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超訳 空海の言葉』

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 No.1015

 

 わたしの監訳書である『超訳 空海の言葉』 (KKベストセラーズ)の見本が出ました。2015年は、高野山金剛峯寺開創1200年記念イヤーです。

 

 高野山では4月2日から5月21日まで50日の間、弘法大師空海が残した、大いなる遺産への感謝を込めて、絢爛壮麗な大法会が執り行われます。本書は、こうした動きにあわせた空海の言葉の超訳本です。

 

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   『超訳 空海の言葉』(KKベストセラーズ)


 

 表紙の色は、非常に深みのあるブルーです。「空」のスカイ・ブルーと「海」のマリン・ブルーを混ぜ合わせたような「空海」のディープ・ブルーです。雲あるいは白波のようなホワイトの帯には「高野山開創1200年記念! いまこそ知りたい、弘法大師200の教え」と書かれ、「世の中で一番奇妙なもの。それはあなたの心の底に眠っている無限の可能性だ」という言葉が紹介されています。

 

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   本書の帯

 

 

 またカバー前そでには、「空海という天才が考えていたこと―」として、以下の言葉が並んでいます。


●わたしたちは、独りで生まれて、一人で死んでいく。
●誰もが勝ち負けに夢中になっているが、そんなことはどうでもいい。
●悩みの原因は、ひとつしかない。それは「無知」である。
●あなたのやりたいことは、あなたの手でやらなければならない。
●両親の愛というものは、天よりも高く、地よりも深い。

 

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   「目次」の章立てを紹介した帯の裏


 

 本書は以下の5章に分かれ、201の空海の言葉を紹介しています。


一  己を信じる
二  悩みと向き合う
三  他者との関わり
四  生と死
五  仏の教え
六  自然との調和

 

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   【人生が楽になる空海の三つの教え】


 

 本を開くと、その冒頭には【人生が楽になる空海の三つの教え】として、以下のような教えが紹介されています。

 

「正しく修行すれば、誰でも生きたまま仏になれる」と説いた空海。
他の高僧たちとは一味違う、力強い言葉を残している。

 

一、迷いあってこそ人生。悩むことを避けなくていい。
  人間なら誰しも悩みのひとつやふたつ抱えていて当然。
  悩みを解決することに囚われず、あるがままで生きよう。
  変わらないものなどないから、いつしか悩みも消える。

 

二、誰にでも、見違えるほど成長する可能性が秘められている。
  最初から何でもできる人などいない。
  懸命に学んで進歩・成長すれば、無限の可能性が広がっていく。
  自分の心の奥底に眠っている能力を信じよう。

 

三、人と向き合うときは、相手の目線の高さに立て。
  子どもには子どもの目線の高さに立って話し、
  大人には大人の目線の高さで向き合う。
  簡単そうに見えて、なかなか難しい。
  これができる人は、すばらしい人物である。

 

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   ページごとに、空海の言葉を1つ紹介しました


 

 じつは、本書の監訳依頼が来たとき、わたしは飛び上がって喜びました。というのも、わが家の宗派は真言宗であり、空海はいつか真正面から取り組んでみたい聖人だったからです。つねづね、「空海ほど凄い人はいない」と思っていました。かつて、わたしは『図解でわかる! ブッダの考え方』(中経の文庫)という本を書きましたが、ブッダが開いた仏教と、わたしたち日本人が信仰している仏教は根本的に異なる宗教であると考えています。


 インドで生まれ、中国から朝鮮半島を経て日本に伝わってきた仏教は、聖徳太子を開祖とする「日本仏教」という一つの宗教と見るべきです。日本人の「こころ」の中には、仏教の他にも、神道や儒教の精神が生きています。

 

 八百万の神々をいただく多神教としての日本の神道も、「慈悲」の心を求める仏教も、思いやりとしての「仁」を重要視する儒教も、他の宗教を認め、共存していける寛容性を持っています。自分だけを絶対視せず、自己を絶対的中心とはしない。根本的に開かれていて寛容であり、他者に対する畏敬の念を持っています。だからこそ、神道も仏教も儒教も日本において習合し、または融合したのでしょう。


