お探しの書名・著者名・キーワード等を入力して下さい

Title

あの日』

Category

No.1188

 

 『あの日』小保方晴子著(講談社)を読みました。

 世間を騒がせたSTAP騒動の主役が、その真相を綴った手記です。 今月29日の発売ですが、早くもアマゾンには150件を超えるレビューが寄せられ、ダントツのベストセラー1位となっています。

 

20160130234559.jpg
    本書の帯


 この読書館でも紹介した元少年Aの手記『絶歌』と同じく純白の装丁です。 同じく白の帯には「真実を歪めたのは誰だ?」と大書され、続いて「STAP騒動の真相、生命科学かいの内幕、業火に焼かれる人間の内面を綴った、衝撃の手記」と書かれています。

 

20160130234613.jpg
    本書の帯の裏


 本書の「目次」は、以下のようになっています。

 

「はじめに」

第一章  研究者への夢

第二章 ボストンのポプラ並木

第三章 スフェア細胞

第四章 アニマル カルス

第五章 思いとかけ離れていく研究

第六章 論文著者間の衝突

第七章 想像をはるかに超える反響

第八章 ハシゴは外された

第九章 私の心は正しくなかったのか

第十章 メディアスクラム

第十一章 論文撤回

第十二章 仕組まれたES細胞混入ストーリー

第十三章 業火

第十四章 戦えなかった。戦う術もなかった

第十五章 閉ざされた研究者への道

 本書のタイトルは、「はじめに」冒頭の以下の一文に由来します。

 

「あの日に戻れるよ、と神様に言われたら、私はこれまでの人生のどの日を選ぶだろうか。一体、いつからやり直せば、この一連の騒動を起こすことがなかったのかと考えると、自分が生れた日さえも、呪われた日のように思えます」
  
 この「あの日に戻れる」という著者の言葉から、わたしのブログ記事「アバウト・タイム」で紹介した映画を思い出しました。タイムトラベルの能力を持つ家系に生まれた青年が意中の女性との恋を成就させるために、何度もタイムトラベルを繰り返すという物語でした。 「タイムトラベル」とは過去や未来に移動する時間旅行で、SF文学や映画などの有名なテーマの1つです。移動の様態によっては「タイムリープ」「タイムスリップ」「タイムワープ」「タイムトリップ」などとも呼ばれます。
  
 「タイムリープ」は、最近、日本で話題になりました。 というのも、解散騒動の渦中にあった国民的アイドルグループ「SMAP」が冠テレビ番組である「SMAP×SMAP」の中で世間を騒がせたことを謝罪し、今後の活動継続を報告しました。このとき、センターに立っていた木村拓哉(キムタク)が最初に口を開きましたが、冒頭で「今日は、2016年1月18日です」と生放送の日付を報告したのです。それを見た視聴者たちから、「キムタクはSMAP解散阻止のため何度も未来からタイムリープしているのではないか」「キムタク自身もそのときの日時を確認するために、あえて最初に日付を報告しているのではないか」をというとんでもない説が浮上し、ネットで話題になったのです。しかし、本人はラジオで「ボクには、タイムリープの能力はありません」と噂を否定しています。



 さて、著者である小保方氏は「はじめに」で以下のようにも述べます。

 

「私は誰の期待にも応えられない自分に失望してばかりの人生を歩んできました。そのような人生の中で、初めて顕微鏡下で観察した生きた細胞は本当に美しく、顕微鏡を覗くたびにいつも何か新しいことを教えてくれ、ドキドキしたりワクワクしたりする素直な気持ちを何度でも呼び覚ましてくれました。それは、等身大の自分にも何かできることがあるかもしれないと努力する力と、未来への希望を与えてくれるものでした」

