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古代エジプト 死者からの声』

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No.1140

 

 『古代エジプト 死者からの声』大城道則著(河出書房新社)を読みました。

 「ナイルに培われたその死生観」というサブタイトルがついています。
 著者は1968年兵庫県生まれ。英国バーミンガム大学大学院古代史・考古学科エジプト学専攻修了。現在は駒澤大学文学部教授で、専門は古代エジプト史です。著書に『ピラミッド以前の古代エジプト文明』『ピラミッドへの道』『古代エジプト文明』『ツタンカーメン』などがあります。

 

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   本書の帯

 


  カバー表紙には「湿地で水鳥を狩る墓主のネプアムン」(大英博物館蔵)の写真が使われ、帯には「彼らはこの世での死後、あの世でも、生きる―」と大書され、続いて「日本をはじめとする他文化との比較を交えつつ、古代エジプト人の死生観・来世観の独創性に迫る」と書かれています。

 

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   本書の帯の裏


 

 またカバー前そでには、以下のような内容紹介があります。


「ミイラ、ピラミッド、ツタンカーメン、極彩色に彩られた壁画や巨大な石造りの神殿・・・・・・古代エジプトから連想するあらゆるものに『死のイメージ』はついて回る。古代エジプト人たちは『死』をどのように捉え、どのように受け入れていたのであろうか―。日本をはじめとする他の文化・文明との比較によって、古代エジプトの死生観・来世観の独創性を浮かび上がらせる。 同じ多神教世界に生きてきた日本人だからこそ理解できることも、そこにはある」

 

 本書の「目次」は以下のような構成になっています。


「プロローグ―死者からの声」
1.古代エジプトの「死者への手紙」
2.ナイル河の向こう側
3.舟とともにあの世へと旅立つ
第一章 冥界への扉としてのナイル河
    1.自然地形からみた境界線―河・山・坂・洞窟・辻
    2.人工的な境界線―橋・神殿・門
    3.死者と生者の境界線と不滅の魂
第二章 ミイラにみる宗教観・信仰心の芽生え
    1.古代エジプト人の信仰心の発展
    2.ミイラの作り方とカノボス壺
    3.王の墓としてのピラミッド
第三章 神話と宗教文書にみる古代エジプトの神々の世界
    1.創世神話と多神教世界
    2.宗教文書と文学作品の中の死
    3.死者の王オシリス神とオシリス神話
第四章 化粧と装身具からみた来世観
    1.化粧と女性とタトゥー
    2.王笏と指輪と鏡が持つ意味
    3.アミュレットの役割
第五章 ツタンカーメン王墓は何を語るのか
    1.「永遠の家」に描かれた開口の儀礼
    2.ツタンカーメン王墓出土の副葬品
    3.ツタンカーメンのサンダル
「エピローグ―死に逝く者への祈り」
「あとがき」

 

 「プロローグ―死者からの声」には、本書について書かれています。


「本書は日本人であり、エジプト学者でもある著者が本来日本人と同じ多神教世界に生きてきた古代エジプト人の思考と比較歴史学、比較考古学、あるいは比較人類学の見地からシンクロすることにより、古代エジプト人たちと彼らの文化を理解することを試みるものである」


 また、著者は古代エジプトについて以下のように述べています。


「エジプト学者はしばしば『古代エジプト史は宗教史である』あるいは『古代エジプト美術は宗教美術である』と表現する。つまり、古代エジプトを語る上で『宗教』=『来世観』+『死生観』を避けて通ることはできないと考えているのである。たとえあなたがエジプト学者でなくとも、あるいは宗教学者でなくとも、美術館・博物館やテレビ番組など、身の回りに溢れている様々な情報から、古代エジプト文明のイメージと来世観とを結びつけるのは容易であろう。『ミイラ』、『ピラミッド』、『ツタンカーメン』、あるいは極彩色に彩られた墓の壁画や巨大な石造りの神殿など、古代エジプトを連想するあらゆる用語に『死のイメージ』はついて回るのである」

 

