No.2240 宗教・精神世界 『なぜ「救い」を求めるのか』 島薗進著(NHK出版)

2023.05.21

『なぜ「救い」を求めるのか』島薗進著(NHK出版)を読みました。著者から献本された一冊ですが、非常に面白くて出張中の飛行機の中で一気に読了しました。

本書の帯

 帯には「『救い』を手がかりに、『宗教とは何か』を考えよう。」「キリスト教、仏教、イスラームの文明史をたどることで、宗教に内在する『救い』の実像が見えてくる! 現代においても変わらず求められる宗教の”核心”を学ぶ」と書かれています。

本書の帯の裏

 帯の裏には、「『救い』を掲げる宗教の本質的なメッセージは『すべての人に関わる』ことであり、実際にそれだけの広がりをもっています。ですから、人類の精神文化というものを考える上で、哲学・学術や文学・芸術だけでなく、宗教について、またその核心にある『救い』について考えることが欠かせません。――『はじめに』」と書かれています。

 アマゾンの内容紹介には、「日本の宗教研究の第一人者が、宗教という営みの”核心”を明らかにする! アンデルセンや宮沢賢治の物語をはじめ、文学や芸術における『救い』というテーマは、昔も今も人の心を打つ。この『救い』の教えは、キリスト教、仏教、イスラームなど世界中の宗教において教義の中心となってきた(そのような宗教を「救済宗教」と言う)。なぜ、宗教では『救い』が重要とされ、普遍的な教えとなってきたのか。一方で、先進国、特に日本では、宗教への信頼が揺らいでいる。しかし、そんな現代社会においても、従来とは形を変えながら求められる”宗教性”があるのではないか。宗教の起源から現在にまで通じるこのような問いに、救済宗教と文明の歴史をたどることで理解と考えを深め、宗教という営みそのものの核心に迫る」とあります。

 本書の「目次」は、以下の構成になっています。
「はじめに」
第1章 信仰を求めない「救い」

    ――文芸が表現する
       救済宗教的なもの

第2章 「救い」に導かれた人類社会

    ――歴史のなかの救済宗教

第3章 なぜ「救い」なのか

    ――文明史に救済宗教を

      位置づける

第4章 「救い」のゆくえ

    ――「救済宗教以後」を問う

「はじめに」には、宗教とは何かを考えるときに1つの手がかりになるのが「救い」という言葉であるとして、著者は「『宗教によって救われた』と自覚する人は世界中にたくさんいますし、『人を救う』ことこそ宗教の本領だと考える人も多いと思います」と述べながらも、一方で、「『救い』という言葉から受け取るイメージは、人によってかなり異なることも事実であると指摘します。

「救い」と聞いて、”カルト”的なものを連想してとっさに「危ない」と思う人もいれば、『「救い」ということを深く理解できないと、宗教の本質はわからない』と捉える人もいます。このように、「救い」には何かあやうい面と、非常に大切な深い面の両方があるのではないかと思う著者は、「人にとってどちらを取るかはそれぞれだとしても、そのいずれもが『救い』であることには変わりない。宗教が掲げる「救い」には、このような両面性が含み込まれているといえます」と述べています。

 人類史、とりわけ世界の諸文明が成立して以来の歴史(文明史)にとって大きな役割を果たしてきたと考えられる「救い」ですが、具体的に見ると、すべての宗教において「救い」が重視されてきたわけではないと指摘し、著者は「宗教のなかには『救い』を主題とする宗教とそうではない宗教があり、ある時代以降の人類史においては前者が強い影響力をもってきた、といえるでしょう。宗教学という学問分野では、『救い』を重視する宗教を『救済宗教』と呼んでいます。その代表は、世界の三大宗教としても知られるキリスト教、仏教、イスラームです」と述べます。

 本書の課題は2つあるといい。1つは、なぜ「救い」がかくも重要だったのか、いまも重要であり続けているのかを理解するということ。著者は、「『救い』が重要であることの前提には、『人間は救われる必要がある』という認識があります。つまり、ここでは人間が救われていない状態、すなわち苦難、悪、死など、人間が深く悩まざるを得ないネガティブな領域が強く意識されている。そのことをどう理解するか」と述べます。もう1つは、「救い」や救済宗教が、現代に生きる私たちとどのような位置関係にあるのかを考えるということ。著者は、「救済宗教を理解するためには、『救済を重視しない宗教(たとえば自然宗教)』と比べるという方法があります。また、一般的に宗教の範疇には含まれませんが、人類を幸せにするものとして多くの人が共有する思想(儒教、哲学、マルクス主義など)との比較で理解するという方法もあるでしょう」と述べています。

100文字でわかる世界の宗教』(ベスト新書)

「世俗化」が進むあいだに、宗教への無関心、さらには宗教軽視の態度が養われ、そこから脱却できないでいます。しかしいま、新しいかたちでの「宗教の学び」が求められているという著者は、「それは、特定の宗教の教えについて知識を深める、あるいは体得していくというタイプの学びではなく、宗教とは何かについて知る、すなわち『宗教リテラシー』を身につけるというタイプの学びです。その際、長い歴史と世界的な広がりをもつ救済宗教について考えることは、1つの有効な手がかりになると考えます。現代の私たちの自己理解との関係で救済宗教を捉える。本書ではそのような視点に立って、救いの信仰(とその後)について考えてみたいと思います」と述べるのでした。

