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論語講義(全7巻)』

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No.0219

 

 

 『論語講義』全7巻、渋沢栄一著(講談社学術文庫)を読みました。

 

 「日本資本主義の父」と呼ばれた渋沢栄一は『論語』を愛読し、その言葉を日常生活の基準とし、実業経営上の金科玉条としました。本書は、渋沢自身の波乱万丈な人生を語りながら、『論語』を解説した異色の「論語講義」です。


 『論語』は2500年の時を経て、日本を含めた東アジアのリーダーたちが読んできた、みんなから愛され、読み継がれてきた古典中の古典です。欧米の経営者やリーダーが何かあれば『聖書』を読んで心のよりどころにするように、日本人の体の中に染み付いているのです。そういう1冊があると心の支えになって、いかなる状況にも対応する心構えができます。

 

 『論語』という本は、日本国憲法と同じようにいろいろな読み方ができて、さまざまな解釈が可能です。そういった本こそグレートブック、偉大な本であると思います。昔から言い古されている言葉で、「無人島に1冊持って行くならどの本か?」という問いに、わたしは間違いなく『論語』と答えます。何度読んでもいいし、いろいろな解釈ができる本。読むたびに新しい発見があるし、違う味わいがあるから飽きず、新鮮だということです。


 世界の「四大聖人」の1人である孔子は紀元前551年に生まれました。ブッダとほぼ同時期で、ソクラテスより八十数年早い。孔子とその門人の言行録が『論語』です。『聖書』と並び、世界でもっとも有名な古典であり、日本において『論語』は最高にして最強の成功哲学書でした。

 

 『論語』を読み込んだ日本人といえば、徳川家康や渋沢栄一の2人が有名です。世界史上に燦然と輝く270年栄えた徳川幕府を開いた家康は、政治の世界における最高の成功者。500を超える一流企業を起こし、日本の資本主義そのものを創った渋沢栄一は、経済の世界における最高の成功者。

 

 日本の歴史で政治と経済のチャンピオンである2人がともに『論語』を愛読していたのは、けっして偶然ではありません。『論語』を読みこなしたからこそ、2人は最高の成功者となれたのだと思います。


 ピーター・ドラッカーは、GMをトップ企業に育てたアルフレッド・スローン、米陸軍参謀総長および国務長官を務めたジョージ・マーシャルとともに、自身に大きな影響を与えた人物として渋沢栄一の名をあげています。渋沢は幕末・明治を生き抜いた巨人で、なんと500以上の会社を設立した人物です。日本で始めて株式組織の会社を設立したのも彼です。株式会社とは、大勢の人間から資金を募り、株式を発行してつくられる会社のことである。当時は「株式会社」ではなく、「合本会社(ジョイント・ストック・カンパニー)」と呼ばれていました。まさに彼は、日本の資本主義そのものを作った人なのです。


 渋沢は武蔵国榛沢郡血洗島(現在の埼玉県深谷)に豪農の子として生まれています。実家は裕福であり、幕末には岡部藩から「藩御用達」を命ぜられました。「御用達」と言えば聞こえはよいものの、実態は税金以外に御用金と称する献金を藩からたかられるという損な役回りでした。血気盛んな渋沢は、たかりに我慢がならず、高崎城乗っ取りというクーデターを企てます。ところが仲間の意見がまとまらず、計画の段階で挫折してしまい、クーデターの首謀者として幕府に追われる身となりました。しかし、幸運にも、かつて面識のあった一橋家の用人に救われ、一橋慶喜の家来として仕えることになったのです。


 慶応2年(1866年)、14代将軍家茂が21歳の若さで亡くなると、当時、30歳の一橋慶喜が徳川宗家を継ぐことになり、15代将軍徳川慶喜となりました。翌年、慶喜の実弟で、後に最後の水戸藩主となる徳川昭武が、将軍慶喜の名代としてパリ万国博覧会に派遣されます。このとき、慶喜に仕えていた渋沢は、昭武のお供を命ぜられ、57日間かけてフランスへ渡ることになる。これが渋沢と「会社」の出会いをもたらすのです。

 

 スエズ運河で、フランスの会社が建設作業を行なっていました。それを見た渋沢は、大勢の人間からカネを集めて「会社という仕組み」をつくれば、個人ではできない大きな事業も運営できることを知ったのです。

 

 また渋沢は、パリで1人の銀行家に会います。そしてこの銀行家から「多くの人々から集めた資金を賢い経営者に貸し、大きな事業をさせれば、儲けた利益がみんなに還元される。結果として国も豊かになり栄える」という話を聞いて驚きました。

 

 事業を起こすためには会社が必要ですが、その会社に大きな仕事をさせるためには、みんなからカネを集めて会社に貸す「商業銀行」という仕組みが必要であることを教えられたのです。


 フランス滞在中に江戸幕府は滅びます。そこで渋沢は、明治元年(一八六八年)に帰国します。そこからは、まさに快刀乱麻の大活躍でした。

 

 第一国立銀行(現在の東京みずほ銀行)を起こしたのをはじめ、日本興業銀行、東京銀行(現在の東京三菱)、東京電力、東京ガス、王子製紙、石川島造船所、東京海上火災、東洋紡、清水建設、麒麟ビール、アサヒビール、サッポロビール、帝国ホテル、帝国劇場、東京商工会議所、東京証券取引所、聖路加国際病院、日本赤十字病院、一橋大学、日本女子大学、東京女学館など、おびただしい数の事業の創立に関わりました。91年の生涯にわたり、一説には、会社創業は500以上、その他の事業を含めると600以上と言われています。

 