 本書の前半は著者の生い立ち、研究者人生を振り返った内容で、やたらと生命科学の専門用語が出てきて、その方面に疎いわたしには退屈でした。ようやく第七章「想像をはるかに超える反響」あたりから面白くなってくるのですが、一連の騒動の渦中で自らの命を絶った笹井芳樹氏が著者に「科学の女神」について語る以下の場面が印象的でした。

「女神様は滅多に見せてくれないんだ」笹井先生の口癖だった。 「僕はね、科学者は神の使徒だと思ってるんだ。科学の神様はね、ときどきしか見せてくれないんだけど、チラッと扉の向こうを見せてくれる瞬間があってね、そこを捉えられる人間は神様に選ばれているんだよ。だから真の科学者は神の使徒なんだ。その美しい神の世界を人間にわかる言葉に翻訳するのが科学者の仕事なんだよ。神に仕える身として日々を過ごすんだよ。人間の考えつく範囲での発明には限界があってね、しょせんは人間の思いつくレベルでの議論になってしまうでしょ。

 

 この笹井氏の発言から、わたしは筑波大学名誉教授で世界的科学者である村上和雄氏の「サムシング・グレート」という言葉を連想しました。基礎医学に関する酵素や遺伝子の研究に従事した村上氏は、昭和58年に高血圧の黒幕である酵素〝レニン〟の遺伝子解読に成功し、世界的な業績として注目を集めました。この読書館でも紹介した村上氏の代表作『サムシング・グレート』には、レニン研究で世界初を連発する偉業を達成したとき、それぞれの成功は〝人智を超えた何かの意思〟が働いたとしか思えない劇的な出会いであったとして、次のように書かれています。

 

「これは天のたすけがなければ完成していない。私はこの仕事を始めるとき、信仰的には、この仕事をサムシング・グレート(人間を超えた巨いなるもの)への私のお返しにしたいと心を定めた。私に今できることは、与えられた職場で、みんなを勇ませて、精いっぱい働くことである。その結果、化学の研究の場において、一つの大きな目標に向かって、心を一つに結び、各人の役割を自覚して、それぞれが努力するとき、不思議なたすけが得られるということを体験した」

 

 そう、「サムシング・グレート」とは「神」とも呼ばれる人間の世界を超えた偉大な存在です。これだけ進歩した生命科学・遺伝子工学をもってしても、大腸菌の構成材料の設計図がわかって構成材料自身はつくれても、大腸菌という生命体は創造できません。 そして、生命が偶然に生まれる可能性は100・・・と0が4万個並べた時に1回だけというとてつもない偶然だといいます。この宇宙に1個の生命細胞が偶然に生まれる確率は、宝くじを買って1億円が100万回連続で当たるくらい奇跡的なことだそうです。その細胞を、わたしたち人間は1人につき60兆個も持っています。さらに、ヒトの遺伝子暗号は、約32億の科学の文字で書かれています。これは本にすると、1ページ1000字で、1000ページある大百科事典にして、計3200冊分にもなります。  そんな遺伝子暗号を書いたのは誰か。その正体を、アインシュタインは「宇宙の真理」といい、マザー・テレサは「サムシング・ビューティフル(美しい何ものか)」と呼びました。それを著者は「偉大なる何ものか」という意味で、「サムシング・グレート」と名づけたわけです。素晴らしい言葉ですね!
  
 おそらくはその「サムシング・グレート」の存在を信じていたであろう笹井氏は「人類の歴史に積み重ねていくんだよ。積み重ねるものは泥では駄目なんだ。粗削りでもしっかり固い石を積み重ねていくんだ。それが人類の科学の世界なんだよ」とも弟子の小保方氏に対して述べています。さらに笹井氏は「小さな石をちょんと載せるような仕事も、その小さな石は固くないといけないよ。上から新たな石が載った時に潰れるような石であってはいけないよ」、そして「STAP現象は新たな柱の土台になるよ」と言うのでした。

