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原始文化
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原始文化』

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No.1212

 

  『原始文化』E・B・タイラー著、比屋根安定訳(誠信書房)を読みました。 1871年に書かれた文化人類学の古典的名著で、副題は「神話・哲学・宗教・言語・芸術・風習に関する研究」です。

 

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    『原始文化』(誠信書房、1962年)


 タイラーは、「文化人類学の父」と呼ばれるイギリスの学者です。 彼は、文化発展の立場から未開民族の文化を研究し、宗教の起源がアニミズムであることを論じました。彼が1866年から発表してきた論文をまとめたのが本書です。本書の発表と同年に、評価の高まったタイラーはイギリス学士院会員に推薦され、1875年にはオックスフォード大学から名誉博士号が授与されました。

 

 わたしは、東京大学医学部大学院教授で東大病院救急部・集中治療部長の矢作直樹先生との対談本である『命には続きがある』(PHP研究所)の中でタイラーについて言及しました。同書には「人はなぜ葬儀をするのか」の項目で、以下のように書かれています。

一条 わたしの永遠のテーマは「人はなぜ葬儀をするのか」なんですが、死者の供養をしたほうが生存する確率が高いという説を唱えたのが、イギリスの人類学者エドワード・バーネット・タイラー(1832~1917)です。宗教の起源に関して アニミズムを提唱したことで知られるタイラーは「文化人類学の父」と呼ばれました。 タイラーは、祖先を信仰する人々の行動が集団の生存につながったのではないかと考えます。ネアンデルタール人と同じく、わたしたちの直接の祖先とされるクロマニョン人、そしてホモ・サピエンスも死者の埋葬を行いましたが、すべての者が死者を埋葬したわけでなく、おそらくは埋葬した集団と埋葬しなかった集団がありました。そして、歴史の結果として埋葬の習慣を持っていた集団の子孫だけが生き残ったのです。

 

矢作 種の問題ではなく、集団の違いということですか?

 

一条 はい。初期の人類は、豊饒、健康、狩猟の成功、戦争での勝利などを必要としましたが、それらはすべて祖先が霊界から与えてくれるものでした。子孫は、それらを与えられる代わりに、祖先に対する祈りや崇拝を発達させたのです。もちろん、食物などを寄進するという考えも生み出されました。人間は高価な贈り物とともに祈りを祖先に捧げ、祖先はお返しに豊作や狩猟の成功、戦争での勝利などを与えてくれたわけです。

 

矢作 自由に高いところとつながることができたのは、たしかに生存の基本だと思います。

 

一条 タイラーによれば、古代人は夢、とりわけ夢の中で死んだ親族と会うことに深い意味づけをしたと述べています。古代人の心と現代人の心は、いろんな意味で違うと思いますが、夢をみることは共通していると思います。祖先すなわち死者と会う方法を考えた場合、「夢で会う」というのが、一番わかりやすいのではないでしょうか。 (『命には続きがある』p.162~163)

 

 本書は、初めて「アニミズム」という考え方を紹介した書としても知られています。この読書館でも紹介した『文化人類学の名著50』では、日本におけるアニミズム研究の第一人者である文化人類学者の佐々木宏幹氏が『原始文化』について以下のように述べています。

 

「タイラーのアニミズム論の重要部分を紹介することにしたい。彼によれば、アニミズムとは『霊的存在への信仰』 the belief in the Spiritual Beings を意味する。彼はこの『霊的存在への信仰』をもって宗教なるものの最小限度の定義であるとしているから、アニミズムは宗教そのものということになる。彼は『アニミズムは人類のきわめて低い段階にある諸部族の特徴であるだけでなく、その向上にともなって伝達の仕方が修正されることはあっても、始めから終わりまで断絶することなく高い現代文明のなかまで存続している』という」

 さらに佐々木宏幹氏は、タイラーのアニミズム論について述べます。

 

「タイラーは『アニミズム』 animism の造語者であるが、この語はラテン語の『アニマ』 anima に由来し、気息・霊魂・生命を意味する。アニマは『生きていること』を示す語であるから、英語のアニマル、アニメ―ト、アニメーションの類語である。 タイラーは『アニミズム』によって、人間が神や死者、動植物、無生物などほとんどあらゆる存在に対して宗教的心意を示し、宗教的行動をとることの原初的な意味を根本的に明らかにしようとした。換言すれば彼は、人間のみがもつ『文化』の起源と発展・進化の過程を究明しようとしたのである」

さて、本書の「目次」は以下のような構成になっています。

 

