お探しの書名・著者名・キーワード等を入力して下さい

  • HOME
  • 東京物語(上下巻)
Title

東京物語(上下巻)』

Category

 No.1139

 

 25日は次女の16歳の誕生日です。おめでとう!
 彼女は、今日から高校の修学旅行で京都に行きます。
 わたしは、京都ではなく東京を舞台にしたコミックを読みました。
 『東京物語』上下巻、滝沢聖峰著(双葉社)です。作者はわたしと同じ1963年生まれで、数々の戦記コミックを描いています。作者の作品はつい最近、コンビニで購入した『アンチオカルト教授アベクボ』を読みましたが、正直イマイチでした。しかし、この『東京物語』は傑作です。
 戦時下の夫婦愛を美しく、そして哀しく描いています。

 

20151024182926-1.jpg
   上巻の表紙と帯


 

 上巻の表紙カバーには仲良く縁側に立つ夫婦の姿が描かれ、帯には「昭和十九年十月 太平洋戦争 戦時下の東京」「幸せにしてもらっているのは男のほうかもしれない」と書かれています。
 また表紙カバーの裏には次のような内容紹介があります。


「昭和十八年末、戦闘機で世界の大空を翔けていた白河は、陸軍航空審査部への転任命令をくだされ、東京へと帰還した。久しぶりにふたりで暮らす白河夫妻。夫は妻の平穏を空から願い、妻は夫の身を地上から案じていた。生と死が隣り合わせの時代に生きる夫婦の、何気ない日常の物語」

20151024183034-2.jpg
   下巻の表紙と帯


 

 下巻の表紙カバーには1人で縁側に佇む男性の姿が描かれ、帯には「昭和二十一年四月 太平洋戦争が終わった東京」「言ったでしょう? あなたは死なないって」と書かれています。
 また表紙カバーの裏には次のような内容紹介があります。


「戦況は逼迫していた。白河は敵との戦力差を感じつつも、首都防空のために空に上がり続ける。そして、昭和二十年五月二十五日。実家に帰った妻・満里子のまわりに、大量の爆弾が降り注ぐ。妻の身を案じながらも、戦闘機に乗ってB-29を迎撃する白河。地上と空、夫婦の運命は・・・!?」

 

20151024232740-3.jpg
   『東京物語』上巻(97ページ)より


 

 下巻の帯にはともに以下のようなコピーが記されています。
 「下巻同時発売。ラスト30P、『夫婦の絆』に泣く。」と書かれています。
 たしかに、このラストには泣けました。「愛する人を亡くす」ことの悲しみが見事に描かれていると思いました。久しぶりに漫画で泣きました。
 主人公は大日本帝国陸軍航空審査部部員である白河大尉と妻の満里子です。この夫婦を中心に、彼らの家族や上司や同僚など、さまざまな人々が登場します。彼らの心理描写が素晴らしかったです。
 また、この作品には基本的に悪人というものが登場しません。

 

 戦記コミックを得意とする作者独特の戦闘機のメカニカル・スペックの豊富な知識の披露にはちょっと食傷気味になりました。もともとこの作者のコミックはセリフや注釈が過剰なところがあります。でも、登場人物たちがどんなに暗い時代にあっても「人として美しく、明るく生きていく」姿勢には胸を打たれます。戦時下の東京の様子をリアルに描いている点では、わたしのブログ記事「この国の空」で紹介した日本映画の内容にも通じます。


 白河大尉は、いわゆるテスト・パイロットです。毎日のように搭乗機が不時着したり、「死」と隣り合わせに生きています。当然ながら、妻の満里子は夫の安否が心配でなりません。そんな満里子にジャーナリストである彼女の父親は1冊の本をプレゼントしてくれます。フランスの作家サン=テグジュペリの『夜間飛行』です。サン=テグジュペリ自身の飛行機乗りの経験を活かしたリアリズムにあふれる作品として知られます。夜間飛行という危険きわまりない事業の中で浮き彫りにされる、人間の尊厳と勇気が主題になっています。それにしても、太平洋戦争での敵国であるフランスの作家の本が登場して驚きましたが、堀口大學が訳した『夜間飛行』の第一書房版は昭和9年(1934年)に出版されていたことを知りました。


 サン=テグジュペリといえば、夫婦に関する名言を残しています。
 『夜間飛行』と並ぶ名著『人間の土地』に次の言葉が登場します。


「愛するとは顔を見合うことではない。一緒に同じ方向を見ることだ」


 恋人同士は、お互いの顔を見つめ合うだけで幸せになれます。でも、愛の炎はいつまでも燃え続きはせず、長続きさせるためには、燃料が必要です。その燃料こそ、二人が共通の目標を共有し、同志となって「志」を1つにし、同じ方向を見ることなのです。
 恋人や愛人は、顔を見つめ合う人。夫婦は、一緒に同じ方向を見る人。
 そして、白河大尉と満里子は紛れもなく夫婦でした。

 