 このような師の言葉に対して、小保方氏は次のように述べます。 「こんなにも美しく崇高で永遠のもの。この世界で変わらない唯一のもの。変化のある不変のもの、科学。携われることは幸せだと思った。神戸の夜景が消えた後、言葉少なに走るタクシーの車窓から、私はいつも先生の言う女神の神殿を思った。疲れ切っていたが先生の言葉は心に響いた。私もいつかそんな世界を見てみたいと思った」 この著者の言葉を読む限り、彼女には高い志があったのではないかと思えてきます。

 では、なぜ彼女は道を誤ったのか。結局、彼女は何をしてしまったのか。 その核心となる部分を著者は第九章「私の心は正しくなかったのか」で以下のように書いています。

 

「『捏造』という言葉が独り歩きし、まるでSTAP現象のすべてが捏造であるかのような報道もあった。テラトーマの図表は、当初、学生時代から研究をしていた、さまざまなストレス処理によって変化した細胞という内容の論文から、酸処理のストレスによって変化した細胞へとストレスの種類が限定されて、論文の内容が書き直されていく過程で、私がテラトーマの写真の差し替えを忘れたことに原因があった」

 

 ずばり、著者が犯した過ちはこれです。これ以上でも以下でもありません。

 では、なぜ、このような過ちを犯してしまったのか。著者は述べます。

 

「私が注意深い確認を怠ったために、このような間違いが起こったのだ。私の研究者としての自覚の低さ、認識の甘さを、心から恥じた。謝罪の言葉も見つからず、反省しているという言葉では言い表すことができない、後悔と自責の念に苛まれていた」

 

 過ちについて、わたしは拙著『孔子とドラッカー 新装版』(三五館)に詳しく書きました。誰でも過失を犯します。失敗しない人間などいません。孔子もドラッカーもその点はよくわかっていて、「過ちを犯すな」とは決して言っていません。むしろ、人間が過ちを犯すことはやむを得ないことであり、むしろ犯した後の行動が大切であるとしています。

 絶対に犯してならない過ちもあります。それはプロが知っていて害をなすことです。これはプロにとって最大の責任であり、古代ギリシャの名医ヒポクラテスの誓いの中にも「知りながら害をなすな」という言葉で明示されています。ドラッカーは、この言葉こそプロとしての倫理の基本であり、社会的責任の基本であるとしました。残念ながら、小保方晴子氏はプロの科学者ではありませんでした。

 

 孔子は、本当の過ちについて述べています。『論語』の「衛霊公」篇には、「過ちて改めざる。是れを過ちと謂う」という言葉が出てきます。「過ちをしても改めない。これを本当の過ちというのだ」の意味であります。また「学而」篇には、「過てば則ち改むるに憚ること忽なかれ」という言葉もあります。「過ちがあれば、ぐずぐずせずに改めよ」というのです。 『論語』には「過」という言葉がたくさん登場しますが、過ちを犯した後の態度は小人と君子では違うといいます。「子張」篇に「小人の過つや、必ず文(かざ)る」とあります。「小人が過ちをすると、必ず飾ってごまかそうとする」というのです。 一方で同じ「子張」篇に、「君子の過ちや、日月の蝕するが如し。過つや人皆なこれを見る、更むるや人皆なこれを仰ぐ」という言葉もあります。「君子の過ちというものは日食や月食のようなもの。過ちを犯すと一目瞭然なので、誰もがそれを見るし、改めると誰もがみなそれを仰ぐ」というわけです。このように過失を犯してしまったら、決してごまかしてはなりません。そして、反省した上で二度と同じ失敗を繰り返さないことが重要です。

 

 ただ、失敗には「成功のもと」とか「成功の母」という一面があることも事実です。「失敗学」というものを提唱している工学者の畑村洋太郎氏は、著書『失敗学のすすめ』(講談社文庫)で次のように述べています。

 

「失敗はたしかにマイナスの結果をもたらすものですが、その反面、失敗をうまく生かせば、将来への大きなプラスへ転じさせる可能性を秘めています。事実、人類には、失敗から新技術や新たなアイデアを生み出し、社会を大きく発展させてきた歴史があります」

