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賀川豊彦から見た現代』

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No.0173

 

 賀川豊彦から見た現代』賀川豊彦記念講座委員会編(教文館)を読みました。

 

 本書の初版が刊行されたのは1999年です。88年に賀川豊彦生誕100年を記念して行われたいくつかの講演およびその後の10年の間に行われた賀川記念講演を収めた本です。


 これまで、『死線を越えて』『一粒の麦』など、賀川豊彦の著書について書評を書いてきました。「なぜ、現代日本人は賀川豊彦を忘れたのか」ということを不思議に思っていましたが、本書の「まえがき」を読んでようやく納得できました。

 

 東京大学名誉教授で経済学者の隅谷三喜男氏が、賀川豊彦がその多面性と独自性のゆえに、時に軌道を、特に理論的分野で外れることがあった点に触れ、それゆえ無視されたのではないかと推測しています。住谷氏は、さらに次のように書いているのです。

 

 「無視される所があるのはよいとして、非難される点も出現した。それは部落問題についての賀川理論である。賀川は前述したように神戸のスラムに入りこんだが、そこには『部落』関係の人も少なくなかった。そこで彼は彼流になぜ『部落』の人々がスラムに多いのか、どういう背景をもつのかというような問題を、当時の有力な説などを参照しながら論理を形成し、『貧民心理の研究』などの中に展開し、発言したのである。当時の有力な説から見た、彼の議論が特別に差別的とは言えないと思うが、彼の言説は社会的に影響力が大きかった。しかも戦後、部落解放運動が活発に展開し、研究も急速に進展している中で、『賀川豊彦全集』が刊行され、賀川の部落問題をめぐる言論が原型のままで特別の注記もなく刊行されたので、大きな差別問題として取り上げられ、批判されることとなった。それは確かに賀川の言論が時にもつ欠陥であり、経済理論の欠陥などとは異質の問題で、その関係者に大きな社会的・精神的打撃を与えることとなった。このことを我々賀川に関心をもつ者は謙虚に受け止めたいと思う」


 さて本書には、全部で10名の人々が賀川豊彦について語っています。その中には、ノーベル文学賞作家である大江健三郎氏もいます。賀川豊彦自身はノーベル文学賞に2回ノミネートされながらも受賞できなかったわけですが、受賞した大江氏は次のように書いています。

 

 「私は母が読んで良いと言った『死線を越えて』を読みまして、なんて面白い小説だろうと思いました。やがて、自分も小説を書くようになって、『死線を越えて』のように、あんなに多くの読者を得ることができないのはなぜだろうかと考えてみました」

 

 また、元・国連大学副学長で国際関係学者の武者小路公秀氏の「人間性の探求としての平和」を興味深く読みました。

 

 「平和に人間が生きることができるような、そういう社会、そういう世界をつくるのにはどうしたらいいのだろうか、というような観点から平和のことを考えますと、どうしても賀川先生の実績を無視することはできない」という武者小路氏は、賀川豊彦が関わった生活協同組合と世界連邦という二つの運動の共通点に注目し、次のように述べます。

 

 「生活協同組合という考え方と世界連邦という考え方は、どちらも上から強い力でみんなをまとめていこうというのではなくて、下から生産者が自分たちの力を持ち寄って、自分たちの力を合わせて、そして自分たちのお金を集めて、一緒に、自分たちで自分たちの生活を向上させていく、これが基盤になりまして、国ができ、その国も世界政府というものが一つあるのではなくて、国が集まって、また連邦をつくって世界を良くしていこうというものです。そういう世界連邦の運動というものは、まさにこのような『小さい者』の協力をもとにした新しい世界をつくろう、平和に生きることのできる世界というのは、そういうふうに『小さい者』が自分たちの力を合わせて、そしてその努力が次第に積み重なって、だんだん全体の輪を広げて、そして世界全体を、世界連邦として、平和につくり上げていく、そういうことが、平和な世界、平和に生きることができる世界ということではないかと思います」


 武者小路公秀氏の叔父は、かの武者小路実篤です。「新しき村」という一種のユートピア運動を展開した白樺派の作家ですね。しかし公秀氏は、叔父がめざした理想社会と賀川豊彦がめざした理想社会は根本的に違うものとしてとらえ、次のように述べます。

 

 「私のおじの武者小路実篤にもそういう社会の外に理想社会みたいな共同体をつくる、というような動きがありました。それはそれとして、別に悪いことではありませんけれども、社会の実践としては限界があります。それはあくまでも、小さな、数の限られた人たちだけが、自分たちでつくる実験的な社会です。やはり賀川先生のおっしゃったように、広い形での労働組合、農民組合などをつくり出すこと、あるいは生活協同組合をつくり出すこと、そういう運動が非常に大事になってまいります」

 

 ちなみに、武者小路実篤という人は個人としては最も多くの数の本を書いたとされる作家で、実践思想家でもありました。今年は彼が創設した白樺派が誕生してから、ちょうど100周年に当たります。そして、武者小路実篤と賀川豊彦は、ともにロシアの文豪トルストイを深く尊敬するという共通点がありました。


