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空海の風景 上・下』

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No.1073

 

 開創1200周年で賑わう高野山金剛峰寺へ向かう途中で、『空海の風景』上・下、司馬遼太郎著(中公文庫)を再読しました。言わずと知れた著者の代表作の1つです。『竜馬がゆく』『坂の上の雲』など、司馬遼太郎には多くの名作がありますが、その最高傑作こそ本書『空海の風景』ではないかと思います。

 上巻のカバー裏には、以下のように書かれています。 「平安の巨人空海の思想と生涯、その時代風景を照射して、日本が生んだ最初の人類普遍の天才の実像に迫る。構想十余年、著者積年のテーマに挑む司馬文学の記念碑的大作」 また下巻のカバー裏には、以下のように書かれています。 「大陸文明と日本文明の結びつきを達成した空海は、哲学宗教文学教育、医療施薬から土木灌漑建築まで、八面六臀の活躍を続ける。その死の秘密をもふくめて描く完結篇」 上下ともに、最後には「昭和五十年度芸術院恩賜賞受賞」とあります。


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   高野山の文学碑

 


 高野山には司馬遼太郎の文学碑があります。 そして、そこには本書の次の一節が刻まれています。

 

「高野山は、いうまでもなく平安初期に空海がひらいた。 山上はふしぎなほどに平坦である。そこに一個の都市でも展開しているかのように、堂塔、伽藍、子院などが棟をそびえさせ、ひさしを深くし、練塀(ねりべい)をつらねている。枝道に入ると、中世、別所とよばれて、非僧非俗のひとたちが集団で住んでいた幽邃(ゆうすい)な場所があり、寺よりもはるかに俗臭がすくない。さらには林間に苔(こけ)むした中世以来の墓地があり、もっとも奥まった場所である奥ノ院に、僧空海がいまも生けるひととして四時(しいじ)、勤仕(ごんじ)されている。 その大道の出発点には、唐代の都城の門もこうであったかと思えるような大門がそびえているのである。大門のむこうは天である。山なみがひくくたたなずき、四季四時の虚空(そら)がひどく大きい。大門からそのような虚空を眺めていると、この宗教都市がじつは現実のものではなく、空(くう)に架けた幻影ではないかとさ思えてくる。まことに、高野山は日本国のさまざまな都鄙のなかで、唯一ともいえる異域ではないか。   司馬遼太郎」

 

 この文学碑の前では、観光客たちが連日のように記念撮影しています。 今でも、この作品が多くの人々から愛されている証でしょう。

 本書はノンフィクションではなく、あくまでも小説ですが、空海という超天才の生涯を生き生きと描き、日本という国の「かたち」をも浮き彫りにしています。 『あらゆる本が面白く読める方法』(三五館)で紹介したように、わたしは以前、司馬遼太郎の主要作品を手帳に書き写していました。本書を読んで感銘を受けた箇所も、じつに36ページにわたって書き写しています。そのすべてを紹介するわけにはいきませんが、とくにわたしの心に残った部分を以下に紹介いたします。なお、【  】内のタイトルは、わたしがつけたものです。

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   わが『空海の風景』メモ


【密教】  

 人間も犬もいま吹いている風も自然の一表現という点では寸分かわらないということを知ったのは大乗仏教であったが、空海はさらにぬけ出し、密教という非釈迦的な世界を確立した。密教は釈迦の思想を包摂はしているが、しかし他の仏教のように釈迦を教祖とすることはしなかった。大日という宇宙の原理に人間のかたちをあたえてそれを教祖としているのである。そしてその原理に参加―法によって―しさえすれば風になることも犬になることも、まして生きたまま原理そのものに―愛欲の情念ぐるみに―なることもできるという可能性を断定し、空海はこのおどろくべき体系によってかれの同時代人を驚倒させた。(『空海の風景』上 p.11)

【真言】  

 空海は、その方法を伝授された。たとえば虚空蔵菩薩の真言を教わったとき、「これが、自然の本質がおのれの本質を物語るときの言語か」 と、その意味不明の言語をうそぶきつつ、体のふるえるようなよろこびを感じたであろう。真言は、同時に咒としての力をもつ。修法者の修法さえ通ずれば宇宙をうごかすことも可能であるという意味において真言は咒であり、神変の働きをもつ。空海は絶対無二の科学をそこに感じたにちがいない。 (『空海の風景』上 p.99)

