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沖縄文化論』

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No.1277


 『沖縄文化論』岡本太郎著(中公文庫)を再読しました。
 「忘れられた日本」というサブタイトルがついています。1972年に単行本の初版が刊行されています。もうずいぶん前に読んだ本でしたが、この読書館でも紹介した鎌田東二先生の著書『世阿弥』の中に本書が引用されており、興味を引かれて改めて読んでみたのです。新しい発見がありました。著者撮影による口絵写真83点がされた素晴らしい紀行文学の傑作です。

 本書のカバー裏には、以下のような内容紹介があります。


「苛酷な歴史の波に翻弄されながらも、現代のわれわれが見失った古代日本の息吹きを今日まで脈々と伝える沖縄の民俗。その根源に秘められた悲しく美しい島民の魂を、画家の眼と詩人の直感で見事に把えた、毎日出版文化賞受賞の名著」

 本書の「目次」は以下のようになっています。


「沖縄の肌ざわり」
「『何もないこと』の目眩」
「八重山の悲歌」
「踊る島」
「神と木と石」
「ちゅからさの伝統」
「結語」
「あとがき」
「神々の島 久高島」
「本土復帰にあたって」
「『一つの恋』の証言者として」岡本敏子

 「沖縄の肌ざわり」では、著者は沖縄の人々について書いています。


「沖縄の人たちはいい。私は大好きだ。色はやや黒く、目はギョロッと鋭い。全体に分厚い感じ。中にはひどく毛深い人がいて、胸毛どころか、二の腕から手の甲、指にまで黒い毛が密生していたりする。いかにも逞しく、ちょっとこわいようだが、よく見ると、こんな柔和な表情があるだろうかと思われるほど、何ともいえない優しさとあたたかさが感じられる。馬鹿に背が低くて、その割にがっちりしたタイプの人も目につく。私の友人がそうなので、『台風に吹きとばされないように、そんな恰好になったんだね』といって笑った。この街の檳榔樹の並木が風にたえてひどくずんぐりしてるのを思いだしたのだ」

 続けて、著者は沖縄の人々について述べます。


「誰に会っても、底ぬけに善良だ。これでピントがあっているんだろうか、とちょっと心配なくらいだ。沖縄には『いちゃりば、ちょうでえ(行き会ったものはみな兄弟)、ぬう、ひぇだてぬあが(何の隔てがあろうか)』という言葉があるそうだ。たしかに、コチンと固まったエゴイズム、自分と他人を意識し、隔てているような、あの小市民独特のいやったらしさが感じられない」

 「『何もないこと』の目眩」では、著者は沖縄の人々の信仰の場である「御嶽」に感動したことを以下のように述べています。


「私を最も感動させたものは、意外にも、まったく何の実体も持っていない―といって差支えない、御嶽だった。
 御嶽―つまり神の降る聖所である。この神聖な地域は、礼拝所も建っていなければ、神体も偶像も何もない。森の中のちょっとした、何でもない空地。そこに、うっかりすると見過してしまう粗末な小さい四角の切石が置いてあるだけ。その何にもないということの素晴らしさに私は驚嘆した」

 「踊る島」では、沖縄の人々の日常に根づいている「カチャーシー」という踊りについての感想が以下のように述べられています。


「社会ルール、風習、モラルなんて、こうるさいもんだ。その正しい、また正しくない、さまざまの理由、圧力が人を抑制している。だが忘れられた自由感、肉体と精神の渾然と溶けあう初源的感動は、肉体の底に深く生き、うずいている。それは奪回されなければならない。このような矛盾にこそ舞踊芸術の理由があるのではないか」

 続けて、著者はカチャーシーの素晴らしさを語ります。


「歓喜が全身をつき動かす。人は踊る。よろこびの極みが踊りであり、そのエネルギーの放出はまた強烈な歓喜である。
 心身が解き放たれ、自分自身を世界に向って惜しみなく投げ出す。それは自己拡大であると同時に、自己喪失といってもよい。際限なしにあふれ出る。そのとき人は世界を所有し、宇宙と同化する。躍りあがり、全身を空に投げ、くるくる廻る。世界は同心円を描き、すみずみまで輝いてこちらを包む」

 わたしは沖縄の地でも冠婚葬祭業を営んでいますが、結婚式場「マリエールオークパイン那覇」でいつもカチャーシーを体験していますし、ときどきは自分でも踊ります。沖縄の人は、結婚披露宴でも、長寿祝いでも、一般の宴会でも、最後は必ずといっていいほど全員でカチャーシーを踊ります。そんな沖縄について、著者は書いています。