 古代エジプトには「死者への手紙」という風習がありました。プロローグの1「古代エジプトの『死者への手紙』」には以下のように書かれています。


「古代エジプト人たちの感覚として、この世で生きている者とあの世で生きている者(死した人物)との間には障壁はなかったのだ。手紙のやり取りさえできたのである。このようないわゆる『死者への手紙』と呼ばれる遺物は、古代エジプト人たちの墓から出土し、現時点で十数例が知られている」この死者へ手紙を送るという古代エジプト人たちの行為は、なんと千数百年にわたってエジプトの伝統として継続されたそうです。古代エジプト人たちは、この世だけでなく、あの世でも生きたのです。

 

 さらに、「古代エジプトの『死者への手紙』」にはこう書かれています。


「古代エジプトにおいて、死者と生者との接触は、『手紙』という目に見え手に触れることが可能である直接的な手段を通じて、庶民レヴェルでも実施されていた。妻から亡き夫へ、夫から亡き妻へ、母親から死した息子へ、妹から死した兄へ、息子から死した両親へなどである。死者のもとへと届くであろうという確かな前提で、古代エジプトの人々が手紙を書いたことは明らかだ。そして、おそらくそれは観念的には正しく、実際に手紙は死者のもとに届いたのである」


 わたしは、これを読んで、わたしのブログ記事「ポプラの秋」で紹介した日本映画を思い出しました。中村玉緒扮する老婆が死者への手紙を預かる物語です。

 

 第一章「冥界への扉としてのナイル河」では、自然地形からみたこの世とあの世の境界線として「河」や「山」や「坂」などを紹介します。それから、さらに著者はピラミッドも境界線であると指摘し、次のように述べます。


「人工的な境界線としてのピラミッドが巨大な坂や山とイコールであるとは単純には言えないだろうが、もしピラミッド内に包含された聖遺物=王のミイラが存在していたとするならば、ピラミッドにある種の『境界』という意味があったと言えよう」

 

 古代エジプトの墓についての考察も興味深いものでした。
 特に著者は墓の中の棺に注目し、以下のように述べています。


「墓のなかに備えつけられた棺にも境界としての意味がある。遺体を屋内に収納することで外部との境界を創り出すだけではなく、棺自体に工夫を施すことにより、その効果を増すことができるのである。最もわかり易いのが、棺の表面・内面に文字や図像を描くという行為である。例えば古代エジプトで中王国時代から広く普及したコフィン・テキストは、その名称の通りコフィン=棺の内側・外側の表面上に描かれた。古代エジプト最古の宗教文書として知られるピラミッド・テキストを起源として、後の『死者の書』へと継承される内容を持つ呪文集であるコフィン・テキストは、文字=呪文の力によって死者を見えざる魔の手から守ったのである。このコフィン・テキストから小泉八雲の『怪談』で有名な『耳なし芳一』を思い浮かべてしまうのは私だけであろうか」

 

 第二章「ミイラにみる宗教観・信仰心の芽生え」では、著者は古代エジプトにおける「死後の生活の信仰」について以下のようにまとめています。


「死後の生活の信仰は、古代エジプト文化の重要な側面であったことがわかる。ファラオの文明に対して私たちが有する証拠の多くや、その先史時代の先例は、遺物、ピラミッド、ミイラ、そして墓といった葬礼的性質のものから窺うことができるのである。全時代において、埋葬習慣にともなうエジプト人の明らかな執着心は、永遠の生活への適切な用意がなされるためには、出来る限り準備することであるという深い信念を反映している。死者の『バー』に対する食糧の供給や肉体の保存(古王国時代以降はミイラ作製によって)は、不死を達成する2つの必要条件であった。古代エジプト人たちにとって『十分な埋葬』とは、人間の不滅の側面―『カー』、『バー』、『アク』、『シュウト(影)』、『レン(名前)』、そして『サフ(ミイラ)』―がすべて適切に埋葬儀礼の過程において、仕込まれることを保証する手助けを意味していたのである。

 