 『戦争と平和』などの名作で知られるトルストイはキリスト教の信仰をベースとし、「隣人愛」の実践をめざした人でした。いわば賀川豊彦の先達ですが、理想社会をつくるためには、「隣人愛」あるいは「隣人」がキーワードとなることは言うまでもありません。武者小路公秀氏も「隣人」という言葉に着目し、次のように述べています。

 

 「その意味で、隣人というものを、私たちがどういうふうにしてお互いに認め合うか、というところに、やはり賀川先生の実践に戻ることになると思います。『最も小さい者』への思いやり、そして自分と違っていても一緒に、心は通い合う、助け合う、そういう実践と申しますか、人間と人間のつき合いというものを何とかつくり出さなくてはいけないのではないかと思います。今は、むしろそうではなくて、仲間だから仲よくしよう、という発想が通用しています。日本の経営というものがうまくいっているのは、みんな仲よく仕事をしているからだということを言われますし、それはたしかにいい面がありますけれども、逆に実際に仕事をしているのは仲間内だからそうなんで、仲間の外の者が入って来ると、ちっとも歓迎しない、それはまさにサマリヤ人のたとえの正反対のたとえのレビ人です。私たちは、日本の社会全体が丸ごとそういう形になってしまっているのではないかと思います。日本独特の子供のいじめの場合につきましても、違った子供がいるといじめる材料にするということで、みんないじめる。いじめられないためにはみんなと同じにならなければならない、そういう形です。つまり違った者同士が隣人であるというサマリヤ人のたとえを、なんとか日本の諸運動の中に、あるいは生活の中に入れていく、そういうことが必要なのではないかと思います」


 「隣人愛」の実践ということで参考になったのが、パルモア病院名誉院長で94年に逝去した故・三宅廉氏の「いと小さき者と賀川豊彦」で、次のように述べられています。

 

 「キェルケゴールという人がおりますが、彼は『すべて人を尊敬する気持にならなかったら駄目だ、見下げたら駄目だ、人を尊敬する気持ちになれ』と言っています。賀川先生は、この地域にもいい人がおるに違いないと思って、非常に尊敬の眼をもって見たんでしょうね。そういうことで、私は非常に打たれます。たとえば、非常に身をくずした人もおるんですね。ところが彼は、その人を最後までフォローアップした。追求してそれがどんな人になるだろうと絶えず追い求めた。キリストが一匹の羊を追う、というように、迷える一匹の羊を彼は追った。私も自分の病院で、15歳まで子供を追う。やはり子供は産まれた時だけではなく、その子がどんな大人になって、どんな結婚をするか、というところまで見ないと、これは本当にその人を愛したのではない。賀川先生は、芸者に売られた女性は将来どうなるだろうと、絶えず追い求めて、そして帰って来た時、とても喜んだということです。放蕩息子のキリストのたとえ話にありますように、非常に喜んだということが賀川先生の日記に書いてあります。絶えず追い求めるということの大切さ、これがやはり信仰の実践だと思います。わたしがヒントを得たのは実はそれでした」


 本書には、もう一人、病院の名誉院長が登場します。聖路加国際病院の理事長で名誉院長の日野原重明氏です。つい先日もわたしどもの松柏園ホテルにお越しになられた日野原氏は、今や高齢大国ニッポンのシンボル的存在として知られています。その日野原氏は、「いま賀川先生が再現されたら何を語るか」で、次のように述べています。

 

 「賀川先生がもしここに現れたら、『君たちはいったい何をしているのか。ほんとに私のエッセンスを伝えてくれているのか。あるいはそれを修正しているのか』と言われるでありましょう。私たちが質問を先生から受けるとまごつくようなシャープな質問をされるには違いないとは思っておりますが、賀川先生のような方が今後日本に何人出るかということを考えますと、暗澹とした思いがするのは私一人だけではないと思われます。トヨヒコ・カガワという名前は20カ国ちかい言葉に訳されたいろんな書籍によってよく知られております。また、先生の講演はたいへん印象深いものでした。そして何よりも大切なことは『実践』があったということです。その実践をすることができるような人は、はたして日本にこれから現れるのでしょうか」


 日野原氏は「老いの豊かさ」というものを提唱し、さらには自ら実践されている方ですが、賀川豊彦の影響をこれほどまでに受けているとは知りませんでした。特に「実践」というものに対する思い入れを強く感じます。日野原氏は、さらに述べます。

 

 「私たちが先生から学ばなければならないことは、とにかく先生の思想がいつも実践に結びついているということです。弱い者、悲しむ者と共に悲しみ、生活をするという実践生活があったということのために、先生の発言は重いものとなり、貴いものともなったと言えるわけで、そういうような実践者は、なかなか新しい時代には現れて来ないであろうということを、私は憂うのであります」

 

 賀川豊彦こそは、「聖人」として並び称せられたガンディーやシュバイツァー、さらにはマザー・テレサ、そしてイエス・キリストと同じ意味での実践者だったと思います。3度もノミネートされながらノーベル平和賞を受賞しなかったことが、返す返すも残念です。

 

 それにしても、作家としてのDNAが大江健三郎に、実践者としてのDNAが日野原重明に受け継がれた可能性を考えたとき、賀川豊彦という巨人の偉大さを今さらながらに思い知った次第です。