 第1章「信仰を求めない『救い』――文芸が表現する救済宗教的なもの」の「『救い』の物語を読む」では、ハンス・クリスチャン・アンデルセンが取り上げられます。アンデルセンは、創作童話というジャンルを開拓し、その後の児童文学に大きな影響を与えた人です。デンマークのオーデンセという町で、靴職人の家に生まれたアンデルセンは、はじめは大人向けの小説などを書いていましたが、やがて児童文学の領域に入っていきます。その頃の児童文学でよく読まれていたのは「昔話」です。

 昔話の代表といえるのが、グリム兄弟がドイツに古くから伝わる昔話を集め、当時の人が楽しく読めるように編んで出版した『グリム童話集』です。一方、アンデルセンが取り組んだのは、新たに物語をつくる「創作童話」でした。その背景には彼の宗教への強い関心があったことを指摘し、著者は「アンデルセンはキリスト教の信仰を大切にした人ですが、当時、キリスト教が少しずつ人の心から離れていっていることも自覚していました。キリスト教のなかにある大事なものを自分なりに伝えたい、そんな思いで物語をつくっていたのではないかと思います」と述べています。アンデルセンの代表作の1つに「マッチ売りの少女」があります。

「見えないものを見て、死を超える」では、「マッチ売りの少女」この物語を読む読者が、少女は「救われた」と感じるのはなぜか。1つは、「苦しみと孤独と死を超える」さまが描かれているからであるとして、著者は「現実の世界とその向こう側にある世界がつながっているというのは、児童文学やファンタジーが得意とする設定ですが、この物語でも、現実世界での死と、その向こう側にある光に満ちた世界とが描かれています。少女はつらい現実世界を超えていったと感じるのです」と述べています。

 もう1つは、「目に見えないものが見えている」様子が描かれているからだとして、著者は「ストーブ、クリスマスツリー、そしておばあさん――少女は、現実世界では見えないはずのさまざまな幻を見ました。他の人には決して見えない尊いものに触れることで、苦しみと孤独と死を超えていったのです。その少女の物語を通して、読み手の側も、この世的なもの・現実的なものの向こう側にある”何か”に接することができる。そこに私たちは心を動かされるのでしょう」と述べます。

「宮沢賢治『よだかの星』」では、宮沢賢治(1896~1933)が取り上げられます。彼はアンデルセンのおよそ100年あとの時代の人で、同じく童話を数多く遺した作家です。生前に発表した本は2冊だけでしたが、37歳で亡くなったあとたくさんの未発表作品が発見されました。多くの人たちがそれに心惹かれ、その人気はいまも続いています。著者は、「宮沢賢治は熱心な仏教徒で、『法華経(妙法蓮華経)』という大乗仏教のお経をとりわけ尊んでいました。そのため彼の作品には、宗教的な考え方や感じ方が込められているものが多くあります。自分の仏教の信仰は物語を通してこそ伝えられる。こうした彼の考えには、同じような思いで創作に取り組んだアンデルセンの影響もあったようです」と述べます。

「弱きものが死を超えて光になる」では、「よだかの星」が「マッチ売りの少女」とよく似ている理由を著者が説明します。著者は、「非常に弱い立場にある主人公が、最後に彼方の光源に達し、究極のやすらぎを得るということです。このようなプロットは、『救い』――仏教的には『解脱』といった方がいいかもしれません――を願うことが信仰の核にある、という宗教的な世界観が背景になっていると考えられます。ただ、これも『マッチ売りの少女』と同様で、そのような信仰をもっていなくても十分に共感できるのではないかと思います」と述べるのでした。

「共同体の救いという宗教性」では、宮沢賢治は、伝統的な仏教と現代の科学が融合することによってこそ、本当の「救い」が得られるという考えをもっていたことが指摘されます。代表作「銀河鉄道の夜」などのなかで、彼はそれを「ほうたうのさいはひ」と呼んでいますが、「グスコーブドリの伝記」においても、そうしたものが目指されているのです。また、最後に自分が犠牲になって人々を救うという物語構成は、釈迦(ゴータマ・シッダールタ)の前世を描くインドの説話集『ジャータカ』を思わせるところもあるといいます。

 著者は「『ジャータカ』は、釈迦がこの世に生まれる前、菩薩としてさまざまな善行を行ったことを語る物語です。菩薩とは、悟りを求め、人々を救うための修行者ですが、『ジャータカ』ではしばしばわが身を顧みずに善行を施す修行者の姿が描かれます。人を救うために自分が犠牲になるような人生を送った人こそが後に釈迦に生まれ変わったのだとされ、そのような生き方への畏敬の念を育んできました」と説明します。

「金子みすゞの童謡」では、金子みすゞ(1903~30)が取り上げられます。宮沢賢治が生きた大正時代、日本には「童謡」という新しいジャンルの児童文学が生まれました。『赤い鳥』や『金の船』といった雑誌が創刊され、当時の文学者や詩人、また全国の投稿詩人たちが作品を寄せ、作品にはメロディが付けられて歌にもなり、大変な人気を集めました。著者は、「童謡は子どものための文学というかたちを取りながら、大人の心にもスッと入っていく抒情表現のジャンルです。興味深いことに、童謡には悲しい歌が多い。また夕方の歌が多いのも特徴です」と指摘しています。