「ここは踊りの国。四季を通じての、数々の祭りの芸能はもちろん、結婚、誕生、還暦や古稀の祝、新築、旅だちのときなど、あらゆる機会に踊りがある。舟出には海辺で、また旅している者の留守宅では、親族たちが集まり、その人をしのぶ歌をうたいながら、輪になって踊る。こういうときは畳をあげてしまうというほどの徹底ぶりだ。『野遊』という古くからの風習もある。大勢つれだって三線や太鼓を持って野に出たり、浜辺に出て、円陣をつくって激しくうたい踊る。とりわけ月のよい夜などは、夜ふけまで、男女いりまじって歓楽した。ちょうど古代の歌垣そのままの、素朴なロマンティスムである。この自由な風俗に対して為政者は、お目附役を置いて抑えようとしたり、しばしば禁止令を出したが、ごく近年までさかんだった。今でも行われている『三月遊び』はその名残りだという」

 「神と木と石」では、「神の島」と呼ばれる久高島の神事「イザイホー」が行われる聖地について、著者は次のように書いています。


「ここが名高い『イザイホー』の行われるウドンミャー(御殿庭、あるいは御殿宮)だ。久高島では30から70までの女性はすべて神事に参加しなければならない。そして12年に1回、午の年に、新しいナンチュ(神人)を資格づける厳粛な儀式が行われる。イザイホーの神事だ。
 儀式は3日間にわたる。神アシャギはクバの葉でおおわれ、そのうしろの阿檀林、イザイ山の中に、『七ッ家』という、クバで葺いた小屋を作って、30から41までの女は厳重なおこもりをする。さらにミソギで身を浄める」

 そして、ここが本書の最大のヤマ場なのですが、著者は久高島の大御嶽について、以下のように感動的に綴っています。


「あの潔癖、純粋さ。―神体もなければ偶像も、イコノグラフィーもない。そんな死臭をみじんも感じさせない清潔感。
 神はこのようになんにもない場所におりて来て、透明な空気の中で人間と向いあうのだ。のろはそのとき神と人間のメディアムであり、また同時に人間意志の強力なチャンピオンである。神はシャーマンの超自然的な吸引力によって顕現する。そして一たん儀式がはじまるとこの環境は、なんにもない故にこそ、逆に、最も厳粛に神聖にひきしまる」

 続けて、以下のように著者は日本の古代にも想いを馳せるのでした。


「日本の古代も神の場所はやはりここのように、清潔に、なんにもなかったのではないか。おそらくわれわれの祖先の信仰、その日常を支えていた感動、絶対感はこれと同質だった。でなければこんな、なんのひっかかりようもない御嶽が、このようにピンと肉体的に迫ってくるはずがない。―こちらの側に、何か触発されるものがあるからだ。日本人の血の中、伝統の中に、このなんにもない浄らかさに対する共感が生きているのだ。この御嶽に来て、ハッと不意をつかれたようにそれに気がつく。そしてそれは言いようのない激しさをもったノスタルジアである」

 本当の「聖地」とは何か。著者は以下のように述べます。


「私は今まで、エジプトの神殿、アクロポリス、出雲大社が神聖だと思っていた。しかし何か違うのではないか。それは人間の意志と力にあふれた表情、いわば芸術の感動ではなかったか。それを通して、背後にある恐ろしい世界、その迫力みたいなものに圧倒される。権勢をバックにした豪壮さ、洗練を極めた形式美。つまり力と美に対する驚歎であり、アドミレーションである」

 続けて、著者は沖縄の御嶽について以下のように述べるのでした。


「沖縄の御嶽でつき動かされた感動はまったく異質だ。何度も言うように、なに1つ、もの、形としてこちらを圧してくるものはないのだ。清潔で、無条件である。だから逆にこちらから全霊をもって見えない世界によびかける。神聖感はひどく身近に、強烈だ。生きている実感、と同時にメタフィジックな感動である。静かな恍惚感として、それは肌にしみとおる」

