No.0269 論語・儒教 『論語活学』 渡部昇一著(致知出版社)

2011.02.12

 『論語活学』渡部昇一著(致知出版社)を読みました。

 著者は、言うまでもなく現代日本を代表する”賢人”です。わたしは中学生のときに著者の大ベストセラー『知的生活の方法』(講談社現代新書)を読んで大きな影響を受けて以来、けっして少なくはない著書のほとんど全部を読んできました。

 わたしは、著者の渡部昇一先生には大変な恩義があります。

 2007年にPHP新書の書き下ろしが決定したのですが、テーマは「四大聖人」でした。

 なぜ過去形なのかというと、編集者との打ち合わせでさらに4人の聖人が追加され、なんと「八大聖人」になってしまったからです。

 言うまでもなく「四大聖人」とは、ブッダ、孔子、ソクラテス、イエスの4人です。

 現在では、ソクラテスではなく、ムハンマドを選ぶ人もいます。わたしは、ずっとこの「四大聖人」のセレクトは誰によるものかが気になって調べていました。

 わたしは「四大聖人」なるものを考案したのは日本人に違いないとにらんでいました。

 なぜなら、西洋思想を基礎づけるソクラテスとイエスの2人のみならず、東洋からブッダと孔子の2人を選んでいる点、しかも仏教と儒教の創始者を選んでいるところに日本人の匂いがプンプンしたからです。

 人選のバランス感覚が、実に日本人らしいと思いました。

 その後、西周、内村鑑三、和辻哲郎あたりが怪しいと思って調べたり、『明治文化史』とか『明治文化全集』『明治文学全集』、果ては『広文庫』や戦前の百科事典までくまなく探求しましたが、どうにも「四大聖人」の発明者が見つかりません。ネットもまったく役立ちません。行き詰まったわたしは、それ以上調べるアテもなく、途方に暮れていました。

 ところが、その頃のわたしは、PHP新書と同時に『面白いぞ人間学』(致知出版社)というブックガイドを書いていました。

 その本で取り上げる101冊のうち、渡部昇一先生の『新渡戸稲造の名著「修養」に学ぶ 運命を高めて生きる」』『「仕事」の達人の哲学 野間清治に学ぶ運命好転の法則』の2冊を読んでいたところ、とんでもない事実を発見しました。

 明治・大正期に大きな「修養」ブームが起こり、新渡戸稲造が大著『修養』を発表し、講談社の創始者である野間清治が『修養全集』全12巻を発刊しました。

 この『修養全集』に、四大聖人が登場しているのです。

 その第1巻は、いきなり釈迦、孔子、キリストの3人が仲良く語り合う「三聖図」(中村不折:画)の絵ではじまり、その後にソクラテスやマホメットも登場します。

 野間は、世界の宗教が平和に共生することを願って、この全集を出版したとか。

 そして、その目標としたところは、なんと石田梅石の「心学」だというのです。

 神道、仏教、儒教を等しく重んじ、それぞれの良い部分を自らの「心学」に取り入れた梅岩を野間は心から尊敬しており、講談社はもともと新時代の「心学」創造をめざしていたというのです。新渡戸も同様で、宗教の共存こそが「世界平和」につながるとして、心学を重視し、四大聖人をことあるごとにアピールしていたようです。

 もともと『武士道』に孔子はもちろん、ソクラテスやイエスまで登場することから、わたしも新渡戸稲造は候補者の1人としてはいたのですが、『修養』という本はまったく知りませんでした。「四大聖人」は、どうやら新渡戸&講談社が仕掛けた壮大な心のプロジェクトだった節があります。もともと釈迦、孔子、キリストの「三大聖人」があり、そこに後からソクラテスが加わったようです。

 渡部昇一先生と手紙で意見を交換させていただきましたが、先生は、とても親切に何度も手紙でアドバイスを下さいました。憧れの大先生との文通に感激しました。

 そして、わたしは『世界をつくった八大聖人』(PHP新書)を書き上げたのです。

 後に、「月下四聖図」を長野剛画伯に描いていただき、そのポストカードを渡部先生にお送りしたところ、先生から「野間清治の心学を受け継いでおられることに心より敬意を表します」とのお手紙を頂戴しました。非常に感動しました。

 本書『論語活学』の「あとがき」にも、孔子、釈迦、ソクラテスの3人が同時期にこの地上に生きていたことに触れ、渡部先生は次のように書かれています。

 「儒学、仏教、西洋哲学という今日の文明に生きている大思想のもとになった人たちの一人は黄河の下流に、一人はヒマラヤの山麓に、一人はギリシャ半島に生まれ、お互いに関係なく、生活していたのである。

 人智というものが突如として開ける奇跡的な時があるという驚くべき現象であった。しかもこの三人の間に交流はなく、まったく独自に出現したのである」

 さて、その世界四大聖人の1人である孔子の言行録が『論語』です。

 渡部先生は、『論語活学』の「プロローグ『論語』の思い出」で、『論語』という本の特長は読む年齢によって感銘する箇所が変わってくるところだと述べています。

 著者および読者の年齢というのは、じつは大切な要素です。

 渡部先生は、どんな名著であっても著者がその本を書いた年齢が若ければ、「いっていることが若いなあ」と感じるといいます。

 それは、実業家たちが尊重する中国古典の『菜根譚』や、漱石の最高傑作とされる『草枕』などを読んだ場合も同じだそうです。しかし、いつ読んでも感銘を受ける本というものがあり、その代表が『論語』だとか。渡部先生は次のように述べます。

