No.0853 歴史・文明・文化 『名著で読む世界史』 渡部昇一(育鵬社)

2014.01.09

 『名著で読む世界史』渡部昇一著(育鵬社)を読みました。
 「現代の賢人」である渡部氏が13冊の歴史書を紹介しながら、世界史を振り返る内容の本です。カバー表紙にはローマ帝国の初代皇帝アウグストゥスの彫像写真が使われています。
 また帯には、「世界は、グローバル化と混迷の中にある。古代ギリシアから近現代史までの13冊から読み抜いた各国の歴史の真相とは!」というコピーに続いて「賢者は歴史に学ぶ」と大書されています。このキャッチコピーはプロイセンの鉄血宰相ビスマルクの言葉ですね。正式には、「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」というものです。

 本書の目次構成は、以下のようになっています。

「まえがき」
第一章:ヘロドトス『歴史』
第二章:トゥキディデス『歴史』
第三章:カエサル『ガリア戦記』
第四章:タキトゥス『ゲルマーニア』
第五章:塩野七生『ローマ人の物語』
第六章:ドーソン『ヨーロッパの形成』
第七章:マキアヴェッリ『君主論』
第八章:クラウゼヴィッツ『戦争論』
第九章:渡部昇一『ドイツ参謀本部』
第十章:シュペングラー『西洋の没落』
第十一章:チェスタトン『アメリカ史』
第十二章:マコーリー『イングランド史』
第十三章:べロック『The Jews』
「あとがき」

 「まえがき」で、著者は「本書では、一般的な知識としての世界史を知るための本ではなく、歴史において、『革命的な知の光』を示したと思われる人たちの12の著作を選びました。それは、普通の人々が、それまで見逃してきたことを、知の光によって見抜いたもの、といえるかもしれません」と述べています。
 13冊の最初を飾るのは、世界最初の歴史書とされているヘロドトスの『歴史』。 著者は、この本について次のように述べています。

 「このヘロドトスの『歴史』は、伝説・伝承から始まっているということが、歴史叙述のスタイルとしては注目すべき点であろうと思います。これは、日本の歴史書『古事記』『日本書紀』も、神話の伝承から始まるわけですが、人間の歴史というものは、洋の東西を問わず、その初めは伝説しかないということです」

 13冊の中で特に興味深かったのが、塩野七生著『ローマ人の物語』についての説明です。まず、著者は塩野氏について次のように述べています。

 「塩野さんは、イタリアの知識人であるご主人と一緒に暮らしながら、頭のいい人ですから、イタリアの小田原評定のようなおもしろい話をいろいろ教えてもらったのではないかと思います。ですから、塩野さんは、それまで日本人があまり書いた人がいなかったものをテーマにして、おもしろい本を書いておられました」

 また、『名将言行録』などに触れながら、以下のように非常にユニークな塩野七生論を展開しています。

 「知識としては、日本には、例えば戦国時代以来の武将に関する非常におもしろい本で『名将言行録』という本があります。また『講談全集』(全12巻・各巻1200ページ以上)という日本史上の多くの人の知っているおもしろい話を集めたものもあります。しかし、こういう本を読む外国人のことを私は想像できません。塩野さんは、イタリアのそういう類の本まで読まれたのではないかと推測するわけです。そして、日本にはローマ史を本格的に書いた人はいなかったので、自分が書こうということになったのではないかと思います」

 この見方は、塩野七生という作家の本質をとらえていると思います。
 マキアヴェッリ『君主論』の解説も面白かったです。著者は、以下のように『君主論』をなんと鴨長明『方丈記』と比べているのです。

 「日本では、マキアヴェッリの約250年前に、鴨長明(1155?~1216)が、「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず」と悟っています。
 鴨長明が『方丈記』を書いた頃には、平家が壇の浦で滅んでいます。人生無常。
 鴨長明が30歳の頃のことです。しかし、鴨長明の『方丈記』には、平家滅亡のことが一言も書かれていません。鴨長明は、人生の無常に目を向けて、彼の知を働かせていたわけです。マキアヴェッリは、同じような状況の中で、権力の動きというものはどういうものであるか、ということに知を働かせたわけです。
 2人は、同じ知識人として閑窓生活に入っているわけですけれども、鴨長明は平氏の時代も含めて、天災、地震、大水、大風、火事の多かった時代を見て、人生の無常、世の中の無常を綴ったわけです。
 マキアヴェッリだったら、源氏と平氏の攻防、平氏の興亡を書いていたと思うのですが、鴨長明はそれを書きませんでした」

 クラウゼヴィッツ『戦争論』を取り上げた章も興味深く読みました。『戦争論』はプロシア王国の軍人であり軍事学者であったクラウゼヴィッツが、フリードリヒ大王とナポレオン戦争を題材にして「戦争とは何か」について議論した本です。日本では、森鷗外が小倉赴任中に翻訳しています。1900年(明治33年)7月に「歌舞伎」という雑誌で、『戦争論』について次のように述べているそうです。

 「自分は小倉に来てから少し都合があってクラウゼヴィッツの兵法を読んでいるが、その中に純抵抗の説というものがある。純抵抗の戦いは、敵をどうしようというのではなくて、ただただ敵がしようと思うことをさせまいと思うだけである。これはよほど得用な戦法であって、特に弱い国の戦法としてはすこぶる用いるべきものだとしてある」

 また、鷗外が『戦争論』のドイツ語を日本語に翻訳する際に、「情報」という言葉が初めて使われたといいます。著者によれば、「戦略」と「戦術」の言葉を、はっきり区別して使うようになったのも『戦争論』からだそうです。
 それから、クラウゼヴィッツが強調する軍事的才能には「常住心」あるいは「平常心」と禅語で訳されるものもあったとか。今をときめく「情報」という言葉が小倉の地で誕生したとは、小倉生まれで小倉育ちのわたしも知りませんでした。なんだか愉快な気分になってきますね。
 本書は、歴史好きな人が大いに楽しめるのはもちろん、あらゆる意味でわたしの知的好奇心を刺激する非常に面白い本でした。

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