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ソクラテスはネットの「無料」に抗議する』

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No.0693

 

 『ソクラテスはネットの「無料」に抗議する』ルディー和子著(日経プレミアシリーズ)を読みました。帯には「『タダより高いものはない』その現代的な意味」と赤字で大書され、続いて「書き言葉が知性を衰えさせる、『フリー』が贈与の法則を破壊する・・・・・。古代ギリシアの哲人なら、ネット社会・ビジネスをどう見るのか。広汎な知見から、現代人が抱える歪みや危うさを考える知的読み物。」と書かれています。


 著者はマーケティング評論家で、立命館大学大学院経営管理研究科教授です。国際基督教大学卒業、上智大学国際部大学院経営経済修士課程修了。米化粧品会社エスティ・ローダー社マーケティングマネジャー、タイム・インクのダイレクト・マーケティング本部長を経てウィトン・アクトン代表取締役。日本ダイレクトマーケティング学会副会長だそうです。


 本書の構成は以下のようになっています。


第1章:文字が人間の頭を悪くする
第2章:ソクラテスが「無料」に抗議する理由
第3章:21世紀と20世紀の「フリー」は本当に違うか
第4章:フェイスブックは贈与の法則を破ったのか
第5章:人間はなぜ言葉にだまされるのか
第6章:人間はデジタル社会に、デジタル社会は人間に適応できるか


 「はじめに」の冒頭で、著者は次のように書いています。


 「『無料』という言葉が近頃よく目につきます。『無料の安売り』です。配送料無料、手数料無料に無料ダウンロード・・・・・・。モノの値段もあってないようなもので、携帯電話機が0円で、本が1円や10円で買えます」


 著者は、「無料」が当たり前のようになってきたのは、インターネットの影響であると言います。たしかに、グーグルやヤフーといった検索サービスやフェイスブックやツイッターのようなソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)は、いずれも無料で提供されていますね。


 このような現実に対して、著者は次のように述べます。


 「こういったサービスを提供する企業は、広告を掲載することで収入を得ています。が、利用者の大半は、そういったビジネス上の仕組みを意識することなく『無料』を享受します。そして、いつの間にか、価格に見合った代価を払うことなく何かを手に入れられることは当然だと考えるようになってきています」


 著者は「無料」が当たり前となっている現状を「どこか間違っている」と思うのですが、なぜ間違っているのか説明できずに悶々とした日々を送っていました。そんなとき、ソクラテスに出会って、無料のどこが間違っているのかを解くヒントを得ることができたそうです。古代ギリシャの哲学者であるソクラテスについて、著者は次のように述べます。


 「ソクラテスは、話し言葉の時代から、文字を読み書きする書き言葉の時代に移る過渡期に生きた人です。そして、『書き言葉は若者の知性を衰えさせる』と憂える言葉を残しています。ですから、新しいメディアが次世代の知性や習性に与える影響を考えるとき、研究者は必ずソクラテスを引き合いに出すのです」


 ソクラテスが生きていた古代社会はもちろん、近台社会においてすらも「無料」という言葉は一般的ではありませんでした。ギリシャでも日本でもアメリカでも無料でモノが売り買いされることはなく、そういった交換は売買ではなく「贈与」と呼ばれました。そのことを踏まえて、著者は述べます。


 「世界のどの地域においても、贈りものの交換と貨幣とモノの交換との間には、長い間、明らかな境界線がありました。ネットの登場により、その境界線が消えつつあります。これはゆゆしき問題だとソクラテスも考えるだろう・・・・・・という発想に基づいて、この本を書きました」


 本書では「本を黙読できるまでに1500年かかった」とか「識字率が上がると他人の顔を忘れやすくなる」とか「デジタル時代には顔の認識力はもっと低下する」といった主張が繰り広げられ、文字が人間の頭を悪くするのだというのですが、わたしはこの考え方にはもっと吟味が必要であると思います。話し言葉と書き言葉は相互補完しながら、人間の「こころ」を作っていると思うからです。


 それよりも「贈与」についての説明が非常にわかりやすく、特にフェイスブックの「いいね!」ボタンは現代社会の恩返しの仕組みであるというくだりは納得しました。それでも、「いいね!」クリックの19%は「お返し」で、世話になっている人への「義理」が10%、本気の「いいね!」はわずか27%だそうです。


 贈与の互酬性が最も強いのは、「はてな」の星のシステムです。これはもう互助会化していて、毎日なんということもないブログに膨大な数の黄色星、緑星、果ては赤星までが並びます。思うところあって、わたしは星がつかない設定にしましたが、大量の星を贈られた人はせっせと同じようにお返ししているわけです。ここにも、贈与の法則は生きているのです。


 いま、わたしは「お返し」と言いました。これには「恩返し」と「仕返し」の二種類があります。そして、人間の本質的性向は「恩返し」よりも「仕返し」にあるとして、著者は次のように述べます。


 「レシプロシティ(Reciprocity)という言葉があります。相互関係とか相互行為と直訳されます。人間関係において互いに(理想的には)同等に与えあうことです。何かをもらったら返す。でも、善いことばかりではありません。眼には眼を・・・・・・とよく言うように、やられたらやり返すことも含まれます。互いに同等に与えあうことは、人類始まって以来の(厳密に言えば、社会的動物が地球上に登場して以来の)、他者との関係における決まりごとです」


 人類学者や進化心理学者は、レシプロシティの善い側面だけを取り上げます。そして、それらを「互恵性」とか「互酬性」と呼びます。著者は、「人類は、この互酬性という性向が進化のなかで発達したために、グループで協力しあって何かを成し遂げられ、よって文明、文化を築くことができたとします。が、本当は、やられたらやり返すという悪い面のレシプロシティのほうが、人間という動物が生来持っている本能的性向でしょう」と述べています。