 「神々の島 久高島」では再び、久高島の神事「イザイホー」について以下のように書かれています。


「イザイホーはすでにいったように、12年に1回、午の年ごとに行なわれる神事だ。島で生まれ、ここに暮らし、島の男と結婚した女、30から41歳までの全員がこの祭りによって神に仕える巫女となり、現人神になるのだ。
 新しく巫女になる女性たちは『ナンチュ』とよばれる。祭りの1ヵ月も前から、御嶽で各自の神名を与えられる儀式など、さまざまの行事を経て、この日からは3日3晩イザイ山とよばれる禁制の森の中に、クバの葉で作られた『七ッ家』にこもり、日常の世界と断絶してしまうのだ」

 続けて、著者はイザイホーの儀式について以下のように述べます。


「最もけわしい儀式は初日の夜に行なわれる『夕神遊び』だ。祭場である『御殿庭』の『神アシャギ』にかけられた『七ッ橋』をわたる。このとき不義をはたらいた女は橋からころげ落ち、血を吐いて死ぬと信じられている。これが俗に貞操試験だなどと伝えられて好奇心をそそり、さらに処女認定だと猟奇的にゆがめられて、ひどくこの祭りを名高くしてしまったが」

 そして、「本土復帰にあたって」には、次のように書かれています。


「皮肉な言い方に聞こえるかもしれないが、私は文化のポイントにおいては、本土がむしろ『沖縄なみ』になるべきだ、と言いたい。沖縄の自然と人間、この本土とは異質な、純粋な世界とのぶつかりあいを、1つのショックとしてつかみ取る。それは日本人として、人間として、何がほんとうの生きがいであるかをつきつけてくる根源的な問いでもあるのだ。
 とざされた日本からひらかれた日本へ。
 だから沖縄の人に強烈に言いたい。沖縄が本土に復帰するなんて、考えるな。本土が沖縄に復帰するのだ、と思うべきである。そのような人間的プライド、文化的自負をもってほしい」

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   ブックレット『沖縄力』(2010年6月刊行)


 わたしはこれを読んで大いに共感するというよりも、驚きました。

 「本土復帰ではなくて沖縄復帰だ」というのは、わが口癖だったからです。
 たとえば、わたしのブログ記事『沖縄力』で紹介したブックレットに収められた「沖縄タイムス」掲載コラムに「先祖を大切にする沖縄」というものがありますが、その最後には以下のように書かれています。


「私は沖縄が大好きです。沖縄の地で36年間、冠婚葬祭業を続けてこられたことを心の底から誇りに思います。そして、沖縄には本土の人間が忘れた『人の道』があり、それこそ日本人の原点であると思います。今こそ本土は『沖縄復帰』すべきではないでしょうか」

 この考え方のオリジナルが岡本太郎にあったことを、不覚にもすっかり失念していました。おそらく昔読んだ本書の文章が頭の片隅にあって、自分の考えのように思い込んでしまったのでしょう。いつも沖縄の方々の前で「今こそ本土は『沖縄復帰』すべき」と言っていたのですが、まったく赤面ものです。これからは「岡本太郎も言っていますが」と言い添えることにします。

 著者にとって、起きんわとの出合いは、一つの恋のようなものでした。
 その恋への情熱が、民俗の根源にひそむ悲しくも美しい魂を天才と直感と直観とで見事に捉えた名著を生んだのです。
 最後に置かれた「『一つの恋』の証言者として」は、本書の解説としての役割を果たしています。そこで、岡本太郎のパートナーであり、養女、実質的な妻でもあった岡本敏子氏が以下のように書いています。


「この本は思いがけないほど多くの人の共感を得た。川端康成氏は『あの本はいいですねえ。沖縄に行きたくなった』と、しみじみうらやましそうな顔をされたし、三島由紀夫は『『沖縄文化論」』になぜ読売文学賞をやらないんだ。僕が審査員なら絶対あれを推すな。内容といい、文章といい、あれこそ文学だ』と憤りをこめて絶賛していた。それは一般の評価でもあったのだろう。やがて毎日出版文化賞を贈られた。縄文と沖縄は岡本太郎の根源的な自己発見だった。いや、自己確認だったと言うべきだろう」

 わたしも、多くの人と同じく、この本に共感しました。
 それにしても素晴らしい名文です。つねづね岡本太郎の芸術作品よりも著作のほうが優れているのではないかと内心思っているのですが、最近、その名作の多くには岡本敏子氏のアドバイスがあったのではないかという話を聞きました。もし、それが本当であるとするなら、敏子氏は岡本太郎にとって最高のパートナーであったのだと思います。