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世界十五大哲学』

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No.1051

 

 4月になりましたが、1日は嬉しいことがありました。

 この読書館でも紹介した『本の「使い方」』『ビジネスに効く最強の「読書」』『仕事に効く教養としての「世界史」』といった一連の名著の著者であるライフネット生命の出口治明代表取締役会長兼CEOからメールを頂戴したのです。わたしの書いた書評を「とても嬉しいです」と感想を述べられ、「上京の節には、ぜひ、お立ち寄りください」と言っていただきました。尊敬する経営者にして読書人である経営者である出口会長からのメール、本当に嬉しかったですね。こいつは春から幸先がいい!


 さて、『世界十五大哲学』大井正・寺沢恒信著(PHP文庫)を読みました。
 現代日本の「知の怪物」として知られる作家・元外務省主任分析官の佐藤優氏が、自著のなかで「説明が丁寧でわかりやすく、この本のおかげで哲学の入り口を間違えずに済んだ」と紹介した本です。以来、入手困難な稀覯書として注目された1962年刊の名著がPHP文庫で復刊されました。

 

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    佐藤優氏の顔写真入りの本書の帯


 

 帯には、眼光鋭い佐藤氏の写真とともに「佐藤優氏推薦!」「この本は、私の人生の伴侶となっている本だ。」「哲学入門書の名著、待望の復刊!」と書かれています。表紙カバー裏には、以下のような内容紹介があります。


 「ソクラテス、プラトンから、デカルト、カント、ヘーゲル、そしてマルクス、サルトルまで。哲学史に多大な影響を与えた15人の大哲学者の思想、生涯、著作、時代背景を平易に解説した名著を復刊。西洋哲学の歴史がわかる『第一編 哲学思想史』や、巻末の用語解説も充実。教養のベースとなる哲学の基礎知識と思考法が1冊で身に付く、哲学入門書の決定版!佐藤優氏による『復刊によせて』を追加」

 

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   本書の帯の裏


 

 さらに帯の裏には、以下のような佐藤氏の言葉が紹介されています。


 「実は、この本は、私が初めて買った哲学書で、その後も人生の伴侶となっている本だ。あちこち線を引いて、書き込みをしたので、ぼろぼろになってしまった。今回、解説を書くために本書を再読した。現在の水準で考えても、素晴らしい入門書と思う。思いつきを、筋道をたてて整理して、きちんとした考えにまとめるためには、哲学的な基礎訓練が不可欠だ。そのような基礎訓練のために本書は役に立つ―『復刊によせて(佐藤優氏)』より抜粋」


 本書の目次は、以下のような構成になっています。


「復刊によせて」佐藤優

第一編 哲学思想史
1. 哲学のすすめ
2. 哲学思想のあゆみ
第二編 世界十五大哲学
1. ソクラテスの哲学
2. プラトンの哲学
3. アリストテレスの哲学
4. トマス・アクィナスの哲学
5. デカルトの哲学
6. ロックの哲学
7. ディドロの哲学
8. カントの哲学
9. ヘーゲルの哲学
10. キルケゴールの哲学
11. マルクスとエンゲルスの哲学
12. チェルヌィシェフスキーの哲学
13. 中江兆民の哲学
14. デューイの哲学
15. サルトルの哲学
用語解説


 本書は本文が約570ページ、巻末の「用語解説」が30ページ強、合計630ページ強で、文庫本としては超弩級のボリュームです。そして、15人の哲学者の人選がまた摩訶不思議で、ショーペンハウエルやニーチェやハイデッガーといったビッグネームが入っていないのに、チェルヌィシェフスキーなどという聞いたこともない哲学者が入っています。また、東洋から唯一入っているのが、なんと中江兆民というのもよく理解できません。しかし、共著者の1人が日本を代表するマルクス主義哲学者であり、唯物論の大家であったと知れば納得です。チェルヌィシェフスキーは19世紀ロシアの社会主義哲学者であり、中江兆民は日本における唯物論の先駆者でした。


 「復刊によせて」で、佐藤優氏は「レトリック(修辞)で、気の利いた発言をすることは、少し勘がよい人ならば誰でもできる。しかし、思いつきを、筋道をたてて整理して、きちんとした考えにまとめるためには、哲学的な基礎訓練が不可欠だ。そのような基礎訓練のために本書は役に立つ」と述べます。また本書の「序」の冒頭には、以下のように書かれています。


