊の本にまとめたものです。家族の愛を感じる一冊として多くの読者を得ましたが、同書を読んだ多くの方々から「死はけっして不幸なことではない。なぜなら、最高のしめくくり、新しい世界へと旅立つために、こんなにも素晴らしい最期のセレモニーが用意されているのだから」という感想を頂戴しました。

 『最期のセレモニー』には全部で48の感動実話が収められていますが、じつはこれらのエピソードは、わたしが経営する冠婚葬祭会社のスタッフから集めたものです。そして、同書に収録した48話以外にも多くのエピソードがありました。それらは心霊に関するようなスピリチュアルな内容のものも多く、変にオカルト本と誤解されることを怖れて選外としたのでした。しかし、葬儀の場での不思議な実話というジャンルを設定してしまえば、興味深い話ばかりです。いつの日か、これらのエピソードが『お葬式の不思議な話』とか『葬怪』などといったタイトルで単行本化されるかもしれませんね。

 それにしても、『風怪』というのは素敵なタイトルだと思います。 「まえがき」の冒頭には、以下のように書かれています。

 

「風が何かを運んでくる。遠くの街に、さびれた街に、華やかな街に。ビルの谷間をかいくぐり、木々をざわめかせながら、求める相手を探すがごとくに。そして、風は人々の耳元で何かをささやく。それは、風が運んできた魂たちの消息。今夜も風は魂たちの叫びを伝える」

 

 風に「死者への想い」を託すといえば、「千の風になって」の大ブームが思い出されます。「私のお墓の前で泣かないでください」というフレーズではじまることからもわかるように、死者から生者へのメッセージ・ソングです。『1000の風』(三五館)で初めて日本に紹介されました。もともとは作者不明の、わずか12行の英語の詩でした。原題を「I am a thousand winds」といいます。欧米では以前からかなり有名だったようです。1977年、アメリカの映画監督ハワード・ホークスの葬儀では、映画俳優のジョン・ウェインがこの詩を朗読したそうです。また、1987年、マリリン・モンローの25回忌のとき、ワシントンで行なわれた追悼式の席上でも朗読されました。

 かつて、この詩の存在を週刊誌で知った1人の日本人がいました。三五館の星山佳須也社長です。大きな感銘を受けた星山社長は、1995年にこの詩を出版しました。その後、この本を作家の新井満氏が読んで大変感動しました。新井氏は、この不思議な力をもつ詩に曲をつけてみたいと思い立ち、自身による新訳にメロディーをつけました。それが、「千の風になって」です。CD化やDVD化もされて大ヒットし、現実の葬儀の場面でも、この曲を流してほしいというリクエストが今も絶えません。喪失の悲しみを癒す「死者からのメッセージ」として絶大な支持を受け続けています。それまでの日本で「死」について語ることは大きなタブーでした。それを打ち破ったのが三五館の『1000の風』だったのです。「死者からのメッセージ」は確実に日本人の死生観を変え、それは現在の「修活」ブームにまでつながっています。

 

 『1000の風』の刊行から20年後、日本人の死生観や人生観に大きな影響を与えるメッセージが三五館から発せられました。わたしの訳著である『慈経 自由訳』です。最初に「慈経」のラフな直訳をお見せしたとき、星山社長は非常に興味を持って下さいました。そして、「これは、今の日本に最も必要なメッセージですね。ぜひ、出版しましょう!」と言って下さったのです。なにしろ、日本人として初めて「I am a thousand winds」の素晴らしさを理解された方の言葉に、わたしは大きな勇気を得ました。そして、自分なりにベストを尽くして自由訳に挑戦した次第です。 そして、『慈経 自由訳』を担当した編集者こそ、わたしに『風怪』を送ってくれた堀田孝之さんだったのです。