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齋藤孝の絶対幸福論』

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 No.1373

 

  『齋藤孝の絶対幸福論』齋藤孝著(実業之日本社)を読みました。 帯には著者の近影とともに「シンプルな基準を2つ持つだけで毎日が幸福になる!」と書かれ、著者の顔写真から「私はサウナと餃子があれば・・・」という吹き出しがついています。さらには「教育論、身体論、世界の文学・哲学から得られた教養で導き出す幸福をつかむためのメソッドを紹介!」と書かれています。

 

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    本書の帯

 


 また帯の裏には、「いま、この現実を幸せに生きるために。」として、以下の言葉が並んでいます。

 

定職・定収入で得られる お金より大切なもの 仕事のできる・できないは社会的なポジションで決まる 能力で査定しない唯一の場所が家族 錦織圭・羽生結弦・・・・・・幸福感は追い込まれてこそ得られる 涙のロッカールームには幸福感があふれている 快感原則から現実原則へ目覚める 「真」「善」「美」と幸福感の関係 これからの幸福な仕事は『妖怪ウォッチ』がモデルケース・・・ほか

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   本書の帯の裏

 


 アマゾンの「内容紹介」には以下のように書かれています。

 

「大学卒業時、どんな会社に就職するかで、生活の基盤は大きく変わってしまう。新卒時に多くが決定してしまう日本の就職事情を甘くみないで、学生時代に鍛えておくべき事柄がある。現実に目を向け、人生の節目節目でクリアすべき目標を掲げ、明白な方法論でアプローチしていくと、得られる糧は大きく変わる。幸福感をもたらすものは何かを考え、早くその達成に向けて意識づけをすれば、夢は夢でなくなる。自分で家族を構成し、『老>若社会』の歪みに惑わされずに、成功を勝ち得るためにすべきことを同性代の意識というヨコ軸だけでなく、時間軸や歴史観などのタテ軸を使って、座標化して把握することで、より好条件で生き残る道筋を明確化する」

 本書の「目次」は、以下のような構成になっています。

 

「プロローグ」

Chapter1 絶対的な幸福とは?

Chapter2 幸せをつかみとるのは道筋がある

Chapter3 家族を持つことの意味

Chapter4 世界に散りばめられた幸福へのヒント

Chapter5 幸福へ続く道にある落とし穴

Chapter6 個人と社会が幸福をつかむために

 「プロローグ」で、著者は以下のように述べています。

 

「SNSはストレスを増やすのでしょうか、それとも減らすのでしょうか。学生に聞いてみたら、SNSによりストレスが増えるというほうが多数派でした。現在は、不幸とはいえないけれど、ストレスは多いという状況があるようです」

 続けて、著者は以下のように述べています。

 

「世界史的な視点からみると、現代の日本に生まれただけで既に幸福だという考え方もあります。これまでの人類の歴史や国家同士の戦いなどをみると、人権がなく簡単に命を奪われるような時代と比べ、現代は基本的な人権が守られていて、しかも日本の場合は豊かさによってそれがかなり保証されています。そういう時代にこの国に生まれたということ自体、幸福のベーシックな部分がすでにできているということです」

 Chapter1「絶対的な幸福とは?」の冒頭では、「シンプルな基準を2つ持つと幸福な気持ちで毎日をクリアできる」として、著者は以下のように述べています。

 

「私がどのようなときに幸福を感じたのかで考えてみると、シンプルに2つのことが思いつきます。『サウナ』と『餃子』です。サウナで汗をかいて、餃子を食べていると、幸福の基準はほぼクリアしているという感覚が20代の頃からいまに至るまであります。しかもそれは、現在まったく変わらない軸として私の中にあります」

 これを読んで、わたしは「ビールは飲むのだろうか?」と思いましたが、著者はビールには言及していないので、おそらく飲まないのかもしれません。「サウナに入って、ビールも飲まずに餃子だけ食べるなんて!」と思ってしまいますが、まあ大きなお世話ですね。著者は「このサウナと餃子という非常に安上がりな2本柱を持つことで、1日をとりあえずクリアできる。『1日1日をクリアできれば、それはもうトータルでは幸福だ』という考えで今までやってきました」と述べています。非常にシンプルな幸福観ですね。

