No.2214 ホラー・ファンタジー 『予言の島』 澤村伊智著(角川ホラー文庫)

2023.02.18

『予言の島』澤村伊智著(角川ホラー文庫)を読みました。著者は、一条真也の読書館『ぼぎわんが、来る』『ずうのめ人形』『ししりばの家』『恐怖小説 キリカ』『ひとんち 澤村伊智短編集』で紹介した本の著者によるミステリー・ホラー小説です。

 著者は、1979年大阪府生まれ。東京都在住。幼少時より怪談/ホラー作品に慣れ親しみ、岡本綺堂を敬愛する。2015年に「ぼぎわんが、来る」(受賞時のタイトルは「ぼぎわん」)で第22回ホラー小説大賞(大賞)を受賞し、デビュー。巧妙な語り口と物語構成が高く評価されており、新たなホラーブームを巻き起こす旗手として期待されています。

本書の帯

 本書のカバー表紙には夕暮れの島に一艘の船が向かっているイラストが描かれ、帯には「再読率200%!!!」「初読はミステリ、二度目はホラー!」と書かれています。カバー裏表紙には、「瀬戸内海の霧久井島は、かつて一世を風靡した霊能者・宇津木幽子が最後の予言を残した場所。二十年後《霊魂六つが冥府へ堕つる》という。天宮淳は、幼馴染たちと興味本位で島を訪れるが、旅館は『ヒキタの怨霊が下りてくる』という意味不明な理由でキャンセルされていた。そして翌朝、滞在客の一人が遺体で見つかる。しかしこれは、悲劇の序章に過ぎなかった……。全ての謎が解けた時、あなたは必ず絶叫する。傑作ホラーミステリ!」と書かれています。

 著者の澤村伊智氏は、非常なホラー小説通であることが知られています。愛読していた岡本綺堂をはじめ、三津田信三や京極夏彦といったホラー作家へのリスペクトが感じられますが、本作『予言の島』では、横溝正史へのオマージュとして書かれたことが明らかです。その証拠に、「プロローグ」と「エピローグ」には横溝の名作『獄門島』の一部が引用されています。『獄門島』は、江戸三百年を通じて流刑の地とされてきた瀬戸内海に浮かぶ孤島を舞台にした奇怪な物語です。金田一耕助は、復員船の中で死んだ戦友、鬼頭千万太に「三人の妹たちが殺される……おれの代わりに獄門島へ行ってくれ……」との遺言を託され、獄門島に渡ったのでした。島で網元として君臨する鬼頭家を訪れた金田一は、美しいが、どこか尋常でない三姉妹に会います。その後、遺言通り悪夢のような連続殺人事件が発生。芭蕉の俳句がトリックを象徴します。後世の推理作家に多大な影響を与え、今なお燦然と輝く、ミステリーの金字塔が『獄門島』です。

『獄門島』は、1977年に映画化されました。製作は東宝映画、配給は東宝。市川崑監督・石坂浩二主演による金田一耕助シリーズの3作目にあたります。原作で殺害実行経緯の詳細が明らかにならない実行犯2名を軽微な従犯に変え、一方で原作では特に個性的には描かれていない登場人物の出自や境遇を詳細に設定し、殺害実行犯としています。このような原作との差異は成功したとされ、「脚本が原作を超えた」と話題になりました。しかし、『獄門島』へのオマージュともいえる『予言の島』は映像化することは難しいでしょう。この小説のオチは、絶対に小説でしか描けないものとなっているからです。すなわち、文章のトリックで読者をミスリードする作品なのです。ゆえに、犯人がわかった後も著者のテクニックに感心しながら再読するのも面白いと思います。これ以上は、ネタバレになるので控えます。

『予言の島』には、今は亡き霊能者が登場します。宇津木幽子という名で、宜保愛子と同時期にテレビで大活躍したという設定です。ずばり宇津木幽子のモデルである宜保愛子は、1932年神奈川県横浜市生まれ。2003年死去。彼女は、1980年代にテレビで稀代の霊能者として取り上げられたことで一躍注目を浴びました。著書も多数出版され、ベストセラーも多数存在しました。霊能力があるとして多数の信望者を生み人気を集めた一方、その能力についての真贋論争も話題となりました。本書では、霊能力や予言のトリックについての説明も随所に散りばめられています。たとえば、「コールドリーディング」や「ホットリーディング」についても詳しく説明されています。

 コールドリーディング(cold reading)とは、話術や観察法の1つで、外観を観察したり何気ない会話を交わしたりするだけで相手のことを言い当て、相手に「わたしはあなたよりもあなたのことをよく知っている」と信じさせる話術や観察法です。「コールド」とは「事前の準備なしで」、「リーディング」とは「相手の心を読みとる」という意味です。また、ホットリーディング(hot reading)とは、事前に調査をして情報を得ておきながらもそれは隠しておいて、さもその場で相手の心や相手の過去を読んだように思わせる技術です。