 第三章「神話と宗教文書にみる古代エジプトの神々の世界」では、その冒頭で著者は以下のように述べています。


「神話は古今東西世界中の至る所に存在する。それは単なる昔話ではなく、本来その形成の端緒は何らかの事実に基づいていた可能性が高い。長い人類の歴史のどこかで存在した『実話』が地理的に・空間的に限定された社会のなかで広がり、まず民話となったのだ。そしてその民話のストーリーが為政者たちによって都合よく用いられている間に最終的にたどり着いた形態が神話であったのであろう。そのため神話では、その国の創世、その都市の起源、その民族の出自と歴史背景、そして支配者たちの王権の正統性などが語られることが多いのだ。それらを軸にして人々は、おらが村の神様とご先祖様を感じつつ、日々の生活を送ってきたのである。
 その長い伝統を持つ神話の意味を強制的に変えさせたのが一神教であった。キリスト教をはじめとした一神教とは、人類史において新たに誕生した新種の神話であったのである。そしてその新たな神話こそが、実は太古から続く『神話』を我々に理解し難いものとしている最大の原因なのだ」

 

 面白かったのは「神々の外観」についてのくだりです。
 一神教では人々が何らかの苦痛をともなった場合、「なぜ神はわたしにこれほどの苦難を授けるのか」という思考になり、「このような苦難を受けたのは、自分が至らなかったことに原因があるのだ」と自分が悪いという結論に落ち着きます。つまり神ではなく、自分を責めるのです。しかし多神教であれば、そのようにはなりません。これまで信仰していた神から他の神へ鞍替えすれば良いだけの話です。多神教には選択肢があり、人々の心には余裕が生れ易くなるわけです。

 

 著者は、そのことを象徴しており、目に見える形で表しているのが、古代エジプトの神々の外観であるとして、以下のように述べます。


「彼らのほとんどが下半身は人間であるが、上半身(あるいは頭部)が動物で表されているのである。例えばアヌビス神はジャッカル(山犬)、セベク神はワニ、ケプリ神はフンコロガシ、バステト女神はネコ、クヌム神は雄羊、トト神はトキなどである。冷静に考えれば、上半身が動物(ときには昆虫)であるという特徴は大変奇妙なものである。日本の神道では動物が神々の地位にまで昇ることもあることから日本人にとってはそれほど奇妙ではないが、もしキリスト教の世界観のなかにこのような異質な存在が出現すれば、それはすなわち『悪魔』とみなされたであろう。キリスト教では人間と動物との間には高い壁が存在するのである」

 

 さらに面白いのは、古代エジプトの異形の神々が日本の妖怪に通じているという指摘です。著者は、以下のように述べています。


「実は古代エジプトでこれら外観に特徴を持つ神々が受け入れられていたのと同じような状況が近年の日本にもある。日本でなぜこんなにも妖怪が受け入れられるのかという疑問に対する解答はここにあるのだ。つまり伝統的多神教世界に暮らす日本人にとって、奇っ怪な容貌を持つこの世のものではない異質な存在=妖怪は、日々の生活のなかで身近な存在として伝統的に認知されてきたのだ(子供用テレビ番組や小説・マンガを含め)。小さな神として神々の一角に含まれてきた妖怪たちが市民権を持っているのが日本なのである。ヨーロッパには妖精譚は多いが、日本ほど多種多様な妖怪的存在はない。少なくとも子供たちが喜ぶような妖怪などは存在しないのである。日本人が古代エジプト人を理解するためのひとつの突破口がここにもあるのだ」

 

 ところで、古代エジプトといえばピラミッドですが、巨大なピラミッドはなぜ生まれたのでしょうか。著者は次のように書いています。


「古王国時代に巨大なピラミッド建築が生まれた原因のひとつは、星との関係=宇宙的要素が王家の来世信仰へと持ち込まれたからである。死した王の最終的な目的地=奥津城となったのは星空であった」

 