 続いて、著者は「『絶対的』な幸福が自分のセーフティーネットになる」として、以下のように述べています。

 

「自分の中にシンプルな基準を持つ。自分がそれで幸福だと思えれば、それはもうすでに幸福なのです。孔子(紀元前の中国の思想家・哲学者)も『仁を欲すれば、ここに仁に至る』としています。『仁』は遠いところにあるものではない。求めて志ざした時点でもうすでに『仁』に至っているというのです。幸福も似たところがあります。幸福は遠いものではない。幸福を求めて感じたならば、幸福は、いまここにあるのです。サウナで汗をかき、餃子を食べた瞬間に、幸福はいまここにある。そう確信を持てれば、その確信が自分にとっての絶対的な幸福なのです」

 また、著者は「相対的な」幸福についても述べます。

 

「『相対的な』幸福は、人と比べることで得られるものです。 『自分は他の人よりもすこし収入がいい』『他の人よりも多少学歴がいい』。だから自分は幸福である。そのように人と比べて幸福かどうかを判断するので、当然比較する相手によって幸福感は変動します。これに対して『絶対的』は、他と比べるのではなく、それ自体でくっきりと価値がわかるものです」

 さらに「絶対的な」幸福について、著者は以下のように述べます。

 

「絶対的幸福論を持つと、人は強くなれます。これがあるかぎりは、セーフティーネットがある状態といえるからです。多少の嫌なことや辛いことがあってもそこで救われます。そのような基準を年齢にしたがって徐々に増やしていく。そうすると気分が落ち込んだときには、これをやればいいのだと、気持ちを逃がしていくことができます」

 「基本的な行動の『軸』を持って他の分野へ関心を広げる」として、著者は以下のようにも述べています。

 

「私は行動の軸として、本と映画を自分の楽しみにしてきました。 古本などを、自分しか読む人がいないだろうなと思いながら読んでいると、実に気分が良くなり、著者と1対1で対話している気分になります。著者に『私はわかっていますよ、先生のすごさを』といいたくなります。 このように、いま読んでる人はいないだろうと思える本をあえて読むのは、読書の楽しみ方の1つです。本は世界に無数にあり、それぞれの本の世界は無限に広がっています。素晴らしい宝石が打ち捨てられているような状態です」

 また、映画についても、著者は以下のように述べています。

 

「映画も私の中では大きな楽しみです。WOWOWに加入し、NHKのBSなどで放送されているものもほとんど録画するようにしています。すると観ても観ても膨大に録画が増えていきます。しかも海外ドラマも好きなので、毎晩1本ずつ観ていても録画した映画やドラマがあふれるぐらいの量になってしまって、人生が足りないという思いになります。でもそんな状況を改めて考えると、こんな時代に生きられて本当に幸せだと心底思うのです」
  
 「世界が色彩を失うような経験をしても知的な判断をできるのが人間」として、著者は以下のように述べています。

 

「作詞家の松本隆さんが『君は天然色』という歌で、思い出がモノクロームになっていて、色をつけてほしいというような歌詞をつくられました。妹さんが亡くなられて、世界が色を失ったという経験があって書かれたそうです」 このエピソードは、ブログ『心に感じて読みたい送る言葉』で紹介した本でも紹介されていますが、著者は以下のように述べます。 「それと同じようなことが犬を亡くした私に起こりました。私は飼い犬を失った深い喪失感は犬でしか癒やされないと考えて、新しい犬をお迎えすることにしました。そうしたら、新しい犬の存在感が私の心の傷を癒やし、モノクロームになった世界に色をつけてくれたのです」

 グリーフケアの核心に迫る話ですが、著者はさらに述べます。

 

「私の場合は即座に新しく飼いはじめた犬に救いを求めたのです。犬でしか埋めることのできない心の部分が自分にはあることを認識して、犬を新しく飼うという行動に出てみたら、やはり自分が救われたのです。もし、その行動に出る判断をしなかったら立ち直れなかったのではと思うと、少しぞっとします。人間の特徴は、前頭葉が働いていること、つまり知的な判断ができることです。悲しみにうずくまっているばかりではなく、そこで何かを判断して、これが自分には効くのではないかと思って行動してみる。そうすると、現実が変わってくるのです」