 当時の日本には、教養の高い士族階級出身の失業者が溢れていましたが、仕事にありつくことができずにいました。彼らのためにも、とにかく渋沢は次々に仕事をつくったのです。もともと士族階級であった渋沢は33歳で民間人になります。役人のときに練っていた商業銀行の構想を現実化し、その直後、実質的なサラリーマン社長第1号になりました。


 彼は、「自分さえ儲かればよい」とする欧米の資本主義の欠陥を見抜いていました。だから「社会と調和する健全な資本主義社会をつくる」ことをめざしました。自分自身も財産を残そうとしなかったし、閨閥づくりにも無縁でした。第二次大戦後、渋澤家はGHQから財閥に指定されましたが、調べたところ財産がないことが判明して、後に解除されたほどです。

 

 青年時代、渋澤は役人が権力を笠に国民を苦しめている姿を見て、怒りを感じていました。やむなく4年ほど大蔵省で役人を務めましたが、その後の生涯を民間人として過ごしました。カネがあっても人材がいなければ経済は活発になりません。経済を発展させるためには、人材を育ててチャンスを与え、仕事を任せることが必要です。そのことを渋沢はよく理解していました。そして、それを実行しました。

 

 なぜ、実業家である渋沢が『論語』を読み込んだのか。それは、彼が会社を経営する上で最も必要なのは、倫理上の規範であると知っていたからです。彼は、第1巻の「論語総説」に次のように書いています。

 

 「そもそも会社を経紀するには、第一に必要なるはこれを経紀する人物の如何にあるのである。その当局者に相当の人物を得ざれば、その会社は必ず失敗に終るべし。明治の初めに政府の創設したる開拓会社とか為替会社とかいうものが、大抵倒壊したのはすなわちその適例である。ここにおいて余は銀行や会社を失敗なく成功せしむるには、その事に任ずる当局者をして、事実上または一身上恪循するに足る規矩準縄がなければならぬと考えたのである」


 ふつう、人は「規矩準縄」というものを宗教に求めるものです。しかし、渋沢栄一にはあいにく仏教やキリスト教の知識はなかったようで、次のように述べています。

 

 「余は仏教の知識なく耶蘇教に至ってはさらに知る所がない。そこで余が実業界に立ちて自ら守るべき規矩準縄はこれを仏・耶の二教に取ること能わず、しかも儒教ならば不十分ながら幼少の時より親しんできた関係があり、特に論語は日常身を持し世に処する方法を一々詳示せられておるを以て、これに依拠しさえすれば、人の人たる道に悖らず、万事無碍円通し、何事にても判断に苦しむ所があれば、論語の尺度を取ってこれを律すれば、必ず過ちを免るるに至らんと確く信じたり。我が邦には応神天皇の朝以来かかる尊き尺度が伝来しおるに、これを高閣に束ねて顧みず、範を他に覓めんとするは心得違いのことにあらずや。余はかく信じて論語の教訓を金科玉条とし、拳拳服膺してこれが実践躬行を怠らぬのである」


 渋沢は、本書で実業家として守るべき最重要教訓をあげています。『論語』の里仁篇に出てくる次の2つの言葉です。

 

 「冨と貴とはこれ人の欲する所なり。されどその道を以てせざればこれを得るもおらず。貧と賤とはこれ人の悪(にく)む所なり。されどその道を以てせざればこれを得るも去らず」

 

 財産と地位はどんな人でも欲しがるものだ。しかし当然の結果として得たものでなければ、守る価値はない。貧乏と下賤はどんな人でも嫌うものだ。しかし当然の結果として落ちぶれたのではないと思えるなら、無理にはい上がろうとしなくてもよい。

 

「利によって行えば怨み多し」

 

 行動が常に利益と結びついている人間は、人の恨みを買うばかりである。


 渋沢栄一の思想は、有名な「論語と算盤」という一言に集約されます。それは「道徳と経済の合一」であり、「義と利の両全」です。結局、めざすところは「人間尊重」そのものであり、人間のための経済、人間のための社会を求め続けた人生でした。

 

 特筆すべきは、あれほど多くの会社を興しながら財閥をつくろうとしなかったことです。後に三菱財閥をつくることになる岩崎弥太郎から協力して財閥をつくれば日本経済を牛耳ることができるであろうから手を組みたいと申し入れがありましたが、これを厳に断っています。利益は独占すべきではなく、広く世に分配すべきだと考えていたからです。


 そう、「利の元は義」なのです。自分の仕事に対する社会的責任を感じ、社会的必要性を信じることができれば、あとはどうやってその仕事を効率的にやるかを考え、利益を出せばよい。「論語と算盤」こそ、ハートフル・マネジメントを言い換えたものなのです。

 

 ドラッカーが渋沢栄一をこよなくリスペクトするのも当然だと言えるでしょう。そして、渋沢自身は孔子をこよなく尊敬していました。わたしの著書に『孔子とドラッカー』(三五館)という本がありますが、渋沢栄一こそは、まさに孔子とドラッカーをつなぐ偉大なミッシング・リンクでした。


 孔子 → 渋沢栄一 →  ドラッカー

 

 なお、本書は「渋沢論語」として、実業家を中心に長い間親しまれてきました。その人気の理由の一つに、渋沢が『論語』の各章に託して、自身のさまざまな体験談とともに実在の人物論を語っている点にありました。

 

 明治政財界の大立者であった渋沢が身近に接した人々、明治天皇、徳川慶喜、大久保利通、三条実美、伊藤博文、大隈重信らの生々しい人間性が描かれており、さらには西郷隆盛や坂本龍馬についても記述も見られます。

 

 それらの人物を語る渋沢の弁舌は歯に衣を着せず、まことに気持ちの良いものがあります。わたしは、本書を読みながら、なんだか勝海舟の『氷川清話』を読んでいるような気分になりました。読み物としても、大変面白い本です。