 童謡ではしばしば「家に帰る」場面が歌われるとして、著者は「『七つの子』(野口雨情作詞)、『夕焼け小焼け』(中村雨紅作詞)、『赤とんぼ』(三木露風作詞)の歌詞を思い出してください。文字通り夕方になって家に帰るということでもありますが、そこには故郷に帰ること、あるいはそこに帰れない寂しさ、身近な人たちが遠くへ行ってしまった悲しさなど、望郷・喪失といったテーマが重ね合わされています。それが『魂のふるさとに帰る』というところまでいくと、救いの信仰に似てきます」と述べています。その童謡において、宗教的なモチーフを深く感じさせる作品を遺したのが金子みすゞでした。

 金子みすゞには、仏教的な世界観とのつながりを感じさせる「燈籠ながし」という童謡があります。
昨夜流した

燈籠は、

ゆれて流れて

どこへ行た


西へ、西へと

かぎりなく、

海とお空の

さかいまで。
 

ああ、きょうの、

西のおそらの

あかいこと。

 燈籠を流すということは、おそらくお盆の行事であろうと推測する著者は、「金子みすゞが育った山口県の日本海側の町で、海に燈籠を流すと西へ流れていくことが描かれています。そのゆくえを探すように西の海を見ると、日が沈むのも見えるのでしょう。浄土信仰では、西に沈む太陽を見て西方の極楽浄土を思い浮かべる日想観という仏事がありますが、それを思わせるところがあります」と述べています。著者は「童謡には夕方の歌が多い」と指摘しましたが、この作品でも西の空が赤くなる夕方が歌われています。「あたたかなぬくもりがある家に帰るというやすらぎを歌う一方、そこには行けない、自分はそのぬくもりから遠く隔たっているという孤独感と悲しみをかきたてもする。童謡にはこの対照が見られるものが多いのですが、これも遠くにある極楽浄土を思う浄土信仰につながっているのかもしれません」と、著者は述べます。

 金子みすゞの「花のたましひ」という詩には、「なきがら」という言葉が登場します。この言葉からは悲しみが喚起され、死とその向こう側を感じさせます。著者は、「人のために何者かが犠牲になるという救済宗教の教え――キリスト教の『愛』、仏教の『慈悲』――につながるようなことを、何ほどか感じさせるものではないかとも思います。金子みすゞは大正末期に彗星のように登場し、昭和のはじめにこの世を去りました。しかしその詩は、昭和の終わりに復活して人々の心に響くようになり、いまなお多くの人の心をなぐさめています。彼女の作品は、私たちが失ってきた『救い』の信仰に通じるものを、童謡という別のかたちで表しています。金子みすゞの童謡がいまも根強く愛されていることは、『救い』が宗教を超えて人の心に訴える力をもっていることをよく表しているといえるでしょう」と述べるのでした。

「『アメイジング・グレイス』の力」では、日本の童謡からはなれて、欧米の歌の世界が紹介されます。著者は、「いま世界で最も人気がある歌といったら何でしょうか。その答えは簡単には出ないと思いますが、『アメイジング・グレイス(Amazing Grace)』はその1つではないでしょうか」と述べます。現在、世界中で歌われるゴスペルとして人気を誇る「アメイジング・グレイス」ですが、その詞を書いたのはジョン・ニュートン(1725~1807)というイギリス人です。彼の母親は熱心なクリスチャンでしたが、彼が6歳のときに亡くなり、以来、ジョン・ニュートン自身は信仰をもたずに生きていました。海軍兵士として勤めた後、彼は奴隷商人になります。22歳のとき、乗っていた船が暴風雨で難破しかけ、神に祈ったところ奇跡的に遭難を免れたことで、回心(神の教えに立ち返る信仰体験、いわば”生まれ変わり”)を経験します。

 30歳で奴隷貿易の仕事を辞めたニュートンは、キリスト教の信仰覚醒運動を起こしたジョン・ウェスレーらとロンドンで出会い、その影響で牧師になることを目指します。ウェスレーらの「メソディズム」は、信じる者の心に聖霊が直接的に働きかけることを重視するなど、民衆の体感的な信仰心を育むような側面を持ち、アメリカでさらに大きく展開しました。牧師になったジョン・ニュートンは、1779年に讃美歌集を作りますが、そこに収められていたのが「アメイジング・グレイス」でした。この頃から彼は、かつては自らも従事していた奴隷貿易の廃止運動に積極的に関わるようになります。これが、アフリカ系アメリカ人によって「アメイジング・グレイス」が好まれた1つの理由になっていると思われます。彼が82歳で亡くなる直前、イギリスでは奴隷貿易が廃止されました。

「僕が君を支えよう――『明日に架ける橋』」では、アメリカのフォーク・デュオ、サイモン&ガーファンクルの「明日に架ける橋(Bridge Over Troubled Water)」が取り上げられます。この歌は1970年に発表され、世界中で大ヒットしました。はっきりと宗教的な「救い」を描いている歌ではありませんが、実はこの歌も、宗教的な思想に根差したゴスペルに影響を受けているといいます。著者は、「この歌は、とてもつらい状況にある愛する人を自分が犠牲になって助けるという歌です。こうした『あなた』に語りかける歌には、最愛の人への語りかけと、神への語りかけが、交じり合っているようなところがあります。人間同士の愛が、ある度合いを超えると神への祈りに通じるものになる。『明日に架ける橋』は、神からの語りかけのように聞くこともできる歌のひとつだといえます」と述べます。