 「太子信仰」という言葉に象徴されるように、聖徳太子を巡る伝説は多いことで知られます。まさに日本の歴史に燦然と輝く存在ですが、その聖徳太子に勝るとも劣らない超大物がもう一人います。「お大師さま」あるいは「お大師さん」として親しまれ、多くの人々の信仰の対象ともなっている弘法大師・空海です。

 

 「大師」は、朝廷から僧侶に送られる称号で、これまでに25名に送られました。しかし、「大師は弘法に奪われ、太閤は秀吉に奪わる」という作者不詳の歌にもあるように、師といえば弘法大師として認識され、広く親しまれています。そして、この要因の一端としては伝説・伝承の数の多さ、またその多様さにあります。


 一説によれば、沖縄県を除く46都道府県のうちで、弘法大師にまつわる伝説は全国に5000以上、水関係だけで1600以上あるそうです。「日本のレオナルド・ダ・ヴィンチ」の異名が示すように、空海は宗教家や能書家にとどまらず、教育・医学・薬学・鉱業・土木・建築・天文学・地質学の知識から書や詩などの文芸に至るまで、実に多才な人物でした。このことも、数多くの伝説を残した一因でしょう。


 「一言で言いえないくらい非常に豊かな才能を持っており、才能の現れ方が非常に多面的。10人分の一生をまとめて生きた人のような天才である」

 

 これは、ノーベル物理学賞を日本人として初めて受賞した湯川秀樹博士の言葉ですが、空海のマルチ人間ぶりを実に見事に表現しています。

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   弘法大師・空海生誕の地

 

 

 空海は、讃岐(香川県)に生まれました。佐伯氏という一族の生まれで、幼名は「真魚」といいました。幼い頃から非常に利発だったといいます。14歳のときに、すでに儒教と道教を学んでいましたが、それらに失望した空海はやがて仏教に惹かれ、仏教は他の二つの教えよりも深い本質的な要素を含んでいると主張しました。後に『三教指帰』を著し、仏教の優位性を訴えました。頭脳明晰であった空海は朝廷の役人を育成する大学に入学しましたが、学問による出世を捨てて大学から姿を消してしまいます。私渡僧となった空海は、寺社などで仏典研究を行うよりも、山岳修行者として厳しい修行の道を選びます。彼は高野山や大峯山などの、なるべく人が近づけないような山奥に入り、過酷な生活を送りました。


 ある日、空海は1人の山岳修行者から『虚空蔵求聞持法』という密教の秘法があることを教わります。山岳修行者によれば、この秘法を身につければ、一度見聞きしたものを忘れることなく完璧に記憶に留めておける力が得られるといいます。空海はその秘法を身につけるため、虚空蔵菩薩の真言を毎日1万回唱え続けました。空海は室戸岬の「御厨人窟」という洞窟に座り込んで真言を唱える日々を送っていましたが、あるとき、夜明け頃に虚空蔵菩薩の化身でもある明けの明星(金星)が空に現われました。その明星はさらに輝きを増すと、真言を唱えている空海の口の中へ飛び込んできました。ここで空海は虚空蔵求聞持法を体得したとされます。当時の御厨人窟は海岸線が今よりも上にあり、洞窟の中で空海が目にしていたのは空と海だけでした。ここから「空海」と名乗ったと伝わっています。それにしてもスケールの大きさを感じさせる素晴らしい名前ですね。


 その後もさらに修行によってマジカル・パワーを高めた空海は、密教をより深く学ぶためにも中国に渡りたいと考えます。そして、後の804年に、空海と双璧をなす密教僧であった最澄たちとともに遣唐使の一団として中国に派遣されました。そこで空海は、真言の大家である恵果阿闍梨に出会います。恵果は初対面にもかかわらず、空海がこれまでどれだけ過酷な修行を積んできたのかを即座に見抜きました。恵果は空海に対して、「あなたに教えることは何もないので、すぐに密教の奥義を伝えましょう」と述べ、数カ月かけて『大日系』『金剛頂系』の密教の奥義を授けました。


 さらに空海は、密教世界の最高位を示す阿闍梨の位を灌頂(正当な継承者とするための儀式)し、「遍照金剛」の号を授かりました。これは、これにより、空海は密教における最高の奥義を体得したことを意味します。それだけ恵果にとって、空海とは逸材だったのです。今でも中国の真言宗の寺院には空海の像が祀られているといいます。