 

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    『永遠の知的生活』(実業之日本社)

 


 「学ぶこと、教養を身につけることに限りはない」として、著者は読書について以下のように述べています。

 

「若いときから本を読むということができる人は、生涯退屈をしないですみます。本を読むことはささやかな技術ですが、先人のすぐれた考えを自分の身に養分として一生もらい続けて生きることができます」 「様々な領域の本を読めることは、この世界のほとんどすべての知識に開かれているということです。私たちは、『本を読む』『文章を書く』という根本的な技術を身につけることで、一生かかってもくみつくせない知識の泉と出合うことになるのです」 これは、現代日本最高の読書人であろう上智大学名誉教授の渡部昇一先生との共著『永遠の知的生活』(実業之日本社)において、わたしが訴えたメッセージに通じています。いつの日か、齋藤孝氏と「読書」について対談させていただきたいと願っています。

 著者は自らの人生を振り返りながら、以下のように述べています。

 

「自分の鉱脈をみつけ、それを仕事の本領にできれば、これはもう、一生が幸福です。パティシエの方がケーキ作りに邁進していく。それが本領であれば、一生が幸福なのです。仕事の本領を邁進していく中で、人が喜ぶ姿を見る。それが私たちの喜びだと思います。 作家が1人部屋にこもって書き続けていたとしても、自分の知らないどこかでこれを読んだ人が喜んでくれていると思いながらやっぱり書くものです。完全な孤独ではない。だからといって、SNSのように始終つながっているのでもない。どこかで巡りあって、喜びを感じてもらえる。一期一会の出会いの中で、自分のやったことに充実感を覚えられれば、それは幸福なのだと思います」

 

 著者は「そしてそれは、自分のやっていることへの『誇り』につながります。誇りを持つことが幸福にとってはすごく大切なのです」とも述べ、さらに「誇りが持てる人生は、幸福な人生です。仕事でなくてもいいので、誇りを持てるものを持つようにしていくのが、幸福の基本なのだと考えます」と喝破。

 Chapter2「幸せをつかみとるのは道筋がある」の「経験から意味を取り出し、自分を客観視する力を養う」では、著者は以下のように述べています。

 

「いま、企業が雇用を避けたいのは、精神的に不安定な人だと思います。何かあるとすぐに傷ついてしまう。そういう人はどんな企業にも一定割合いて、そのコストが非常にかかります。さらに、そんな人が1人いるだけで、まわりまで疲弊してしまうことが頻繁に起きています。だから、企業は何としてでもメンタルが不安定でない人を採りたいのです。簡単にいうと、社員のメンタルを心配する必要がないというだけで、企業にとってはものすごく大きなアドバンテージとなるのです」

 Chapter3「家族を持つことの意味」の「家族を形成するのが『ひとまず』の幸福」では、著者は以下のように述べています。

 

「もっともポピュラーに幸福だといえるラインがあります。それは家族を形成できれば幸福だというラインではないでしょうか。家族は、原始の時代から幸福の大きな要素だったといわれています。現代ではそれとは違ったルートで幸福を求めることもできますが、人類が何万年ものあいだ、追い求めてきたものとは異なる幸福感を得るのはなかなか大変です」

 また、「お金が無くても結婚はできる」の冒頭では、著者は「私は、結婚に関しては、『機会があれば早いほうがいい』と考えています」と言い、続けて以下のように述べています。

 

「というのも、30代後半になって相手を探している人たちから縁談をたのまれるのですが、なかなか難しいからです。相手からの条件が厳しくなるうえに、自身の要求も高い。20代なら、すり合わせできる範囲に収まっています。食事と似て、おいしいものに慣れてしまうと、なかなか手軽なものでは満たされなくなるといったイメージです。人生の経験値や人間的な魅力は上がっているにもかかわらず、結婚市場での評価は下がっていきます」

 結婚について、著者はさらに以下のように述べます。

 