 そして、王の死について考えるために、著者は古代エジプト最古の宗教文書であるピラミッド・テキストに注目し、次のように述べています。


「ピラミッド・テキストの誕生以前の言葉のみが純粋な口承のなかで有効であった時期には、古代エジプト人同士のコミュニケーションは歌や詩が織りなす物語であったはずだ。18世紀の思想家ジャン=ジャック・ルソーは『言語起源論』のなかで、最初の人間たちは、現在私たちが日常的に使っている言語ではなく、詩と音楽とによって互いに語り合っていたとすら述べている。さらにその後の人類の言語能力の発展が密接な共同作業を必要とする狩猟などを可能としたのだ。そして長い時の経過がもたらした文化の堆積は、文字という新たなツールによって真の物語となったのである。その象徴がピラミッド・テキストをはじめとした古代エジプトの宗教文書だったのである」

 

 ピラミッド・テキストの先には有名な「死者の書」があります。
 著者は、「死者の書」について以下のように述べています。


「古代エジプトの宗教文書をめぐる歴史は『死者の書』で結実する。『死者の書』とは、古代エジプトの長い歴史が生み出したひとつの文化的到達点であり、死者が『来世で生きること』を手助けするための一連の呪文集なのであった。王の復活への旅路のガイドが『死者の書』をはじめとした宗教文書であったのである。それらの宗教文書はパピルス文書の上だけではなく、しばしば新王国時代の王墓の壁面に記された。同時に新王国時代の墓の構造もまた旅路のガイドの役割を果たしたのである。それまでの宗教文書と異なる最大の特徴は、文章とともにしばしば挿絵が描かれることである。ときにそれはカラー写真のごとく鮮明であった。そこから我々は視覚的に彼らの葬送・葬儀を通して、その死生観を知ることができるのだ。この宗教文書の視覚化=挿絵こそが、文字の読めない人々に対して来世観を広める原動力となったのである」

 

 さらに著者は、古代エジプト人たちの死後信仰について紹介します。


「古代エジプト人たちは、死者は太陽が西に沈むと冥界を彷徨い、夜明けとともに復活すると信じていたし、王は死ぬと冥界の神オシリスとなったり、太陽神と旅をすると考えていたこともわかっている。その死した王は来世で再び生きるために、一晩のうちに冥界にある12箇所の門を通過しなければならなかった。つまり1時間にひとつの門=難問を潜り抜けねばならないのである。そして門を守護する邪悪なヘビの秘密の名前を知っておく必要があったのだ。名前を知っていることが門を通る条件であったのである。そのため古代エジプト人は墓の壁面に呪文を記していたのだ。呪文を唱えることで12個ある門をロールプレイングゲームをするがごとくひとつずつ突破していった。この『呪文によって結界を突破していく過程』が古代エジプト特有の墓の構造に影響を与えたはずだ。つまりこの過程こそが古代エジプト人たちが、その文明の最初期から地下に墓を造ったことの理由であったのだ」

 

 第五章「ツタンカーメン王墓は何を語るのか」では、1「『永遠の家』に描かれた開口の儀礼」に以下のように王墓発見の意味が述べられています。


「古代エジプトでは、ナイル河を隔てて生者の世界と死者の世界が存在していた。死者の世界は他地域・他文明の例に漏れず西方にあるとされていた。そのために王の墓であるピラミッドはすべてナイル河西岸に建造されたのである。現在のルクソールに当たる古代エジプト最大の宗教都市テーベに造られたいわゆる『王家の谷』にも王たちが墓を建造した。古代エジプト最大の繁栄期のひとつである新王国時代の王たちは、こぞってその狭い谷間に自ら終の棲家=『永遠の家』を用意したのである。見事な壁画と副葬品(ほとんどが盗掘にあっていたが)とともに、ラメセス2世やトトメス3世などそうそうたる古代エジプト王たちの墓が発見され、古代エジプト文明の謎を解き明かす手掛かりを与えてくれているのである。その最大の成果がツタンカーメン王墓の発見であったのだ」

 