「解題」

第一章 文化科学

第二章 文化の進歩と退歩

第三章 遊戯・俚諺・風習

第四章 呪術・卜占・霊媒

第五章 感動言語と模擬言語

第六章 数の算え方

第七章 神話と生気説

第八章 神話と自然現象

第九章 神話・伝説・比喩

第十章 生気説と霊魂観念

第十一章 不死・来世・転生

第十二章 来世生活・連続説と報償説

第十三章 自然・呪物・偶像への崇拝

第十四章 諸霊・植物・動物への崇拝

第十五章 多神教・神々の分類・自然界の神々

第十六章 生気説は道徳・宗教へ

第十七章 祭儀と儀式

第十八章 結論

「索引」

 本書の冒頭に置かれた「解題」には、沖縄の首里出身である宗教学者の比屋根安定が次のように書いています。

 

「本書の副題は、『神話・哲学・宗教・言語・芸術・風習に関する研究』であって、過去において滅んだ未開種族、現代に残存せる低級民族における原始文化の諸相へと戻って追跡するだけでなく、それら原始文化が高級文化民族と自称する現代人の間にも残存せることを指摘するから、その意味する原始文化は範囲が広く浸透が深いから、むしろ人間精神と概称したほうがよさそうである」

 本書で「生気論」と呼ばれているものは、アニミズムのことです。 タイラーはアニミズムを霊的存在への信仰であると定義しており、宗教の一種として捉えています。アニミズムによれば人間はこの世界の万物を信仰の対象とすることができ、その対象は死者、生物、無生物など際限がありません。これは人間に固有の文化の起源であり、宗教的行動をとることの原始的な意味です。

 万物が人間の信仰の対象となりうる理由について、タイラーは、人間は万物に霊魂が宿っていると考えているからだと考えます。ある未開社会においては思想家が病気や幻想、死について、非物質的な霊魂の観念を持ち出して説明しようと試みます。このことで霊魂は霊的存在の観念に発達してアニミズムが成立し、さらには神という観念へと発達することになります。タイラーは、このようにして確立される神は霊魂を擬人化したものであり、さらに神々の世界には階級が成立して神々は一つの神に統合されると論じます。つまりアニミズム、多神教そして一神教という発達の図式が描き出せると論じているのです。

 比屋根安定によれば、タイラーが本書で唱えたアニミズムは、マレットのプレアニミズム、コドリントンなどのマナイズムなどによって、局部的に改変あるいは増補されたりしたにしても、本書が画期的名著として揺るがない存在であることに変りはありません。先史学・人類学・民俗学・宗教学の名著に、必ずタイラーの名が記され、本書が多く引用されるのは、その証拠であるといいます。

 本書の内容から興味深い箇所を拾っていこうと思います。 まず、第一章「文化科学」の冒頭には以下のように書かれています。

 

「広い人類学の意味でいう文化あるいは文明とは、知識・信仰・芸術・法律・習俗・その他、社会の一員としての人の得る能力と習慣とを含む複雑な全体である」

 また、文明について、タイラーは次のように述べています。

 

「文明を研究する第一歩は、文明を細かく分けて、その固有の集団に分類することである。武器や織物を検べると、さまざまの種類や段階に分れる。神話を分けると、日出・日没・日月食・地震などに関する神話がある。ある物語に基づいて、地名をつける神話がある。ある想像上の祖先名を種族の系図とする神話がある。儀式には、死霊や他の霊的存在者に、さまざまな供物を捧げること、東に向かって礼拝すること、水や火を用いて、穢れを清めることがある」

 

 「文明」と「文化」といえば、わたしは拙著『唯葬論』(三五館)で「文明論」「文化論」という章を設け、両者の違いについて言及しました。

 これに関しては多様な見方がありますが、わたしは比較文明学者の伊藤俊太郎氏が『新装版 比較文明』で述べた以下の説にならいました。

 

「"精神文化"と"物質文明"というように、これが連続的なものではなく、かえって対立したものとして把えるものである。つまり哲学、宗教、芸術のような精神文化と、科学、技術というような物質文明は本質的に異なっており、一方は内面的なものであり、他方は外面的なものであり、一方は個性的なものであり、他方は普遍的なものであり、一方は価値的なものであり、他方は没価値的なものである、というような対立でとらえていく」

 

 また、わたしは、『唯葬論』の中で、墓こそ文明のシンボルであり、埋葬こそ文化のシンボルであると述べました。

 