 「人間の精神生活のうちで哲学はもっとも重要な地位をしめているが、すべての人間はまた、哲学者である。すべての人間が哲学者であるというのは、常識のなかに、言語のなかにすでに哲学がふくまれており、すべての人間は、これなしには精神生活を営むことができないからである」


 さらに、第一編 哲学思想史の「1.哲学のすすめ」には、「物事の根本へ、根本へとさかのぼって、一番深い根底に達し、そこから知識の体系をきずきあげようとするのが、哲学の基本的な傾向である」と書かれています。


 本書は2人の唯物論者によって書かれているだけあって、唯物論関係の記述が充実しています。たとえば、青年ヘーゲル派としてのフォイエルバッハについて次のように述べています。


 「フォイエルバッハ(1804~72)は、ヘーゲルの観念論をすてて唯物論の立場に移り、人間を、理性の持ち主としてばかりでなく、感性の持ち主としてもとらえることを欲求する。そして、このような人間観の立場から宗教を批判し、神の観念は、結局、地上の人間のみじめさを逆立ちさせて天上に反映させたものに他ならず、人間がつくりだしたものであることを明らかにし、『神学の秘密は人間学であり、神学の本質の秘密は人間の本質である』と主張した。―だが、フォイエルバッハは、この人間の本質を自然主義化して、社会の歴史的発展の外で、固定的なものとしてとらえたために、神学の批判を政治の批判にまで進めることができず、人間の社会・歴史を唯物論的に理解することができなかった」


 また、マルクスとエンゲルスについては以下のように紹介されています。


 「同じ青年ヘーゲル派の仲間から、その小ブルジョア的観念性を脱皮してマルクス(1818~83)とエンゲルス(1820~95)が現れ、プロレタリアートの立場にたつマルクス主義の世界観をつくりあげる。それは、哲学思想史上における一大革命を意味するものであった。
 彼らは、フォイエルバッハと同様に唯物論の立場にたったが、しかしフォイエルバッハとはちがって、ヘーゲルの弁証法を投げ棄てず、これをうけつぎ、これを唯物論的に改作した。弁証法を正しく継承したことによって、彼らは人間を革命的実践の主体としてとらえ、自然ばかりでなく社会・歴史をも唯物論的に理解することができた。こうして、自然・社会・人間の思考のすべてを包括する一貫した思想体系―弁証法的唯物論とよばれる科学的世界観―が彼らによって仕上げられた」


 第二編 世界十五大哲学の「11.マルクスとエンゲルスの哲学」には、「マルクス主義の三つの源泉」として以下のように書かれています。


 「マルクスやエンゲルスの思想体系はしかし、これら天才の頭脳のなかに突然あらわれたのではなく、カントやヘーゲルに代表されるドイツの古典哲学や、スミスやリカードに代表されるイギリスの経済学や、フランス唯物論の伝統をひき、サン・シモンやフーリエによって代表されるフランス社会主義などの、先駆的な思想をもっている。これら三つの先駆的な思想は、それぞれブルジョアジーのもっとも進歩的な要因を形成し、あるいはそれをひきついでいたのであった。つまり、マルクス主義はまったく歴史的な産物であり、そして、思想史をさらに一歩進めたところに位置する思想体系であった。マルクス主義は、とくに産業革命を背景として近代プロレタリアートが形成されつつあったときに誕生し、成長し、そして、この近代プロレタリアートの階級的な自己解放のための理論となった。このことは、マルクス主義のもつ、歴史上の最大の意義である」


 また、「哲学的唯物論」について、本書には以下のように書かれています。


 「唯物論とはそもそも、自然に関する、あるいは世界に関する特定の哲学的な見解である。唯物論は、世界が神の被造物であるとか、世界がなにか知られない原因によって無から創造されたものであるとか、と主張する思想(観念論)に対立して、世界は自然である。つまり、世界はひとりで出来上がっている。―『自然』とはこういう意味である―と主張する思想である
 これはすべての科学に共通な、従って根本的な思考態度である。というのは、ここでは、対象が対象の中にあるものによって説明され、対象が人為的につくられた要因によって説明されることがなく、従って科学の進路をさまたげる要因は理論構成の中にはないからである。それで、哲学はその発生の時にすでに唯物論的哲学として形成され、そしてその唯物論的哲学が科学の起源になっているのである」


