No.0339 ホラー・ファンタジー 『死国』 坂東眞砂子著(角川文庫)

2011.05.31

 『死国』坂東眞砂子著(角川文庫)を読みました。

 映画化もされた作品で、夏川結衣、筒井道隆、栗山千明などが出演しました。わたしは1999年に公開された映画(同時上映は「リング2」)を観ましたが、原作のほうは未読でした。それが、思うところあり、今年になって読んでみたのです。

 じつは、わたしは今年の2月に現代日本のホラー小説を固め読みしました。いちいち書評を書く必要もないと思って、そのまま読み流すつもりだったのですが、ある出版人から「そのうち、ホラー小説のブックガイドを書いてほしい」と言われ、備忘録の意味でも今のうちに書き残すことにしました。

 いろんな小説を読みましたが、最初に読んだのが『死国』でした。四国八十八ヶ所を逆に回れば、死者が生き返るという物語です。東京でイラストレーターとして活躍する比奈子は、20年ぶりに、故郷である高知の矢狗村を訪れます。

 そこで彼女は、幼馴染みだった莎代が18年前に事故死していたことを知りました。それだけではなく、莎代里の母親の照子が、亡き娘を黄泉の国から呼び戻すために禁断の”逆打ち”を行なっていたのを知った比奈子は愕然とします。照子は、四国八十八ヶ所の霊場を死者の歳の数だけ逆に巡ると死者が甦えると信じているのです。そんな中、比奈子は初恋の人だった文也と再会し、恋に落ちます。

 しかし、比奈子と文也の周囲で不可思議な現象が続発していきます。じつに見事な筆運びで、一気に読まされました。本書カバーの解説にも書かれているように、「日本人の土俗的感性を喚起する傑作伝奇ロマン」と呼べる1冊です。

 発表されてから時間がずいぶん経つ本書を読んだのには、2つほど理由がありました。

 1つめの理由としては、この小説が『ぼくらの頭脳の鍛え方~必読の教養書400冊』(文春新書)というブックガイドに登場するからです。

 同書は、「知の巨人」と呼ばれる立花隆氏と「知の怪物」と呼ばれる佐藤優氏の2人が、思いつくままに愛読書を紹介するという知的刺激に満ちた本です。2人とも、日本を代表する読書人ですが、その中で佐藤氏が泉鏡花の『夜叉ケ池・天守物語』(岩波文庫)をリストに入れており、「私が本当に好きなのは泉鏡花なんです」と述べています。わたしも大の鏡花ファンなので、佐藤氏の意見を嬉しく思いました。

 そして、佐藤氏は「現代作家では坂東眞砂子さんが、泉鏡花にすごく近いなと思っているんです」と述べ、『死国』をリストアップしていたのです。ちなみに、佐藤氏が現代作家で必読書に取り上げたのは『死国』と、先日亡くなったばかりの団鬼六の『花と蛇』(太田出版)の2冊だけでした。

 佐藤氏は『死国』について、「死者の年齢数だけ四国の八十八札所参りを逆打ち(通常の右回りではなく、左回りをすること)すると、黄泉から死者をこの世に呼び戻すことができるという。美少女が甦るとともに社会に混乱が起きる。天と水の表象を用いて黄泉の国の力をみごとに描き出している」と解説しています。

 もう1つの理由は、あの市橋達也被告が『死国』を読んでいたと知ったからです。

 そればかりか、市橋被告は英会話教師リンゼイ・アン・ホーカーさんに対して殺人と強姦致死の罪を犯した後、逃亡中に四国に向かい、『死国』の内容をヒントにリンゼイさんの供養をしたというのです。彼は「四国を何周もしていれば、生き返るのではないか」と思い、イヤホンでラジオを聴きながら四国八十八箇所を順回りに回りましたが、「どうやっても変わらない」と気づき、ようやく現実を認識したというのです。

 このことは、市橋被告の著者である『逮捕されるまで』(幻冬舎)にも書いてあります。

 ちなみに、わたしは公判の結果が出ていないにもかかわらず、このような殺人事件の告白本を出版したことは重大な問題であり、版元の社会的責任はきわめて大きいと思っています。2010年、幻冬舎という出版社は『葬式は、要らない』『逮捕されるまで』の2冊で世間を騒がせたわけです。

 なお、市橋容疑者は『死国』に触れたことがきっかけで、同じ版元の角川ホラー文庫を手当たり次第に読んでいた時期もあったそうです。印象に残っている書名として、日本ホラー小説大賞短編賞受賞作の曽根圭介『鼻』をはじめ、横山秀夫『半落ち』、東野圭吾『殺人の門』、天童荒太『悼む人』などの書名を挙げています。

 ともかく、以上のような理由で、わたしは『死国』を読んだわけです。著者の小説を読むのは初めてでしたが、非常に日本人の土着的な感性に根ざした本格的なホラーであると感じました。異界に半身を置いたまま書いているような妖気あふれる雰囲気は、佐藤優氏のいうように、まさに泉鏡花を連想させます。

 「四国八十八箇所を逆に回れば、死者が生き返る」というテーマですが、四国を時計回りに札所の数字を昇順に巡礼するのを「順打ち」、反時計回りに降順に巡礼するのを「逆打ち」といいます。第一番札所から巡礼を開始し、逆打ちする場合は、第三番札所金泉寺から大坂峠越えで、第八十八番札所大窪寺に向かうのが一般的だとか。

 この小説や映画で描かれているように、逆打ちは本当はタブーではありません。それどころか、順打ちよりも困難な場合が多いために、ご利益がより大きいとされています。

 逆打ちだと今なお順回りしている弘法大師と会える確率が高いため、順打ち3回分のご利益があるという説もあるそうです。閏年は順打ち・逆打ち共に2倍の利益があるとされることから、閏年の逆打ちは、じつに6倍の利益がある計算になるとか。

 日本人の「こころの風景」になっている四国遍路をホラーのテーマに選んだ点が画期的だともいえますが、その意味でも『高野聖』を書いた鏡花に通じているように思います。

 あと、ラストシーンの描写はまさにこの世の終わりをイメージさせました。まるで東日本大震災を連想させるほど、非常に黙示録的な印象を受けました。

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