「いまも支持される『救い』の表現」では、現代の世界で、そして日本で広く愛好される歌の詞にも、かつて宗教がもっていた「救い」の理念が見られるとして、著者は「それは人間の痛みや苦しみを強く意識し、その向こう側のやすらぎを思い描くという心性に合致しています。人間の弱さこそが『救い』を願う心の背後にあるもののようにも思えます。しかしまた、この世の現実においてはなかなか得られない、十全な心の自由や倫理的な理想に向かう心の羽ばたきを鼓舞するものでもあります。つまり『救い』は、慈愛や謙虚さなどの精神的な価値の高みやいのちの尊さの体得につながる理念でもあるのです」と述べます。

 そして、著者は「ここまで見てきた物語や詩歌が生まれた18世紀から現代にかけての時代は、キリスト教や仏教などの伝統的な宗教の力が後退していった時期と重なっています。しかし、それらの宗教が核とした『救い』の理念、あるいはそうした宗教のなかで培われた『死を超え、悪を超える』ことへの想像力は、これらの物語や詩歌のなかに生き続け、現代の私たちの心に届くものになっています。物語や詩歌以外にも、小説、映画、アニメ、漫画などさまざまなジャンルにおいて、宗教的なテーマや『救い』の主題、あるいはその変奏を含んだ作品が人気を博しています」と述べるのでした。これを読んだわたしは、 ブログ「新世紀エヴァンゲリオン」で紹介した、著者が愛してやまないアニメの名作を連想しました。

 第2章 「『救い』に導かれた人類社会――歴史のなかの救済宗教」の「『創唱宗教』と『自然宗教』」では、ベストセラーになった阿満利麿著『日本人はなぜ無宗教なのか』(ちくま新書、1996年)を取り上げ、日本人の宗教心について考える場合、「創唱宗教」をモデルにすると宗教には縁遠いということになるが、「自然宗教」との関係で考えると、決して宗教への親しみは少ないとはいえないという考えを紹介します。「死を超える」では、「死を超える」という意味での「救い」について、著者は「『他界』と『死後審判』の存在への信仰が救済宗教には広く見られます。限りあるいのちを超えたいのちに参与する。死の向こう側にさらに永遠のいのちの世界があり、そこにおいてこそ救いが達成される。さらに、死後に救われるかどいうかの審判がある場合も多い。審判があるということは、そこで『救われない』と判断される場合も想定されており、『地獄』のような、永遠の苦しみという観念を伴っています。死後審判という観念はゾロアスター教に由来するといわれています」と述べています。

「他界観の諸相」では、救済宗教以前の自然宗教にも「死を超える」という要素がないわけではないことを指摘し、著者は「死者や先祖を尊ぶために儀礼を行う信仰は、無文字文化の時代からありました。日本でも他界の存在への信仰は仏教の到来以前からありました。地下の他界、海の彼方の他界、山中の他界に関わる話は、『古事記』や『日本書紀』にも見られますし、『竹取物語』や浦島太郎のような物語、各地の神社の縁起、琉球やアイヌも含めた各地の民間伝承のなかにも見られます。これに対して『救い』の信仰と結びついた他界観は、この世の限界を超えた高次のいのちと結びついたもので、あらゆる『悪』から解放された他界が想定されています。また、この世での罪を負って永遠の苦しみを被る他界も同時に想定される場合が多い。『地獄』とは『救いのない世界』ともいえるでしょう。キリスト教、仏教、イスラームのいずれもで地獄の観念が大きな役割を果たしました」と述べます。

「天国」と「地獄」がよくわかる本』(PHP文庫)

「普遍主義」では、「救い」の信仰は、すべての人の尊厳と、どんな人をも排除しない態度を促すという側面をもっているとして、著者は「それは、血縁・地縁等の近さ・遠さで人を差別しないだけではなく、仲間と外部者、強さ・弱さでも差別をしない、どのような人をも同じ『個人』、同じ『人間』として遇することを求めるということです。人と人とが敵味方で争う、それぞれ仲間の利益を主張し対立し、暴力にも至るという社会のあり方に対して、それとは異なる「あるべき個人同士の関係」を求めます。これはどんな人をも差別・排除することなく、「個人」「人間」として尊ぶという姿勢につながるもので、普遍主義的な倫理といえます。新たな倫理性によって、親族関係や民族や国家の枠を超えて、人々の新たな交わりのあり方を促すものです。それはまた、他者に積極的に働きかけて、真理を広めていくという姿勢を伴います。ところが一方で、これが「救い」の宗教の攻撃性や拡張主義にもつながります。差別・排除を否定するはずの「救い」の宗教ですが、「救い」を受け入れないものを蔑視したり、抑圧したりする姿勢を強める働きが生じるのです」と述べています。