 中国に渡ってから約3年後の806年、空海は帰国しました。帰国後の彼は、中国で習得した数々の奥義を用いて多くの民衆を救ったとされています。奈良の東大寺の僧侶を務めた空海は、その後、816年に高野山に真言宗の本山である金剛峯寺を建立しました。日本における真言宗の宗祖となった空海ですが、彼の宗派は大きな成功を収めます。高野山には多数の僧侶が常駐し、建物も1500を数えるほどでした。


 空海は、京都の御所の敷地内に真言院を創設した後、空海は自分の寿命が来たことを悟ります。「即身成仏」の思想を追い求めていた空海は、最後の奇跡を体現させるために、長い五穀断ちをして瞑想をした後、入定(高僧が死ぬこと)しました。 その直前に弟子たちには「五十六億七千万年の後、弥勒菩薩と共に下生し、すべての仏弟子を救う」と告げていたといいます。真言宗では千年以上経った今でも、空海は高野山奥の院の石室で生きているとされ、毎日食事が進上され続けています。姿の見えなくなった空海が、今なお瞑想を続けているとされているのです。


 神秘と謎の光に包まれ、加持祈祷で有名な稀代の魔術師でもあった空海は、死後「弘法大師」の称号を受けました。そのスケールの巨大さについて、司馬遼太郎は「空海だけが日本の歴史のなかで民族社会的な存在でなく、人類的な存在だったということがいえるのではないか」と、名著『空海の風景』(中公文庫)に書いています。密教を通じて、空海はすでに、人間とか人類というものに共通する原理を知ったというのです。至言ですね。


 「日本最大の宗教的天才」であった空海は、『三教指帰』『十住心論』『秘蔵宝鑰』『般若心経秘鍵』『文鏡秘府論』、空海本人の詩文や書簡、上表文などを集めた『性霊集』など、多くの著書を残しています。その傑出した文才には、ただただ驚くばかりです。  

 

 例えば、『三教指帰』はプラトンの『対話篇』同様に劇的な構成で書き上げられています。また、『十住心論』について、宗教哲学者の鎌田東二氏はヘーゲルの『精神現象学』と対比させながら、「この空海の思想は、この時代までに現われたもっとも体系的で包摂的な理論体」と述べ、弁証法との類似を指摘しています。このように、空海とは思想家としても超スケールの巨人であったのです。

 

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   日本一の弘法大師像をバックに


 

 空海の天才性は計り知れません。かつて、わたしは『リゾートの思想』(河出書房新社)という本で、空海を超一流のリゾート・プロデューサーだと指摘しました。そのリゾートとは四国八十八ヶ所。四国遍路は、空海がかつて修行をしながら歩いたといわれる八十八ヶ所の霊場をめぐる巡礼のことですが、全長1400キロメートルにものぼる長大な巡礼ルートは、実に綿密に計算されています。


 もうこれ以上歩けないと思うと、次の札所に着く。のどが渇いてたまらなくなると、ちょうど水飲み場がある。景色に飽きて退屈してくると、急にすばらしい眺望が開ける。ほどよく苦行させて、解放させる。四国遍路のゴールである第八十八番札所の医王山大窪寺に辿り着いたころには、すっかりお遍路さんの心のアカが洗い流されて、悩みも消えてしまっている・・・・・・。

 

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   第七十五番札所の善通寺


 

 この四国遍路では「同行二人」が強く唱えられています。空海は入定したのであって、普通の人間のように死んだのではありません。目には見えないけれども、昔のままの姿で、今でも空海は四国遍路を修行のため巡礼しているのです。たとえ一人で遍路していても、いつも空海が一緒にいる。だから、同行二人なのです。


 最後に、『超訳 空海の言葉』は宗教書ではなく、一般の読者の方々に空海の言葉を「わかりやすく」伝えることを目的としています。そのため、かなり思い切った「超訳」を行っている箇所もあります。しかし、現代によみがえった空海のメッセージはきっと読者のみなさんにとって生きる上での大きなヒントとなるはずです。それはまさに、読書における「同行二人」ということではないでしょうか。日本が生んだ最高の天才の言葉を存分に味わっっていただければ、監訳者として嬉しい限りです。

 

 なお、『超訳 空海の言葉』は12月16日に発売されます。どうぞ御一読下さいますよう、お願いいたします。