 もちろん、唯物論だけが哲学ではありません。本当はフォイエルバッハのように「唯心論」を持ってきたいところですが、ここでは唯物論に対抗しうる思想として「観念論」を取り上げ、「哲学上の二大陣営」として以下のように述べています。


 「マルクス主義は、哲学を『唯物論』(Materialismus)と『観念論』(Idealismus)との二つの党は、二つの陣営に区別した。あるいは、マルクス主義は、自分の『唯物論』を、『観念論』に対抗させ、これを攻撃し克服するための哲学であるとみなした。これまでも、哲学を二つの対立する流派にわけて考察する仕方は、意識的にも無意識的にもあった。しかし、哲学史を、自然を根拠とみなし、自然から精神が派生するという『唯物論』と、精神に対して自然を根源とみなす『観念論』との対立であると明確にとらえたのは、マルクス主義であった」


 本書では、唯物史観についても詳細に述べられています。唯物史観は「史的唯物論」とも呼ばれますが、以下のように書かれています。


 「マルクス主義の特色は、もっぱらこの唯物史観にあるという論者がいる。事実、マルクス主義では、唯物史観、およびその応用である諸科学―例えば経済学や歴史学―に多くの業績があがっている。しかし、唯物史観、すなわち唯物論的歴史観は、古来からの唯物論的な態度を、社会の歴史についての見方にまでおし進め、つらぬいたものである」


 本書の中でも特に異色であり、かつ興味深かったのは、第二編 世界十五大哲学の「13.中江兆民の哲学」でした。本書では、「日本のルソー」と呼ばれた中江兆民(1847~1901)を「わが日本の生んだ真の哲学者」と評しています。というのも、自由民権運動のイデオローグとして活躍した兆民は唯物論者だったのです。


 本書では、兆民の著作である『続一年有半』を取り上げた「無神無霊魂」で、以下のように述べています。


 「『続一年有半』にあらわれたかれの哲学説は、その副題『無神無霊魂』が示すとおり、断乎とした唯物論である。『余はだんじて無仏、無神、無精魂、すなわち単純なる物質的学説を主張する』とかれはいう。神の存在や霊魂不滅の説は、たしかに大病におかされ、一年、半年と日々月々死にちかづきつつある人物などにあってはおおきななぐさめでもあろう。『しかし、それでは理学(哲学)の荘厳をいかんせん、冷々然ただ道理にこれ視るばき哲学者たる資格をいかんせん。・・・・・・余は理学において、きわめてむきだしで、きわめて殺風景であるのが、理学者の義務、いな、根本的資格であると思うのである』」


 このように日本最初の本格的な唯物論哲学者であったともいえる中江兆民でしたが、面白いことに彼は日本で初めて告別式をあげた人物としても知られます。日本における告別式は、1901年(明治34年)、中江兆民の葬儀の際に行われたのが最初とされます。これは兆民が「死んだらすぐに火葬場に送って荼毘にしろ」と遺言したために葬式が行われなかったためで、弟子の幸徳秋水ら彼の死を悼んだ人たちによって青山葬会場(青山墓地)にて宗教儀礼による葬儀の代わりとして無宗教葬として行われました。

 一般に、社会主義革命が実現したロシアや中国などにおいても、葬儀は廃止されませんでした。唯物論者たちも亡くなると、同志たちから見送られたのです。


 本書はいわゆる哲学史、哲学入門の類ですが、とにかく唯物論に重きを置いた本でした。わたしは『唯葬論』を執筆中に本書を読んだのですが、世の中にある「唯〇論」をすべてマスターしてやろうと意気込み、まずはフォイエルバッハの『唯心論と唯物論』を読もうとしたのですが、思うところあって本書を先に読みました。これは大成功で、本書によって唯物論の核心がスムースに理解できたので、続いて読んだ『唯心論と唯物論』の内容もすんなりと頭に入ってきました。たしかにマルクス主義に偏ってはいますが、佐藤氏の言われるように優れた哲学入門であると思いました。