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   わが『空海の風景』メモ


【最澄】  

 最澄は空海とはちがい、密教的性格のもちぬしではなく、うまれつきとして顕教的な合理性と素直さの側にいるひとであった。かれは山林にこもったとはいえ、空海のように宇宙の神秘をそこに見、踏みこんで宇宙の深奥に入ろうという呪術者的動機を感じたからではまったくなかった。多分に書斎的であり、諸経、諸注釈、諸論を読破することによってかれがひそかに持ちつづけている疑問もしくは仮説を実証したいがためであり、このため官寺生活のわずらわしさからのがれたかったためであるといっていい。 (『空海の風景』上 p.163)

【高野山】  

 空海が、四十三歳のときに朝廷に高野山を拝領することを乞い、ここに壮麗な堂塔伽藍を営んだというのも、その堂々たる宗教的理由はべつとして、かれの長安に対する、それも私やかな歎きが籠められているようにも思える。 (『空海の風景』下 p.49)

【魔術を越える】  

 これら土俗魔術、呪文、マジナイをあつめたインドにおける密教創始者のいかにも形而上的思考者である点は、魔術を越えたことであろう。それらのカケラのむれを熔かせつつ、巨大な宇宙の構造の体系をつくりあげたことであるであろう。さらにいえば、生命というこの具体的なものをふくめて、宇宙に実在するあらゆるものが一つの真理のあらわれであるとし、そのあらわれをもたちまち形而上化してその純粋性に宗教的な威をもたせ、それをもって密教の諸仏諸菩薩諸天としたことであるにちがいない。その上、それらが真理の法則のまにまにうごくという運動のなかにおいてもとらえた。というよりその運動そのものを神聖視した。これが、密教で重視する曼荼羅というものであろう。さらにはその真理のなかで人間が生体のまま真理化しうるというのが即身成仏で、正密においてはへんぺんたる魔術的行法よりも、この即身成仏をもって、この体系の最終目的とする。これによって雑と正を区別するのである。 (『空海の風景』下 p.96)

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   わが『空海の風景』メモ


【人類的存在】  

 空海はすでに、人間とか人類というものに共通する原理を知った。空海が会得した原理には、王も民もなく、さらにはかれは長安で人類というものは多くの民族にわかれているということを目で見て知ったが、仏教もしくは大日如来の密教はそれをも超越したものであり、空海自身の実感でいえば、いまこのまま日本ではなく天竺にいようが南詔国にいようがすこしもかまわない。空海がすでに人類としての実感のなかにいる以上、天皇といえどもとくに尊ぶ気にもなれず、まして天皇をとりまく朝廷などというちまちました拵え物など、それを懼れねばならぬと自分に言いきかす気持さえおこらない様子なのである。  日本の歴史上の人物としての空海の印象の特異さは、このあたりにあるかもしれない。言いかえれば、空海だけが日本の歴史のなかで民族社会的な存在でなく、人類的な存在だったということがいえるのではないか。 (『空海の風景』下 p.121)

【空海の密教思想】  

 空海が高野山をつくろうとしたことは、建築造形や配置からして密教思想の表現たらしめたいということであり、この意味では、かれはインドの密教からも唐の密教からも突きぬけて―というよりも純化と総合を遂げたいという―苛烈なほどの欲求があった。空海の密教思想そのものが、多分に土俗的な段階にあるインド密教やその翻訳状態にあったところの唐の密教にくらべ、より大きく体系化し、より精密に論理化したという点において区別されるべきだが、そういう思想上の作業を越えて寺院までを密教化しようとしているのは、不空でも恵果でもない別趣の密教家がそこにいるといっていい。 (『空海の風景』下p.331)


 なお、かつて本書を読み、空海の圧倒的なスケールの大きさに魅了されたわたしは、昨年末に『超訳 空海の言葉』(KKベストセラーズ)という監訳書を上梓しました。今年は高野山金剛峯寺開創1200年記念イヤーです。高野山では4月2日から5月21日まで50日の間、弘法大師空海が残した、大いなる遺産への感謝を込めて、絢爛壮麗な大法会が執り行われています。 わたしも5月8日に高野山を参拝しました。感無量でした。