「歴史的にみると、人はお金があるから結婚してきたわけではありません。日本のいまの男女はたとえ年収200万~300万円だとしても、かなりお金のある状態といえます。昭和初期や江戸時代などは生活が苦しく、お金なんて多くの人が大して持っていません。でもほとんどの人は結婚したわけです。人類の歴史は何万年、何十万年と続いてきましたが、どの時代もお金があったから結婚したわけではないのです。現生人類は20万年前~10万年前頃にアフリカで発生したとされています。それから人類の多くは経済的に豊かだったわけではなく、結婚生活はお金と関係なく営まれてきました。 現在の日本は史上まれにみる豊かな社会を形成しています。その点に注目すると、お金の有無で結婚を決めることがどれだけ的外れか、と思い至るのではないでしょうか。お金があるから結婚できる、なくては結婚できないという発想では、結婚できない人が増えてしまいます」

 「次世代を生み育てる幸福感と自己実現による幸福感」では、著者は以下のように述べています。

 

「次の世代を生み育てて『循環していく』ことで得られる幸福感は大きい。現在は、そうやって人間がずっと積み重ねてきた幸福の獲得の仕方を継承していない感があります。また子どもを産んで育てることは、先を計算しすぎていてはできないという面もあります。そのくらい、子育ては大変なのです。損得を考えたら、子どもなど持つのはやめようという結論に至ることもあるでしょう。考え過ぎたらなかなか踏み出せません。結婚も、他人と暮らすのは面倒くさいことなので、考え過ぎたらできないのです」

 「交際経験比率を下げる男と女の2つの壁」では、著者は述べます。

 

「いまは異性と交際経験のある人の割合が減っているだけでなく、20歳の段階で異性を好きになったことがある人の割合さえ下がってきているのです。その理由の1つが、男性のコスト・パフォーマンス意識です。女性にはお金がかかるので、自分で稼いだお金が費やされてしまいます。だからといって、その女性が付き合ってくれるとはかぎらないわけです。 時間的にも心のエネルギーという点でも、恋愛は消耗が大きいものです。モテる男性は別ですが、そうでない人にとってはものすごい努力が必要で、「そんなに努力をするくらいなら、すっぱりあきらめたほうが楽じゃないか」となるわけです。時間とお金と心のエネルギー、そうしたすべてをコスト・パフォーマンスで考えたときに、女性にアプローチできない。そういう男性が増えているのです」

 また、著者は以下のようにも述べています。

 

「女性は女性で、常に男性を査定します。男性の場合は女性をそれほど厳しく査定しないのですが、女性には査定項目がたくさんあります。5項目やそこらではなく、あらゆる場面で『こういうときに、こうしてくれなかった』というような査定です。たとえば、『こういう店を選んだ』とか『こういうメニューの頼み方をした』という。しかもプラス査定ではなく、マイナス査定です。たった1回のデートで10個、20個ものマイナス評価がついてしまうのです」

 査定ばかりしていると、相手の評価はどんどん低くなる一方です。 このような事態を憂う著者は、以下のように述べています。

 

「『査定』しないで、フィーリングを重視すれば結婚は近くなります。ある独身女性が既婚者に、『どうやって決めたの?』と尋ねたら、『フィーリングで決めちゃった』と答えたので、『だから結婚できたんだ』と思ったそうです。フィーリングで決めるのと、マイナス査定項目を並べ立ててしまうのでは、まったく選び方が違います。お互いに条件を出し合って選ぶというのは、結婚が成立しにくいのです。そうではなく、『この人は気立てがいい』とか『話が合う』など、アバウトに選ぶことが大事です。お互いに条件をいい出したらきりがありません」

 「生物的な『常識』を忘れてはいけない」では、冒頭で著者は「優先順位を間違わないこと。これが幸福のとても大きなポイントです。人間が独りで幸福になることは非常に難しい。子どもに託すからこそ、自分はもう死んでもいい。生物にはそんなところがあります」と述べています。 また、結婚について以下のように喝破しています。

 