 続いて、著者は古代エジプト人たちの来世観について述べています。


「古代エジプトの来世概念の詳細については、証拠の出所が豊富で多様である。例えば、上述の墓や神殿遺構だけではなく、そこから発見された遺物、葬送文書、墓の装飾などがある。先王朝時代後期や初期王朝時代において、死後の永遠の世界は、本質的には現世と継続しているとみなされたようである。それゆえ、王家の場合、墓は、限定された空間のなかにおける王宮の役割が求められたのだ。そのなかで、王は召使をともなって永遠に王権儀礼を行ない続けたのである。第3王朝期においては、宇宙的要素が王家の来世信仰へと持ち込まれ、王の最終的な目的地として星空が選択された。そしてこの概念は、古王国時代のピラミッド建築やその方位の基礎となったと考えられるのである。しかし、そこには明確なイメージを創造する決定的な証拠、つまり目にして、手にすることができる副葬品を欠いていた。その欠いていた部分をツタンカーメン王墓の発見は埋めたのである」

 

 「あとがき」で、著者は古代エジプト人たちにとって「死」は「終わり」ではなく、この世で出来なかったことは、あの世でやれば良いと考えていたと述べます。そして、その彼らの素晴らしい感性こそが自動的に、愛する者を失った悲しみを最大限軽減する機能を果たしたと指摘します。しかし、著者は以下のようにも述べています。


「それでもやはり古代エジプト人たちは墓を造った。彼らは墓を造ることに何らかの意味を見出していたのだ。古代エジプト人のみならず、我々現代人も大部分の人々がやはり墓を造る(水葬や空葬など墓を必要としない葬送方法もあるが)。なぜ人は墓を造り、そこに埋葬されることを願うのであろうか。遺体を人的・自然的破壊から守るという意味がまず想定されるが、墓の存在自体が目立ってしまえば、それが逆効果であることは、エジプトの王家の谷や日本の古墳の盗掘状況からも明らかである。では、『目立つ』ということ自体に本来の意味があったとは考えられないであろうか。墓を造ることは、自らを『記憶』として残す行為でもあったのだ」

 

 続いて、著者は死者についての「記憶」について次のように述べます。


「悲しいことではあるが、人の『死』というのは、故人を記憶している人がひとりもいなくなったときに完成するものなのである。それゆえ古代エジプト人たちは故人を忘れないために、子孫や知人たちが参る対象=『場』として墓を造ったのである。人々は故人のお墓の前に花を捧げ、食べ物や酒を献上し、来世での安定した生活を願ったのである。しかし、いつの日か親族は墓の存在を忘れるであろうし、親族そのものが絶えてしまうかもしれない。だからこそ王族や貴族など権力のある人物は、滅びることのない巨大で頑丈な墓を造ったのである。たとえ自分のことを記憶している親類縁者が途絶えたとしても、村の人々、都市の人々、そして国の人々に忘れられないような工夫を施したのだ。具体的には、それは入口両脇に墓主の自伝を彫り込んだ墓であり、王の場合は巨大なピラミッドや葬祭神殿であったのである。古代エジプト人たちは、他者の記憶に残ることで自らを永遠の存在にしようと考えたのである。古代エジプト人たちの死生観とは、あの世へと去り逝く自分自身を時間の流れのなかに記憶させ、可能な限りそれを留めることであったのだ」


 故人を記憶している人がひとりもいなくなったときに「死」が完成するものならば、墓とは「人が死なない」ための記憶装置であると言えます。つまり、墓とは「死の建築物」ではなく「不死の建築物」なのです。古代エジプトのさまざまな葬礼文化は「人が死なない」ためのテクノロジーの体系でした。
 拙著『唯葬論』(三五館)にも書いたように、わたしは、葬儀とは人類の存在基盤であると思っています。約7万年前に死者を埋葬したとされるネアンデルタール人たちは「他界」の観念を知っていたとされます。世界各地の埋葬が行われた遺跡からは、さまざまな事実が明らかになっています。

 

 「人類の歴史は墓場から始まった」という言葉がありますが、たしかに埋葬という行為には人類の本質が隠されていると言えるでしょう。それは、古代のピラミッドや古墳を見てもよく理解できます。
 わたしは人類の文明も文化も、その発展の根底には「死者への想い」があったと考えています。その意味で、古代エジプトこそは人類史上最大の「唯葬論」社会であったと言えるのではないでしょうか。空前の多死社会を迎える現代日本人にとって、死者と生者が幸福なコミュニケーションを築いた古代エジプトから学ぶことは多いはずです。