 

 人は行動しなければ何も起こりません。世の中には失敗を怖れるあまり、何も新しい行動を起こさない人が多いですね。確かに、それで失敗を避けることはできるでしょう。しかし、アクションを起こさない者は何もできないし、何も得ることができないのです。ドラッカーも、失敗が機会の存在を教えてくれるという考え方の持ち主で、『イノベーションと企業家精神』(ダイヤモンド社)において、「予期せぬ失敗の多くは、計画や実施の段階における過失、貪欲、愚鈍、雷同、無能の結果である。だが慎重に計画し、設計し、実施したものが失敗したときには、失敗そのものが、変化とともに機会の存在を教える」(上田淳生訳)と述べています。 科学の発達の陰には無数の失敗、無数の過ちがありました。 しかし、それらが新たな機会を育てて、科学を発展させてきたのです。

 

 また、STAP細胞問題では「実験とは何か」という問題がクローズアップされました。わたしは拙著『法則の法則』(三五館)において、「実験」についての考えを詳しく述べました。 科学とは、何よりも「法則」を発見するためのものです。そして、その科学の研究方法が2つあります。1つは、数学による理論の構築です。これは、古来から存在しました。もう1つが、実験です。実験とは「法則」を抽出する方法になりません。世紀以前は、実験によって自然を検証するという姿勢が定着していませんでした。よって、実験からもたらされる実証性や普遍性についての認識が芽生えませんでした。ゆえに、世紀以前には、科学は存在しなかったのです。

 実験の有用性が注目されるまでにかかった時間の長さには驚きますが、逆にいえば、17世紀以降の爆発的な科学の発展の原動力の秘密も実験の普及にあったのです。そして、その最大の功労者がガリレオでした。彼は、滑らかな斜面に金属球を転がす工夫をすることによって、「物体の落下距離は落下時間の2乗に比例する」という定量的な関数関係を導き出しました。落下速度をゆるやかにし、時間を測定しやすくするために、斜面を利用しました。また、摩擦や空気抵抗などの要因をできるだけ取り除くために、金属球と滑らかな斜面を組み合わせました。こんな工夫など、つまらないことのように思われるかもしれません。しかし、このガリレオの工夫により、人類史上初めて正しい「落体の法則」が導き出されたのです。

 

 早稲田大学社会科学総合学術院教授で理学博士の小山慶太氏は著書『科学史年表』(中公新書)で以下のように述べています。

 

「アリストテレス流にただ、自然を丸ごと、あるがままに眺めていたのでは、いつまでたっても、法則はその姿を現しはしない。ガリレオのように、そこに積極的に介入する強引さがあって初めて、自然は科学となりえたのである。一部の例外はあろうが、おおむね17世紀に入るまで、自然に対するこうした積極的な姿勢は生まれてこなかった。」

 

 自然に対するガリレオの積極性が、実験という新しい方法論を生んだのです。そして、その有用性が広く人々に知らされたことによって、科学は発展し、それ以後、数々の「法則」たちが自然から抽出されていったのです。
  
 ガリレオは既存の理論体系や多数派が信じている説に盲目的に従うのではなく、自分自身で実験も行いました。そして、実際に起こる現象を自分の眼で確かめるという方法を採用しました。小保方氏もまさにガリレオのように実験に取り組んだわけですが、STAP細胞の存在は未だに確認されていません。ならば、小保方氏が単なる嘘つきや詐欺師なのかというと、テレビの会見で彼女の「STAP細胞はあります!」という悲痛な叫びを聴いた瞬間、わたしは「STAP細胞が存在するにしろ、存在しないにしろ、この人が何かを見て、その存在を信じていることは間違いない」と思いました。