 「ところが、いつ読んでも感心させられ、学ぶものがあるというのが、東洋の本でいうならば『論語』なのである。それはなぜかと考えると、『論語』は孔子が六十代も後半になって、政治に携わって腕を振るうのをついに諦めて故郷に帰り、教育を専門にしようとしたときに語った話が中心になって収められているからではないかと思う。つまり『論語』には人生の酸いも甘いも存分に味わった老人が弟子たちに語った話が集められているのである」

 さらに、渡部先生は次のようにも述べています。

 「驚くべきことは、何度『論語』を読んでも、『人生はそんなもんじゃない』『青臭いことを言っているな』という箇所がただの一つもないという点である。私は今度の誕生日を迎えると傘寿になるが、八十年生きてきた私が読んでも青臭いところがまったくないというのは恐るべきことだ。伊藤仁斎が『最上至極宇宙第一の書』といったのももっともだと思う」

 孔子は徹底して人間と関わり、社会を良くしようとした人でした。その姿勢は老子や荘子の思想とは一線を画します。

 言うまでもなく、中国の思想を大きく分ければ、「孔孟」すなわち儒家思想と「老荘」すなわち道家思想という2つの流れがあります。儒家が実社会に対して責任を負って立ち向かうという立場を棄てたことがないのに対し、道家は初めからそれを棄てて、善し悪しは別として隠者の立場で世の中を見ていこうとしました。

 渡部先生は、この2つの流れについて次のように述べています。

 「老子というのは戦争はしないし、政治には直接関わらないという立場をとる。しかも頭のいい人たちだったようで非常に鋭いところがあるが、実社会からは一歩下がったところにいた」

 「一方、孔子をはじめとする儒者たちには世の中を動かすために最も重要な政治を担おうという気概があった。『論語』とは、そのための教えなのである。ゆえに渋沢栄一のような日本の実業界をつくった人でも、手元から離さずに使えたわけである。渋沢栄一が『老子』を読んで日本の実業界をつくることは到底考えられないが、『論語』ならばそれができる。しかも、『論語』だからこそ、日本の実業界は短期間で欧米のレベルに近い商習慣を持つことができたと思うのである」

 本書には、『論語』の言葉についての渡部先生の卓越したコメントが満載ですが、ここでは3つだけご紹介したいと思います。まず、「君子は本を務む。本立ちて道生ず。孝弟やは、其れ仁の本と為すか」(学而第一)という言葉について。

 「孝弟やは、其れ仁の本と為すか」とは、親子関係、兄弟関係の重要性を強調したものですが、渡部先生は次のように述べています。

 「孔子は『親は大切にしましょう。兄弟仲良くしましょう』と簡単なことをいっているように見えるが、実はこれが社会生活を営むための本になるのだ。本当の道徳の本は親子関係と兄弟関係であり、ここが揺れていると何もかもうまく行かない。このことはあらゆる面で通用する重要な教えである」

 次に、「人として信無くんば、其の可なるを知らざるなり」(為政第二)という言葉について。言うまでもなく、「信用」というものが第一であるというのですが、世界的なベストセラー『歴史の終わり』を書いたフランシス・フクヤマは次に『Trust』(『「信」無くば立たず』とタイトルの本を書きました。フクヤマは、ソ連が解体して米ソ間の歴史論争問題がなくなったと同時にグローバル化が始まったことを指摘し、さらには、そこから「信」のない経済至上主義社会になったと批判しています。

 このフクヤマの発言を紹介した後で、渡部先生は次のように述べます。

 「日本でも『信』を非常に重んじた時代があった。たとえば明治維新後である。当時は、粗悪品を平気で作ったり売ったりするようないい加減な会社がたくさんあった。それを憂えた福澤諭吉などが中心になって実務教育を行った。そして士族出身で慶應大学系の人たちが実業界に多数入るようになり、日本の大会社は信用が高まることになったのである」

 「先の大戦で日本がさんざん悪口をいわれて負けたが、それにもかかわらず戦後の復興が目覚しかったのは、日本の商社を海外の商売相手が信用していたことが大きな理由であった」

 そして、「祭れば在すが如く、神を祭れば神在すが如し。子曰く、吾祭に与らざれば、祭らざるが如し」(八佾第三)という言葉について。

 祭りの礼について述べた言葉ですが、この祭りは先祖や神々を祭るということです。

 先祖をお祭りするときは、そこにご先祖さまがいるような気持ちで行う。

 神様をお祭りするときは、そこに神様がおられるような形式で祭る。

 孔子は、「そういう祭りに自分で実際に参加しないと、祭ったような気がしない」というのです。これに対して、渡部先生は次のように述べています。

 「子供の頃に神道の本を読んだとき、『この世の中は明るい部屋みたいなもので、神様は暗い外にいる。だから、こちら側からは神様の姿は全く見えないけれど、神様からこちら側はすべて見えている。これが神道である』という趣旨のことが書かれていた。そう考えると、神を祭るにしても、祭る人の生きざま自体が祈りみたいなものになる。だから、祭るときには、神様がそこにいるような気持ちにならなければ本当のお祭りとはいえない。これが先祖や神々を祭るときの基本的な態度ではないかと思うのである」

 渡部先生は、『論語』の言葉から、日本人の民族宗教である神道はもちろん、あらゆる宗教の祭り、ひいては「礼」というものの本質にまで触れています。

 まさに、これこそ「心学」の真髄ではないかと、わたしは感服いたしました。

 80歳になられた現代日本の賢人は、「不惑」も「知命」も「耳順」も超え、「おのれの欲するところに従って矩を踰えず」といった境地さえも通過しました。

 孔子が生きた72年の時間から更なる年月を経て世に問う本書こそは、まさに著者の人生のすべてが注ぎ込まれた渡部昇一版『論語』です。

 本書を読み、わたしも改めて『論語』の奥深さ、そして面白さを教えていただきました。

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