「精神文化によって武力統合を支える」では、著者はいま、救済宗教の本質的な力を、「神への信仰」など宗教側が自ら真理と考えるものではなく、歴史や社会構造から生まれたものとして説明をしていることを明かします。このような「宗教の説明」は、救済宗教を信仰する人にとってはあまり好まれない考え方だそうですが、政治的支配や経済構造の変化を実証的に説明していく現在の学問的世界史の理解からいえば、否定することはできないと思うというわけです。「力の支配のオルタナティブとして」では、救済宗教が力をもち続けてきたもう1つの理由として、階級社会の成立が指摘されます。軍事力をもった国家と文字文化をあやつるエリート層が、多数の農民等の生産者や商工民を支配していた社会です。「文明社会に秩序原理を提供する」では、著者は「文明史上、救済宗教が生まれたのと同じ時期に、そのほかにも精神文化とつながる組織的な知が生まれました。ギリシャにおいては哲学があり、中国においては儒教がありました。これらは救済宗教とは違うものでしたが、同じように帝国的な支配を支える精神文化と知的伝統の源泉として機能してきたのです」と述べます。

「仏教と神道の関係」では、仏教が日本に入って来た6世紀の頃の神祗信仰は神道と呼ばれるほどの統合性をもった場合でも、その中核に「救い」の観念があるわけではないとして、著者は「神道における救いの観念は、中世以後に次第に整ってきて、やがて伊勢神道、吉田神道、近代になると大本教など救済宗教的な神道集団も成立するようになります。しかし、遠隔参詣が盛んになるようなおおかたの救いの神の信仰は、神仏習合のかたちで仏教の影響下で形成されてきたものです」と述べています。「草の根化した救済宗教」では、日本では近世以降、キリシタン禁制と仏教宗派の統制の影響もあって、民衆が担い手の新しい救済宗教の集団が展開する傾向が生じ、次第に拡大していったことが紹介されます。念仏講、日蓮宗の法華講、富士講などの講集団がその例で、こうした集団が救済宗教の草の根的形態を新たに育てていきました。

「『新宗教』の登場」では、救済宗教の民衆化というこの土壌から、19世紀に「新宗教」が登場してきたことが紹介されます。新宗教とは、江戸末期から明治期以降にかけて創始された、これまでの伝統仏教の枠に収まらない救済宗教の信仰集団を指します。その初期のものが、黒住教、天理教、金光教です。著者は、「このうち天理教は江戸時代の終わりに中山みき、金光教は同じ時期に赤沢文治という、いずれも農民が創始した宗教です。働き者のまじめな生活者が、家族のトラブルや子どもの死といった苦しみを経験するなかで、既存のエリート主導の宗教集団から外れ、自らが創唱者になっていくというかたちで起こりました。天理教や金光教の開祖たちは、神の憑依といったシャーマニズム的な経験を経て、人類が苦難から救われるための教えを自ら説きました」と説明しています。

知ってビックリ!日本三大宗教のご利益

「社会の基層に存続している救済宗教」では、仏教の影響は7世紀末にはすでに顕著なものがあり、奈良時代や平安時代は国家を支える精神文化として仏教こそが主力だったことが指摘されます。著者は、「その力はある意味では江戸時代まで続いていきますが、鎌倉時代から江戸時代の封建制の時代には、次第に仏教集団が多元化し、またその後は民衆を担い手とする仏教系、習合神道系などの新宗教が力を伸ばしていきます。他方、国家は儒教や神道を支え手とするようになり、国家と支配者自身を神聖視する傾向が強まります。現世の秩序そのものが神聖なものとなり、現世を超えた秩序原理を提示する救済宗教としての仏教の地位が低下していったのです」と述べるのでした。

 第3章「なぜ『救い』なのか――文明史に救済宗教を位置づける」の「宗教学の誕生」では、宗教学について言及しています。日本を代表する宗教学者である著者は、「宗教学とは、世界のさまざまな宗教を分類・比較しながら、宗教とは何かについてその特徴を明らかにしようとする学問です。特定の信仰をもった上でその宗教について研究する神学や教学(仏教学、神道学など)とは異なり、”外側”から客観的に宗教を捉える視点を重視します。宗教について内側と外側の双方から考えるという姿勢がその特徴です。宗教学は、キリスト教の教義について研究する神学から分かれるかたちで、19世紀後半のヨーロッパで誕生しました。それが、やがて救済宗教という概念の登場をもたらします」と述べています。

「脱呪術化の果てに」では、宗教が資本主義を発展させた果てに、宗教はそこから抜け落ちてしまうことが指摘されます。マックス・ウェーバーは、「この巨大な発展」が進んだ末に、人間は虚無に直面するところに落ち込むのではないかという懸念を示しました。発展の最後に現れるのは、皮肉なことに「精神のない専門人、心情のない享楽人」ではないかというのです。著者は、「脱呪術化こそが合理化の1つの帰結ではあるのですが、それが果たして本当に人間の幸せにつながるのか、ウェーバーは疑問を呈したのです。ますます合理化を進めていく近代文明のゆくえに懐疑的だったウェーバーの本音がここに表現されています」と述べています。

 ウェーバーの影響を受けながら、人類の精神史の見取り図を視野に入れた独自の哲学理論をまとめ上げたのが、カール・ヤスパースです。彼は、紀元前800年から紀元前200年頃にかけての時期に、人類文明に大きなブレイクスルー(新たな何かによって障壁を突破し、根本的な変革がなされること)が起きたと指摘しました。このブレイクスルーにより、人間が真に実存的な自覚を得る精神文化がかたちづくられる。それがこの時代に、主に世界の3つの地域で同時に、かつ独立して起こったことに注目すべきだとヤスパースはいいます。3つの地域とは、中国、インド、そして西洋文明の源が生まれた中近東と地中海世界です。