 なぜ、夫婦というものが生まれるのか?
 それは、縁というものがあるからです。
 それでは、縁とは何か。縁とは奇跡そのものです。
 現在、この地球上には60億人を超える人々が生きています。
 日本だけでも1億2000万人ですから、大変な数です。「浜の真砂」という言葉がありますが、まさにわたしたちは広大な浜辺の一粒の砂です。その一粒が、別のもう一粒と縁によって出会ったのです。数万、数十万、数百万人を超える結婚可能な異性の中からたった1人と結ばれるとは!
 わたしは、いつも「結婚というのは、なんという驚異だろうか」と思います。
 古代ギリシャの哲学者アリストテレスは「哲学は驚きから始まる」という言葉を残していますが、結婚ほど驚くべき出来事はありません。わたしは、結婚の不思議さ、素晴らしさについて、『結魂論~なぜ人は結婚するのか』(成甲書房)、『むすびびと~こころの仕事』(三五館)の2冊に書きました。


 『結魂論~なぜ人は結婚するのか』の最後には「宇宙の中心で、結婚をさけぶ―あとがきに代えて」という一文があります。
 そして、その最後には以下のように書かれています。


「私たちは、20世紀の半ばすぎに銀河系太陽系第三惑星の地球上の日本列島に、ミミズでもオケラでもアメンボでもなく人間として生まれてきて、出会い、結婚した。無限なる『時間』の縦糸と、無限なる『空間』の横糸が織りなす『縁』という摩訶不思議なタペストリーの上で、二人は出会って結婚した。この世に奇跡があるなら、これ以上の奇跡があるでしょうか。もちろん、私たち夫婦だけの話ではない。すべての結婚は奇跡なのです。
 今の地球上に限定してみても、60億人のなかの1人と、別のもう1人が、はじめから2人しかいなかったかのように結ばれること。
 この奇跡をそのまま驚き、素直に喜び、心から感謝する。そして奇跡を獲得し宇宙の中心に立つ2人は、手をつないでさけぶのです。
 『私たちは出会った!』そして、『私たちは結婚した!』と」

 

  この「宇宙の中心で、結婚をさけぶ」という文章は、映画化もされた片山恭一氏のベストセラー小説『世界の中心で、愛をさけぶ』をもじったものです。映画版の主題歌は平井堅が歌った「瞳をとじて」でした。じつは最近、この歌をカラオケで歌ったのですが、「ああ、名曲だなあ」としみじみと感じ、歌いながら涙腺が緩んできました。この歌の最後には「記憶の中に君を探すよ それだけでいい」「なくしたものを越える強さを 君がくれたから」という歌詞が出てきます。これはそのまま『東京物語』のラストに通じる言葉です。
 ネタバレになるので詳しくは書けませんが、『東京物語』の最後には悲しみの暗闇に射す希望の光のようなものが描かれているのです。

 

 たとえ縁によって結ばれても、夫婦にはいつか別れが訪れます。
 その別れ方には、死別をはじめ、離婚、めったにあることではないでしょうが配偶者の蒸発などがあります。どんなに仲の良い夫婦でもいつまでも一緒にはいられません。配偶者との死別は、人生で最もストレスの大きい出来事の1つであり、立ち直るには最低でも3年かかるといわれています。
 『愛する人を亡くした人へ』(現代書林)にも書きましたが、わたしは「命には続きがある」と考えており、死別しても必ず再会があると信じています。


 死別はたしかに辛く悲しい体験ですが、その別れは永遠のものではありません。死別というのは時間差で旅行に出かけるようなものなのです。先に行く人は「では、お先に」と言い、後から行く人は「後から行くから、待っててね」と声をかけるのです。それだけのことなのです。
 考えてみれば、世界中の言語における別れの挨拶に「また会いましょう」という再会の約束が込められています。日本語の「じゃあね」、中国語の「再見」もそうですし、英語の「See you again」もそうです。フランス語やドイツ語やその他の国の言葉でも同様です。


 これは、一体どういうことでしょうか?
 古今東西の人間たちは、つらく、さびしい別れに直面するにあたって、再会の希望をもつことでそれに耐えてきたのかもしれません。
 でも、こういう見方もできないでしょうか。二度と会えないという本当の別れなど存在せず、必ずまた再会できるという真理を人類は無意識のうちに知っていたのだと。その無意識が世界中の別れの挨拶に再会の約束を重ねさせたのだと。そう、別れても、わたしたちは必ず再会できるのです。
 「また会えるから」を合言葉に、再会の日を心から楽しみに、愛する人を亡くした人は生きていただきたいと思います。

 

 この『東京物語』はたしかに夫婦愛を描いた名作ですが、それだけではない深さがあります。夫婦愛はもちろん、家族愛、さらには広い人間愛のようなものまで感じさせてくれます。家族愛といえば、満里子の家族が白河大尉にあることを懇願する場面がラスト近くで出てくるのですが、これには泣かされました。娘を持つ父親としても、たまらない場面でした。この物語に登場する人々はみな、家族を愛し、同僚を愛し、隣人を愛する素晴らしき人々でした。かつては、このような美しい日本人が存在していたのです。