 文化人類学の古典中の古典とされる本書の内容で、わたしが最も関心があるのは、やはり儀式に関する部分です。第十七章「祭儀と儀式」の冒頭には以下のように書かれています。

 

「宗教上の祭儀は、実際では混ずるが、理論では2つに分かれる。それらは、表現し象徴する行事、宗教思想の戯曲的発言、神学の身ぶり言葉である。ある祭儀は、霊的存在者と交通したり、これに影響する手段であるから、その意図が、機械的過程であると同じく、直接に実践的過程であるわけは、理論と実行とが関係するように、教義と崇拝とが関係するからである」

 また、宗教儀式には欠かせない祈祷について、次のように述べます。

 

「祈祷は、人格霊が人格霊に向かう呼びかけであって、魂の言葉か、言葉なき真面目な願望である。それが死霊、あるいは神になった人霊へと呼びかける限り、人と人との日々の交通の拡大に外ならない。祈祷は、低級な文化段階の宗教に現われるが、この初期段階における祈祷は、倫理的でない。願望の実現を祈るが、その願望は一個人の利益に限られている。崇拝者が、幸福を求めるのに加えて、徳を修め不正を拒むことを願うのは、後代の道徳段階に達した場合であって、祈祷は道徳の方法になっている」

 儀式といえば、象徴というものと切っても切り離せません。 それについては、タイラーは以下のように述べています。

 

「儀式の中には、その特徴の絵画めいた象徴がある。日神々話やその崇拝を考えると、東は光明・温かさ・生命・幸福・栄光を連想させるが、西が暗黒・寒さ・死・衰滅を連想させることは、昔より宗教信仰に深く根ざしていた。朝日と夕日とが、死体の置き方に交渉し、オーストラリア人は、死者の顔を東に向けて座させ、サモア族やフィージー族は、死体の頭を東へ、足を西へ向けて埋葬する。北米のウィンネパゴ族には、死者をして西へ向かわせ、あるいは東へ面させる風習がある。南米のユマナ族は、死者をして大なる善神の住む東方へ面させ、グアラヨ族も、天神の住む東方へ面させる。しかしペルー人は、死者をして西方へ面させ、ツルグース族も同じ方向である」

 続けて、タイラーは以下のように述べています。

 

「中世のタタール人は、死体の上に土を盛り上げ、その上に東面する像を据え、その手は盃を持っていた。コマンチェ族は、武器を小屋の東側におき、日の最初の光線を受けさせ、ナチェズ族の酋長は、戸口に立って東に向かい、先ず日に煙を吹きかけて後、残る三方角に向かった。古代メキシコでは、日への崇拝が宗教の中心であって、人々は東に向かって祈祷した。ペルーで村々が東に向かって建つのは、人々が国津神の昇るのを見て、これに挨拶するためである。クズコにある日神殿の内部には、金色の円盤が西に掛かって東に面するから、日が出るとこの円盤に反映して、堂内が明るくなる仕組みである。バラモン教にも日神崇拝があり、殊に昇る朝日を拝し、西方は恐ろしい死の国と見なした」

 

 わたしは、タイラーの学説はさまざまな本を読んで知っていましたが、じつは彼の主著である『原始文化』をこれまで完全に読んだことはありませんでした。なぜなら、新刊はおろか古書でもまったく流通していないからです。図書館にもほとんど置かれていません。しかしながら、本書は文化人類学の記念すべきスタートとされ、民俗学の創始者とされるジョージ・フレーザーに多大な影響を与え、彼は本書を読んだ感激から『金枝篇』を書く決心をしたとされているほどの名著なのです。

 

 本書と並んで、文化人類学の古典とされるモーガンの『古代社会』、レヴィ・ブリュルの『未開社会の思惟』、デュルケムの『宗教生活の原初形態』などはいずれも岩波文庫に入れられていますが、タイラーの『原始文化』だけはこの日本で読むこともできないというのは、まったく理解に苦しみます。1962年に誠信書房から邦訳が出て以来、まったく出版されていないのです。わたしは次回作『儀式論』を書く上で、どうしても『原始文化』を読む必要があると感じていました。そこで、『儀式論』の版元である弘文堂の編集者の方に相談したところ、その方が苦心の末に某大学の図書館で見つけて下さり、わたしはようやく本書を読むことができたのでした。心より感謝いたします。しかし、これだけの高名な書籍を読むことができない日本というのは、文化後進国であると思わざるをえません。いつの日か、わたしが自ら本書の新訳を手掛けたいくらいです。