世界をつくった八大聖人』(PHP新書)

 著者は、「中国には、孔子、老子、墨子、荘子、列子などの諸子百家と呼ばれる思想家たちが現れ、人間本来のあり方とはどういうものかを理論化し、儒教や道教の伝統に結実しました。インドには、哲学書『ウパニシャッド』や、仏教を開いたゴータマ・シッダールタ、ジャイナ教を開いたマハーヴィーラなどの哲人が現れます。さらに、中近東と地中海世界では、まずイランにゾロアスター教が生まれます。やがてパレスチナにはユダヤの預言者たち(エリア、イザヤ、エレミアら)が登場し、ギリシャには詩人ホメロスや、パルメニデス、ヘラクレイトス、プラトンらの哲学者、悲劇作家ソフォクレス、歴史家トゥキディデス、数学者アルキメデスなどが出現する。そしてその少し後の段階でキリスト教が誕生しました」と説明します。このあたりのことは、拙著『世界をつくった八大聖人』(PHP新書)で詳しく紹介しています。

 著者は、以下のように述べています。
「確かに数100年のあいだに、世界の偉大な宗教や思想の伝統がいっきに花開いたということは注目に値します。ユーラシア大陸の都市文明と文字文明の基盤が整い、帝国の生成へと向かう時期に『実存』の自覚も並行して起こった。ヤスパースはこのように捉えます。人類文明の画期となるような精神史的変容が、歴史上のある時点で同時に、複数の地域で起こったとし、ヤスパースはこれを『軸の時代(枢軸時代、Axial Age)』と名付けました」と説明します。ヤスパースは、この現象が「人類が1つである」ことの証拠になると主張しました。2つの世界大戦を経験して人々がバラバラになりかけたまさにその時期に、文明史をたどることで、ヤスパースは改めて「人類は1つである」ことを示し、希望を失わずに1つの平和な世界へ歩み出すための歴史哲学的な根拠を固めようとしたとして、著者は「このようにして、仏教、キリスト教などの救済宗教と、それに対応する世界の諸文明の思想体系を合わせて『軸の時代の文明』と捉え、これらが人類の画期をなした、とヤスパースは考えました」

「近代における実存の探求としての救済宗教理論」では、近代は2000年近くにわたって権威をもっていた救済宗教の影響力が後退していく時代でしたが、そのようななかで宗教にこだわった知識人が数多くいたことを指摘し、著者は「その代表であるニーチェやフロイトは、いずれもノイローゼやうつ病に相当するような経験をしています。神学とは一線を引いた立場で宗教の可能性を深く追究したウェーバーもうつ病を患いました(その療養も兼ねてのアメリカ旅行に同行したのがトレルチでした)。彼らにとって宗教と向き合うことは、それほど切実な課題だったということでしょう。ヤスパースは、自身の家に由来する明確な信仰はもっておらず、一方、妻はユダヤ教徒であるという環境で、キリスト教に根差さない独自の『哲学的信仰』というものを示しました。彼なりに信仰の問題を徹底して考えた先に生まれたその概念は、現在の宗教理論において『スピリチュアリティ』と呼ばれるもののひとつの形態のようにも思えます。ヤスパースは『救済宗教以後』を見据えていた、といえるでしょう」と述べています。

 第4章「『救い』のゆくえ――『救済宗教以後』を問う」の「マルクスによる宗教批判」では、宗教に対する批判を深めて、権力構造と関係づけて展開した思想家の1人が、『資本論』やフリードリヒ・エンゲルスとの共著『共産党宣言』で知られるカール・マルクス(1818~83)であると紹介。著者は、「マルクスは『ヘーゲル法哲学批判序説』(1844年)のなかで、宗教を信仰するということは、この世で実現できるはずの物質的な条件に基づく人間の幸福から目をそらすことだ、と述べています。そうした幸福を達成するための努力から逃げ、観念の世界のなかで代償満足を得る。あるいは来世での救いというものに逃げる。これを指してマルクスは、『宗教とは民衆のアヘンだ』と喝破しています。つまり宗教とは、物質的・経済的・政治的に恵まれない立場にある人たちが、その状況に甘んじつつ、幻想的に自己を慰安するためのものであり、その意味で麻薬と同じだと論じたのです」と述べます。

「ニーチェによる宗教批判」では、権力構造と関連づけた宗教批判のもう1人の代表的な論者として、哲学者のフリードリヒ・ニーチェ(1844~1900)が紹介されます。著者は、「ニーチェは『道徳の系譜』(1887年)という本で、主にキリスト教を標的とし、キリスト教は『奴隷の道徳』であり『ルサンチマン』に基づく宗教だと痛烈に批判しました。ルサンチマンとは、直訳すると『反動的な感情』という意味で、妬み、恨み、憎しみなど、他者に対する否定的な感情を表します。ニーチェは、ルサンチマンとは自分の弱さの自覚と結びついており、その弱さを取り返したいという欲求がねじれたかたちで表現されるのが宗教だと主張しました」と説明しています。