「結婚は家族を構成する基礎なのですから、恋愛やモテる・モテないということとは別次元です。モテる人間でも結婚しない人間はたくさんいます。つまり、恋愛市場と結婚市場はまったく別物だと考えるべきです。『市場』という言葉や考え方自体が結婚にそぐわないなら、『縁があって』などのアバウトなところや、話が合うというフィーリングで、ある程度、踏ん切りをつけて結婚すればいいのです」

 Chapter5「幸福へ続く道にある落とし穴」の「行き過ぎたSNSは いますべきことを見失わせる」では、冒頭に「最近の学生は承認欲求が強いあまりに、多くの人とLINEやフェイスブックなどでつながって、『いいね』をクリックしてもらわないと、毎日が生きられないようです」 このような現状を踏まえて、著者は以下のように述べています。

 

「いまの若者たちは、物質的な欲求は少ないのですが、承認欲求に関しては貪欲なのです。人間関係の中でそこまで自分の存在基盤を求めようとしている点には不安定さすら覚えます。それほどまでに人間関係や仲間との絆が大事という背景には、孤独になることへの行き過ぎた恐怖心があると思います。たとえ1人きりになっても、青春時代にはありうる事態だと思っていれば、そんなに毎日、SNSに写真をアップしなくてもいいわけです」

 さらに著者は、いまの若者について以下のように述べています。

 

「私はそんな若者について、生き残るために狭い水槽の水面でパクパクしている金魚のような息の浅さを感じます。自分の人生をもっとゆったりとした時間の中で生きればいいのに、酸欠になっているような感じです。『承認』という酸素をほしがって、常に水面に顔を出しているような状態。深海魚のように自分自身を深みで育てているというわけではないのです。スマホなどによるSNS的な友人関係の拡大に伴い、日常的なコミュニケーションの増大が進んでいます。寝る直前まで友だちと交流して、個の時間が持ちにくい」

 続けて、著者は以下のように述べています。

 

「そんなコミュニケーション過剰症候群状態がどんどん進んでしまった結果、電車の中で本を読む人が激減し、いまは1車両に1人いればいいくらいの感じです。それにより、深さの次元が足りなくなり、自分と同次元の人たちと絶え間なくおしゃべりしている。おしゃべりが本来的な生き方を見失わせるということは、ドイツの哲学者ハイデガーが『存在と時間』の中で「頽落様式」といった言葉で指摘しています」

 続けて、著者は以下のように述べています。

 

「人間の生き方には『本来的な生き方』と『非本来的な生き方』があります。本来的な生き方とは『やがて自分は死を迎えるが、その死はいつ訪れるかわからないのだから、いま、何をするべきかを真剣に考えて生きる』というものです。一方、非本来的な生き方とはとりあえず死については忘れ、あたかも死がないかのように生きて、まわりの人間とおしゃべりをして過ごすというようなものです」

 そして、著者は現代日本の危機的状況について以下のように述べるのでした。

 

「現代日本の中学生の勉強時間は、国際的な比較では圧倒的に少なくなっています。日本人は勉強時間がとても少ない国民になっているのです。そうしたSNSに費やすコミュニケーションの時間があまりにも膨大になっている中での幸福感は、どうしても精神的に浅くなっていきます。それは人類が求めてきた幸福の形なのかというと、何かが違います。私にはあまり努力をしない、器の小さな人たちが承認し合っている状況にみえなくもないのです」

 「自分を承認してもらいたい その欲求が招く危険」では、冒頭で著者は以下のように述べています。

 

「私が比較的最近、若い人たちと付き合っていて感じるのは、人生は承認欲求との戦いなのだということです。光と影があるように、不全感を抱えた人が承認されて居場所が与えられると、それがどんなに危険な場所でも、そこに居ついてしまうことがあります。 典型の1つがオウム真理教です。若者の承認されたい欲求を満たすように、『君はありのままでいいんだよ』と勧誘するセミナー系商法は後を絶ちません」

 また、セミナー系商法にすぐ騙されてしまう若者たちについて、著者は以下のように述べています。

 