 さらに著者は、「互恵性」とか「互酬性」と名づけたられた性向は、けっして「思いやり」とか「優しさ」といったきれいごとで始まったわけではなく「一種の保険」であると指摘します。そして、「こういった協力行動がとれる人間同士ならグループ(集団)をつくりやすく、また、協力度の高い集団は、他の協力度の低い集団と比べると、集団としての生存率が高まる。互酬性は進化において有利に働くために自然選択され残った性質なのです」と述べています。


 人類学者のマルセル・モースは、贈りものには3つの義務があるとしました。


 1.与える義務、2.それを受ける義務、3.お返しをする義務です。


 こうした3つの義務を遂行しているカ義理、人間は暴力で争うことなく平和でいられるのです。これは、人間が社会生活を始めるようになってから獲得した1つの知恵であると著者は言っています。

 

 さらに著者によれば、レシプロシティとは交換です。社会は何よりもまず交換システムであると考えたのは、社会人類学者のレヴィ=ストロースです。レシプロシティの善い面から贈りものを交換する行動が発生し、それが物々交換に発展し、貨幣ができて売買取引へと進みました。つまり、現代の経済活動のルーツをさぐれば、このレシプロシティに戻るというのです。


 本書で最も興味深かったのは「神への贈与」についての部分でした。ウィキぺディアへの寄稿は「神への贈与」と同じとする著者は、次のように述べます。


 「寄附をする行為というのは、神への贈与から始まっていると考えられています。人間と神との関係も贈与交換の関係です。
 人間は神や先祖の霊(自然)から生命を(食べ物を)いただいているという思いを、原始の昔から抱いていました。これは、感謝の気持ちを生むとともに、何かをいただいているのだという負い目感情も生みます。ですから、何かを返さなくてはいけないと思う」


 本書を読んで初めて知ったのは、神様に10分の1を捧げる風習が世界共通で見られるという事実です。
 たとえば日本の中世では、財の10分の1を神仏事に使うという考えが一般的に普及していました。16世紀の戦国時代の武将が残した家訓にも、「収入の十分の一を神社に寄進すれば災難は起こらないだろう。それをおしんで施しを行わない人は思いがけない災難にあい、過分に損をしたり出費がかさむことになる」と書いてあるそうです。


 そして非常に興味深いことには、神様へのお供えは収入の10分の1という基準は、世界的に共通しているというのです。ボストン美術館には、アポロンの神に奉納した紀元前7世紀のブロンズ像があるそうですが、その太ももには「10分の1の支払いとして奉納いたします。そのお返しとして、我にお恵みを授けていただきますように」という碑文が刻まれているとか。著者は、次のように述べています。


 「収入の10分の1を神に供えるという『算数』は、現代のキリスト教信者にも継続していて、アメリカで毎週教会に通うようなある程度忠実な信者は、年収の10分の1を教会に寄附するというのが暗黙の了解になっているようです」


 この問題はあまりにも興味深いので、わたしも調べてみたいと思います。


 人類は、この2500年間、理性的であることを理想としてきました。でも、いまだに理性で本能的感情や衝動をコントロールできていません。理性でコントロールすることに成功していれば、国や宗教や民族の違いによる戦争やテロもなく、金融危機も起こらなかったはずであるとして、著者は次のように述べます。


 「私たちは、結局のところ、古代ギリシアの知識人と比べて、なんら発展も進化もしていないのです。ソクラテスが生きていた時代になかったコンピュータやインターネットといったモノがいま存在するのは、『繁栄』(早川書房)の著者マット・リドレーが書いたように、交換によって分業化と専門化が進み、その知識やノウハウが2500年の間に積み重なった結果です。人間一人ひとりの頭脳や知性が昔に比べて良くなったからというわけではないのです」


 この意見には、わたしも基本的に賛成です。マット・リドレーの著書については、この読書館の書評『繁栄』をお読み下さい。


 著者は、ソクラテスを弟子のプラトン、さらには孫弟子ともいえるアリストテレスと比較します。そして、次のように述べています。


 「ソクラテスのIQは、たぶん、私たちよりかなり低かったことでしょう。本を書いたプラトンやアリストテレスよりも低かったかもしれません。話したことをあとで細かい点まで思い出して分析したり反省したりすることはむずかしい。でも、文字で書いたことは、何度も読み返して思考を練ることができます。
 プラトンの時代には読み書き能力が急激に発展した結果、抽象化する能力が格段に高くなりました。具体的な意味を持った言葉が、抽象的概念を表現する言葉に変化していきました」

 

 そして最後に、著者は次のように書いて本書を終えています。


 「ソクラテスの自ら選んだ死は、彼をよく知る人たちに忘れえない感銘を与えました。ソクラテスよりも40歳も若く、たぶんIQも高く抽象的概念で思考する能力も高かったであろうプラトンは、それでも、ソクラテスを一生涯尊敬しつづけました。そして、ソクラテスの言動を記憶にとどめるために12冊の本を書きました。プラトンが書いた本といういメディアのおかげで、現代の私たちは、ソクラテスのメッセージを知ることができます」


 わたしは、話し言葉だけのソクラテスも賢明だけれども、やはりプラトンが本を書かなければソクラテスの言葉は後世に残らなかったという事実がすべてだと思います。記録しないことは存在しなかったことと同じではないでしょうか。わたしは、あくまでも本や書き言葉の力を信じたいと思うのです。まあ、ソクラテスにしろ孔子にしろブッダにしろイエスにしろ、真理を語った本人も偉大ですが、それを後世に伝えた弟子たちも同じく偉大だと言えるでしょう。


 それにしても、本書は哲学や人類学などの知識をやさしく説きながら、現代社会の問題に迫るスリリングな本でした。役に立つというよりは面白い本でした。