No.1208 宗教・精神世界 | 死生観 『人間は死んでもまた生き続ける』 大谷暢順著(幻冬舎)

2016.03.13

 『人間は死んでもまた生き続ける』大谷暢順著(幻冬舎)を読みました。インドを訪れたときにバラナシからブッダガヤへ向かう長距離バスの中で読んだのです。著者は本願寺法主で、親鸞聖人直系の25世です。昨年の12月に発売以来、大きな反響を呼び、ベストセラーになりました。

   本書の帯

 帯には「この世かぎりの命だと思っていると損をする!」「仏教の真髄がわかれば、死が怖くなくなる、生きるのがラクになる。」と書かれています。

 またカバー前そでには、以下のように書かれています。

●神仏にお願いごとをするべきではない理由
●「まったく望んでいなかったこと」が今の幸福をもたらしている
●死後の世界は「生き方」によって決められる
●自分の積み重ねた「業」の結果が現在
●妬みや怒り、憎しみはなかなか消せない
●なぜ浄土真宗には修行がないのか
●自分は善人だと思っている人は救われない

 さらにカバー後そでには、以下のように書かれています。

●「自分は正しい」と思うと幸せになれない
●幸福の深追いは不幸の種になる
●耐えがたい苦しみをどう乗り越えればいいのか
●自分だけ得をしようとすると損をする
●どれだけ人に「恩返しをしたい」と思えるか
●くよくよ思い悩んでいると幸福はやってこない
●困難に直面したら「仏に問われている」と考えよ

 アマゾン「内容紹介」には、以下のように書かれています。

「『死』を経験しなくてすむ人はいないわけですが、多くの人は『死』を怖くなります。しかしながら、仏の教えを知って信じる心を持つと、死後の安心が得られるだけではなく、この世を生きることも非常にラクになるのです。つらいことがあっても、『大したことはない』『生きているだけで、得をしているではないか』と、それまでとは違った思いがわいてくるのです。また『なぜ私たちはこの世に生まれたのか』『なぜ苦労しながら生きなければならないのか』、そして『死んだらどうなるのか』等々、生死の問題や神仏について非常にわかりやすく解説した稀有な一冊です」

   本書の帯の裏

 本書の「目次」は以下のような構成になっています。

「はじめに」
第一話 自分の思い通りになることが幸せにつながるわけではない
第二話 人間は死んでも、また生き続ける
第三話 なぜ不条理なこの世を生きなければならないのか
第四話 人は「情け」を知るために生まれてきた
第五話 どうすれば幸せになれるか
「参考文献」

 「はじめに」で、著者は以下のように述べていますが、本書に一貫して流れているメッセージだと言えます。

「仏の教えを知って信じる心を持つと、死後の安心が得られるだけではありません。この世を生きることも非常にラクになります。つらいことがあっても、『大したことはない』『生きているだけで、得をしているではないか』と、それまでとは違った思いがわいてきます。大自然や多くの人びとから、身にあまる恵みをうけて生かされている、という喜びを感じずにはいられなくなるのです」

 第一話「自分の思い通りになることが幸せにつながるわけではない」では、まず「人は自分の力だけでは生きられない」として、以下のように書かれています。

「水泳を心得た人は、体をのびのびとリラックスさせますから、ごく自然に水に浮きます。これは水に体を任せたからです。要するに、水の力を信頼しているわけです。
 ところが、泳ぎ方を知らない人は『自分の力で泳ぐんだ』と考えますから、どうしても体に余計な力が入ってしまいます。『自力』にすがろうとするから、本当は泳げるはずなのに溺れてしまうのです。水の力というものを信じて頼まなければ、浮くことも泳ぐこともできません。水にすべてを任せることによって水に浮く。これが『他力』であり、私たちが頼りとする仏、阿弥陀如来の力を指しているのです」

 「『まったく望んでいなかったこと』が今の幸福をもたらしている」では、「幸せ」について以下のように述べられてます。

「『幸せ』とは本来、『仕合わせ』と書きます。私たちは、1人ではしあわせになれません。お互いに仕え合い、支え合ったときに、しあわせという状態が訪れます。本書では、今風に『幸せ』と書くことにしますが、本当のしあわせは『仕合わせ』なのです」

「阿弥陀仏の本願は、煩悩を抱えて思い迷う私たちを救いたい、という願いにほかなりません。浄土真宗の信心とは、ひたすら阿弥陀さまに頼り切り、耳を澄まして阿弥陀さまの願いを聞き取り理解して、それに従うことです。これが『他力本願』の本当の意味であり、真の幸福を得るための道であります」

 第五話「どうすれば幸せになれるか」では、「人間は救いが必要な存在である」として、以下のように述べられています。

「信仰の喜びというものは、ひとことでいってしまえば、『自分は人間である』という意識に、はたと目覚めることです。神仏の教えにふれて、人間は救いが与えられなければならない存在である、ということを意識する。それによって、本当の人間になる。人生とは何か、この世とは何かを意識して初めて、本当の人間に生まれ変わるのだと思います」

 最後は、「困難に直面したら『仏に問われている』と考えよ」として、以下のように述べられています。

「人びとは神仏に、『この難題をどうにかうまく解決できるよう、お願いします』とせがんだり、『悩んでいます。どうすればいいのか、教えてください』と答えを求めたりするでしょう。私は、それは間違いだと思います。人間が仏に問うて、仏が人間に答えるのではないのです。仏が、人間に問うてくる。答えを、仏が私たちに求めているのだと思います。
 仏さまはお慈悲で何でも教えてくださるけれども、ただ答えを教えて、それを鵜呑みにさせていたら、人間はいつまでたっても成熟しない。だからときには厳しい試練も与えて、あなたならどうしますか? と問いを投げかけている。そうして私たち1人ひとりに、この世に生まれて、この世を生きている、その人生の意義を発見させながら、絶対の幸福へと導いているのではないか、と思います」

 本書で説かれている内容は、じつにわかりやすいです。
 そのタイトルから、この読書館でも紹介した矢作直樹氏の著書『人は死なない』のようなスピリチュアルな内容を想像した読者は肩透かしを食らったことでしょう。本書はいわゆる仏教初心者のために「仏教入門」です。でも、この本に限っては、「何を語っているか」よりも「誰が語ったか」が重要なのだと思います。インドで生まれた仏教は、いまやインドでは風前の灯です。中国や朝鮮半島を経て仏教が伝来した日本では、今でも仏教が盛んです。その中でも、浄土真宗が最大の宗派であり、著者はその頂点に在る方です。
 本書を読み終えて、わたしは「これ以上やさしく書くことはできない、究極の仏教入門だ」と思いました。

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