「なぜ、簡単に信じてしまうのか。それは居場所や評価がほしいので、承認してくれる人に弱く、すぐに心を許してしまうからです。『ここにいていいんだよ』と自己実現の場所を与えられ、それが普通に働くことでなくても、そこでひととおりの評価をもらうと、そこが居ごこちのいい拠点になってしまうのです。 承認欲求は、たとえば学園祭で何かの役割を果たすことなどで満たされればいいのですが、その欲求不満が20歳を超えても続いてしまう例が見受けられます。現実感覚の希薄な人がそういうものに一度はまり込んでしまうと、手遅れになりがちです。現実を教えることが難しくなってしまって、悪い意味で精神が変容してしまうからです」

 Chapter6「個人と社会が幸福をつかむために」の「人類を超えた存在への畏れが自分を律する手助けとなる」では、著者は「古代人には、神を畏れながらも敬うような意識が、共通してあったのです」として、以下のように述べています。

 

「そうした人間を超えた力に対する一種の畏れの念や崇拝の念は、原始的なものだと思われがちですが、自分を超えた大きな存在を認めることがなくなり、SNS仲間で承認し合うばかりになると、自分を垂直次元で把握しなくなります。すると、これまで人類が培ってきた文明の原点や、文化の深みが伝わらなくなるような気がします。要するに、文化の継承がうまくいっているのかどうかわからないという思いに駆られることが、私にはあるのです。かつて、それは神話によって維持されてきました。神話を語ることで、人間と神という区別があり、神の逆鱗に触れると大変な事態を招くとわかったのです」

 「新しい価値を生み出す『システム職人』を目指そう」では、著者は「いい物を作っていれば、それでいいような気もしますが、その一方で果たして本当に十分なのかとも思います。グーグルやアップルをみていると、物やシステムなどの基準を作った人間がほとんどの利益を持っていってしまう社会になっていることがわかります」と述べています。

 より価値を生み出すような頭の働かせ方、ルールやフォーマットを作りあげる頭の働かせ方が必要なのではないかとして、著者は述べます。

 

「たとえば、アップル社のiPhoneはアプリ(アプリケーションソフトウェア)を取り込んで使いますが、各種のアプリは世界中の人が開発します。でも、アプリの会社から莫大な利益を得るのはiPhoneのシステムの基盤を作った会社です。同様に、LINEではスタンプを作って売ると、ほしい人がそれを買います。最も利益を得るのはLINEを運営する会社ですから、そうしたもともとのシステムが価値を持つ時代なのです。そう考えると、21世紀には、1つの物を作る職人というよりも、『システム職人』の意識を持つことが必要なのではないかと思います」

 

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    『ミッショナリー・カンパニー』(三五館)

 


 「困難なミッションが気分に左右されない幸福感を生む」では、著者はミッションの重要性を説き、以下のように述べています。

 

「何かのミッションを与えられると、急にやる気が出て、それを成し遂げたときに幸福感を覚えることもあります。若い人は何を一番欲しがっているのかと考えたとき、お金でもないし、勉強でもない、恋愛でもないような気がします。もしかしたら、ミッションが欲しいのかもしれません」

 

 この著者の指摘には、その名も『ミッショナリー・カンパニー』(三五館)という本を本名で書き、「ミッション」というものを徹底的に考察したわたしも膝を打ちました。

 

 また著者は、以下のようにも述べています。

 

「ニーチェは『ツァラトゥストラ』の中で、『自分はもう幸福は追求しない。事業への追求あるのみだ』というようにツァラトゥストラに語らせています。『わたしの悩み、そしてひとの悩みへのわたしの同情、―それがわたしに何のかかわりがあろう』 ツァラトゥストラはそれまでずっとほかの人のことを考えていたのだろうと思います。しかし、『いったいわたしはわたしの幸福を追求しているのか。否、わたしの追求しているのは、わたしの事業だ』『これがわたしの朝だ』と、力に満ちて洞窟を後にし世に出ていくのです」

 「ピラミッドやオリンピックなど国中に影響する大事業にある幸福感」では、冒頭で著者は以下のように述べています。

 

「ピラミッドは以前には奴隷を使って建設したという説がありましたが、最近になってそれが覆されました。一種の公共事業のようなもので、ピラミッドを建設することで経済や労働市場も活性化したのです。しかも、魂の救いにかかわる宗教的な大事業である点で価値があるのです。それは単なる労働ではなく、聖なる労働です。石が積み上げられたあのピラミッドは、いまみても聖なる仕事の気配がします。何かの役に立つということではないのです」