「新しいスピリチュアリティの登場」では、「宗教なしの社会生活」こそがノーマルであり、それこそが公共領域の条件だとするような考え方としての「世俗主義」が紹介されます。世俗化論は世俗主義と歩調を合わせて受け入れられてきました。ところが、世俗主義の限界が指摘され、ポスト世俗主義の時代へと移行していく1970年代頃から、「救済宗教以後」の精神文化が世界的に求められるようになります。それが「スピリチュアリティ」という言葉で表されるものです。アメリカでは、1970年代頃から「ニューエイジ(New Age)」と呼ばれるものへの関心が高まります。著者は、「ニューエイジとは、直訳すると『新しい時代』ですが、これは近代の科学中心の文明のあとの時代という意味で『ニュー』であると同時に、キリスト教などの救済宗教が支配してきた2000年の歴史のあとの時代(ポスト救済宗教)という意味での『新しい時代』でもあります」と述べます。

 いわゆる「ニューエイジ・ムーブメント」について、著者は「我々はいま、キリスト教とは異なる新しい精神文化の時代に入った。それは現世を否定せず、この世における個々人のスピリチュアリティを重視するものだ――そのように認識する思想が多数の人々に受け入れられるようになってきたのです。ニューエイジは、多種多様な宗教的あるいは霊的な実践をひとくくりにした総称ですが、あえて一言でいうなら、目に見えない領域に触れることで人間の潜在能力の発展(自己変容)を実現しようとする運動です。アメリカでは60年代頃から、インドのヨーガや瞑想、あるいは中国や日本の『気』や『陰陽』の理論や実践など、アジアの宗教的伝統の影響を受け、瞑想やボディワークを通じて自己変容や癒しを求める動きが広がりました」と述べています。

 1970~80年代にかけてこれらのムーブメントは支持者を増やし、ニューエイジは隆盛を迎えます。その過程で「トランスパーソナル心理学」などスピリチュアルなセラピー(心理療法)も注目されました。トランスパーソナル心理学とは、瞑想などによって実現される”心のより高い次元”を取り入れながら、現実の困難な問題にも対処していくとする心理学です。日本では70年代末から「精神世界」という言葉が盛んに用いられるようになりますが、これはアメリカにおけるニューエイジと非常に近いものです。著者はこれらを「心霊性文化」と呼んだり、「新しいスピリチュアリティ」と呼んだりしてきました。

「限界意識のスピリチュアリティ」では、自己変容のスピリチュアリティとは異なり、むしろ深い悲しみや心の痛み、解決が困難な苦難に焦点を合わせるもので、死に向き合うこと、大切なものの喪失や死別の経験に向き合うことを基軸とする「限界意識のスピリチュアリティ」が紹介されます。ヤスパースの言葉を借りれば、限界状況の自覚、スピリチュアルケアに関わる用語を借りれば「スピリチュアルペイン」に取り組む集いや場の形成がそれにあたります。この「限界意識のスピリチュアリティ」は、グリーフケアや死生学という領域でも展開されてきています。著者は、「やがて訪れる自らの死の恐怖や悲歎、あるいは親しい人との死別の悲しみに向き合う人を、どのように支えるか。このような課題に向き合う領域においても、従来の宗教のように救済を強く唱えるのではなく、死や死別による限界を自覚した上で、その事実に向き合って心折れるようなことなく生きていくことを促し支える、そのような意味でのスピリチュアリティが、広く共有されるようになってきています」と述べます。

グリーフケアの時代』(弘文堂)

「ケアのスピリチュアリティ」では、21世紀に入る頃からは「ケアのスピリチュアリティ」と呼べるような動きが目立ってきていることが紹介されます。たとえば、大切な人との死別や重い喪失による心の痛みに苦しむ人を支える「グリーフケア」の集いにボランティアとして参加する人が増えています。上智大学グリーフケア研究所の所長を務め、日本におけるグリーフケア研究の第一人者でもある著者は、「グリーフケアの集いは1980年代から次第に広がっていったもので、事故や事件の被害者の遺族、災害で大事な人を亡くした人たち、若い子どもを亡くした人たち、若くして配偶者を亡くした人たち、周産期に子どもを亡くした親たち、自死遺族など、さまざまな集まりがあります。自らが深い喪失の痛みを経験し、支え合いの意義を知るようになった人々がこのような集いに参加し、ファシリテーター(そのような集いで、参加者の発言を促したり、場の流れを調えたりする人)となることも少なくありません」と述べています。

企業でもグリーフケアが浸透する

「『救い』の機能が分化する」では、新しいケアのスピリチュアリティは、医療や介護や教育、またボランティア活動においてだけではなく、企業活動と結びつく例も見られるとして、著者は「企業活動の目的を、利益を上げることだけに置くのではなく、困難を抱えた人を支援することにも置く。そのような仕事に積極的に取り組む人が増えています。あるいは、貧困に苦しむ人や障害者など社会的に弱い立場にある人たちの支援活動に、職業として、あるいはボランティアとして関わり、そのことに生きがいを感じる人たちも増えてきています」と述べます。そこでは「救い」という概念は後ろに退いていますが、救済宗教と現代のスピリチュアリティはまったくの別物かというとそうではなく、著者は「救済宗教的なものが異なるかたちをとり、スピリチュアリティとして再編され、新たな形態で展開していると見ることができます。また、救済宗教と新しいスピリチュアリティが思想的に支え合っている場合もあります。救済宗教と新しいスピリチュアリティは相補的な働きをしている、そう捉えることもできるのではないかと思います」と述べています。