 では、なぜ、彼女が実験で見たはずのSTAP細胞が再現されないのか。 まず、人間には「自分が見たいものを見る」という習性があります。 また、これも『法則の法則』に書いたのですが、「共時性」や「複雑系」という考え方があります。わたしは、これらがSTAP細胞問題の根幹部分に深く関わっているように思えてならないのです。 「共時性」や「複雑系」は、いわゆる関係性の問題です。 何の関係性かというと、観測者と観測対象の関係性です。

 古典的な物理学においては、観測者と観測対象の関係は、主観と客観の関係としてとらえられました。つまり、「固定された一つの観客席から固定された一つの舞台を見る」ということです。しかし、この単純な構造は物理学の発達によって無意味なものとなりました。相対性理論において、「同じ物理現象を観測しても、観測者によって、観測結果が違ってくる」という状況が出てきたのです。

 ここで、「間主観性」という新しい考え方が登場します。これは、一見バラバラな主観同士の「変換」法則のことです。「間主観性」は、「モノ」という単独で存在する概念ではなく、「コト」という関係性のネットワークの総体としての概念なのです。「共時性」や「複雑系」のメカニズムも、「モノからコトへ」の視点で、いつの日か解明できるような気がします。

 実験による「科学革命」を実現したガリレオに話を戻します。 ガリレオは、彼のことを快く思わない者によって、彼の支持した地動説を口実にして異端審問で追及されるように追い込まれました。そのために、彼は職を失い、軟禁状態での生活を送ることになりました。そして、職を失い経済的に苦境に立たされたガリレオは、そのまま齢も重ねて病気がちとなり、失意のうちにこの世を去ったのです。

 小保方晴子氏もまさにガリレオと同じような「異端審問」を受けました。いや、高圧的な調査委員会と日本中をあげての過剰なバッシングぶりは「魔女裁判」と呼んだほうがいいかもしれません。2014年3月中旬、小保方氏は知人の紹介で最低限の人権を守るために4人の弁護士にサポートしてもらうことになりました。当時のようすを著者は次のように書いています。 「この頃の私は食べることも眠ることもできず、ストレスで起き上がることもできなくなってしまっていた。激しいバッシングの報道がひたすら続き、家族からも泣きながら電話がかかってきた。家族に辛い思いをさせていることも本当に辛かった。無意識のうちに『死にたい』と何度もつぶやくようになった。母が神戸まで迎えに来てくれ病院に行った。睡眠薬と抗鬱剤を処方され、通勤はもうできなくなった。この時に診断書が出され、理研に提出していたが、高圧的な調査において、私の健康状態が考慮されることはなかった」

 この後も、著者はマスコミからの地獄のような取材攻撃を受け続けますが、中でも最も激しかったのが「週刊文春」でした。週刊誌の最初の取材依頼メールが「週刊文春」からのもので、「知人に若山先生への暴言を吐いたというのは本当ですか?」という内容だったそうです。そのときの記事も著者の回答とは大きく異なった内容となり、著者はひどく落ち込んだそうです。また、著者は次のようにも書いています。 「この頃、週刊文春に『小保方晴子さんと笹井芳樹教授研究費年間6億円の使い途』というタイトルの記事が掲載された。まるで笹井先生と私が11カ月で55回も一緒に出張に行ったかのような、でたらめな記事だったが、この話題は誤解されたまま引用され、テレビでも大きく取り上げられた。実際に11カ月の間に私が出張に行ったのは、アメリカへの出張が1回、勉強会が2回と理事会に行った1回の計4回で、笹井先生と二人きりで出張に行ったことは一度もなかった」

 この著者の言葉が正しいとすれば、怖いことだと思います。 「週刊文春」といえば、今や「日本最強」いや「日本最恐」のメディアと言っても過言ではないでしょう。つい最近だけでも、ベッキーを追い込み、SMAPを追い込み、甘利大臣を辞職させる最大の契機となったのが同誌に掲載された記事でした。芸能界のタブーとされている「ジャニーズ」や「AKB」でも怯まずに果敢に取材して、書きたいことを遠慮なく書く姿勢は「すげえなあ」と感心もしているのですが、こういうメディアが暴走したときの恐怖は想像するに余りあります。

