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繁栄(上下巻)』

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No.0226

 

 『繁栄』上・下巻、マット・リドレー著、大田直子・鍜原多惠子・柴田裕之訳(早川書房)を読みました。

 

 著者は、英国ノーサンバーランド生まれで、現在は英国王立文芸協会フェロー、オックスフォード大学モードリン・カレッジ名誉フェローを務めています。かのリチャード・ドーキンスと並ぶ科学啓蒙家として世界的に著名な人物です。


 著者には、これまで『赤の女王』『ゲノムが語る23の物語』『徳の起源』『やわらかな遺伝子』といった、進化や遺伝、社会についての著書があります。『徳の起源』で、わたしも書評を書いたことがあります。

 

 著者が過去20年間に書いた4冊は、人間と他の動物との類似性についてのものでした。しかし、本書では、人間と他の動物との違いに取り組んでいます。「人間が自らの生き方をこれほど激しく変え続けられる原因はどこにあるのだろう?」という疑問から、生物学をはじめ、進化、歴史、社会、経済などの多様な観点から書き上げたのが本書です。


 その主張は、一貫してポジティブです。というより、楽観的なのです。経済崩壊、貧困拡大、環境汚染、人口爆発などなど、知識人は、われわれ人類が破滅に向かっていると日々嘆きます。しかし、著者によれば、こうした悲観的未来予測は200年前から常にあり、しかも、ほとんど外れてきたといいます。

 

 著者は、各種データを示しながら、「今」ほど最高の時代はないと述べます。さらに人類の生活レベルは地球規模でなお加速度的に向上しているというのです。その理由は、有史のある時点で、「交換」と「分業」が生まれたからです。そして、それによって、個々の知識が「累積」を始めたからです。


 本書の「プロローグ」の冒頭には、形も大きさもほぼ同じ二つの道具の写真が掲載されています。ひとつはコンピューターのコードレスマウスであり、もうひとつは50万年前の中石器時代のハンドアックス(石斧)です。著者は、「プロローグ」で次のように述べています。

 

 「人間の本質が変わったわけではない。ハンドアックスを握った手がマウスを握る手とそっくりの形をしていたのとちょうど同じで、人はこれまでずっと食べ物を探し、セックスをしたがり、子どもの世話をし、地位を求めて競い、痛みを避けてきたし、これからもずっとそうするだろう。それはほかのどんな動物とも同じだ。また、人類ならではの特質の多くも変化しない。地の果てまで出かけていこうと、歌や笑顔、口頭での意思伝達、性的パートナーをめぐる嫉妬、ユーモアのセンスに出くわすと思ってまちがいない。だが、そのどれ一つとしてチンパンジーには当てはまらないはずだ。もし時代をさかのぼれば、あなたはシェイクスピアやホメロス、孔子、ブッダのモチーフにいともたやすく共感できるだろう。もし私が三万二000年前に南フランスのショーヴェ洞窟の壁に見事なサイの絵を描いた人に出会ったなら、どこから見ても彼が心理的に人間の資格を完全に満たしていると感じるだろうということに疑問の余地はない。人間の生き方のじつに多くが不変なのだ」


 そう、本書では、まさに石器時代からグーグル時代に至るまでの人類の営みの歴史がダイナミックに描かれているのです。では、人間の生き方が不変であるにもかかわらず、文明が変化し、歴史が進化してきたのはなぜか。著者は、ローマ帝国、イタリア商人都市、江戸期日本、産業革命期英国、そして高度情報技術社会などを例に、経済、産業、進化、生物学などのさまざまな視点を縦横無尽に駆使して、大胆な仮説を提唱します。それは、「アイデアの交配」こそが歴史を動かしてきたということです。本書は、東西10万年を通じての人類史最大の謎である「文明を駆動するものは何か?」を解き明かす書なのです。その意味では、ジャレド・ダイヤモンドの世界的ベストセラー『銃・病原菌・鉄』の内容にも通じます。

 

 ちなみに、本書『繁栄』も英米ではベストセラーであり、フィナンシャル・タイムズ&ゴールドマン・サックス選ビジネスブック・オブ・ザ・イヤー2010候補作にもなっています。