「マインドフルネスは仏教か?」では、マインドフルネスが取り上げられます。著者は、「スピリチュアリティの実践そのものに救済宗教の影響が顕著に見られる場合が多々あります。たとえば、最近、医療者やビジネスパーソンなどのあいだでも注目を集めている『マインドフルネス』について考えてみましょう。ストレス過剰による心身の不調や仕事の行き詰まりで悩む人が、独特の瞑想法であるマインドフルネスの療法を学ぶことで、生活改善を実感できるエビデンスが積み上げられ、医療現場や企業研修などで用いられているのです。これは、それのみでは宗教と関わるものとはいえませんが、その実践の中心にある瞑想は、東南アジアの仏教の伝統が受け継いできた瞑想法にルーツをもっています。ですから、マインドフルネスの意味を深く理解しようと思えば、仏教的な修行をしたり、教えの深いところにあるものを学ぼうとしたりする動機にもつながっていきます」と述べます。

「救済宗教を通して、自分が何者であるかを問う」では、著者は「世界の精神文化とは何か。あるいは、現代日本の精神文化とは何か――こうした問いは、漠然としていて、現実的でない大仰なものに映るかもしれません。しかし、実はこれらの問いは、「自分自身が何者であるか」というきわめて身近な問いにつながるものです。本書では、救済宗教というものを自分の”外”にあるものとして、歴史的・客観的に扱い、比較しながら考える姿勢に重きを置いてきました。しかし、それはおのずから自分自身の『内面への旅』という側面ももっていると、私は考えています。自分自身を問うにはいろいろな方法があります。哲学を通して自分とは何かを考える。科学を通して、あるいは心理学を通して自分とは何かを知る。それと同じように、宗教を通して自分を知るという方法も、啓発的なものです」と述べるのでした。

「おわりに」では、宗教学を学び大学院に進んだものの、どこに自らのよりどころがあるのか不明確ななかで、心身症的に胃を悪くしたこともあり、「救い」とは何かが身近になった時期があったことを告白し、著者は「その時期に取り組んだのが、新宗教の教祖たちの『救い』の信仰に関する研究でした。彼らの人柄と考え方に大いに惹かれるところがあったからです。彼らの『救い』の経験をたどり、祈りの言葉を唱えたりもしましたが、結局、自ら特定の信仰のかたちを身につけ実践するには至りませんでした。ともかく親とは違う道を選び取ることにこだわった私は、最終的に医学ではなく宗教を研究する道を選びました。考えてみると、医学も宗教も人を『救う』ことに関わっています。宗教の研究を始めてからすでに50年を超えますが、そのあいだに取り組んだ課題には、宗教と医学にまたがる領域のものが多い。生命倫理もそうですし、死生学やグリーフケアもそうです」と述べています。

 著者は当初、スピリチュアリティとは「救済なしの宗教性」であると理解していたそうです。人間の限界についての自覚に力点を置くよりは、明るく前向きに自己変容の可能性に重きを置く精神文化と考えたといいます。ところが、人間には超えられないつらさの経験というものがあるとして、著者は「『救済宗教以後』のスピリチュアリティの時代になっても、『救い』の重要性は変わらずにある。依存症の自助グループの実践を知ったり、グリーフケアに携わったりするなかで、そう気づきました。また、救済宗教が培ってきた精神文化の分厚い土台はそう簡単にはなくならないこともあらためて認識しました」と述べています。「救い」を引き継ぐスピリチュアリティとして、著者は「限界意識のスピリチュアリティ」に注目するようになりました。「限界意識のスピリチュアリティ」を重んじた先達として、著者が思い浮かべるのは折口信夫と宮沢賢治だとして、「20歳代の前半、新宗教の教祖研究に進む前に取り組んだのが折口信夫、40歳代の後半、研究生活の停滞やオウム真理教事件による困難と父の死の前後に深く引き込まれたのが宮沢賢治でした。私の人生で『救い』を求める姿勢が強まったこの時期に、支えになったのがこの2人でした」と述べます。

 著者の父は亡くなる前に「心を病む人を助ける」ことが自分の人生であり、そのことに悔いがないと言っていたそうです。かつての著者は現代の医学や医療のあり方に疑問をもったものでしたが、父親が「人を救う」精神科医療を目指していたことに妙に納得するところがあったといいます。「患者さんや家族の話をよく聴く」ことが大事だといい、それを横で見ていた経験もあり、父は「ケアのスピリチュアリティ」になじみがあったのだと思うようになったそうです。そして、著者は「私が宗教研究という道に進み、聞き取りに多くの時を費やすようになった背景に父の影響があったことも自覚するようになりました」と述べるのでした。

著者の島薗進先生と

 本書は、コンパクトで優れた『宗教入門』であり、『ケア入門』であり、『コンパッション入門』だと思いました。わたしは、著者から宗教やグリーフケアやコンパッションについて学んできましたが、本書を読んでその理解が深まったように思います。そして、率直に綴られた著者の人生の記録に触れて、親しみと尊敬の念が強くなりました。

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