 ベッキーと「ゲスの極み乙女。」のボーカル川谷絵音の不倫騒動にしても、数回にわたってLINEの画面画像を堂々と掲載したのには日本中が慄然としました。結果、ベッキーはすべてのCMを失い、出演番組も失い、ついには心身が衰弱して休業に追い込まれました。しかし、ベッキーはそこまで悪いことをしたでしょうか。たしかに、妻のある男性と交際し、彼の実家にまで行ったことはアウトです。でも、一番悪いのは結婚していることを隠して彼女に近づいた男のほうです。奴はまさに「ゲスの極み」です。しかし、ベッキーは好感度の高いタレントであったとはいえ、単なる不倫女子に過ぎません。不倫ぐらい、そのへんの主婦やOLだってやっていることでしょう。「人の道」に反するということなら、結婚しても結婚式を挙げなかったり、親が亡くなっても葬儀を挙げない人のほうがよっぽど「人の道」に反していますよ。

 ベッキーへのバッシングが最大に加熱した、まさにそのとき、本書『あの日』が出版されたことは不思議な因縁を感じます。これは「もう、おまえら、いいかげんにしろよ!」という天の声のようにも思えます。 小保方晴子もベッキーも過ちを犯しました。しかし、その過ちとは、「論文の内容が書き直されていく過程で、テラトーマの写真の差し替えを忘れた」ことであり、「不倫」なのです。たかが、それだけのことなのです。別に人を殺したとかではありません。本書を元少年Aの『絶歌』(太田出版)や市橋達也の『逮捕されるまで』(幻冬舎)などと同一視している馬鹿もいるようですが、著者が犯した罪の種類がまったく違います。

 孔子の「過ちて改めざる。是れを過ちと謂う」の言葉のように、過失を犯してしまったら、決してごまかしてはなりません。そして、反省した上で二度と同じ失敗を繰り返さないことが重要です。ベッキーは未だに反省しておらず、「センテンススプリング!」とか「レッツ・ポジティブ!」とか言っている可能性も捨てきれませんが、もう彼女はじゅうぶんに罰を受けました。もう、このへんで赦してやってもいいのではないでしょうか。小保方晴子氏に至っては、本書を読む限り、明らかに反省しています。反省している者に、もう一度チャンスを与えてあげてもいいではないですか。だいたい、一度過ちを犯したらそれで終了という閉塞した社会に未来はありません。

 本書の最終章である第十五章「閉ざされた研究者の道」の最後には以下のように書かれています。 「不思議と今でも実験をしている夢を見る。心はもちろんウキウキとしていて、ピペットマンが押し返してくる感触を右手に感じる時すらあるのだ。でも、その夢から覚めた時、思い描いていた研究はもうできないんだなと思うと、胸が詰まり、涙が勝手にこみ上げてくる」 わたしは、「一条は女に甘いなあ」とか「一条は悪い女にコロっと騙されるタイプだな」とか思われても別にいいですから、小保方氏にもう一度研究をするチャンスを与えてあげたいと思います。

 最後に、著者に対して一言。 小保方さん、もし本書に書かれていることが正しいのなら、あなたが本を出版したことは正しかった。そして、今でもあなたがSTAP細胞の存在を確信しているのなら、死ぬまでそのことを訴え続けるべきです。 きっと、科学の女神様と天のガリレオが応援してくれるはずです。 そして、死者となった笹井先生も、あなたを見守ってくれるでしょう。 小保方さん、自分が正しいと信じるなら、死ぬまで戦い抜きなさい! 真実は、あなたの死後にしかわからないかもしれません。 しかし小保方さん、それでもいいではないですか。 人生には限りがありますが、真理は永遠なのですから・・・。