 なぜ、「アイデアの交配」が歴史を動かしてきたのか。それは、生物におけるセックスの問題を見てみればよくわかります。生殖によって生物的進化は累積的なものとなります。単なる個体の遺伝子が引き合わされるからで、ある生き物の中で起きた突然変異は別の生き物の中で起きた突然変異と合流するのです。そして、それは文明あるいは文化においても同じことなのです。著者は次のように述べます。

 

 「文化が累積的になるには、アイデアが出会ってつがう必要があった。『アイデアの融合』というのは陳腐な表現だが、それには思いがけないほど多産な含意がある。『創造とは組み替えである』と言ったのは、分子生物学者のフランソワ・ジャコブだ。鉄道を発明した人と機関車を発明した人が出会うことも言葉を交わすことも、第三者を介して接触することさえもできなかったらどうなるか、想像してほしい。紙と印刷機、インターネットと携帯電話、石炭とタービン、銅と錫、車輪と鋼鉄、ソフトウェアとハードウェアといった組み合わせにしても同じだ。有史前のある時点で、大きな脳を持った文化的で学習能力がある人びとが、初めて物を交換し始め、それを契機に文化が急に累積的になり、人類の経済的『進歩』という、がむしゃらな実験が始まった」


 人間は、交換によって「分業」を発見しました。努力と才能を専門化させ、互いに利益を得るしくみを発見したのです。著者は、さらに述べます。

 

 「専門化は革新(イノベーション)を促した。道具製作用の道具を作るために時間を投資することを促したからだ。それが時間の節約につながった。そして繁栄とは端的に言うと節約された時間であり、節約される時間は分業に比例して増える。人間が消費者として多様化し、生産者として専門化し、その結果、多くを交換すればするほど、暮らし向きは良くなってきたし、これからも良くなるだろう。しかも、嬉しいことに、この進歩にはもうここまでという限界が定まっているわけではない」

 

 著者は、グローバルな分業が進めば進むほど、専門化と交換がさらに促され、みんなが豊かになるといいます。そして、その過程において、経済没落、人口爆発、気候変動、テロリズム、貧困、エイズ、うつ病、肥満といった数々の難問は解決できると主張するのです。驚くべき楽観的な考えですが、本書刊行から100年後の2110年、人類は今よりずっと良い境遇にあり、地球の生態系も良くなっていると断言します。


 著者の発想からは、かのアダム・スミスの「神の見えざる手」を連想してしまいます。そういえば、アダム・スミスはもともと倫理学者であり、主著『国富論』に先立って『道徳感情論』を著していますが、本書の著者リドレーの著書『徳の起源』は現代の『道徳感情論』と言えるかもしれません。しかしながら、リドレー自身は、スミスとの類似について次のように書いています。

 

 「私は1776年にアダム・スミスが述べたことを言い直しているだけだはないか、と批判する人もいるだろう。だが、彼がそう述べて以来、彼の洞察を変えたり、調整したり、拡大したり、それに異議を唱えたりするような出来事が数多く起きた。たとえばスミスは、自分が産業革命の初期に生きていることに気づいていなかった。一人の人間としてスミスの天才に肩を並べることなど望むべくもないが、私には一つだけ彼よりおおいに有利な点がある。私には彼の本を読むことができるのだ。彼自身の洞察は、彼の生きた時代以降、ほかの洞察とつがってきた」


 本書は人類の歴史を振り返る本であると同時に、人類の未来を語る本でもあります。本書に描かれているポジティブな明るい未来にふれて、わたしはある本のことを連想しました。その本とは、何を隠そう、わたしが書いた『ハートフル・ソサエティ』(三五館)です。同書の冒頭には、「ハートレス・ソサエティ」という章があります。

 

 現在における社会のネガティブな側面を見つめるものですが、同書は基本的にポジティブに未来をとらえるものとなっています。なぜなら、どんな社会予測の中にも著者の考え方が反映されており、まったく客観的なデータ予測のようなものはありえないからです。逆に、天気予報ではないのですから、社会予測には「このような社会にしたい」という著者の意志、あるいは希望が結局は不可欠なのだと思います。未来を語るとき、けっして「呪い」を語ってはなりません。語るべきは「祝い」です。それが、人類の良き未来を実現する「言祝ぎ」となるのです。

 

 わたしは人類の未来に対する大きな「希望」を心に抱いて、『ハートフル・ソサエティ』を書きました。おそらく、マット・リドレーの心の中にも人類の来るべき「繁栄」への祈りがあったのではないかと思います。