 また、著者はピラミッド建設について以下のように述べています。

 

「そういう事業に参加していた人は、参加していた時点で幸福感に包まれていて、完成後もピラミッドをみるたびに幸福感を覚えるのです。 日本でも、かつて東北地方などから出稼ぎにきて、首都高速や東海道新幹線の建設に携わった人たちがいます。生活のためではありますが、たぶんどこかでこれらの事業に参画したことが誇りになっており、幸福感につながっていると思います。それは多くの人が何となく感じるような、雰囲気としての幸福感とは少し違う、手応えのある幸福感です。1964年の東京オリンピックも、1970年の大阪万博もそうでしょう。これは私の個人的感覚ですが、1970年の大阪万博までが、日本中に事業感覚があった時代ではないでしょうか。当時はまさに日本国民全員が万博を盛り上げようとしていました」

 「『三角形の和は180度』で感動できる人が得られる幸福感」では、著者は「学ぶ」ことについて以下のように述べています。

 

「学ぶということは、幸福の1つの王道だと断言できます。年を取ってから大学に入り直した人は『若い人と学べるのはすごく幸福だ』といいます。学ぶと新しい世界を知ることができて、自分の世界が開かれていく。しかも、ほかの人を一緒に学び、レベルの高いことに取り組むとか、ものの見方が新しくなること自体が幸福なのです。だから、学びには本来、すごい感動があるはずです」

 

 「読書の本質は『情報』を得る行為ではなく『体験』」では、著者は「読書」について以下のように述べています。

 

「読書の本質は、情報を得ることではなく、体験だと思います。 その世界にどっぷり漬かって1週間なり、1ヵ月なりを過ごす。ゲーテの話、ニーチェの話、ラッセルの話、アランの話を聞くことは、それ自体が体験です。そういう体験としての読書をせず、情報としての読書だけをして、すべてが自分の外側を流れ過ぎてしまうと、手応えのある充実感は得られません」

 「数時間前の嫌な出来事をはるか昔の出来事に変えてしまう方法」では、著者は以下のように述べています。

 

「誰かにいわれたひと言の不快感や、うっかりやってしまったことへの後悔などを、頭の中で繰り返して増幅させてしまっているのです。そうした状況を是正する方法は2つあります。1つは時間を早く過ぎさせることです。私の場合、録画しておいた映画を1日に2本見たり、サッカーの試合を3試合分まとめて見たりします。本も一度に2~3冊読みます。それだけ時間を費やすと、その直前に悩んでいたことが相対的にものすごく遠いことのように感じられるのです。さらにその間に、お風呂に入ると、当日の昼間の出来事も1週間くらい前のことのような気がします。要するに、忘却することがストレス解消の1つのコツです」

 非常に具体的で効果的なアドバイスですが、さらに著者は述べます。

 

「むしろ積極的に大きなものと比べるのも1つの方法です。『アウシュビッツに収容された人たちに比べたら、何て小さなことで悩んでいるのだろう』という具合に。イスラム国に子どもたちが虐殺されたなどという報道に接すると、痛ましいと思いつつ、『日本で普通に暮らせているのは、何て幸福なんだろう』と感じるはずです」

 

 自分より不幸な人々を見て幸福感を感じるというのは邪道のようにも思えますが、じつは「自分は幸福なのだ」と感じるために最も効果的な王道と言えるでしょう。

 最後に、「幸福を収める器の大きさは人によって異なる」では、著者は幸福感を得るための方法を以下のように述べています。

 

「私の場合、極めてシンプルに生活を成り立たせているので、お風呂に入ってから、これをすればだいたいOKというような感じです。また、あまりにも多くの人とかかわり過ぎないようにしていますし、SNSは思わぬ人から思わぬことをいわれるかもしれないので、基本的にやりません。自分でストレス量をコントロールしつつ、自分の勝ちパターンを作っていく。ライフスタイルというような大げさなものではなく、自分で安らげる生活パターンを構築すればいいのです」