 また、予言に関しては「ショットガンニング」という言葉も登場します。宇津木幽子の霊能力を信じる人々は、彼女の予言がよく当たるというのがその根拠になっています。生前の幽子は8237個の予言を著書などに残したのですが、幽子の孫娘である沙千花という女性は「詩だから”篇”で数えた方がいいかもね。単著にまとまってない、雑誌やテレビに寄稿したものを含めると9027篇。要するに多すぎる。これだけ残せばどれかは当たるに決まっている。典型的なショットガンニングよ。数打ちゃ当る方式」と述べるのでした。

 ショットガンニングは、かの有名な大予言者であるミシェル・ノストラダムス(1503年~1566年)の予言についても言えることです。ノストラダムは、ルネサンス期フランスの医師、占星術師、詩人で、日本では『ノストラダムスの大予言』の名で知られる詩集『諸世紀』を著しました。そこには将来の出来事を予言したとされる942篇の詩的な四行詩が収められています。彼の予言は、現在に至るまで非常に多くの信奉者を生み出し、様々な論争を引き起こしています。しかし、くだんの沙千花は「そもそも予言が”当たった”ってどういう意味か分かる? ”現実の出来事に上手くこじつけられた”って意味よ。推理小説が作者都合の御伽噺なら、予言はさしずめ読者都合の暗号ね。読み手の匙加減でどうとでも解釈できる代物だから」と言うのでした。

 さて、この『予言の島』という小説、読む前からある嫌な予感がしていました。というのも、島に対する差別意識に基づいて書かれた作品ではないかと危惧したからです。いわゆる伝奇ミステリーと呼ばれるものには、辺鄙な地方に伝わる奇怪な風習を描いた作品が多いです。民俗学的興味にあふれた「奇習もの」とでも呼べるジャンルですね。このジャンルには多くの作品があり、たとえば石原慎太郎氏の『秘祭』などもその1つです。沖縄の離島とか、中国地方の山奥(横溝正史の世界がまさにそうですね)とかに伝わる異常な怪奇習俗をテーマにしたものが多く、過疎地に対する悪質な偏見であると批判する見方もあるようです。鎌田東二先生も、明らかに八重山諸島を舞台とした『秘祭』には離島に対する差別意識があると憤慨されていました。

 一条真也の読書館『黒祠の島』で紹介した小野不由美のホ小説は、嵐の夜、孤島で巻き起こる猟奇殺人を描いた作品です。近代国家が存在を許さなかった”邪教”が伝わる島を舞台とした伝奇ミステリーです。「”邪教”が伝わる島」という舞台設定に少々違和感をおぼえてしまいますが、だいたいホラー小説や伝奇ミステリーに登場する儀式や祭祀や祭りというのは怪奇なものが多いです。いや、それ以外の明るい儀式や祭祀や祭りはまず出てきませんね。本書『予言の島』では、麻生という東京出身の登場人物が、島を守るために余所者を殺すということについて、「この島ではあるんです。信じ難いことですが、民俗土俗とはそういうものですよ。狭い共同体で醸成された独自の作法、しきたり、信仰、そしてそれらを表象する言葉の数々。個人より共同体の存続が優先され、そのためには現代の倫理観では受け入れがたい野蛮なことも平然と行われる。行われ続ける」と語るのですが、これは、地方を「秘境」と見る偏見だと思います。

『予言の島』には、恐山のイタコの話も出てきます。巻末の参考文献一覧を読むと、 一条真也の読書館『「イタコ」の誕生』で紹介した宗教学者の大道晴香氏の著書を参考にしたそうですが、沙千花は「”恐山のイタコ”が出てきたのなんて70年代、たかだか40年前だから」「そもそも恐山は仏教――天台宗のお寺が制定した霊山で、イタコは民間信仰のシャーマン。だから本来は関係ないの」と言い、ごっちゃになったのは、国鉄のキャンペーンである「ディスカバー・ジャパン」の結果だと明かします。個人や家族での旅行を普及させるため、国鉄(今のJR)が電通を使って仕掛けた大規模な宣伝です。新聞もテレビも当時は地方の文化や習俗を大きく取り上げました。

 また、沙千花は「各地方のことが報道される時、目立つ者が取り沙汰される一方で細部は切り捨てられ、似たものは混同された。その結果どうなったか。”都会から見た地方”のイメージが固まったの。青森だろうと九州だろうと、都会じゃなければ何処もこんなもんだろうって大雑把な印象がね。違いはせいぜい暑いか寒いか、雪が降るか降らないかだけ。麻生さんが好きな土着とか土俗の原型よ。そういえば横溝ブームも70年代ね」と言います。「・・・・・・じゃあ俺らが持ってる、古くからの因習が残ってておどろおどろしい、みたいな田舎のイメージって」と言う淳という主人公に対して、沙千花は「そう。それ自体が現代の産物なの」と言い放つのでした。このあたりの田舎への偏見が生まれたメカニズムの解明は、本書の大きな魅力であると思いました。

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