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読書有朋
Title

読書有朋』

Category

No.1132


 『読書有朋』渡部昇一・谷沢永一著(大修館書店)を再読しました。

 この読書館で紹介した対談本『読書連弾』の第二弾で、前作の刊行から2年後となる1981年に出ています。当時わたしは高校生でしたが、本書が書店に並んだ日に購入し、その日のうちに一気に読了した記憶があります。
 ということは、じつに34年ぶりの再読になります。

 

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   カバー裏の著者写真(若い!)


 

 本書の「目次」は、以下のような構成になっています。


「まえがき」渡部昇一
この人のこの一冊 新「青年に読ましたき本」
知識人の栄光と悲惨
時代に聴診器をあてる
本の世界の巨人たち文豪の周囲
編集後記の名作
「あとがき」谷沢永一

 

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   さまざまな本を紹介

 

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   さまざまな本を紹介

 

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   さまざまな本を紹介


 

 本書には、さまざまな本が紹介されています。
 わたしが特に興味を抱いたのは渡部氏が明治時代の思想家である三宅雪嶺の『宇宙』という本を紹介した以下のくだりです。


「あれはぼくが読み通した雪嶺の本ではいちばん厚いものだと思うんですが、知識的に実に教えられるところが多かった。なるほど、当時の人はこんなのを読んだら感激したはずだなと思いましたね。しかも、ぼくは、雪嶺の『宇宙』という本はスペンサー流のものであるというような批判をあらかじめ知っておったんです。もちろんスペンサーを読んでいたに違いないから、その影響、あるいは共鳴するところがあったに違いないんですけれども、そこに出てくる実例やら体系の立て方は、これは雪嶺以外の何物でもないですから、あれは本格的に日本の哲学文献として取り上げて、伝えてほしいところです。あれ以後、ドイツ流の哲学の―もちろんドイツの哲学も、いいところはいっぱいあるわけですけども―その技術的な面が入っちゃって、哲学者だけの哲学の本になっちゃった感じだ。この本当の哲学体系―『宇宙』はちゃんと完結した哲学体系だと思うんですが―それがほとんど後世伝える人がなくなったということは残念だし、雪嶺の『宇宙』がもっと大学あたりで評価されない限り、大学の先生たちは何をやってるのかということになると思います。哲学の先生たちは、哲学をやってるんじゃなくて、哲学学をやってるんじゃないかと、悪口の1つも言いたくなるような気になりますね」


 渡部氏が雪嶺の『宇宙』をいかに評価しているかがよくわかります。
 わたしも筑摩書房の『明治文学全集』に収録されている『宇宙』を読みましたが、たしかに壮大なスケールの哲学書でした。
 拙著『唯葬論』(三五館)の第一章は「宇宙論」なのですが、雪嶺の『宇宙』の影響も受けているかもしれません。

 

  『読書連弾』の「あとがき」で、谷沢氏が「渡部昇一の全エッセイを貫くものは、『新儒学への1つの試み』であり、『外の物指しがなくなった時代での生き方を考える』ことなのである」と書いています。ずいぶん久しぶりにこの文章を読んだとき、わたしはハッとしました。たしかに渡部氏は英語学者ではありますが、その思想はまさに儒者かもしれません。ならば、わたしは心から渡部氏を敬愛する理由もわかります。
 本書『読書有朋』では、渡部氏自身が「新儒学」について語っています。


「ぼくは漢学者でも何でもないんですけども、論語を何種類かで読んでおって、四十過ぎにアメリカに行ってマズローという心理学者の本を読みましたら―マズローというのは、心理学者だけども、心理学から哲学に行った感じの人ですが―非常に論語的だと感じたことがありました。それで、『人間らしさの構造』(産業能率大)を書いたときに、これは新儒学ではあるまいかなんて言ったんです。根拠はないと言えばないんですが、僕の読んだ感じでは、孔子が言いたかったことを、今の学問で、人間性をいろいろ実験したり、観察したりしてみた結果で言えば、こうなるんじゃないかという感じがしましたですね」

 

 また、「進歩的文化人になろうとすれば」という項も興味深かったです。
 かつて、日本には『思想』という雑誌がありました。和辻哲郎、林達夫、谷川徹三らが約20年間編集し、西田幾多郎が一枚看板として鎮座していました。西田は京大を退職後、『思想』の巻頭言しか書かなかったそうです。当然ながら『思想』の権威は強く、和辻、林、谷川の3人のうちの誰かに認められなければ『思想』には登場できず、結果として日本のインテリとして主流から外れるという時代が長く続きました。『中央公論』や『改造』に書く学者は、ちょっと身を落とした猥雑な学者というイメージだったとか。
 戦後しばらくの間、岩波書店の『世界』がその役割を果たしました。
 しかし、渡部氏と谷沢氏は以下のように語ります。

 

渡部  戦後の『世界』が取った立場の歴史を、誰か書いたらおもしろいですな。


谷沢  『世界』と、それから『朝日新聞』の天声人語と、この2つを・・・。


渡部  時間的な流れに沿ってやったら、実におもしろい戦後日本思想史になる。笑うに事欠かない。だって、『世界』は戦後まず全面講和ですよ。全面講和というのは、ソ連とアメリカが仲直りして完全に了解しない限り、日本はアメリカの占領下にあってもかまわないという暴論ですよ。
それから60年代の安保とっぱずせというのも、むちゃな議論ですよ。その安保も、周恩来か誰かがあったってかまわないと言ったら途端にひっこめる。それから、ベトナムだって、北ベトナムを応援しないと、人間の価値がないみたいな論調だったし、それから沖縄返還、それから毛沢東の中国。みんなボロがでちゃった。最後まで支持されたのは北朝鮮ですかね。北朝鮮もしばらくやってやけども、あれもやはり、日本に借金も払わないし、ひどい国だということがだんだんわかってきて、それをやめて、ある程度普通の常識でも受け取られるような論調になたけれども、それと同時に、権威も何もばくなっちゃったわけです。


谷沢  あとはもう岩波が、体面上、廃刊にできないだけのことでしょう。

 

 この対談が行なわれたのは今からもう35年も前です。岩波書店も朝日新聞社も全盛期の頃で、言論界では「朝日・岩波文化人」が幅をきかせていた時代です。渡部、谷沢両氏の予見性には驚くべきものがあります。現在の岩波書店は出版社として風前の灯と言ってもいいですし、朝日新聞などこれまでの化けの皮が完全に剥がれてしまいました。
詳しくは、この読書館でも紹介した渡部氏の近著『朝日新聞と私の40年戦争』をお読み下さい。

 

 本書の「あとがき」では、谷沢氏が渡部氏について書いています。


「私がはじめ渡部昇一氏の著作に敬服した第一点は、既成の学問や評論の形式に拘泥せぬ、探究意欲の悠揚迫らぬ自在と自足が、新鮮で直截な視角を生み続ける、陽性で躍動的な刺激力であった。そして第二に、同時代の遺制的なタテマエの虚偽を衝く、剛毅で柔軟な説得力。そして更に、面談の機を得て感銘を受けたのは、努力の垢を常にこそげ落とす配慮に怠りなかった結果であるに違いない、柾目の通った独立独歩の自然体であった。話を引き出すのに巧みな渡部氏の誘いに乗って、私としては恐らく同氏との対談の場でなければ興が乗らなかったであろう類の、学芸的理想像に関する話題に逍遥し得たのを何よりの喜びとする。逆に暢気坊主の私の至らざる故に、もっと多面的に可能であった筈の諸分野で、渡部氏の蘊蓄に学ぶに及ばなかったのを、前回も今回もまた心残りとする」

 

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   『永遠の知的生活』(実業之日本社)


 

 本書の対談から33年後、わたしは渡部昇一氏と対談させていただく機会に恵まれました。しかも「読書」や「知的生活」がテーマという夢のような時間でした。その内容は『永遠の知的生活』(実業之日本社)として刊行されましたが、そのとき、谷沢氏が果たせなかった「多面的に諸分野で、渡部氏の蘊蓄に学ぶ」ということを心がけました。
対談の実現に骨を折ってくれた東北大学大学院の江藤裕之教授(渡部先生の愛弟子で、わたしの中学の同級生)が、「ぜひ、『読書連弾』とか『読書有朋』のような対談になるといいね」と言ってくれたことを思い出します。

 

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   『読書有朋』『読書連弾』

 

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   2冊を合本した『読書談義』